キズツケ K視点 02
「……でさ」
「……ん」
「もっかいくじ引くんだっけ?」
「確か……」
くじは二回引かなければいけなかったはずだ。
二回目のくじは傷を作る箇所を決めるもの。
"相手の肉体にカミソリでひと繋がりの傷をつけること"
ひと繋がりとは、輪になるように一周しろということだろう。
指ならばまだいい。
頭や首は、あまり考えたくなかった。
「あのさ」
「どうした?」
「さすがにコレは俺が引いてもいい?」
「ああ……もちろん」
俺は素直にモニターの前から移動した。
鳴海がへらへら笑いながら画面に触れた。
またガシャガシャとくじの筒が動くのが視界の端に見えて、止まった。
棒の先にはさっきとは違い、文字が書かれている。
『左腕』
「あー」
「……」
指ではなかった。
が、首でも頭でもなかった。
しかしこれは……。
「なんかさ、これ、リスカ痕みたいになるやつじゃね」
「……」
思っていることを、先に言われてしまった。
リストカット。
鳴海が自分でするわけでもないのに。
流血するレベルの傷でなければ、条件のクリアにはならないと書いてあった。
それでは、一生残る傷跡になってしまうのではないか。
俺は、胃の上の部分がぎゅうと締め付けられたように息苦しくなって、気分が悪くなった。
吐き気を感じながら、しかし思い直す。
自分はまだいい。
傷つける側の不快感は精神的なものだけだ。
鳴海は?
肉体と精神の両方を傷つけられることになるのだ。
「どうする」
「うーん……」
鳴海はへらへら笑っている。
「指だったらいいなーって思ってたけど、そんな甘くないよな」
「どこだって、傷つけられるのは嫌だろ」
「まぁな……」
「それにお前……」
さっきまで、やるかやらないかは別としてって話だったのに、すっかり傷つけられる気でいる。
まるで最初からこうなることがわかってた、みたいな。
「なに?」
「やるの?」
「やらなきゃ出られないならやるしかないだろ」
「嫌だったんじゃないの?」
「嫌だったよ、ハズレ引くの」
「……ん?……は?」
一瞬、鳴海が何を言っているのかわからなかった。
ハズレを引くのが嫌だ、とは。
つまり、傷つけられる側を最初から容認していたことになる。
「お前、痛いの嫌じゃないの」
「別に好きじゃないけど」
「ならどうして」
「でも人に傷をつけるほうが、なんかしんどいから」
「……」
「俺、加害者になりたくないんだよね」
「……」
「だから、ありがと。ハズレ引いてくれて」
なんだよそれ……。
なんだよそれ……!
「お前な……っ!」
そう言って笑う鳴海を見て俺はどうしてか頭がカッとなった。
自分でもどうしてこんなに頭にくるのかわからなかった。
突然大きな声を出した俺に、鳴海が肩をびくりと震わせる。
その瞳に、怯えが浮かんだ。
「でかい声出すなよ。……怖いだろー」
それは相手を威嚇しないように、遠回しに諭させる声色だった。
慣れている、と思った。
鳴海の言葉にハッとする。
自分はこれから加害者になるというのに、相手を責めるような権利などない。
見知らぬ他人を傷つけるのだ。
できるだけ優しくいたいのに。
「悪い……」
「いいっていいって。監禁されたモン同士なんだしさ。それに……」
金髪は雑に頭を掻いた。
「さっきは信じてないとか言ったけど、お前がいいヤツだって、わかるよ」
鳴海が目をそらす。
「こういうの、よくないってわかってんだよね」
こういうの、とは被害者の立場に甘んじることを指しているのだろうか。
自覚があるのならば、なおさらタチが悪い。
「でもマジで言い争ってる時間ないぜ。あと30分切ってる」
鳴海がモニターを指差す。
『左腕』と書かれたくじの画面はもう消えて、画面にはでかでかとデジタル時計が表示されている。
あと、27分。
「それにさ、カミソリ?探さなきゃじゃん」
「ああ……そうだな」
重要なことだった。
気になってはいたが、部屋はコンクリートに囲まれており、他に家具などはない。
唯一のドアは真っ白く平坦で通気口もなく、物が外部から支給されそうな気配はなかった。
とすると……。
「モニターの周り……は隙間はあっけど、物が挟まってる感じはないな」
「なら……」
「え?他にどっかある?」
鳴海は気付いていないようだった。
「…………俺かお前の、どっちかの服の中に忍ばせられてるんじゃないか?」
「え!?」
「ちなみに俺の服にはそれっぽいものはなかった」
物を忍ばせるにも、長袖のTシャツとジーパンだ。
尻ポケットくらいしか入りそうなところがない。
そしてそこには何もなかった。
「えーちょっと、待って……」
鳴海がパーカーのポケットをまさぐる。
「あ?裏ポケットになんかあるかも」
服を脱ごうとして、一瞬ぎくりと固まった。
「?どうした」
「ちょっと後ろ向いてもらっていい?」
「どうして?」
「うーん……俺が後ろ向くでもいいけどさ」
なにかやましいことがあるのだろうか?
「いいけど」
「悪いな」
「別に。悪くない」
「ありがと」
俺は言われた通り後ろを向く。
ジッパーを下げる音が聞こえる。
「あ、あった!コレだろ、カミソリ」
「良かった」
その声に俺は振り返ってしまった。
そして見た。
鳴海の服の下の、大量の青あざを。
「あ……」
「あはは……」
「……」
悪い、と言おうとしたが咄嗟に言葉が出てこなかった。
「いやーん、くじょうくんのえっち!」
鳴海がさっと服のジッパーを上げ、へらへら笑いながら、俺の肩をばんばんと叩いた。
「まぁ、さ」
「……」
「こういうわけだから」
「こういうって」
「慣れてるから、これからすること、あんまし気を遣わなくていいよ」
「そんな、」
『そんな悲しいこと言うなよ』?
『そんな辛いこと言うなよ』?
どっちの言葉も出てこなくて、俺は黙り込むしかなかった。
「はい」
うつむいた俺の手に、鳴海が触れる。
固い銀の塊が手の中にある。
カミソリだ。
モニターに目をやる。
あと20分を切っている。
迷っている時間は、あまりない。
「左腕ならどこでもいいのかな?」
鳴海が左袖をまくってじっと肌を見ている。
「……どこがいい?」
「手首の近くだとちょっとな」
あからさますぎて、流石に抵抗感があるようだった。
俺も、手首周辺は避けたかった。
「もう少し上の方?」
「七分袖で隠れるあたりとか……」
「このへん?」
俺は左肘近くを指差す。
「そう。ここらへんを……ぐるっと」
鳴海が自分の右手で、左肘近くの腕をなぞった。
「二の腕じゃ駄目なのか?」
「あー」
鳴海が苦笑した。
「袖ここまでしか上がんねーし、また脱がなきゃだし」
もっかい青あざ祭り見る?と言いたそうな顔だった。
「あとさ、もうニの腕には傷があって」
「……そう」
「引いた?」
「引きはしないけど、腹は立つな」
「俺に?」
「馬鹿。そういうことしてきたヤツにだよ」
「……お前やっぱりいいヤツだな」
鳴海は笑った。
鳴海がへらへらと笑うたびに、気分が重くなっていく。
あまり深く考えるのはよそう。
そんな時間の余裕はない。
「触っていい?」
「どうぞ」
差し出された左腕を手に取る。
パーカーで着ぶくれしているだけで、実際の彼の身体は白くて細かった。
「……折れそう」
「折れねーよ」
「本当にいいの?」
「傷のこと?いいよ。早くしようぜ。時間ないと、焦る」
「そう、だな」
俺はさっき鳴海がそうしていたように、左肘近くを軽く指でなぞった。
「……っ」
「くすぐったい?」
「わかってんなら、やめて」
「確認しただけ」
「はいはい……」
この腕に、傷をつける。
俺は右手にカミソリを持った。
「やるぞ」
「おう」
金属を肌に押し付ける。
不思議と、手は震えなかった。
す、と線を引く。
ぷつ、と何かが切れる感覚のあとに、傷口から赤が滲んでくる。
深すぎず浅すぎない、ちょうどいい感覚で刃が入った。
このまま。
慎重に、俺は刃物を動かした。
「……っ、」
鳴海が呻く。
「がんばってくれ」
「気にしないでいいって……」
気にしないなんて、無理だ。
腕の半周を傷つけたところで、一旦俺は剃刀の刃を皮膚から抜いた。
「これで半分?」
「そう」
「思ったよりは痛くないから、いけるよ」
「悪い」
「悪くない」
「悪いよ」
「じゃあお前は『悪い』。『悪い』でいいから、最後まで萎えないでしっかりやってくれ」
「ああ」
先程までと反対側に回り込んで、始点の部分にまた刃を当てる。
大丈夫。
いける。
俺はなるべく心を平坦にして、刃を引いた。
線がまた一本生まれて、そこに赤が流れ込む。
腕の裏までしっかりと切り込み、線が一周した。
「終わった?」
「終わった」
「はー……」
「……はぁ……」
二人で、深くため息を吐く。
終わった。
何事もなく……というわけではないが。
終わった。
「コレどうすんだろ、血流れっぱなし?」
「そうなるな……」
傷口。
それを鳴海は物珍しそうに見ていた。
「痛くない?」
「痛いけど、我慢出来ないほどじゃない」
傷口から確かに流血してはいたが、それは傷が赤く染まる程度だった。
だくだくと流れていたりはしない。
!
急に、モニターから音声が再生される。
アラームのような、アラートのような。
『条件達成おめでとうございます!』
画面に文字が映し出される。
若干、殺意が生まれる。
なにが、おめでとうございます、だ。
『達成者の二名に第一報酬が与えられます』
『今回の報酬は・第一ステージの扉の解錠・第二ステージでの衣食住のお約束の二点です』
『扉を出て通路を直進すると、第二ステージに繋がっています』
「第二ステージってさ」
「……」
「またこんな事させられんのかな」
「……どうだろうな」
「そしたらさ、九条、お前にまた」
「『加害者になってくれ』って?」
「言い方悪いとそうなるかな」
「わからない」
「ん?」
「またくじ引きかもしれないし」
「じゃあもっかい最初にくじ引いて」
「どうして?」
「九条の方が、多分くじ運いいから」
そう言って、鳴海は笑った。
シューッ。
音を立てて、扉が横に開く。
やはり、電動だったようだ。
「出る?」
「でるよ。ここにいたら餓死しそうだし」
「また扉閉まったらシャレになんないもんな」
鳴海は服の袖を上げたままだった。
傷口が痛々しい。
「それ、そのまま?」
「ああ?うん。目のやり場に困るよな?でも袖下ろすと服に血がつくからさ……」
鳴海が腕を軽く振る。
浅い傷だから血は乾いてきているが、擦れたら痛いというのもあるのかもしれない。
あの傷をつけた。
俺が。
「そうだよな……」
色々考えて苦々しい顔をしていると、鳴海に伝わってしまったようで、彼は眉を下げた。
「まぁさ、"第二ステージでは衣食住のお約束"って言ってたから服もあるんだろうけど」
「なんか衣食住って、ここで暮らすことになるみたいで嫌だな」
「……だな」
「とりあえず移動しよう」
「うん」
微妙な空気になったので、俺は強引に会話を締めた。
開いた扉に手をかける。
境目の向こう側にも、今の部屋と変わりなくコンクリートの通路が広がっている。
一本道だ。
そう遠くない場所に、今度は木製の扉が見えた。
俺は後ろを振り向く。鳴海と、何もないコンクリの部屋が見える。
背筋が寒くなった。
「どうしたん?」
「条件達成できてなかったら、部屋から出れなかったのかなって」
鳴海がブルッと身体を震わせた。
「……そういうの考えんのやめようぜ。出られたんだからさ」
「……だな」
俺は通路に出た。
部屋と部屋とを繋ぐ一本道。
部屋の隣に部屋を置いてはいけなかったのだろうか。
なにか理由があるのだろうか。
「なあ」
通路に少しだけ鳴海の声が反響する。
「ん」
「この通路意味あんのかな」
「同じこと考えてた」
「やっぱちょっと変だよな」
「多分、部屋と部屋との音が聞こえないように距離とってるんじゃないか」
「げぇー……」
鳴海は露骨に嫌そうな顔をした。
「あとはこの通路自体に何か仕掛けとか、罠があるとか」
「……慎重に進もうぜ」
「……ああ」
俺たちは極力歩幅を狭くして、視界に入るコンクリートに違和感はないかひたすら気を張って、歩いた。
けれど俺たちの不安を嘲笑うかのように、何事もなく次の扉に到着した。
「は~……。なんかもう、気疲れがすごい」
「なにもなくてよかった」
「そうだけどさ……」
少し後ろに立つ鳴海はぶつくさ言っている。
俺は目の前のドアを見た。
こげ茶色の落ち着いた木製のドア。
コンクリートの視界の中で、明らかに異質だった。
ドアには、ドアノブがついている。
「開ける?」
「開けるよ」
「怖くねぇ?」
「怖いよ」
「一緒に開けてやろっか?」
鳴海が冗談めかして笑った。
「……大丈夫」
俺も笑って、でも断った。
「少し離れてて」
「なんで?」
「なんか、中から変なガスとか出てきたら困るだろ」
「……」
「人が飛び出してくるかもしれないし」
「……俺達の他に、人、いんのかな」
「さあ……」
俺たちの他に人がいるとしたら、犯人側の人間か、はたまた俺たちと同じ状況の人間か。
「じゃあ、開けるから」
「わかった」
鳴海が三歩ほど距離を取る。
ガチャ。
ノブは軽く回る。
鍵はかかっていないようだった。
俺はゆっくりと扉を押した。
ぎぃ……っ。
それなりの重量があるドアは、けれど滑らかに開いていく。
その先に広がっていたのは……。
「な、なんか暗くね?」
「……」
次の部屋には明かりがついていなかった。
恐怖心が一気に湧き上がる。
今までの部屋と通路に明かりがついていたのはただの親切で、これから先は暗闇の中で過ごせ。
などということなんだろうか。
勘弁してもらいたかった。
「壁にさ、電気のスイッチついてないの?」
「今探す……」
俺は半歩だけ部屋に踏み込み、左側の壁をまさぐった。
壁をさまよう指がスイッチらしき突起にふれることはなかった。
「ない」
「えぇ……」
「どうする」
「どうするって……」
「入るしかないんだけど」
「そうだよな……」
鳴海が後ろを振り返る。
「!え」
「なに?」
「さっきの部屋、ドア閉まってる」
「嘘だろ……」
俺も驚き、通ってきた道を見る。
音がした気配はなかったのに、先程までいた部屋への扉はまた白い平坦な壁が塞いでしまっていた。
戻れない。
というか……
「俺たち二人がこっちの扉開けたから閉まったのかな」
「わからない」
「時間制限で閉まる仕組みだったら、俺たちまた閉じ込められてたのかな」
「……」
考えたくない。
どちらにしてももう他に行く場所がなくなってしまった。
「入るか」
「どっちが入る?」
「……二人で入ろう。片方が入ったあとにこの扉が開かなくなったら困る」
「それは……そうだな」
鳴海は完全に暗い部屋にビビっている気配がしたが、どうしようもない。
俺だって別に喜んで入りたいわけじゃない。
けど、この部屋に入ることは最悪の選択ではない……はずだ。
少なくともこの通路にずっと突っ立っているよりは。
「じゃあ、行こう」
「……うん」
二人して、部屋に踏み込む。
と。
急に、ドアが重くなった。
「うわ、」
「え?なになに?」
「ドアが閉まる!」
「は?!」
「挟まれないように気をつけて」
「あ、ああ……!」
このドアにも電気が通っていたのか、明らかに強制的に閉まるように突然力が加わった。
ドアノブを持っていられなくなった俺は手を離す。
ばたんっ!
背後で扉が閉まる。
視界は完全な暗闇になった。
「ちょ、ちょっとさ、これどうすんだよ!」
「……」
「なあ!?え?まさかこのまま?無理なんだけど」
「鳴海、ちょっと落ち着け」
「九条……!」
「!うわ、なに」
胴体に、人の手が触れる感覚があった。
鳴海の手だ。
「あ、ごめん。……いなくなったら、俺多分パニックになるから、ちょっと存在確認させて」
「……わかった」
俺はその手の感覚を探りながら、左手で鳴海の手を取った。
「わ」
「手繋ぐでいいだろ」
「うぅ……これマジで電気つかないんかな」
「……」
暗闇の中で闇雲に歩き回るわけにもいかないが、このままでいるわけにも……。
と、その時。
!
前の部屋で聞いたアラーム音が聞こえてきた。
「え?え?え?なに?」
「落ち着け鳴海」
俺は握った手に力を込める。
「あぁ……ごめん」
「大丈夫だから」
なにも大丈夫ではなかったが、鳴海を安心させようと口から出ていた。
しばらくするとアラーム音は消えて、視界の右端に、薄っすらと光が灯った。
モニターだ。
「明かり」
「ああ」
「い、行こうぜ」
「ああ」
俺たちは足元に最新の注意をはらいながら、その薄明かりの元へと歩いていった。
短い歩幅の距離にして50歩くらいだろうか。
モニターの前に到着する。
モニターにはまた文字が浮かんでいる。
『第二ステージに到着おめでとうございます!』
『第二ステージ到達確率は、50%です』
『あなたがたは、幸運な人間の中でも、さらに未来を勝ち取ることができる強さを持った方々です!』
『次の条件は、この部屋に入ってから24時間後に提示されます』
『それまで、この部屋でゆっくりお過ごしください』
「ゆっくりって……」
「早く家に帰らせてくれよ」
「つかやっぱ次もなんかあるんじゃん。嫌すぎ」
二人で画面を細目で見つつ、俺がモニターに触れると、四つのボタンが出てきた。
『電気のON/OFF』
『食事の注文』
『衣類の注文』
『条件の表示』
一番下の、条件の表示のボタンのみ暗く表示されていて押せなくなっている。
「電気!つけようぜ」
「ああ」
俺たちは迷いなく一番上のボタンを押す。