書庫で吊るされる惨めな少女
青年、黒崎颯人は世界津々浦々から蒐集されたありとあらゆる記載書を保管する神出鬼没の世界書庫《ワールド・オブ・ミュージアム》で特に寂しくもなく本を嗜んでいた。
その横で忙しなく本を運ぶ幼女が額に汗を滲ませながら、時折嫌味を吐き散らしつつも働いていた。
「まったく。全く全く全く! どうして、大図書館の司書たるこの朕が朕のテリトリーで忙しなく走り回らなくてはならないのじゃ!?」
泣きべそをかいている幼女の名は白犬。もっとも、その道の輩には《空白の魔女》という二つ名で知られる死なない人種である。
そんな明らかに普通ではない白犬に臆することもなく、むしろあざ笑うかのように颯人は返す。
「うるせぇ、コロがすぞ。俺に幼女趣味はないが、丸裸にして外に放り出してもいいんだぞ?」
「引きこもりの朕には致命傷なほどの仕打ちなのじゃ、おい!? ちっ、働くよ、働きゃいんだろ、こんちきしょーなのじゃぁぁぁぁ!!」
さらなる泣きべそをかきながら幼女は颯人に求められた本を選別しに再び奥へと潜り込む。
そうして、うるさいのがいなくなった後。颯人は読んでいた本をパタリと閉じると、それを机の上において運ばれてきたばかりの本に目を落とす。
白犬に選別させているのは世界の各地に伝わる黙示録である。もちろん、この書庫には誰が書いたのかさえも不明なメモ帳も蒐集されているため、真偽の程は定かではない。だが、少なくとも、人の想像は実現できると信じている颯人には、たとえ眉唾ものの類であろうと関係はなかった。
黙示録といえば、最も有名なのは《ヨハネの黙示録》だろう。いろいろな方面から物議を醸す曰く付きのものだが、その内容は卓越している。
ともあれ、なぜ颯人がそんなものを読み漁っているかの回答は単純だ。
無論、それを十全に理解するには、天井から逆さまに吊るされた全裸の女子の話から始めるしかないが……。
「さて、そろそろ話す気になったか?」
「…………さぁ? 自分、ホントに何にも知らないんすよ~。あっ、でも椅子に座らせてくれたらなにか思い出せるかも――」
「そうか。じゃあ、剥ぐか」
「何を!? もう自分、剥ぐ服がないんですが!? よもや、このすべすべピチピチな現役JKの柔肌を剥ごうとおっしゃってるんすか!?」
「もちろん、そのつもりだが?」
「鬼畜! 外道! 変態! さすがの自分でも――いや、意外に気持ちいいかも……?」
順調にドMの新境地を開きつつある女子の名前は猿飛ヒナ。桜花高校一年、十六歳。颯人が知る彼女についての情報は彼女の持つ生徒手帳から拝借したものだ。
つまるところJKなわけだが、どういうわけかこの猿飛ヒナは町中で颯人を片手に持った刃物で襲ったのである。
「ったく。制服は意外に高いんだぞ? それなのに穴だらけにしやがって。俺が予備の制服を持ってきてたから良かったものの、無かったらパンツで生活しないといけなかっただろうが」
むしろ、パンツで生活するという選択肢があることが驚きだ。
言いつつ、指示棒を手にした颯人が吊るされている猿飛ヒナの脇の下を小刻みに突く。ウネウネと動きながら猿飛ヒナは笑い出し、静かだった書庫が煩さを取り戻した。
「や、やめっ……あははははっ! ちょ、も、ら……らめぇぇぇぇええええ!?」
あんまりな攻め立てにビクンビクンと痙攣しながら猿飛ヒナが叫ぶ。
それを一通り見てから、颯人は息を吐いて猿飛ヒナの顔面に向けて古い手帳を投げつけた。見事に顔面に古本が命中するや、気を失いそうになっていた猿飛ヒナの意識が無理やりに覚醒する。
「げふっ」
「おまぁぁぁぁああああ!! あっぶな! 危ないのじゃ! おい。おいおいおい、《極東の最大戦力》!? 本は大切にしやがれなのじゃ! 出禁にするぞなのじゃ、おい!?」
「そのイカレドM野郎を起こすのに手近なものがなかったもんでな。おい起きろ、変態野郎」
「おい。自分は女っす。そこだけはどうしても譲れないっす……ぅぅぅぅん♪」
真顔だった猿飛ヒナは、最後には甘い快楽の悲鳴を上げた。
もちろん、原因は颯人なわけで。
要領を得ない話し合いに苛立ちを持った颯人の応酬がそうさせたのだ。
「お前に勝手に話す権利なんてないわけだが? わかったら! 俺の質問だけに! 答えろ! ド変態!」
「あっ、やっ、ぅぅんっ、はっ、わ、わかったからそ、そこ、そこ突くのやめてほしいっすよぉぉぉぉおおおお!!」
さて、颯人が猿飛ヒナのどこを突いていたかはさておき、観念した猿飛ヒナは全てを吐き出した。
約一時間にも及ぶ猿飛ヒナの自供を最後に、猿飛ヒナは開放されたが体勢が土下座に変わって。
なおかつ颯人に頭をやんわりと踏まれるという状況になっていた。このような惨状であるにも関わらず猿飛ヒナがよだれを垂らして密かに喜んでいたのは秘密だ。
「なるほどな。招待された俺が強いのかを確かめるために襲ったと」
「はい……」
「さすがの朕も、なんだか可哀想になってきたのじゃ……」
あまりの惨めさに《知識の番人》と呼ばれる白犬もドン引きする始末である。
猿飛ヒナの言い分によれば今回、とある事件で呼ばれてきた颯人が実力者なのか否かを見極めるため、全ての上役の言葉を無視して襲いかかったらしい。
当初の予定では、颯人が猿飛ヒナより弱ければ軽いけがをさせた上で追い返すつもりだった。仮に強ければ、その強さを認めた上で仲直りをすればいいと考えていたようだ。
しかし、想像を遥かに超える強さだったがゆえ、こうして拷問じみた状況に陥っているという。
全てを聞き出した颯人は、猿飛ヒナの頭を踏む足を退けるのではなく、さらに深く踏み込んだ。当然、床にめり込むように床と足に板挾みされている猿飛ヒナの頭には相応の痛みが生じるわけで。それが当人に我慢できるかと言えば、また別の話である。
つまり。
「いでででででで!? あ、あの、颯人さん!?」
「ん~?」
「あだだだだだ、あだま! あ、頭が割れるぅ!? ちょ、は、颯人さん――颯人様ぁ!?」
敬称を変えたことで、ようやく颯人の足は退かされる。
腹の底から叫ぶような低いうねりを揚げつつ全裸で床を転げ回る猿飛ヒナに、すでに女子としての品格は失われていた。その一連の騒動を終始見ていた白犬は青い顔になり、一言も話さずに自分はああはなるまいと書庫の奥へと仕事の続きをしに走る。
未だ頭を抑えながら床で丸くなる猿飛ヒナに、颯人は愛用のアルスターコートを投げて被せると、座っていた席から立ち上がる。
「いてて……ど、どこへお行きになさるんすか?」
「テメェの上司のところだ。もちろん案内はしてくれるんだろう?」
「そ、それはもちろんすよ。ただぁ……」
とてもいいづらそうに猿飛ヒナは視線をズラして言葉を濁す。
特に苛ついた様子もない颯人は、純粋な疑問をぶつける。
「なんだ?」
「そのぉ……恐縮ながら自分の服を返していただけるとありがたいんすが――」
「燃やした」
即答だった。
「……はい?」
「だから、お前の服は燃やした。別に必要なかったしな」
部屋の空気が凍りつく。
放心状態のように、颯人を見つめたまま施行が停止した猿飛ヒナはキュッとアルスターコートを握りしめていた。
そりゃあ、JKの脱ぎたての服に興味がない颯人には必要ないだろう。まして、開放するという考えがなかったのだからなおさらだ。
ここは書庫で、《知識の番人》は幼女であるため間違っても高校生が着れるような服は持ち合わせがない。そして、当然だが颯人も女性服なんてものは持っているわけはなく、近くに服屋は存在しない。
つまるところ、猿飛ヒナはアルスターコートで、曰く柔肌を隠しつつ、颯人を上司の下へと送り届けなければならないわけだ。
ドMとしての扉を開いたばかりの猿飛ヒナに、その仕打ちはまだ快楽には変えられない。まだ常人としての常識を持ち合わせている彼女には。
絶望のあまり元々白い肌がさらに青白く血の気を失っていくのが伺える。
アルスターコートの何が気に入らないのかわからない颯人は、深い溜め息をして、書庫の床においてあったキャリーバッグに手を伸ばす。もう少しまともな服をくれるのかと、死にかけていた目に希望の火が灯る。
しかし。
「ほらよ」
「……………………………………………………………………………………………………………………………」
長い沈黙の末。希望の灯火は、春の柔らかい風によって吹き消された。
目をうるうると今にも泣き出しそうになりながら、猿飛ヒナは叫ぶ。
「年頃の女の子にボクサーパンツを渡すって、一体どんな神経してるんすかぁぁぁぁ!?」
「しっかたねぇだろ。それしかないんだから」
絶望を超えて失楽園である。
猿飛ヒナは確信した。たとえ、世界が終わろうと、巨大な怪獣が目前まで迫ってきている状況であろうと、救援に来た黒崎颯人は悪魔である、と。
だが、その悪魔に頼らざるを得ない。
なぜなら、太平洋のど真ん中に位置する世界平和の象徴たる平和の遺産、日本名で《白い鳩》と呼ばれる直径三百キロからなる人工島に今、未曾有の大災害が予言されていた。
悪魔に命を売ろうとも止めなければならない。でなければ、人類が終わってしまうのだから。
人類が、人類の叡智によって破滅する。その事実を知る人間は、その大災害をこう呼ぶ。
――――《プロメテウス//クライシス》と。