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続・きぐぢたけす  作者: 内田昌孝
6/6

6 ライブ

 土曜日の昼過ぎ。新宿のルミネ。上階の喫茶店。俺と、ケイコと、アヤカ。

 たまたまルミネで、新しい帽子でも、と店内をぶらぶらしてたら、たまたま

ママと買い物に来ていたアヤカに見つかり、声かけられ、ママであるケイコに

も、久しぶり、元気なの、仕事は続いてるの、彼女できたの、と絡まれて、

せっかくだからいっしょにお茶しなさい、と長身の二人に両腕をつかまれ、

いまこうして、喫茶店に拉致られている。

「今日は暑いわよ、その帽子、変よ」ケイコはためらいなくとげのある言葉を

ぶつけてくる女だ。

 きぐぢと結婚する前から知っているが、最初からこんな感じで、

「内田くんさ、それ、カツラでしょ。やめなよ、すごい違和感あるから」

と初対面から5分後に撃沈させられた。

 酒もつよい。きぐぢに初めてケイコを紹介された夜に三人でけっこう飲み、

気づいたらケイコの実家で目を覚ました。すでにケイコは仕事に出かけており、

おれときぐぢでふらふらのまま、ケイコのお母さんがつくってくれたボリュー

ム満点の朝食、いや昼食を食べて、その後駅のトイレで二人ともリバースした

思い出がある。

 ケイコは好き嫌いがはっきりしており、好きになると恐ろしい程執着するの

に、興味がなくなると情け容赦なく切り捨てる。もちろん、きぐぢは切り捨て

られた方だ。

 ある朝「わたしの顔色ばかりうかがってる。その場しのぎの優しさがわたし

には合わない」とケイコに言われ、その夜離婚届に判を押すようにせまられ、

その次の日曜日には一人で暮らしていた、ときぐぢがいつだったかつぶやいて

いた。あっという間の離婚でだったそうだ。

 久しぶりに会ったケイコは、以前と変わらずパリコレモデルのようなスタイ

ルと端正な顔立ち、そしていい女オーラが出ていた。

 アヤカもその血筋を受け継いでいるからいずれは2代目「ケイコ」になるは

ずだ。その2代目が未来の彼氏をぶるんぶるんに振り回している絵が、容易に

想像できた。

「荷物はここに置きなさい、コーヒーでいいわよね、アイスでしょ?」

 しばらくケイコ刑事の尋問が続き、会社のこと、仕事のこと、友人の数、

週末の過ごし方、部屋の掃除の仕方、月給額と貯金残高、女性経験まで、おれ

は洗いざらい吐くことになった。

 吐いて心が丸裸になって超ナイーブになっているところに「卑屈なところは

変わらないわね、そんなんじゃ一生一人者よ」とケイコにダメだしをくらい、

HPが残りわずかとなってしまった。いまなら、やってもいない罪をやったと

自白してしまいそうだ。


 刑事たちの尋問が一段落し、アヤカがトイレのために席をたった。

 ケイコと二人きりになると、やっぱり椎田さんとのことを聞いてみたくなっ

た。ずっと気になっていたことだ。

 もしケイコが椎田さんと不倫関係になっていたら、もしそうだったら。そう

であってもおれにはどうすることもできないのだが。

 店に入ってから、ずっと攻められ責められっぱなしだったので、ちょっとは

逆襲してやろうと聞いてみた。ケイコはメニューを見ている。

「椎田さんって、知ってる?」

「知ってるわ」ケイコは笑顔で答えた。

「ちょっと前にさ、きぐぢが、椎田さんとケイコのツーショット写真を見ちゃ

って、兄いや椎田さんともめちゃって」

 いくらなんでも、タワーマンションで幸せな再婚生活を送っているはずのし

っかり者のケイコが、不倫なんてするわけがない。人違いだ、と言うはずだ。

「ああ、彼から聞いた。そう、あれ私」

 あっけらかんと罪を認める。動揺しているのは、むしろおれのほうだ。

「ってことは、その、なんつうの、浮気?」アヤカや他のお客に聞かれまいと、

小声で確信をついてみる。

「浮気じゃないわよ、トモダチ」

 椎田さんとどういう関係なのかは、理解できた。

「なんで、椎田さん?」

「もともと歯医者さんが同じで、ある時偶然あって。それが何回か続いて。

でいっしょにランチしたんだけど調子乗って昼からお酒飲んじゃったら、彼が

つぶれちゃって」

 まるで他人事のようにぺらぺらしゃべる。

「でも昼から酔いつぶれてる人を介抱するのもなんか人目も気になるから、

それで」

「いまも続いてるの?」

「最近は会ってないかな。なんか彼の方にいい人できたんじゃない」

「彼女ができたってこと?」

「知らないわ。でもまあお互い時間つぶしで会ってたわけだし、終わりなら

終わりでいいわ」

 肉を食い終わり口回りをぺろぺろしてるご満悦の雌ライオンに見える。

 超こえー。

「なんなの、変な目で見ないでよ。変態」ケイコは自分がいったセリフにはま

ったのか、その後もおれの顔を見ながら一人で吹き出しては笑っていた。

 くっそー、変態はおまえだよー!

「なに、なにがおかしいの?」アヤカが帰ってきた。

「うちだくんが、いやらしい目でママを見るの」

 いやらしいのはお前だよ!

「えー、マー君、ママを狙ってるの?」

 無邪気な女子高校生め。

「ちがう、ちがう、おれおばさんに興味ないよ」

 あ、反撃方法を間違えた。

「ひどーい、ママのことおばさんだって。アヤカどう思う?」

 ああー、なんか面倒くさい。

 それから2時間拷問の後、釈放された。

 その日は休日だったが、――それで1日が終わってしまった。



 夏の終わりの夜。赤羽おでん。

「もう、ほんとイジメだったからな」

 先日ケイコとアヤカに会ったときの愚痴をきぐぢに聞かせているところ。

「いいねー。おれなんか会いたくても会ってくんないからな、ケイコは。

どうだった?」

「身なりもセレブでさ、相変わらず色気もあった。けど、上からガンガン殴ら

れる感じ、あれは変わってない」

 にやけて煙草をふかすきぐぢ。そろそろ話題を変えるタイミングだと思った。

 すると、変えてきた。

「来月さ、ライブやるんだよね、こいよ」

「ポイズン?」

「そりゃそーだべ。来るよな?」

「どこで、土日?」

「南浦和で、たぶん水曜日」スマホをとりだしてカレンダーを確認しだす。

「さいたまか。しかも平日」南浦和はそれほど遠くないとしても、平日の仕事

終わりに行くには気が引ける。

「リカがさ、決めてきちゃったから、しょうがねーべさ」

「リカが?(あに )いは納得してんの?」

「最初はまだその時じゃない、って言ってたけど、そしたらリカが多数決を持

ち出して」

「で、ライブ賛成派が勝ったのか」

 ライブ賛成派にポイズン2期生が入ることを見越しての強気の提案だったの

だろう。

 リカは見事にライブを勝ち取ったのだ。


「でさ、ちょっとお願いがあって。おまえさライブハウスのなかで物販

やってよ」

 物販?物販というのは、アーティストグッズの販売のことだけど、

なんか売るつも・・・

「まあまあ、言うな。それ以上言うな」言葉を出す前に制された。

「リカが、CDを作りたいって言いだして。この前、録音したんだよね。で、

それを売りたいとリカが」

 はあああ?

 ど素人のへたくそ演奏をだれかが買ってくれるとでも?なに考え・・・

「まあまあ、言いたいことはわかる。おれもさんざん反対した。でも仕方ない。

これも多数決で決まったことだ」

 猪娘め、やりたい放題か。

「手伝うのはいいけどさ、そのCDほんとに売るの?買う人いるの?」客が

だれも来ない物販ブースでさみしく立ち尽くすのは、いやだ。

「リカがリカの客に買わせるって言ってた。ほら、ライブハウスでやるにもあ

る一定数のチケット代はまずバンド側で購入しないといけないから」ぷーと煙

をはくきぐぢ。

「それ、いくら」

「1枚2000円だから、50枚で10万円。うち、無職メンバーがいるから、

そいつらから金とれねーべ。だからCDを売ってチケット代をかせごうと。

リカが」

「無職メンバーって、だれ」

「ナンシーでしょ、中曽根兄弟に、和田さん」2期生みんなが無職であった。

「ナンシーは主婦だからいいとしても、あの兄弟はなぜ働かない。そして和田

さんはいい年してなぜ無職か!」おれの鼻の穴も広がる。

「あの兄弟は、ボイパでプロになるから。和田さんは療養中」きぐぢ、煙草を

ぷかー。

「療養しすぎだろ。働け。とっとと働け。CDを売ればなんとかなるって発想

が、甘いんだよ!」

「仕方ない。2期生が入るまえになんでもかんでも多数決でリカを封じ込めて

きたツケがここで回ってきたのだ」きくち、アーケードの天井を見ながら、

ぷかー、ぷかー。

「CD何枚売ればいいのさ」おれのノルマというわけではないが、一応聞いて

みる。

「1枚1000円だから、50枚。あ、でも念のため100枚焼くっていって

たっけな」

「なにが念ためだ、いらねー!生意気にも売り切れを想定してんじゃねーよ!

おれ、やだー。手伝うの、やだー」

(あに )いがうちだにやってもらえって」

 ――なんもいえねー。

 兄いの頼みは断れない。CDを100枚買い取っても返せない程の恩が積り

につもっている。

「ほんとに?兄いが?」

「んだ。うちだに頼めばやってくれるだろうって言ってた。なんで、頼むわ」

 今日は酒が進むぜ。

 悪酔いしそうだ。




 ライブまであと1週間に迫った。

 きぐぢがポイズン自主制作CDをもってきた。ラベルはまだ印刷しておらず、

無地のCDだ。

 でも、ここ「赤羽おでん」にはプレーヤーもないので、聴けない。

 おでんを買いに行っていたユカが戻ってきた。



 ユカ「そのCD、1000円だから」

 おれ「え、おれも買わないとだめなの?」

 ユカ「わたしも買わされた」


 ユカよ、なぜ笑っているのだ。

 きぐぢが缶チューハイを開けて、ユカに渡す。


 おれ「これ、何曲入ってるの?」

 きぐ「1曲」

 おれ「1曲1000円?」


 なんだろう、これってなんかのチャリティーだと思い込めばいいのだろうか。

 しかし間違ってこれが売り切れたもんなら、リカは調子に乗ってまたCDを

増産して、で、結局おれたち支援者が買うはめになるんだ。この悪徳商法はぜ

ひとも食い止めたい。


 きぐ「でもさ、売れるかね」

 おれ「売れねー。ぜってー売れねー」

 きぐ「だよな。でもなあ、2期生たち、みんなCD見て喜んでたんだぜ。

    それ見たら、おら、何もいえねー」


 なぜかここで、ユカにチューするきぐぢ。目のやり場に困って、CDを眺め

るおれ。


 おれ「これ、ラベルとかどんなデザインにするの?」

 きぐ「それはさ、もう決めてる。売れるデザインを考えた」

 おれ「おおお。ど、どんな」


 スマホを取り出し、写真を探している様子。見つけたらしい。


 きぐ「これだ!」


 スマホをおれのほうに向ける。8名が横に一列に並んでいる画像だ。が、

リカだけが他のメンバーより一歩前に出て、セーラー服姿だ。


 おれ「ああ、ついにこうなっちゃったか」


 スーパーモンキーズが、安室奈美恵withスーパーモンキーズにグループ名を

変えたときに感じた「ついにやっちゃった感」を思い出す。


 きぐ「リカのコスプレはおれのアイデア。兄いはぶーぶー言ってたが、今回

    だけってことで説き伏せた」


 写真の中の兄いの表情が仏像のようなのは、"無"の境地を表現しているせい

であったか。


 おれ「制服はどこから?」

 きぐ「ユカが来ていたやつを着させた」

 ユカ「変態だよね」

 おれ「だよね。でも、まあ、なにかやりそうなバンドっていうインパクトは

    出たと思う」

 きぐ「だべ。でさ、じつは、このCDのジャケ代わりに、ポラロイド風にと

    ったリカの水着写真をCDにつけようかと。あいつ巨乳だから」

 ユカ「変態だよね」

 おれ「だよね、でも、これくらいしないと1000円の価値観は出ないな。

    リカはそれでOKしたの?」

 きぐ「いやまだ言ってないけど、明日スタジオで撮影しちゃおうかと」

 ユカ「急に言っても、水着ないじゃん」

 おれ「あ。わかったー!水着がないから、下着でいいよ、大丈夫大丈夫、

    似たようなもんだよー。ってAV監督キャラで押し切る狙いだ」

 きぐ「さすが、うちだ。よくわかったな」

 ユカ「あんたたち、変態だよね」



 ライブ当日。結局その日は、仕事を休んだ。

 物販係とチケット交換係を兼務させられたからだ。

 南浦和の駅から少し歩くが、割と歴史のあるライブハウスらしい。古びたビ

ルの地下に降りる階段の壁には、アマチュアバンドたちのライブやCDの告知

チラシ、シールが隙間なく貼り付けられている。

 扉をあけて中に入る。小さいカウンターとちょっとしたロビー、奥の黒い扉

の先がライブ会場になっていた。

 黒いTシャツのスタッフがいたので会釈すると、それは和田さんだった。赤

いバンダナをしている。そうか、長渕になりきっているのか。

 練習でみかける地味な中年親父姿とのギャップ、ああ、これがほんとうの彼

なのかと無理矢理納得することにした。

「これをお願いします」と段ボール1箱とA4の紙数枚を指さし「では宜しくお

願いします」と丁寧に頭を下げ長渕は外に出ていった。

 その紙は、あらかじめメンバーがとりまとめた来客リストだ。

 来場予定者の氏名とチケット代金がずらっと記載されており、お客さんから

その金額を受け取ってチケットを渡す仕組みだ。金額はバラバラで人によって

は0円の場合もある。リカの呼ぶ客は全員2000円設定だった。

 ライブハウスで用意してくれたテーブルにCDが入った段ボール箱を置き、

準備を始めた。段ボールには下着姿のリカ(胴体部分だけ)がジャケットになっ

たCDが5列に積まれている。CDだけ見るといっぱしのバンドだ。和田さん

が苦労してCDを焼いてきたらしい。おつり用の1000円札は何枚か用意し

てきた。きぐぢから言われたわけではないが、おれなりに考えての準備だ。

 今日のライブはポイズンと修くんのバンド、クラッシュ●ルズ。いわゆる

2マンだ。

 兄いが修くんに声をかけたはずだ。修くんもおそらく兄いにお世話になった

「兄いチルドレン」の一人。平日だけど兄いの頼みは断れない。

 ライブは19時からだから、まだ2時間以上時間がある。分厚い扉の奥では、

クラッシュ●ルズがリハーサルを始めていた。

「悪りいな、雑用やらせちゃって」

 兄いの声で振り返ると、ちっちゃい小太りのヒムロックが立っていた。

 今日も黒ずくめ、メイクもばっちりだ。兄いの勝負服にも、驚かなくなって

いた。

「兄いに頼まれたら、断れません」

 兄いの笑顔にほっとする自分がいる。この人の困り顔も好きだけど、自らを

1ミリも恥じない堂々とした生き方を見せる俺たちの兄いには、やっぱりいつ

も笑っていてほしい。

「売れるかなCD、聞いた?」

「まだ聞いてません。CDだけ見たら、売れてそうなバンドに見えますよ。

だれかが勘違いして買ってくれればいいですが」

「最近の技術はちがうよな、簡単に修正できるから、すげーいい仕上がりにな

ってる。聞いてみ。俺らじゃないみたいだから」

「だったらライブ前に売りつくさないと。ライブ後では見向きもされないん

じゃないですか」

「はあ?そこまでひどくねーよ」

 兄いがおれを蹴ってきた。でもやさしいキックだ。それからしばらく雑談を

した後、兄いは食事しに外に出て行った。

 それと入れ替わりに、きぐぢが入ってきた。後ろに女の姿がある。

「助っ人連れてきた」

「こんにちは」

 きぐぢの後ろから顔を出したのは、サヤカちゃんだった。

「え、ああ、え」

 うれしかった。とっさに言葉が出てこず恥ずかしさで感情がぐちゃぐちゃだ。

「おまえがぶーぶー言うからサヤカちゃんに頼んで手伝ってもらうことにした。

じゃああとは頼んだわ」

「おおう」

 きぐぢが立ち去ると、サヤカちゃんの方から話かけてきた。

「これ全部売るんですか」わあ、今日はメガネしてないんだ。

きれいな目だなー

「そうみたい」

「一枚いくらですか」今日の恰好はラフだな。もしかしたら今日は

仕事休んだのかな

「1000円、かな」

「全部で何枚あるんですか」結構、茶髪なんだな

「1、100枚?」

「結構ありますね、わたしも一枚買っておこうかな」やっぱ、いい。かわいい。

 財布から千円札を取り出し、渡されたので、そのまま素直に受け取った。が

「いや、いいよ。手伝ってもらうんだし、一枚あげる」こんなヘタレバンドに

サヤカちゃんがお金を払う必要ないよ、おれがその分出すから。

お金を返そうとしたが

「ええ、でもそれはだめです。わたしも売り上げに貢献しなきゃ」天使だね。

みなさん、いまここで天使を見つけました。

「あ、ありがとう」

 チケット代の話にもなり、結局2000円をもらって封筒に入れ、リストの

サヤカちゃんの名前の横にチェックを入れた。

「じゃあ、わたしお金の管理しますね、会社でもお金扱うの慣れてるので」

気が利く。そういう子。はい、かわいい。



 開演30分くらい前になると、扉の開け閉めが激しくなった。

 クラッシュ●ルズ目当ての若い女性たちが入り始めたからだ。前を通る客が

結構な割合でCDを手に取ってくれる。けれどそれがクラッシュの音源ではな

いと知るとすぐに行ってしまう。最初はがっかりしていたサヤカちゃんも、何

回かのやりとりで慣れてきたようで、逆に「ポイズンのCDいかがですかー」

と声かけを始めるようになっていた。

「これください」

 お、お客だ。

 千円札を渡してきた女性は、制服姿のミキだった。以前は肩まであった髪の

毛が、ずいぶんとショートになっていた。こけしに見える。

「おお。久しぶりだな。一人で来たの?」

「ちがうよ、友達と。アヤカからライブのこと聞いたから」

 そうだった。この子はユカの重みのある説得によって、きぐぢへの思いを断

ち切ったんだった。思い出した。

「もう、きぐぢのことは吹っ切れた?」

「まだ」言葉に反してさっぱりした表情だ。

「悪いけど、ライブのときのきぐぢは、かっこいいよ」

「来ないほうがよかったかな?」ミキの眉間にしわがよる。

「いや、来てくれてありがとう」

 お金をサヤカちゃんに渡し、ミキにCDを渡した。

「チケットって、あそこで買うの?」ミキの後ろに友達二人がくっついている。

たしかに、制服でくる場所ではない。

 リストには、ミキ+2と記されていた。

「いや、ここでチケットを渡せるよ。一人、200円、、、」

 文化祭か。なんつう値段設定してんだきぐぢは。

「じゃあ、3人分で600円」ミキが小銭を出すと、サヤカちゃんはおれより

先に手を伸ばしてそれを受け取った。

「はい、チケット。あそこのカウンターでこのチケット渡して、その時にこれ

とは別にドリンク代500円払って」

「わかった。じゃあ、ばいばい」

「ばいばい」

 女子高生が離れていった。

 サヤカちゃんがすかさず聞いてくる。

「いまの子って、きぐぢさんの、、、」もちろんなにかを怪しんでいる顔をし

ている。

「えっと、きぐぢは彼女の元カレ」なんとなくミキの立場で答えていた。

「まだ高校生じゃないですか!?」小声ながらもきびしい口調で返してくる。

「きぐぢからすれば、彼女は娘の友達」

「娘?きぐぢさん、子供がいるんですか?」今度は小声ではなかった。

「り、離婚してる。離婚して、今は元奥さんといっしょに住んでる娘がいて。

でミキはその友達で」そんなに顔を近づけて聞かれたら、どきどきして

答えにくい。

「ああ、なんだびっくりした。トモコ先輩とつきあってますもんね、それはな

いですよね」

 不倫、はない。けど、付き合ってるのはトモコだけではない。

 そういえば、きぐぢの彼女って何人いるのだろうか。まず、ユカは合宿にま

で連れてきていたから、本命なんだろう。

 と、そのユカがいつの間にか目の前に立っていた。

「どうも」

「おお。ここすぐわかった?」他の女性に比べ、ユカは一番顔を合わせている。

だからだろうか、少し身内みたいな雰囲気だ。

「うん。チケットくれる?」

 リストに名前を探す。ユカは、ユカは、、、300円。

 なんで小銭なんだ。だったら、いっそ金とるなよ。

「『300円。超おまけ』だって。きぐぢがそう書いてる」リストをユカに見

せる。

「は?」ユカは口をあけたまま首をかしげた。

「ユカにはお世話になってるからじゃない?」フォローしてみた。

 ユカはちょっと考えて、おれとサヤカちゃんとCDの山を見回したあと、財

布から2000円を出して差し出してきた。

「CD1枚とチケット代。おつりはたけちゃんにあげて」

 ユカよ。おまえはいつのまに大人になっちゃって。おれは、感動しているぞ。

 にしても、きぐぢのおかげで小銭のおつりを用意しなければいけないことに

気がついた。

 リストをよく見ると、きぐぢの名義のチケット代は、100円単位がほとん

どだ。

「きぐぢのせいで、小銭のおつりが必要になったよ」そう言ってリストをサヤ

カちゃんに見せながらちょっとぶーたれてみた。

「わたし、どこかでくずしてきましょうか」こういう気の利いたことをさっと

言える人って、神って言うんだよね、この世界では。

「近くにコンビニとかなかったしなあ。ひとまず持ち合わせでやってみる」

「わたしも協力します」

 そうこうしているうちに次のお客がやってきた。

 イケメンが10名。髪の色が、茶、白、グレー、青、紫と様々で、髪型も漫

画のキャラのようにきれいに乱れていて、時計やリング、ネックレスがギラギ

ラしてる。

 いかにもホスト。リカのお客だった。後で聞いたところ、バイト先で知り合

った男友達がその後ホストになり、その彼が同僚を誘ってきてくれたとのこと

だ。

 リカに「店に通ってたりするの」と聞いたら「行かないし」と冷ややかな目

で斬られた。余計なことを言ってしまった。

 一人2000円かける10枚。CDも10枚買ってくれた。

 さすがに「お買い上げ誠にありがとうございます」とポイズン運営スタッフ

として丁寧なお礼を申し上げた。

 リカはこのほかにも学生時代の女友達5名に、店のお客として知り合った友

人8名を連れてきてくれた。リカ様、さすがです。

 中曽根(兄)の友達も3名来ていた。彼がここまで連れてきたのか、その3

名といっしょにここにやってきてチケットを買って行った。友達といるせいか、

それとも自身の晴れ舞台だからだろうか、いつものローテンションの中曽根(

兄)と違い、よく笑っていた。さらに中曽根兄弟のご両親もいらっしゃった。

「1枚1000円ですので、お二人で2000円になります」

 と言ったのに、白のハットをかぶり黒縁メガネで立派な口髭、赤いネクタイ

にグレーのスーツ姿でびしっと(マフィア調に)決められた御父様は、1万円

札を差出して「釣りはいりません」と紳士を決められたので、受付二人はただ

ただ恐縮して素直に受け取ってしまった。

「これ、あの二人が演奏しているCDです。よろしければ」

 おつりを渡す代わりにCDを差し出す。お母様が受け取り、CDのデザイン

を見てちょっと引いている。

 意外にも、椎田さん関連のお客様は多かった。勤め先の同僚が7名と昔のバ

ンドつながりで8名、そして学生時代の友人が9名。リストに名前がない人も

5人来てくれた。椎田さんが本気になったら、もっとお客が呼べる気がする。


 背の高い男性が、子供を抱えてあらわれた。

「関係者でしたらお名前を」

 サヤカちゃんもだいぶ慣れてきた。

「椎田です。兄貴がお世話になってます」

 椎田さんの弟さんだ。鼻がよく似てる。

 ということは、ナンシーの旦那さん!?

 ナンシー名義に名前が書かれていたのを確認し、代金の1000円を受け取

った。

 3歳か4歳くらいの女の子。ナンシーって子供いたんだなあ。くりくりした

目でこっちをじっと見てる。サヤカちゃんはしきりに手をふり子供の視線をと

にいってる。

 かわいいと連呼するサヤカちゃん。

 おれには君のほうがかわいいけど。

 え、おれ今、きもい?


 入口の方から何やら気配がした。

 長身の親子がやってきたのだ。

「えー、マー君が受付してんの?」きぐぢの娘のアヤカだ。その母親のケイコ

は一歩後ろにいる。

「やらされてんの。2人分ね、えっと」リストで二人の名前をみつけ「450

円だって」

「なにそれ中途半端ね」ケイコが顔を出してくる。

「知んないよ、きぐぢの値段設定だもん。ケイコが400円でアヤカが50円」

「ふざけてるわね」

「本人に文句言ってくれ」

 アヤカがCDを1枚とって2000円出してきたので、サヤカちゃんがおつ

りを渡した。

 ケイコがサヤカちゃんをじっと見ている。

「彼女?」手のひらをサヤカちゃんに向けて、おれに聞いてきた。

「ち、ちがうよ。余計なこと言ってないで中に入れ」あせった。サヤカちゃん

にとってはこんなハゲ男が相手では心外だろう。

 二人が奥の扉から中に入ったのを見届けると、すぐに謝った。

「なんか、ごめん。手伝ってもらってるのに。あいつすげーいい奴なんだけど、

たまに笑えない冗談いうんだよ」サヤカちゃんの目は見れなかった。

「いえ、別に」その後の言葉は聞き取れなかった。

 怒ったかな、気分悪くさせたかな。どうしよう、なんか気まずい。

「これください」

 いいタイミングでお客さんが来てくれたことで、金縛りから解放された。

 サヤカちゃんはきびきび対応している。


 もうあと数分で開演だろう。それでもロビーには人があふれている。

 小柄な女性がひとり我々の前にきて、チケットはいくらかと聞いてきた。

「お名前は」

「五十嵐マミです」

 ちょっと時間がかかったが、リストにその名前を見つけた。和田さんのお客

だ。

「マミさん、ですか。もしかして、看護師の」

「はい、そうです」ナースのマミの登場だ。髪を後ろで結んでいるので、

なおさら看護師のイメージが強くなる。

「きぐぢから聞いてました、ポイズンの幻の初期メンバーだったって」

「ちょっとだけ参加してました」笑うとえくぼができて、少し顔が赤らんだ

のがわかった。ずっと気になっていた存在だったこともあり、会話を続けた。

「いまはバンドしてないんですか」

「仕事が忙しくてやってないけど、その分彼がやってるから」マミは奥の扉を

指さした。どの男が彼ですか?

とは聞けなかったので、

「彼のパートは、たしか」

「リコーダー」

 リコーダーは、和田さん。え?和田さんの彼女がマミ?

 そうかあ、そうだったのかあ。ああ、いますぐきぐぢに教えたい。

お前知ってた?って。

 マミは2000円払って手にしたCDをかばんに入れて

「では」と言いながらカウンターに向かっていった。

「なにニヤニヤしてるんですか?」

 うわ、サヤカちゃんにだらしない顔を見られていた。はずかしー

「いや、別に」ごもごも

「いまの人の彼って誰のことですか」

「リコーダーの和田さん。知ってましたっけ」

「こないだメンバー加入のときの話を聞きました、笛ができるって聞いてたら

リコーダーだったって。大人しい感じの地味な人だって」

「そう、その人。まあでも今日は気合い入ってたから、かなり勇ましい姿を魅

せてくれると思う」

 長渕Tシャツを膝の切れたジーパンの中にインして、赤いバンダナまで装着

していた和田さんの本気モード。マミの好みでもあるのだろう。

よく知らないけど。

「うちださんって、面白いですよね」サヤカちゃんがCDの位置をなおしなが

らぼそっとつぶやいた。

 どう反応していいか、わからない。いまのどの部分が面白い?

「そうかな、べ、別に普通だと思うけど」わかってる。つまんない返しだとい

うことは自分でも充分わかってた。でもなんか頭が回らないからこれしか言え

ない。

「人をよく見ていて、面白く話してくれる。それに知り合いもたくさんいて、

楽しそうに話してる」

「そ、そうかな」なんだこれ、ディスられてるのか?自分の顔がひきつってい

るのがよくわかる。

 「私とは、まだ、ちょっと、距離ありますよね?」


 奥からドカドカとドラムの音が聞こえてきた。クラッシュ●ルズのライブが

始まったようだ。気づくとロビーからは人がいなくなり、おれとサヤカちゃん

の二人だけになっていた。

「ここは、おれが見てるから、サヤカちゃんは中に入ってよ」やっと何か言え

た。

「いや、大丈夫です。ここで」おれも目を見て話せていないけど、サヤカちゃ

んもこちらを見て話していないようだ。

 お客がやってきた。

 兄いの職場の同僚らしき人たちがぞろぞろと入ってきて、わいわいと名前を

言い出したので、再び受付業務に追われ始めた。

 兄いの知り合いが多いのは知っている。面倒見がいいから、慕われているの

だ。

 リストには23人の名前が書かれていたが、すべてチェックがつき、さらに

10名くらいはカウンターで当日券を購入して入ってくれた。兄いのお客の中

には、以前どこかで見かけたことのある人もいて、軽い挨拶を交わしてくれた。


「うちだ?」

 カウンターで当日券を買っていた3人の男が近寄ってきた。確実に見覚えが

ある3人だ。


 大学のときにおれが放棄したバンド「ポイズン」のメンバーだった。


「だれだかわからなかった」と言いながら、おれの頭をちらちら見ている。

 こいつはたしかドラムをやっていた。

「おまえが言うなよ、こんなに太りやがって」その甲高い声の突っ込みにも聞

き覚えがある。

 こいつはベース担当だった。

「元気にしてた?何年ぶりだよ、おい」頬がこけているのは当時と変わらない。

 こいつはリードギターだ。

 この3人と会うのは、あの逃げ出した学祭のライブ以来だ。

 なんて言葉をいえばいいのだろう。

 あのとき逃げ出して、ごめん。

 ライブを壊しちゃって、ごめん。

 その後何回も電話してきてくれたのに拒否してしまって、ごめん。

 構内ですれちがっても無視してしまって、ごめん。

 いまさらここにいて、――ごめん。

 3人は懐かしい話をしだしたが、なにも頭に入ってこなくなっていた。ただ、

必死に表情を作っているおれを、じっとサヤカちゃんが見守ってくれていたの

はわかった。


「どうよ、元気だろ」

 兄いの声がした。

「浩二先輩、お久しぶりです!」3人が頭を下げたその先に、兄いがいた。

「うちだは、いまおれのバンド手伝ってくれてんの。お前ら、久しぶりだろ」

 兄いがこの3人を呼んだのだ。

「はい、やっとうちだに会えました」リードギターの目から涙がこぼれ落ちた。

 会えたって、会いたかったのか、おれに。

 逃げちゃったんだぞ、おれ。

 おれのこと、忘れてほしかったんだぞ、こっちは。

 ――なのに、会いたかったのか。


「ばか、泣くなよ。なあ」ベースがおれに相槌を求めてきたが、すでにおれも

泣いていた。

 結局兄いも泣き出して、5人の中年男たちは顔を真っ赤にして泣きあった。

事情を知らないはずのサヤカちゃんまで泣いていたから、ドラムが気にして声

をかけていたけど、何を話していたかまでは知らない。

 兄いの目から黒い涙が流れ、袖で拭ったのか、目の周りが黒くなり、

パンダかキョンシーだとベースが笑いを誘ったので、泣き合戦はよくやく終わ

った。

「おまえらのせいでもう一回顔作んなきゃいけねーだろーが」

 そう文句を言いながら笑顔で楽屋に戻っていった。


「どうしたの」

 トモコがたった今着いたらしく、泣き笑いしてるサヤカちゃんに声をかけて

いる。

 事情を聞いてトモコも笑いだした。

「そうなんだ、20年ぶりの再会なんだ」サヤカちゃんは代金と引き換えにチ

ケットを渡す。

「トモコ先輩、CDも買ってくださいよ」

「いいわ、じゃあ1枚」と言って、もう1000円をサヤカちゃんに渡した。

 その様子を見ていた元ポイズンの3人がもう一度近寄ってきて、

「すげー。これ浩二さんのCD?」ベースがCDを手に取ってリカの下着姿を

食い入るように見つめている。

「そう、兄いが詞つけてんの」運営スタッフとはいえ、ちょっと自慢気。

「やっぱかっこいいなあ浩二先輩。じゃあおれ3枚買うわ」リードギターが

1万円札を出しておつりをもらおうとしていたところ

「あとで払うから、おれの分も買っておいて」ドラムも乗っかってくれた。

 結局3人で10枚買ってくれた。これが現在のポイズンの運営資金であるこ

とを説明し、二人で深々お礼をした。

 

 しばらくして、奥の扉が開き、若い女子が数人か出てきた。

 クラッシュ●ルズの出番が終わったのだ。

 次はポイズンの出番だ。

 ひとまずCDを段ボールを戻してライブハウスのスタッフに預け、我々も中

に入ることにした。会場は広いわけではないが、人が多くてとにかく歩きづら

い。クラッシュのお客さんが残ってくれているのだ。

 ホールの中は人の顔がわかる程度の薄明りの照明がついている。壁にはりつ

いて立っていたユカを見つけて聞いてみた。

「お客さん帰らないね」

「さっきボーカルの人が、次のバンドを見てから帰れってファンの子たちに言

ってたからじゃない」

 修くん、お気遣いありがとう。おかげで満員だよ。

 5分ほどすると、ステージの横からポイズンたちがばらばらと現れてきた。

 いつものぼろぼろのジーンズにいつものだれだれのTシャツの椎田さんがド

ラムセットの中に入り、何かを確かめ始める。

 きぐぢはグランジファッションだがこれも普段と大して変わらない恰好。

音量を確かめるようにベースを試しびきしている。

 リカは、あのジャケットでも来ていたセーラー服で登場だ。スカートの丈が

異常に短くて、パンツが見えそうだ。ステージ中央に立つと客席のホストたち

にヒューヒューと煽られる。照れ混じりの笑顔で応じながら、ギターのチュー

ニングをし始めた。

 この3人を見ただけでは、なんかいけそうなバンドに見える。

 そこに、長渕になりきった赤いバンダナの和田さんが登壇。アコースティッ

クギターを持っている。もしやギター演奏もあるのか、と思ったらギターに弦

がついていない。

 続いて、中曽根兄弟。二人とも、なぜ縦縞の浴衣姿。客席がざわつく。

 そして兄いが、小さなヒムロックが、ステージにあがった。客席からは中年

親父たちの低い歓声があがるが、それには応えず、ステージの上手に陣取る。

 あれ、ナンシーは?

 ナンシーの姿がステージ上にない。しかしそのことにメンバーたちは気にし

ていない様子。

 であれば出番はもう少し先か。



 兄いが右手を挙げた。

 ホールの中が真っ暗になる。

「おれたち」

 兄いの声が暗闇に響く。

「ポイズン!」

 ステージの奥から照明があたり、メンバーの顔が影になっている。

 見ると、メンバー全員がそろって中指を突き立てた左腕を前に出している。

 数秒そのままメンバーは動かない。客席から歓声がわっと上がる。

 そこにドラムスティックのカウント。

 来た、『ホンキートンキークレージー』

 と思ったのは何度か練習を見学しているおれだけか。

 他のお客さんは、兄いが歌い始めるまでは何の曲だかわからなかっただろう。

 しかし以前聞いたときにはもったりしていたリズムが、今日はとてもスピー

ド感がある。

 兄いの声もかなり響いている。思ったよりもギターが遅れていない。

 結構まともに演奏できているではないか。

 ――ほっとした。

 ポイズンの成長を感じて、胸が熱くなってきた。

 2回目のサビが終わると、シンバルの余韻だけが残って、演奏が止まった。

 ちくちく聞こえる。どんどこ聞こえる。ステージ中央に移動していた浴衣姿

の2人にスポットライトがあたる。ボイパ兄弟のボリュームが次第が大きくな

っていく。2人はリズムに合わせて浴衣を脱ぎ、いつものヒップホップスタイ

ルにチェンジ。浴衣を客席に投げた。

 おお、というありがたい観客からの驚きと声援。ホストたちが手拍子を始め

てくれたおかげで、さらに盛り上がり始める。

 そこにドラムのハイハットが入ってくる。

 すこし音量小さめのベースが入る。

 サビを歌い終わってからずっとうなだれる恰好で下を向いていた兄いが、顔

をあげ叫んだ。

「ナンシー、カモン!」

 同時にギターが鳴り始める。リカが頭を振りながら激しくコードをかき鳴ら

す。和田さんも弦のないギターをかき鳴らす。

 客席がざわつき始めたのであたりを見回すと、入口の扉の方から、

真っ赤なドレスで腰をふりながらゆっくりステージに向かって歩いてくる人影

が見えた。

 ナンシー登場だ!

 客席がどっと沸く。手拍子も最高潮。

 ステージにたどり着くと、ナンシーはステージの真ん中で客席に向かって笑

顔で手を振っている。そして急に険しい顔になったと思ったら何かを叫び、

中指をつきたて、動きを止める。

 その煽り方、メタルでしょ・・・ナンシー、ハワイアンダンスって

そんなんじゃないよ。。。

 ナンシーが正面をにらみながら両手をばっと広げると同時に、再び兄いの歌

が始まった。

 もはやホンキートンキーとかではないはず。きぐぢが体をくねらせてノッて

いるから、たぶんもうアドリブで弾いている。

 ステージも客席も想像以上の盛り上がりだ。

 曲の最後は、全員の演奏が止まり静まり返ったなか始まった和田さんのソロ。

 尻ポケットからさっとリコーダーを取り出し、ピンスポットの中で奏でる

哀愁のメロディー。

 なんの曲か気づき始めた人たちから笑いと拍手がわき起こり始めた。これは

和田さんの純真無垢な長渕先生へのオマージュでなのだが、それに気づいた観

客は、マミだけだろう。


 長い1曲目が終わった。

 拍手が鳴り終わらないうちに、ステージ上手の兄いが叫ぶ。

「おれたちは」

「ポイズン」メンバーが叫ぶ。そしてもういちど兄いが叫ぶ。

「お、れ、た、ち、は」

「ポイズン」メンバーが続く。

「おれたちは」マイクを客席に向けた。

「ポイズン!」客席から大きなポイズンコール。なに言わせてんだか。

「じゃあ、聞いてください、新曲」兄いがななめ後ろの椎田さんに合図を送る。

 そして始まったまさかの『ポイズン』

 新曲って言ったってコピーだし。

 それに、布袋先生の方じゃなくて、反町隆先生の『ポイズン』の方だし。

 イントロのリコーダーが終わって兄いが歌い出したときに、客席からの

「そっちかー」の叫び声で会場には笑いが起きた。

 1コーラス歌い終わり、再びうなだれてマイクにもたれかかる兄い。

 すると舞台袖でおとなしく立っていたナンシーがどかどかセンターに歩いて

きて叫んだ。

「このPOISON、知ってるのと、違ーウ!」会場に笑い声が広がる。

「私は、本物のPOISONが、聞きターイ!」

 その瞬間ドラムがリズムを叩き始める。きぐぢとリカが何か合図をしている。

 合図がそろったタイミングで、兄いが歌い始めた。


  二人の出逢いが、、、遅すぎて、、、


 わあ、と客席が盛り上がる。布袋先生の『POISON』へのスイッチ。

 この演出はかなり受けていた。

 エンディングでは兄いがジャンプ。大盛り上がりで2曲目が終わる。と思い

きやボイパだけが演奏を続けている。

 ベースが入る。ゆったりとしたフレーズ。

 やっぱりこれでしょ、『安奈』


 もうずっと兄いの歌でしかこの曲を聞いていないから、本家がどんな歌い方

だったのかはもはや思い出せない。

 修くん目当てで入ってきた若い女子には、受けるのかな。気になってその子

たちを探して反応を伺うと、意外にも聞き入っている。

 ポイズンは知られざる名曲の掘り起こしも行う、幅の広いコピーバンドなの

だ。


「これ、なんていう歌ですか」サヤカちゃんが顔近づけてくる。

「安奈。昔の歌謡曲みたい」よく知らないふりしちゃった。

 途中、ナンシーの本場のフラダンスが入ったり、リコーダーソロがまた入っ

て、より一層抒情的なアレンジになっていた。

 この曲ではドラムセットから離れた椎田さんがビーズを入れたざるを持ち

ステージに現れ、一生懸命波の音を演出しようとして試行錯誤している様子が

客席の笑いを誘い、和やかな雰囲気を作っていた。

 普通は、ギターソロとか、ドラムソロとか、テクニックで魅せる部分を、こ

のバンドではそうはいかないから、それぞれができることをやって見せ場を挟

んでくるのだ。


「今日は来てくれて、ほんとにありがとう」汗が光る兄い。

「次で、最後の曲になります」

 もう?3曲くらいしかやってないじゃん。

 という戸惑いが、ここにいる観客の共通認識なのだろう。ざわざわし始めた。

「反応が違うだろ、おまえら。えー、だろ」

 観客が笑う。そしてしぶしぶ「えー」と言わされる。

「いやいや言うのやめて、兄いは繊細なんだから」きぐぢのフォローでどっと

客席が沸く。

「せーの」ときぐぢが指揮者の真似で手をふると

「エエー!」

 客席からはいっせいに最後の曲を惜しむ声が沸きあがった。

「おお。どうも、どうもありがとう」自分で誘っといて、客席の反応圧に素直

に驚く兄い。


「最後の曲は、おれらポイズンの初めてのオリジナル曲です。ギターのリカが

作りました」

 客席の反応が落ち着くのを見計らって、兄いがステージの中央を見ながら

ゆっくりと話し出した。

「バンドを始めたときは、おれとドラムの椎田さんとベースのきぐぢと、

 ギターのマミの4人で。それこそ俺の自己満足のために皆につきあって

 もらってたんだけど、マミが抜けて、リカが入ってきて。

 そしてそのリカが優斗と賢斗を連れてきて、

 椎田さんがナンシーを連れてきてくれて、

 マミが和田さんを紹介してくれて、

 こうして8人になって。

 気づいたら、もう俺の力でコントロールできる人数じゃなくなってて。

 思ってたのと違うなーって。

 そしたらある時、リカが曲を作ってきてくれて。

 聞いたら、すげーいい曲で。

 こいつ、本気で音楽やってんだなあって。

 おれ、自分が小さく感じて、なんか恥ずかしくなってな。

 なんで、リカの本気に応えようと思って、その曲にあう歌詞を書いてリカに送ったら、

 それをリカが気に入ってくれて。

 そしたらメンバーみんなもその曲を気に入ってくれて。

 おれたちはど素人だから、アレンジとかよくわかんねーけど

 みんなでアイデア出し合って作った。

 この曲は、おれたち8人で作った。

 おれは、ほんとうは、

 こういうのやりたかったんだ」


 もちろん、兄いは泣いてる。

 今日はじめて兄いを見た人には、自分の世界に浸ってるおじさんのお寒い語

りに聞こえたかもしれない。でもここは兄いのステージだ。兄いがおれたちに、

素直な気持ちをさらしているだけなのだ。

「やべえ、なに言いたかったのか、わかんなくなっちゃった」兄いが袖で顔を

ぬぐう。

「曲だよ、曲紹介して」きぐぢがマイクを通さずに叫ぶ。客席が笑いが起こる。

「ああ、そうだ。よっしゃ、じゃあ、いくぜ、最後の曲、ホンキー、トンキー

、、、クレージー!」

 ゴッゴッ

 崩れたリカの頭がマイクにあたって、ノイズがホールに響いた。

「兄い、それさっきやったべ。いいからそういうボケ」きぐぢがちょっと怒り

口調でつっこむ。

 ナンシーがリカの頭をなでている。

「いや、まじで間違えちゃった。みんな、ごめんごめん」あせって頭をかいて

る。兄い、まじでボケたんだ。

「ボケ老人か。やり直せ」会場が笑いに包まれる。

「それでは、あらためまして」ライブ開始のロックなテンションはどこへやら。

「聞いてください、『もうひとりのわたしのために』」


 リカのギターが鳴り始めた。






 赤羽おでん。秋が深まり、外で飲むにはぎりぎりの季節。


 おれ「で、ライブの売り上げどうだった」

 きぐ「CDもけっこう売れたから、たぶん黒字だったって」

 おれ「よかったー。おれもだいぶ貢献したしな。これでみんなも損すること

    なくいい思い出できただろう」

 きぐ「でも打ち上げでだいぶ使ったからな。おれけっこう出したぜ」

 おれ「そういえば、おまえぜんぜんお客呼んでなかったな。もらう金額も

    ままごとみたいな額だったし。ほとんど自腹じゃん」

 きぐ「まあね。バイト代、もうほとんどねーよ」

 おれ「くそ、物販係の見返りに今日おごってもらおうと思ってたのに。

    あ、リカ、おれの分も、このチューハイでいいから、いっしょに買っ

    てきて」

 リカ「OK、兄いは?」

 兄い「おれ、まだいいや。あ、和田さんがほしいって」

 マミ「じゃあ、私もリカちゃんといっしょに買いに行ってくるわ。ナンシー

    さんも行きましょう」

 ナン「わたし、ビールにする」

 椎田「優斗、賢斗、おまえらもなんか好きなおでんでも買ってこいよ」

 優斗「はあ。なんか賢斗があんまりおでん好きじゃないみたいで」

 賢斗「コンビニでなんか買ってきていいすか」

 おれ「それは持ち込みになるから、だめだろ」

 きぐ「バレなきゃいいんだ」

 ミキ「おでんだったら、バレないんじゃない」

 アヤ「おでん屋におでん持ち込むなんてあり?」

 ユカ「うける」

 和田「うける」



 きぐ「サヤカちゃん呼べばよかったのに」

 おれ「おれは、お前のためを思って呼ばなかったんだ」

 きぐ「あ、そう。あ、トモコね。なるほど。あ。ユカいるしね。なるほど」


 きぐぢが天に向かってはき出した煙草の煙が、アーケードの天井に向かって

ゆっくり登っていく。

 しばらくそれを二人でただぼんやりと眺めていたが、ナンシーが他の客と

喧嘩を始めたと声が聞こえてきたので、

それぞれが思いつく次の店の候補を順番に口にしてみることにした。








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