5 オリジナル曲
「あの子いないっすね、ね」きぐぢが店の奥をのぞきながら、兄いに声をかけ
たが、その兄いも気持ちのぬけた返事を繰り返していた。
兄いときぐぢに誘われて、上板橋の庄やに来ていた。
元気のいい坊主頭の男の子が注文を聞きにきたが、目の前のおっさんたちは
店の奥になにかを探すのに忙しくて注文どころではないらしい。
「じゃあ、ホッピー3つで」おれが注文し店員がその場を去ると、兄い
が首をかしげた。
「先週まではいたのになあ」
「今日は休みとか?」きぐぢは首を伸ばしたまま、ずっと店の中を探している。
「いやあ、月、水、金はいつもいたから」
ストーカーだな、と思いながらも、ショートヘアのかわいい21歳の店員の
顔を思い浮かべる。
あの子はもてるだろうな
かわいかったもんな
彼氏いるのかな
言葉に出さなくてもおっさんたちはテレパシーで想いをシンクロさせていた。
坊主頭の店員がホッピーを運んできて「何にしますか」と注文票を手にとっ
た。
やっぱり兄いもきぐぢもメニューなんか見やしないから、
「枝豆と、串盛り、じゃこサラダ、それと、、、」壁にかかっているメニュー
を見ながら目についたものを口にしていると、きぐぢが坊主頭に笑顔で注文し
た。
「ショートカットの子は」
「え?」店員が聞き直す。だよね、そんなメニューはあるはずがない。
「いたよね、ショートカットの子」続けるきぐぢ。
「ああ、真奈美ちゃんですか。昨日で彼女やめちゃったんですよ」
「なんで!」急にくらいつく兄い。ちょっと退く店員。
「なんか子供が生まれるとかって」
「ええ!」ライブでも聞かないくらいの声量で兄いがシャウトする。
兄いから表情が消えたので、「ひとまず」という呪文を唱えて、坊主頭を立
ち去らせた。
「男いたのかー。そうかー」兄いがぶつぶつ言っている。
兄いのシャウトを聞き、この人マジだったんだと悟ったおれときぐぢは、
慰めモードに移行した。
「かわいかったですしね、まあ男がいないわけないですよね」おれの慰め言葉
「そうだよ、おれだってやりたかったし」きぐぢの慰め言葉
「にしても、ちょっと若すぎましたよ、21歳ですから」おれは続ける。
「いやうちだ、それはちがうぞ、若いにこしたことはない、すげーいいぞ若い
のは」なぜおれを諭しているんだ、きぐぢたけす。おまえは兄いを慰めろ。
「・・・。ここは男らしく、あの子の幸せを祈りましょう」
「くそー、いいなあ、その彼氏。おれもやりたかったなー」
あああ!
兄いが大声でため息を吐いて、おれたちの慰めを打ち切った。
「本気でいけると思ったんだぞ、すげー通ったんだぞ!」
兄いは涙をシャツの袖でふき始めた。
おれときぐぢは顔を見合わせた。
そしてテレパシーを使い兄いが完全に面倒臭いモードに移行したことを確認
し合うと5年前に二人で見たUFOと宇宙人がどこからやってきたのかという
壮大な話を、始めることにした。
それから1週間後。
赤羽。おでん。
梅雨前の、夜風が一番気持ちいい季節だ。
今日のゲストは、きぐぢの同級生カノ女のトモコと、、、どなた?
「会社の後輩で、サヤカちゃん。おでん屋に行くっていったら着いてきたの」
トモコは黒髪に黒いブラウス、大人の女だ。前に聞いたときは保険会社に勤め
てた。
「こんばんは」見知らぬ小顔が笑顔で挨拶してきたので、素直に「こんばんは」
と応えてしまった。
年のころは30代後半、いや30代半ば。いやいや、30代前半かもしれん。
メガネを外せば、かわいいかも。髪の毛きれいだな。色白だな。
「なあ」
きぐぢが何かを言って相槌を求めてきたが、きぐぢがなにを話していたのか
全く聞いていなかった。
「なあ、かわいいよな、サヤカちゃん」
「お、おう」
なんか、今夜は楽しくなりそうだ。
きぐ「サヤカちゃんは、彼氏いるの?」
サヤ「いまいないんです」
トモ「いま、っていうか、ずっといないよね」
サヤ「ええー、まあ、そうですけど」口をとがらせる素振りが、
かわいいかも。
きぐ「じゃあさ、おれと付き合う?」
サヤ「だめですよー、ほら、トモコ先輩怖い顔してる」
きぐ「じゃあ、うちだは?こいつずっと童貞」
なんかイラっとした。そりゃ童貞だけどさ、なにもここで言わなくてもいい
じゃねえか。
きぐ「なあ?あれ、うちだ反応わりーな」
おれ「別に」おれとしたことが、こんなところでまさかの沢尻エリカしてし
まった。
トモ「そういえば、きくちくんバンドやってんだよ、
サヤカちゃん興味ある?」トモコが話を替えてくれた。
きぐ「そう、でもコピーバンドね。たいしたことないよ」
サヤ「でも、すごいです。見てみたい!」反応がかわいい。
きぐ「じゃあ、ライブの日が決まったら教える。うちのバンドすごいよ。
うちだ、話してやってよ」
それからは個性的なメンバーが繰り広げるポイズン物語を披露し、トモコも
サヤカちゃんもお腹を抱えて笑ってくれて、気づいたら終電を気にする時間に
なっていた。
「じゃあな、おれたちこっちから帰るわ」と言いながらきぐぢとトモコは駅と
は反対の方向に歩いていった。
二人を見送って、残されたサヤカちゃんとおれは赤羽駅に向かってあるき始
めた。
「今日は楽しかったです、またみんなで飲みたいですね」
なんかうまく言葉が探せなくて「はい」とだけ言ったけど、ホームでサヤカ
ちゃんを見送ってから2週間ほどずっと、もっと他になにか言えたのではない
かと、代わりの言葉を探してみては胸が苦しくなった。
最近のポイズンは毎週練習しており、リカが空いてる日には週2回やること
もあるそうだ。中曽根兄弟という舎弟を抱え、椎田さんという権力者をバック
に連れていることもあり、最近ではリカの発言力が次第に大きくなってきてい
て、スタジオの予約などもリカの都合を中心に組まれているそうだ。
もちろんリーダーである兄いからしてみれば、リカに主導権を取られるのは
面白くないはずだ。けれど文句の言いにくい状況になってきているのだそうだ。
とある日の練習の休憩時間中のことだ。
「あのさ」リカは兄いのことを名前で呼ばない。
「おう、どうした」
「曲、思いついたんだけど、どうしたらいいの」
「どうって、どういうこと?」
そのやりとりを聞いて椎田さんが入ってきた。
「リカが曲をつくったんだけど、それをバンドでやるにはどうすればいいか、
ってリカは聞いてんだ」
兄いは驚いた。少し前までやる気がなかった面倒くさい女が、意外にも音楽
には前向きだったんだと。
「すごいな。じゃあ、いまここで聞かせてよ」
「ええー、ここで?」
「いい曲だったらポイズンでやろう」
「いい曲だったら?」リカに不機嫌オーラが立ち込め始めた。それを感知した
のか「いいから。まずは浩二に聞かせてやろう」椎田さんがリカを制し、リカ
のギターを指さした。
おれ「あのさ。椎田さんとリカって、できてるよね?」
きぐ「絶対だね」
おれ「歳の差、いくつ」
きぐ「30近いんじゃね、あの人は誰でもいいんだよ。ロリコンか。
変態だな。ケダモノだな」
おれ「・・・」
きぐ「・・・」
おれ「いや、おまえが言うか!」
リカは椅子に座ったままギターをじゃらんじゃらんと数回ならした後、なに
やら小さい声で歌い始めた。しばらく歌った後、椎田さんがリカに向かってマ
イクを指差す。
マイクを通して歌えという合図だ。
リカはいったん歌うのをやめて立ち上がり、マイクの高さとギターの位置を
気にしながら、
「じゃあ、もう一回」
と言うと、歌が始まった。思ったよりもテンポがゆっくりで、難しいコード
がない分、馴染みやすいメロディーだった。
サビを歌い終わると、ギターも止まった。
「もう一回やって」兄いがリクエストすると、リカはうんとうなづいて歌い始
めた。
ちょうどスタジオの外で休憩していた他のメンバーがなにやら楽しそうに会
話しながら部屋に戻ってきたのを横目で気にしながらも歌い続けているリカ。
リカの緊張を感じ取った他のメンバーは、急に会話をやめてそろそろと自分の
席にもどった。
しばらくリカの歌を全員で聞いた。
「アメージング!」
歌が終わると、ダンサーのナンシーが叫びながらリカに抱きついた。ひきつ
ったリカの顔がぐらぐら揺らされている。
「どう」リカが兄いを見た。
「いいと思う」兄いは虚を突かれた感じだ。想像以上の出来栄えだったのだろ
う。
「歌詞は1番しかないの?」と兄いが続けた。
「歌詞はまだ作ってない。今のは適当に歌っただけ」
リコーダー担当の和田さんが拍手しだすと、舎弟のボイパ担当、中曽根兄弟
とナンシーが続いて拍手しだした。
兄いの評価に、リカは素直に喜んでいるようだ。
おれ「リカがオリジナル曲をねー。やるねー」
きぐ「だべ。おれもびっくりした。曲もさ、コードの割には独特で。
でもさここからが問題で、、、」
「この曲に合う歌詞をだれかつけてくんない」
歌い終わって生気を取り戻したリカが言い放った。歌詞を書いた経験は、誰
にもない。なのでリカの呼びかけに応えるメンバーもいない。
「じゃあさ、みんな歌詞考えて。で一番いいやつを採用しようよ」
「ちょっと待って。歌詞を考えるのはいいけど、一番いいやつってのはさ選び
にくいんじゃない」兄いがリカの勢いを制する。
「曲を作った私が選ぶ、でいいじゃん」兄いの制しはあっさり破られる。
おれ「リカ、こわ」
きぐ「だろ、でも」
「おれはいいや、歌詞とか無理」きぐぢが言うと、
「おれも。その選考辞退する」と椎田さんが続いた。
「じゃあ、やりたい人だけでやろう。ね、やるよね」舎弟たちはリカに従う。
「私も考えてきます」和田さんも小さい声でリカに同調する。
「じゃあ、歌を動画で撮ろう。それをみんなに回すから」
リカの干支が、亥だとこの時知った。
おれ「兄い、怒ってたでしょ」
きぐ「それがさ、思ったよりさっぱりしててさ。若者は勢いがあっていい、
とか言っちゃって」
おれ「どういうことかな、もうあきらめの境地ってことかな」
きぐ「それか、純粋にリカの曲が気に入ったとか」
おれ「にしてもさ、もはや女王様だな、リカは」
きぐ「どうする、どうなる、ポイズン!」
それから半月して。
練習前に兄いがリカに声をかけた。
「どう、歌詞あつまった?」
「3つ」
ライターはメールでリカに歌詞を送っていたので、兄いには状況がわからな
い。
「どんな感じ?」
「まあまあ」
女王様のお気に召す歌詞はなかったようだ。
「その3つ、見せてよ」きぐぢがリカに言う。
「いい?」リカが和田さん、ナンシー、中曽根弟に開示許可を取り始め、
みんなの異論がないと、
「じゃあ、転送する」とリカはスマホを操作して、きぐぢ、兄い、椎田さんに
応募作品を公開した。
おれ「みんなすごいね、2週間くらいで歌詞って書けるもんなんだ」
きぐ「よくわがんね。でも、リカの宿題だから、やらないわけには
いかねーべさ」
おれ「そのメールさ、おれも見ていいよね?」
きぐ「見ていい!許可する!」
エントリーNo.1 「星、それは漁火」和田さん
新宿じゃあ俺のこと友だという奴がいて
金の話ばかりしてくる
新宿じゃあ俺のこと兄だという奴がいて
女の話ばかりしてくる
楽しいのは1秒で 空しいのは永遠で
悲しさと不安を蹴り上げりゃ
錦江湾の漁火が おれの星になってたんだ
ラライ ラライ 帰りたいといつも思って
ヘヘイ ヘヘイ 飛び立つ勇気が出せなくて
ラライ ラライ 結局いつもここにいるんだ
ヘヘイ ヘヘイ おれは西口のとんぼ
おれ「西口のとんぼって。。。これってさ。。。長渕先生だよね。
パクリじゃね?」
きぐ「和田さんは先生の崇拝者だと思われる」
おれ「この歌詞はリカの曲に乗るの?」
きぐ「合わないことはないかもしんないけど、ラライヘヘイって。
それに、いまさら大都会の何を歌うよ、ノリが昭和でリカには
響かねーべさ」
おれ「あとさ、歌詞にしては短くない?」
きぐ「しょうがねーべさ。リカが1コーラスしか動画とらなかったから」
おれ「なるほど。1コーラス分だけの歌詞ってわけね」
エントリーNo.2 「DESPAIR」ナンシー
WE WILL GO TO THE HELL
I MURDER YOU WHO LAUGHED AT US AND GO TO TEH HELL
HEAVEN DISAPPEARS
WE DESTORY IT
I DESTROY HEAVEN THAT YOU AIM AT AND GO TO THE HELL
CRY CRY
AND SCREAM
NOBODY WILL HELP YOU
DROWN DROWN
YOU ARE DROWNED IN DESPAIR FOR US
CRY CRY
TASTE PAINS
I WILL NEVER HELP YOU
DROWN DROWN
YOU ARE DROWNED IN DESPAIR FOR ME
おれ「おまえら、ナンシーに恨まれるようなこと、した?」
きぐ「するわけがない」
おれ「素面でこの歌詞が書けるって、相当こわいんだけど」
きぐ「椎田さんも、これ見て引いてたぜ。あいつは、デスメタル系フラダン
サーなんだなって」
エントリNo.3 「のんあるあるある」中曽根(弟)賢斗
『賢』なあなあ見てみろこのドリンクを
おれが見つけた武蔵小金井 シックでシュールで味も超クール
『優』まてまてそれはアルコール飲料
まだまだおまえは未成年 シックでシュールな未成年
『賢』えー優斗は常識しらねーバカ兄貴だな
ここにノンアルコールって書いてあるだろ な そうだろ
『優』ノンアルコールも酒なんだよバカ
のんある気分な小学生を見たことねーだろ な そうだろ
な そうだろ
『賢』えー嘘だよネットで見てみなウィキペディア
アルコールテイストの清涼飲料水 な な そうだろ
『優』(やべやべ、ほんとだ。But!ここで認めたら兄の威厳が
失墜するぜ)
ばーかウィキは嘘ばっかだってこないだ父ちゃん言ってろ な
『賢』たしかに父ちゃん言ってたな なあんだそうか
ジュースじゃなかったあのドリンクは
『優』(ふーやばかったぜ あせったむっちゃ
弟のくせに優位に立つなよ)
わかりゃあいんだよ だれでも間違いはあるもんだ
『賢』のんある あるある のんある あるある
『優』のんある あるある のんある あるある
おれ「面白いけどさ、これこそ曲に乗るの?」
きぐ「乗らないけど、おれは嫌いじゃない」
おれ「この『賢』は弟で、『優』は兄貴の方?二人のパートしかないじゃん」
きぐ「『菊』のパートもつくってもらおうかな」
おれ「で、どれが採用されたの」
きぐ「それがさ、、、」
「じゃあ、安奈から始めよう」
リカが曲を発表してから、3週間が経とうとした練習日、各自の準備が終わ
り兄いが号令をかけたときだった。
「あのさ、曲、わたしの曲、できた」
リカがマイク越しにオリジナル曲の完成を告げた。
すぐさまナンシーが立ち上がり、
「だれのウタになりましたか?」
マイク越しのリカの声よりも大きな声で訊く。和田さんも中曽根兄弟も気に
なっているのだだろう。リカが口を開くのを待っている。
「こ、浩二、さん」
一同、瞬時に兄いに目を向ける。きぐぢは「ええ!」と思わず叫んだそうだ。
おれ「いつのまに」
きぐ「だべ。兄いもさ、歌詞書いてリカに送ってたらしいんだよ。」
おれ「意外だね、この企画には乗ってこないと思ってた。で、内容は」
きぐ「それは、こっち」
(ポケットから小さく折られた紙を取り出す)
おれ「歌詞?」
(雑に八つ折りにされた紙を広げると、そこに赤字でギターコードを書き足
した歌詞が現れた)
最優秀作品 兄い 「もうひとりのわたしのために」
目が合うだけで
すべてがわかる
そんな奇跡に
毎日が輝いた
あなたがほしいもの
わたしがほしいもの
通じるってこういうこと
秋の冷たい
夜の空気が
少しずつ
二人の距離を
ひき離していたのね
もっと
はやく
気づけていたなら
あなたにもらえた
このたからものを
捨てることはできない
つらいのはたぶん
あなたも同じでしょ
そのまま進んで
あなたの道を
この未来はわたしの未来
good bye for ever
あなたの夢が
わたしの夢と
重なっていたの
信じ続けていた
あなたがつぶやく
わたしのかわりに
通じるってそういうこと
冬がきたら
ここをはなれ
あたらしい
わたしの街で
あなたを想いながら
きっと
とおく
離れていても
あなたにもらえた
このたからものを
はぐくみながら
つらいのはたぶん
あなたも同じでしょ
そのまま進むの
わたしの道を
この未来はわたしの未来
good bye for ever
きぐ「どう思う」
おれ「これって、子供ができたからって言って辞めちゃった居酒屋の子の話
だろ」
きぐ「だべ。まさかそんな裏話があったとは」
おれ「いやいや、完全フィクションだろ。そこまでの付き合いが兄いとあの
子の間にあったとは到底思えない」
きぐ「つうか相手にされてなかったべ」
おれ「・・・。これさ、女子目線の歌だよね、兄いが歌うの?」
きぐ「するどいね」
練習はいつも2時間。1時間くらいで休憩が入る。きぐぢが煙草を吸いたが
るからだ。
「じゃあ、おれコード入れるよ」
普段は煙草に行く椎田さんが、スタジオに残ってリカのギターを鳴らしなが
らコピー用紙に何か書き出している。
「リカ、やっぱ歌詞をここに書き出して。そこにコード書いていくわ」
椎田さんの指示には動きが早いリカ。椎田さんの横に座って、スマホ見なが
ら歌詞を書きだしていく。
きぐぢが戻り全員がスタジオに揃うと、椎田さんが歌詞の書かれた紙を兄い
に渡す。
「さっそくこの曲をやってみよう。おれが適当にリズムつくる、きぐぢとリカ
はコードをならすだけでいいから。あとのメンバーのパートは後から足してい
こう」
普段は口数の少ない椎田さんが急に仕切り出したので、後からポイズンに入
ったメンバーたちは驚いていた。椎田さんのプロデビュー伝説を、彼らは知ら
ないのだ。
椎田さんがドラムセットに戻り、8ビートのリズムを叩き始める。椎田さん
がきぐぢに向かって大きくうなずくと、ベースが鳴り始めた。それを見てリカ
もギターを鳴らす。
しばらくコード進行を確かめるようにドラム、ベース、ギターだけの演奏が
続く。その様子をポイズン2期生たちが黙ってみている。ナンシーが興奮気味
に和田さんに話しかけたが、和田さんが人差し指を口にあてナンシーの動きを
封じた。
そして次に兄いを見ながら椎田さんがうなずくと、歌が始まった。
歌詞を見ながら歌っているせいか、とてもぎこちない。さらにキーも合わな
いのか、高い声にしたり低い声にしたりと落ち着かない。
しばらく続けていたが、兄いは首をかしげ続けていた。
するとナンシーが兄いに近づき、兄いの持っている歌詞を覗き込み歌い始め
た。
兄いの顔を見ながらいっしょに歌うその姿は園児に歌を教える幼稚園の先生
のようだ。ナンシーなりの励ましなのだろう、しばらくそのデュエットは続い
た。
「オーケー、なんとかわかってきた。いったん止めて」
兄いが手をあげて演奏を止めた。
「ナンシー、歌いたい?」
「わたし、ダンサーです」
「ああ、そう。じゃあ、ひとまず座ってて。後でダンスパートを入れよう」
「OK!」上機嫌で席に戻るナンシー。ちょっと異様なデュエットの終演に、
一同は胸をなでおろす。
「浩二、キー高い?」椎田さんが声をかけると、兄いが首をふる。
「そうじゃないんだけど、なんかおれが歌うよりは、女子が歌う歌だなって
感じ」
そりゃそうだ。西野カナを真剣に歌うおっさんには、誰もが抵抗感がある。
「リカが歌えよ」
兄いが歌詞をリカに渡した。
「そもそもおまえが作った曲だろ」
リカはまゆげをつりあげて驚いている。きぐぢはにやけている。
「それもいいかも」椎田さんがバスドラをドンとキック。
「試しに歌ってみなよ」きぐぢが言うと、2期生たちもうなづいた。
再び演奏が始まり、リカが歌い始めるが声が小さくてなにを歌っているのか
わからない。
兄いがスタジオの隅にある機材に近づいてマイクのボリュームをあげる。
リカの声が聞こえてくる。
何回か演奏を繰り返し、リカが歌い慣れてきたところで、その日の練習は終
わった。
「あの曲のときは、浩二はコーラスしてみたら」
駅までの道のりで椎田さんが兄いに提案してきた。兄いからボーカルを取り
上げてしまわないようにとの気回しであることにきぐぢはきづいていた。
「コーラスって言っても、どう歌っていいか」
「まあまずはサビでユニゾンするところからでいいんじゃないか」椎田さんの
言葉にきぐぢも続けた。
「そうそう、ツインボーカルね」
おれ「男女のツインといえば。お、わかった。おまえのイメージは、、、
バービーボーイズだな。HYではない」
きぐ「んだ。今になって思えばツインボーカルってフォローは、ねーなって
思う」
おれ「兄いがやりたかったバンドのイメージから、どんどん離れていってる
もんな」
きぐ「離れてる。確実に」
おれ「でもオリジナル曲って展開がすごいね。これで甲斐バンドやボウイの
呪縛から解き放たれるんじゃないの」
きぐ「ボイパやリコーダーを入れた時点で原型なくなってたけど、コピーっ
てことでかろうじて曲の完成度に救われていたのに」
おれ「ああ、なるほど。オリジナルだともう何が正解なのかわからないから、
より一層カオスになると」
きぐ「んだ」
おれ「聞きてー!ポイズン新曲」
きぐぢが来いというもんだから仕方なく、という体で、ポイズンの練習を見
に行くことにした。無関係ではないものの、おおよそ部外者のおれがスタジオ
のなかにいてはやりにくいメンバーもいるのではないかと思うと、何かしらの
見学の理由がほしくなるのだ。
休憩時間には「これよかったら飲んで」とメンバーに差し入れの缶コーヒー
を配ったりもした。
ポイズンの持ち歌は4曲。甲斐バンド、ボウイ、ラルクアンドシエルのコピ
ー3曲に、オリジナル1曲。
これだけ長いことバンドやってる割には、なぜ持ち歌が3曲しかないのか謎
ではあったが、原曲にはないアレンジが満載だ。週2回練習してるにも関わら
ず新しい曲に手が出せない事情が、この見学で理解できた。
にしても、
初心者に合わせているせいか全体のテンポが遅く。その上ギターソロに加え
ボイパとリコーダーのソロが入るから間奏がやたら長い。さらに目の前で奇妙
なダンスまで見せられるから、2番の歌い出しになったときに「まだあの曲の
続きだったんだ」と驚くのだ。
さらに、大サビが終わって曲が終わるまでの演奏ではボーカル以外のパート
の演奏が一度にやってくるため、曲中で最大の音圧と最高潮の盛り上がりがく
る。
これは、その名前の通り、ポイズンだ。1曲聴いた時点で結構な毒気にやら
れてしまい、3曲聴き終わる頃には、早くスタジオの外に出て新鮮な空気を体
内に取り入れたい気分になった。
そもそも12畳もないスタジオの広さで9人は、酸欠にもなりかねない。
「どうよ」
壁際にいるきぐぢがにやにやしながら、スタジオの中央に座るおれに反応を
求めている。
「だいぶアレンジが変わったね。あ、新しいね」
いまできるせいいっぱいの反応だ。正直なにがいいのか悪いのか、
全くわからない。
「じゃあ、新曲やろうか」
俺というオーディエンスを意識してか、兄いは地声で言った言葉を再度マイ
クを通してみんなに伝えた。
リカがマイクの位置を直して、ドラムの椎田さんに合図を出すとドラムのカ
ウントが始まった。リカのギターが鳴り始める。少し遅れてPAからチクチク
聞こえてきた。チクチクとだれかが言っている。これは、、、ボイパだ!中曽
根兄のチクチクが始まってすぐに弟がキューンドン、キューンドンと謎の言葉
を繰り返し始めた。そこにきぐぢのベースが入る。
なんか音楽に聞こえてきた!
と思ったら、いったん音が止まって、リカの歌が始まった。
出だしはいい感じ。
狭いスタジオだ、たくさんの音が重なるのでボーカルの歌詞までは聞き取れ
ないが、メロディーはわかる。これはAメロ、ここからがBメロ、と頭のなか
で構成を思い浮かべて、いよいよサビに入る。
と、ここから兄いも歌いだす。ハモリではないが、リカの声量を助けるよう
で歌詞が耳に入ってくる。
――かっこいいじゃん。
なんか本物のバンドみたいじゃん。
自分が興奮しているのがよくわかる。
サビが終わるとまたすべてのパートの演奏が止まった、と思いきやまた中曽
根兄弟のボイパが始まる。
そしてその間奏は、和田さんのリコーダーソロ。
ミドルテンポの恋愛歌にはとても合うなんか懐かしくて切ないメロディー。
この歌にはまってる。すごいな、和田さんが考えたのかな。
ふと、赤羽で1度飲んだサヤカちゃんの横顔が脳裏をよぎった。
このまま2番に入り、サビが終わったところで、演奏が止まった。どうやら
ここまでしかまだ出来上がっていないらしい。
「すごくいいすね」
少し興奮していたので、誰かが話しだす前に感想が口から漏れ出ていた。
「そう、よかった?」兄いの目が輝いている。
演奏とか、メロディーとか、そういうクオリティーに関する評価はともかく、
8人が数分間気持ちを一つにして音楽を奏でている姿は、これまできぐぢから
の報告をもとに想像していたぐだぐだなポイズンのイメージからだいぶかけ離
たものだった。
「和田さんのソロ、いいですね」
「はい、これは私のこだわりです」和田さんの声がいつもより大きく聞こえる。
「いや、和田さん、あの部分はもう少し考えよう」兄いが何かを気にしている
様子。
後で聞いたところによると、和田さんソロのメロディーは、敬愛する長渕剛
先生のなにかの曲をそのまま吹いていたようだ。
道理で。素人がそう簡単にキャッチーなメロディーを作れるわけがない。
このポイズンらしさは、おれの想像通りだ。
それにしても、あのメロディーにより一瞬サヤカちゃんのことが頭をよぎっ
たことについては長渕先生の才能を称えざるを得ない。が、このことはきぐぢ
にも言えない。
「わたし、どこから入りますか」
忘れていた。このバンドには、ダンサーがいたんだった。ナンシーが今にも
踊りだしそうな態勢で声をあげた。
「リカ、どこから?」
笑顔で言いつつ、踊りながら一歩ずつ近づき、飛びつくようにリカに抱きつ
いた。リカは苦しそうなリアクションをとっているが、とても楽しそうだ。
それを見て、他ポイズン達も笑顔になっている。
ナンシーもしっかりポイズンのメンバーなんだ。




