フルメタル・ランナーズ ~Prelude~ ③
深夜。
船の指揮を副官に任せて、いい加減に眠ろうとしていたレイラの私室に縁が訪ねてきた。その手に三人分の報告書を持って。
「何か飲みますか?」
部屋の中に招き入れ、コーヒーか紅茶でも淹れようかとポットに手を伸ばそうとしたが、
「いや、いい」
縁は素っ気なく首を横に振った。
「そうですか」
自分だけ何か飲むのも気が引けたので、ベッドに腰を下ろす。
あぁ、この柔らかさに身体を投げ出すために生きている――と、現実逃避したくなるぐらいに恋しい感触だ。
「寝るのか?」
「あなたたちの独断行動のおかげで、睡眠時間が足りていないのですよ」
彼らが起こした問題行動のおかげでレイラ自身も書類を大量に処理しなくてはならないし、本国へ報告もしなくてはならない。
いい加減に見飽きた髭面のおっさんから時間単位での嫌味を聞く羽目になるのがわかっているので、今から億劫で仕方がない。
どうせなら、問題児たちに直接面と向かって言って欲しいくらいだ。
彼らが大人しく聞いているとはとても思えないし、巡り巡ってレイラに多大な負債が押し寄せてくるのが容易に想像してしまえるが。
中間管理職の板挟み。社畜。ブラック国家。いろんなマイナス方面に振り切った単語が脳裏で踊り、レイラはしみじみとしたため息を吐く。
空を眺めながらお茶でも啜りたかった。
「それはすまなかったな」
「……本当にそう思ってますか?」
思わずジト目になりながら、足をプラプラする。
ベッドに座っていると眠気が押し寄せてきた。
艦長という分厚い仮面を外せるプライベートな空間に、幼なじみと一緒にいることで気が抜けてきたのだろう。
もう服を脱ぐのも面倒だ。このまま寝てしまいたい。寝てしまおう。
「お前に苦労をかけているのを心苦しくは思っている」
もうちょっと申し訳なさそうな顔をしてから言って欲しい。
レイラに嘘を吐けるほど器用ではないのは知っているので、本心からの言葉なのだとちゃんと理解しているが、弱ってる時にはもっと優しく慰めて欲しくなる。
――あぁ、ダメだな。ただの弱っちぃ女の子に戻ってる。
「……ですか」
実際のところ、個人としては今回の独断専行を責めるつもりはなかった。
余計な柵に縛られているレイラの命令を待っていられなかったというのも理解しているし、どちらにせよ結果が同じであるならば、彼らの即断即決は何も間違ってなどいない。
少なくても、何の非もない哀れな被害者は救われたのだから。
だからといって、結果オーライだから構わないとすれば、規律に縛られた軍という組織が滅茶苦茶になってしまうので、表面上は叱っておかなければならないのだ。
組織というのは本当に面倒だ。
上はうるさいし、下は面倒ばかり起こす。志は同じなのにやり方が違うというだけで小競り合いを繰り返している国家間のバランスも鬱陶しいし、何よりも殲滅すべき大海の覇者はこちらの事情などお構いなしに海を悠々と泳いで、身動ぎひとつで大津波を起こす。
問題は山積みで、片付けても片付けても終わらない。
それでも――
あぁ、それでも――
生きていくために――
戦い続けるために選んだ最善の道がこれだった。
仏頂面の幼なじみが血塗れになりながら選んだ最短の道だった。
だったら、せめて少しだけでも舗装をしてやらなくてはならないだろう。
結局のところ、彼が走り続けている理由の一端を自分が担っているのだから。
「だったら……」
だけど、たまにはちょっとだけ。
彼の弱みに付け込むのはどうかと思うけれども、こちらがいつも弱みに付け込まれているのだから――
「なんだ?」
「今夜は寝るまで傍にいてください」
幼なじみに甘えてしまってもいいだろう。
ちょっとぐらい我がまま言ってもいいよね?
「わかった」
縁は間髪入れずに応じていた。
「え?」
「何を驚いている。さっさと寝ろ」
「え? で、でも……」
「お前が言い出したんだろう」
「そうですけど………」
まさか、こんなにもあっさりと承諾されるとは思っていなかった。
「添い寝も必要か?」
仄かな躊躇らしきものを見せるレイラの様子に、過去の想い出の中から不足しているものをピックアップして、さらに現状で相応しいと思われるものを選択して提案する縁。
彼には思春期特有の羞恥心と呼ばれるものが皆無に等しかった。
どちらかというと不必要と切り捨てているからこその無駄にあっさりとした態度なのだが、時と場合と相手によっては大人の余裕のように見えることもある。
今がそうだった。
「い、いりません」
不意の優しさに顔が赤くなるのを自覚する。
ドギマギしながら、レイラは身を倒して布団に潜り込む。
「そうか。明け方には『釣り』に行くから、それまでだぞ」
「………あ、明け方までいるつもりなんですか?」
「悪いか?」
「悪くはないですけど……」
「なら、さっさと寝ろ」
口をモゴモゴさせているとベッドの縁に腰かけた縁が、手を握ってきた。
大きな手。傷だらけの手。
――優しくて暖かくて不器用な幼なじみの手。
どうやら、彼はとっくに自分の心身の疲労を見抜いていたらしい。放っておけないと傍にいてくれようとしているらしい。自覚してるのか、無意識なのか、幼なじみ同士の絆なのか……そのどれであったとしても、たったひとりだけの幼なじみは、いて欲しい時にはいつも傍にいてくれる。
いろんなものを背負っていて苦しい思いに苛まれているのに、たったひとりだけになった幼なじみを不器用に気にかけてくれている。
ありがとうとごめんなさいが胸の中でごちゃ混ぜになる。
私の方こそがあなたを助けてあげなくちゃいけないのに――――どうして、あなたはいつもそんな風に優しく甘やかしてくれるの?
男の矜持?
そんなものは空の彼方に捨て去って欲しい。
嬉しいと悲しいを一緒に感じながら、ゆっくりと瞳を閉じる。
「~♪」
抵抗できない眠りへと落ちていく最中に、彼の口から紡がれる歌を聞く。
それは海に沈んだ故郷で歌われていた子守歌だった。
自然と一滴の涙が頬を伝った。
● ● ●
『もう嫌だ。お願い許して。誰か助けて。
どうして、いっつもこんなことになるのか全くわからない。
けれど、それでも、どうしても――がんばって、生きていくと決めたんだ』
正直に打ち明けてしまうなら、私は大した人間なんかではないのだ。
臆病な泣き虫で、優柔不断で、戦う力だってこれっぽっちもないし、逃げ足だって早くもないし、言い訳だってうまくないし、素はコミュ障だし……。
欠点なんて数え上げるとキリがない。
なのに、なんで大きな戦艦の艦長になって、強面の大人に囲まれなくてはならないのか。
五百人もの問題児を部下に持ち、ネチネチと嫌味を言ってばかりの本国の偉い人から無茶ぶりを食らい、挙句の果てには変態ストーカーに『嫁』呼ばわりされて追いかけ回されながら、世界中の海でお掃除に励まなくてはならないのだ。
悪いのは、前世か、運命か、星の巡りか。
いいや、私は悪くない。
それもこれも全部全部ぜ~んぶ〝彼〟が悪いに決まってる。
独りぼっちが嫌だと泣いてた私の手を引いて、どこへでもかんでも連れ回された結果がコレだというのなら、やっぱり〝彼〟が悪い。
組織に属しておきながら個人主義で規律を無視して戦果ばかりを積み上げて、でも上の人たちが気に入らないからなんやかんやといちゃもんを付けて、功績だけを私が引き受けることになったりするから。他の人たちも私にいろいろ押し付けるから、こんなことになっちゃったんだ。私自身の功績なんて微々たるものなのに。いっそ皆無って言いたいぐらいなのに。
おまけに、最近はさらに頭角を現してきた新参の問題児たちも加わり、ますます暴走の度合いが拡がっているような気がする。
こんなの私はちっとも望んでいない。
身の危険のないのどかな田舎で、静かに穏やかにのんびりと過ごしていられたらそれだけで満足なのだ。猫も飼えたら最高。
なのに、なのに、なのに―――――
どうして、〝彼〟はいつもいつも、それから遠ざかっていく方向に私の手を引っ張っていくのだろうか?
そんなにがんばらなくていいのに……。
もういいのに……。
私は仇討ちや復讐なんか望んでいない。
失われた者は決して還らず、海に飲まれて亡くしたものは戻らないと知っている。
だから――
〝彼〟が傍にいてくれるだけでいい。
ただそれだけを望んでいるのに、〝彼〟がいつまでもがんばり続けるから、私もまたがんばって背中を追いかけてあげなくちゃいけない。
あなたが私を孤独にしないように、私もあなたを独りぼっちになんかしない。
あの時の『約束』が、どんな形であっても果たされるその時まで――
● ● ●
高度に発達した科学技術の粋を戦争に費やし星を蝕む人類を罰するために、星の深奥にて眠りに沈んでいた神獣が目覚めた結果――
かつての人類の文明社会は跡形も無く崩壊し、激減した人類のわずかな生き残りは破滅と隣り合わせの中で新たに三つの勢力に別たれた。
惑星再生委員会。
賢人機関。
正統興国。
彼らはそれぞれの大義を掲げ、大海の覇者を滅すると声高に叫んだ。
しかし、大海原を統べる支配者を滅するには未だに力は及ばず、拮抗にすら程遠い。
ひとたび姿を見せれば、大陸をも飲み込む大海嘯に飲まれ流され逝くばかり。
それでも属する国家への忠誠心を胸に国民の安寧を守るのが軍人の義務であるからこそ、大海の覇者たるグランギニョル殲滅のために牙を研ぎ続ける。
それは正統興国第十三特殊作戦部隊=『問題児部隊』とて変わらない。
本国より定期的に送られてくる〝悪質な無茶ぶり〟に悪戦苦闘しながらも、技術部に所属する頭の狂しいマッドが思いつきを仕込んだ試作実験型『A・A』の(暴発前提の)試験運用を押し付けられても、小競り合いのためだけに領海に侵入してくる某変態ストーカーを筆頭とした他勢力の問題児どもに付け狙われていても――
等々。
あれ? これってホントに任務?
――などと首を傾げたくなるようなことばかりに忙殺されていたとしても、彼らは軍人の義務として、大海の覇者が支配する勢力圏を削る任務にも励まなければならなかった。
即ち――
『よ~し! 『釣り』に行くぞ~♪』
『今日は大物狙いだぜっ!』
『餌はちゃんと用意しているか?』
『問題ありません』
『出撃っ!!』
『『『さ~、いぇっさ~っ♪』』』
海面に浮上した全長三百メートル級の大型戦艦――『女神の祝福』から水中戦装備に換装した数多の『A・A』が海へと飛び込んでいく。
サイズやゴテゴテした見た目を差し引けば、海に飛び込む海水浴客にも似た光景を、反重力ユニットを標準装備している最新世代の戦士型に搭乗して空中での哨戒任務に就いている縁は眺めやる。
「……………。」
同じように、武道や宗次なども自機に搭乗して、周辺の警戒をしていた。
『さて、この海域にはどれぐらいの眷属がいることやらな……』
『あんまり育ったのがいなければいいんだけどね』
大海の覇者グランギニョル。
海の生態系を壊し尽くし、なお貪欲に陸の上を沈ませ、生命の営みを水底へ飲み込もうとする神の如き獣。
闇に染まった漆黒の巨体はそのものが大陸の如く、全身を覆う体毛は伸縮自在の鋼の鞭に他ならず。
身動ぎすれば天をも覆う大海嘯。口を開けば、あらゆる抵抗を許さずに全てを喰らい尽くして無へ還す。
存在そのものがもはや非常識な人類の大敵。
その眷属。あるいは子供たちと呼ばれているのは、グランギニョルが零していく糞か食べカスのようなものに過ぎないと考えられている。
だが、それもまた自立して生命を蝕む神獣の分身に他ならない。
広大な海を棲み処とし、不届きにも領土を主張して海の上に文明を築こうとする人類を襲う。船を襲う。軍艦を沈める。水上の街を蹂躙する。
食欲に果てはなく永遠と貪り喰らう。
喰らえば喰らうほどに成長を続け、あるいは共食いさえも繰り返し、無限に巨大化を続ける怪物の群れに他ならない。
成長される前に、群れが共食いを始める前に、その数を減らしていくのもまた人類存続のために必要な一手だ。
………海に沈もうとしている星の内に、どれだけの数が存在しているのかを否応なしに理解させられていたとしても。
『よっしゃっ! 一匹ぃぃぃっ!!』
『こっちは五匹の群れに追われてますっ! わーわー、ポイント座標送るから上空からの援護射撃プリーズっ!』
『デカいの発見っ! 大口開いて突っ込んできてるが、迫力あるな、おいぃっ!!』
『援護します。当たらないでくださいねっ!』
『なかなか〝当たり〟の海域だなっ! 月末の論功行賞が楽しみだぜっ』
『いっぱいお金を貰えても、なかなか陸に戻れないのが欠点だけどな~、ウチの部隊は……』
『あればあるほどいいんだよっ!』
通信回線を通じて部隊の仲間たち――海中で『釣り』に励んでいる腕利きの『A・A』乗りたちの言葉に耳を傾けながら、応援要請に応じる。
「指定ポイントに援護射撃を行う」
『了解っ!』
送られてくるデータをもとに、長銃で狙い撃っていく。
『やらないよかマシとはいえ、相も変わらずの焼け石に水だな、こりゃ……』
うんざりしたように宗次が呟くのを片手間に聞く。
『クソするのと同じ感覚で、大量のガキどもを生み堕としやがってよ』
『あんまり育ってないのが救いだねぇ~』
『いっそ、本体を潰した方がマシなんじゃねーのか』
『どこにいるのかわかっていれば、誰だってそうしてるんだろうけどね』
恐るべき巨体を誇るグランギニョルは、その所在が知れない。
深海の奥深くに潜んでいるのか、神獣という評価に偽りなく次元を隔てた空間にでも隠れているのか、前触れもなく唐突に出現するような不可解さは、人類の対処をより困難なものとしている。
基本的に出現すれば、短時間でその地域・海域は大海嘯で蹂躙されて総てが水底へと沈むために、法則を掴むための情報すら満足に得られないという体たらくだ。
三大国家の首都がまだ狙われていないのがわずかな救いと言える。
だが、過去には長い時間をかけて『力』を蓄え、〝第四勢力〟と成りえたやもしれない海上都市がたった一夜で沈んでいる。明日にも同じように自分たちの所属する国家組織が壊滅しないという保証はどこにもない。
時間をかければかけるほどに人類は疲弊し、ジリ貧に追い込まれるのは明白である。
故に――残された時間は少ないというのが共通の見解ではあるが、それでも人類は一つにまとまることを拒んでいる。
愚かさを極めているなと嘆息するしかないが、あくまでも『兵隊』でしかない縁には、誰かを導いたその先で『世界』を変えることなどできないのだ。
「む。」
援護のための移動を繰り返していたら、気づけば母艦からそれなりに離れていた。
かなりの広範囲に拡がって『釣り』に励んでいる仲間たちの作戦終了まで時間はまだあるが、あまり戦力が拡散し過ぎるのも問題である。
こちら側の兵隊は絶対数が少ない上に、簡単に補充が出来るわけではない。
逆に向こうは無尽蔵の使い捨てだ。
慎重な判断をするのも当然であり、仲間たちに通信をしようとしたが――
「―――――っ!?」
唐突に鳴り響く警告音よりも先に、本能が反応していた。
ぐるりと回避軌道を描いた刹那、直前まで縁のいた虚空を光線が薙ぐ。
『ふっははははははははははははは、ははははははははははははははははははっ!!!!』
間を置かず、オープン回線で撒き散らされる哄笑。
「――また現れたな、変態ストーカー野郎」
ため息混じりに、縁は吐き捨てた。




