『元日の地味な没個性とその周辺』(20)
始まりの終わりはすぐそこにあり、終わりの始まりへと繋がる安寧の刻の訪れを、今はただそれぞれの祝福をもって穏やかに歓迎しよう。
● ● ●
「結局、何もしないんだな……」
舌打ち混じりに、水城刃はぼやいた。
「あら? ナニかしたいのでしたら遠慮しなくてよろしいのですよ?」
くすくすと笑い声を漏らしながら、海棠添琉が言う。
その言葉を、刃は背中で聞く。
どこぞの旅館に拉致監禁されて、食事や温泉や散策を強要されたわけだが、最も懸念した事態に陥るようなことはなかった。
同じ部屋で夜を明かしはしたのだが、健全なものだった。
一年の始まりである元日の過ごし方としては、優雅で裕福なものであろう。
静かな温泉宿で好意を寄せていると明言している少女と何を気にするでもなく、同じ時間を過ごす。
字面だけを聞けば羨ましがる輩は多かろうが、強制的に拉致監禁された刃の心中が穏やかならざるものなのは言うまでもないだろう。
「………。」
苛立ちをため息と共に吐き出し、刃は背中に感じている温もりに体重を預ける。
見上げた天井は、薄暗い。
それもそのはず。
彼らが過ごしている部屋に電気は灯っておらず、外から差し込む大小二つの月光と星明かりだけが光源だからだ。
こうして過ごしてから時間が長い上に夜目が利くので不自由はなく、自然の織り成す穏やかな音色に耳を傾ける。
なお、古都乃洋子はいない。
別室で酒瓶を抱えながら寝ている。
「この旅行は不満でしたか?」
「大いに不満だ」
率直な本音を刃が告げると、添琉はクスクスと笑う。
「楽しくありませんでしたか?」
「全く詰まらない」
「退屈でしたか?」
「答える価値のない愚問だな」
「素直ではありませんねぇ……」
「俺の心を都合よく捏造するな」
「大好きですよ♡」
「………。」
「照れてしまいましたか?」
「答えたくない質問だな」
「今にして思えば、最悪の出逢い方でしたわよね?」
「なんで唐突に思い出語りを始める」
「いきなりあなたに首を飛ばされそうになったり、お礼にお腹に膝を思いっきり叩き込んだり……あの頃は、こんな風に過ごす夜を迎えるなんて、夢にも思いませんでした」
「………………。」
嫌な思い出が蘇ったかのように、刃は顔を顰める。
そんな彼の背中に、自らの背中を押し当て、もたれかかっていく添琉。
互いの体温を感じながら背中を押して、押されて、伸びた影がゆらゆらり。
「刃さんは、わたくしがお嫌いですか?」
「その質問自体が鬱陶しいな」
「なら、愛してくださっているんですか?」
「その意味不明な飛躍は理解不能だ」
親友の室井八雲のように、刃はしみじみとしたため息を吐く。
「……お前は海棠家のご令嬢として、いろいろと下らないパーティーに参加しなくてはいけないのではなかったのか?」
「わたくしを護ってくださるボディガードがボロボロなのに、あんな魑魅魍魎の巣食うところに赴くなど自殺行為ですねぇ~」
「お前も充分に魑魅魍魎の類だろうが……」
「あらまぁ失礼ですよ?」
「どこがだ」
「よいではないですか。たまには我がままのひとつぐらい、通したい時もあります」
「我がまま?」
「大好きな殿方を独り占めするのは、恋する女の子にとっては最高の贅沢なんですよ」
「……余計なのが、隣の部屋で酔い潰れてるような気もするが?」
「二人きりになれるように、酔い潰れてもらったんですよ♡」
「………………。」
「今夜は絶対に寝かせませんからね」
「夜なんだから大人しく寝ろよ」
「たっくさん運動すると眠たくなってしまうかもしれませんね。例えば――」
「言わんでいい」
二人は背中合わせで布団の上に座り込み、取り留めのない会話を続ける。
顔が見えないからこそ。
「まったく、お前は……」
刃は表情を気にする必要がないから、いつもよりも素直に唇を緩めて。
声だけはぶっきらぼうなままで。
「本当に、あなたは……」
添琉は彼とともに過ごせる幸福を噛み締めるように微笑んで。
ずっと。ずっと。
夜が更けても。
背中合わせで、取りとめもなく口を動かし続けた。
確かな朝が訪れるまで――
● ● ●
街外れの坂の上には、一軒の洋館がある。
そんなフレーズが思い浮かぶ洋館に、日下部仁は訪れていた。
そもそもが街外れであり、元の所有者が人付き合いが乏しかったために、存在そのものがあまり知られてはいない。
挙げ句の果てには、自然が色濃く残った立地条件であるために、時代に取り残されたかのように森の中に沈んでいる。
――とはいえ、仁にとっては馴染みのある洋館だった。
今はもう諸事情で誰もいなくなっていたが、それなりに高い頻度で訪れていた場所だった。
「成程。概ねの事情は理解した」
怪談話の舞台にでも使われそうな洋館は、新たに二人の住人を迎えており、藤宮透流は何の因果か知れたものではないが、そんな相手に犬猫のように拾われていた。
灯台下暗しとはよく言ったものだ。
「確かに、医者の出る幕でもなさそうだな」
アンティークな椅子に座った仁は、使われていなかった部屋のベッドの上で横たわる透流を鋭い眼差しで睨みながら言う。
「………だから、言っただろうが」
血の匂いをわずかに漂わせる透流は、見た目の上では傷ひとつなかった。
だが、顔色は悪く、消耗も並外れており、半死人に近しい状態ではあったが。
「貴様らのような馬鹿の物言いだけで判断するなど愚の骨頂というものだ。医者は患者の言葉など信じない。精々が判断の補助にする程度に過ぎず、己の目で見て、手で触れた情報でこそ判断するのだ」
目で見て、手で触れ、ついでにメスでちょっと切ったりもした上での判断が、先の発言である『医者の出る幕ではない』に繋がるわけだが――
「実に興味深いな」
「は?」
ロクに眠れてもいないようで、目の下に濃い隈の浮いたいる透流が間抜けた声を出す。
「ちょっとやそっとでは死ねない体質になったんだろう? 私の好奇心を満たすために、いろいろと調べさせてもらうとしよう。あいつを少しでも延命するために、そちら側の知識を増やしておきたかったところだ。手頃なモルモットは喉から手が出るほど欲しかった」
「ちょっと待てちょっと待て。こっちは適応するのにアホみたいに死にかけまくったんだぞ。少しは休ませろ」
「では、五分だけ待ってやろう」
「容赦が無さ過ぎるんじゃねぇかっ!?」
「五月蝿い。黙れ。痛みを与えずに解剖するくらいはお手の物だ。心配するな。ちゃんと元通りにしてやるから安心しろ」
「お願いやめてぇっ!?」
かなり本気の悲鳴を上げながら毛布に包まるクラスメートから視線を外し、仁は背後を振り返る。
視線の先には、少女とメイドがいる。
洋館の所有者に管理を任された新たな住人だ。
少女は反応に困っているようにオロオロしており、メイドは表面上はにこやかにしながら傍観者としての態度を崩していない。
「奴に与えた猶予の間に、改めて挨拶を済ませておこう。あなたたちが物好きにも奴を保護するというのなら、それなりに短くはない付き合いが生じると思われるからな」
「そうですね」
「私は日下部仁。世間では『神の手』などという過分な二つ名で呼ばれている医者だ。そちら側にも少なからず通じている……というよりも、この洋館の所有者と以前の住人たちとは付き合いがあった」
椅子から立ち上がり、丁寧に頭を下げる仁。
わりとぞんざいな態度が目立っていたが、あくまでも透流に対するものであり、新たなる住人の二人には含むところは一切ないのである。
今後の事を考えるならば、親しくなっておいて損はない。
「そうでしたか。しばらくこのお屋敷に住まわせていただきますので、今後ともよろしくお願いいたします」
スカートの裾を摘まんで丁寧に頭を下げるメイドが、握手を求めるように手を伸ばす。
「私はユースティア=ヘイゼルバーグと申します。こちらのお嬢様にお仕えしております」
差し出された手を握り返しながら、仁はメイド――ユースティアの傍らに立つ少女に視線を移す。
「あ、わ、わたしは――」
その出逢いは、かつての住人たちと同じように。
仁にとっての今後に大きな影響を与えていくものとなるのだが、今の時点ではそこまで深く考えてはいなかった。
● ● ●
塚原京四郎は、あの格好のまま自宅兼事務所に帰ってきた。
さて、その自宅兼事務所だが、安いビルのワンフロアを間借りしているとか、そういう物件ではない。
とはいえ、実に彼らしい話なのだが、かつての住人が不審死をして、安売りされていたお屋敷の類のものだった。
しかも、五件目となる自宅兼事務所である。
いろいろとあって、爆破されたり、倒壊したり、とてもではないが住める状況ではなくなったりといったことがあったのだが、細かい事情に関しては彼だからで事足りるだろう。
彼が帰ったところで、出迎える声があるわけではない。
家族などという血縁しか繋がりの保証にならない『他人』とは袂を別って久しい。
それでも彼が生きていけるのは、頼りになる保護者がいたからなどではなく、探偵などという定義の曖昧な職種やらなにやらで――要するに、己の才能だけで生き抜いてきたからに他ならない。
今までに稼いだ金は、彼の予想しうる『生涯』などという単位では使い切るのが難しいほどの額に達している。
自宅兼事務所を余裕で転々としていられるのは、そういう事情からだった。
日々の生活をするのに不足はないが、家事などをするのは面倒ではあった。出来ないわけではないのだが面倒なのだ。
だが、他人を雇ってやらせるのも難しい。
京四郎の体質のようなものは、他人を巻き込むのが前提となっている。巻き込まれた人間が悲惨な末路を辿る可能性が決して低くないのは、幼い頃の経験から知り尽くしている。
安易に誰かを雇ってしまえば、血塗れの光景に出迎えられるかも知れない。そう考えると、選択肢から外すのは当然だろう。
妙なのに付き纏われてはいるが、それも戦力外なのだから仕方がない。
傲慢な自信家としての側面が目立つ彼ではなるが、私生活は意外に苦労人なのだった。
「あ、おかえりなさい、塚原さん」
「お腹、空いた」
京四郎の趣味を全開にした事務所に足を踏み入れるなり、二人分の声に出迎えられた。
いや、片方は出迎えるようなものではなかったが。
「新年早々から俺様の事務所で何をしているんだ、貴様らは?」
「何と言われましても、新年の挨拶に来たんですが……」
軽い困惑を顔に浮かべている少年は、大林という名字の同級生である。
中学時代に巻き込まれたとある事件で知り合い、向こうの意思を多いに含んだ腐れ縁が現在進行形で続いている。
何の前触れもなく被害者ポジションに据えられてもおかしくない薄幸そうな顔付きをした落ち着きのない少年だ。
なお、落ち着きがないのは、京四郎のノリに付いていけないからだったりする。
「こんな時間まで待ってまでするような事か」
緩いため息を吐きながら、京四郎は言う。
「いやぁ、どぉせ、塚原さんは一人で寂しい新年を迎えるでしょうから、せめて一人ぐらいは傍にいた方が、ほんのりと暖かい気持ちになれるでしょう? あと、いっぱいお金持ってるんですから、お年玉をください」
「……小林助手」
「大林です」
「同級生にたかるのはどうかと思うがな。それは美しくない」
「美醜はさておき、有能な助手なんですから、お給料代わりでもいいんですよ」
「貴様を助手にした覚えはないし、雇用関係を結んだ覚えもないのだが? おまけに貴様が役に立ったという記憶もさっぱりない」
「細かいことは気にしないでください。これまでに巻き込まれた事件の数々で制服がボロボロになってばかりなんで、買い変えるのも懐事情的に厳しいんですよ。必要経費という名目のお年玉を恵んでください、プリーズ!」
「随分と図々しくなったものだな」
「上司が横暴な変人ですからねぇ……」
言外に「あなたのせいでもあるんですよ」みたいな非難を感じはしたが、大林が自発的に関わってきているのだから、いかなる損害を被ったところで自己責任だろうと、京四郎はドライに突き放している。
慕っているつもりなのだろうが、京四郎からしてみると自殺志願者と大して変わらない認識でしかない。
「ところで、今さらではありますが、なんなんですか、その格好は?」
「美しいだろう」
反射的に決めポーズを取る京四郎。
そんな彼を見る大林の視線は、不審者を見るそれだった。
「新婚バカップルの嫁が着飾って初詣をしているという情報を入手してな。どの程度の美しさなのか、俺様と張り合えるのか、競う舞台に立ってくれるのかと諸々の考慮をした上で、この美しさで彼女が立つ舞台に参戦したのだよ」
「………………その格好でウロついてたんですか? よく通報されませんでしたね」
「行きも帰りも、知り合いの警官がパトーカーで近くまで送迎してくれたがな」
「………パトカーがタクシーみたくなっているのもさることながら、よく車に乗り込めましたね」
「ありとあらゆる状況を想定し、多少の着脱は可能になっているに決まっているだろう」
「ありとあらゆる状況を想定しているのなら、もう少しこう控えめに出来なかったんですかねぇ……」
「俺様の美しさを世界に誇示するには、妥協などという二字は必要ない」
「あ、はい。そうですね。その後ろのワサワサとか凄い邪魔でしょうから、早く着替えた方がいいと思いますよ」
「言われるまでもない」
適当にあしらわれたような気がしないでもないが、そもそも大林の反応など、大した比重を置いていない些末なものだ。
ピッと一枚のカードを滑るように投げる。
「おっとっ! ……なんですか、これ?」
不器用なお手玉をした大林に、
「貴様の服と不足している物資などを調達しておけ。暗証番号は小林助手の生年月日だ」
京四郎は背中で語る。
「………お任せください。近日中には、一通り揃えておきますっ! あと大林です」
理解の遅い大林は、しばしの間を挟んでから顔を輝かせた。
「そもそもこの事務所はいろいろと殺風景なんですよ。もっとこう依頼人に安らぎを提供する空間にする必要があると前から思っていたんです」
事件や依頼の後先で何の前触れもなく爆発したりする可能性を捨てきれないので、必要最低限だけを揃えている家主の意向は、完全に無視するつもりのようだった。
ふてぶてしい助手(未認可)に成長したものである。
「多少の無駄使いは許容するが、その際にいかなるトラブルに巻き込まれようと俺様は一切感知しないという事を忘れるな」
「塚原さんの所有物を所持していても、厄介事を誘発して巻き込まれちゃうんですか?」
「その可能性は考慮に入れておくべきだな」
「……なんか爆発物みたいに見えてきましたよ」
ブツブツ呟く大林を捨て置き、私室に着替えにいこうとする京四郎の服の裾に伸びる手。
「お腹、空いた」
事務所のソファで、体育座りでハードカバーを読んでいた少女――黒桐茉莉だ。
烏の濡れ羽色とでもいうべき黒髪の持ち主で、達観しているような雰囲気が大人びているなどと見なされそうな印象を周囲に与えている。
俯きがちなために目元を覆っている髪の隙間から、死んだ魚のような瞳を覗かせて、無感情ながらも切実な響きを呟きに含ませている。
「空腹であると言うのなら、何処へなりとも出向いてくればいいだろう」
「お正月だから、どこも休んでる」
「コンビニにでも行け」
「もう歩くのも面倒くさい」
「貴様の食事を用意してやるのも、面倒くさいのだがな」
「お腹、空いたの」
「自分で作ろうという発想にはならないのか」
「次の引越し先の当てはあるの?」
「………………………流石の俺様も、その切り返しは想像の埒外だったな」
あの『七忌』で、〝強欲〟に罪を貪る〝暴食〟の殺人記は、新たに怠惰という属性を追加しただけではなく、ドジっ娘というオプションまで完備したらしい。
私生活が謎で、付き纏われるままに世話(?)をしてきた弊害が、ここにきて新たな脅威として芽吹き始めている。
まさか、己の手で『七忌』を完成させてしまうのではないだろうかと思うと背筋が震える。
それはそれで面白そうだ――と。
京四郎のバッドエンドが確定しているドン詰まりの『運命』を変化球で彼方にホームランできる光明を見たような気がするが、末路が余計に悲惨なものになるだけだろうと至極真っ当な判断であっさりと破棄する。
「わかったわかった。着替えたらお節料理を用意してやる。それまで大人しく待っていろ」
「何分で出来るの?」
「そうだな。それなりに手間がかかるし、下拵えも何もしていないのを踏まえると五時間は見てもらおうか」
「パタリ。無理。待てない。お湯を沸かして、三分のカップラーメンでいい」
「その程度なら自分でやれ」
「ここが灰になってもいいの?」
「俺様も大概だと自負しているが、お前は『七忌』であるということ以外に、何に呪われているんだ」
「ま~ま~、塚原さん。インスタントでいいのなら僕が用意しますから、早くその無駄に神々しい衣装から普通に近しい状態になってください」
「わかった。任せる」
「普通のとシーフードとカレーがひとつずつ残ってたはずですけど、塚原さんはどれがいいですか?」
「愚問だな。俺様には黄金以外の選択肢はない」
「はい、カレーですね。黒桐さんは?」
「海の幸……」
「シーフードですね。わかりました……ってゆーか、普通に答えてくれませんかね?」
当たり前のように奥に歩いていく大林の背中を見やり、京四郎は「やれやれ……」と何気ない素振りで肩をすくめる。
おかしな縁は腐れながらも続いている。
出逢いは別れの始まりで、特にそれが顕著な性質を持って生まれた京四郎だが、あの二人はなかなかにしぶとい。
安寧と呼ぶには程遠いが、渡り鳥が一時的に羽を休める程度の居場所としては機能しているのが、ほんの微かなむず痒さとなって心に小波を立たせる。
不快ではない。愉快でもない。
ほんのわずかな安堵。いつまでも続かないのはわかっているがゆえの物悲しさ。
「どうしたの?」
さっきよりも生気のある瞳で、茉莉が見上げていた。
「詮無き事だ。何でも無い」
寒々しいほどに殺風景な事務所には、人の温もりが存在していてほんのわずかに暖かい。
それを噛み締めるように受け入れながら、京四郎は仄かに唇を緩めた。
「腹が減ったな」
適当に嘯きながら、京四郎は今度こそ着替えるために私室へと足を運んでいく。
――なお。
これよりほんの数分後に、血塗れで息も絶え絶えの『依頼人』が窓をぶち破って、事務所に飛び込んでくることになるのだが、それはまた別の話である。
彼らが空腹を満たせるには、まだまだ時間が必要となる。
具体的には、夜明けの朝日を拝む頃。
続く。




