『元日の地味な没個性とその周辺』(19)
「ここで構わないよ」
家の近所まで来たところで、八百万くんに声をかけた。
例によっての高級車の中である。
行きと違うのは、車内には僕と八百万くんの二人だけで、今度は助手席に座らせてもらっているという点だろうか。
一人で無駄に広い後部座席に座っているのもなんだからというのもあったんだけど、こっちはこっちで妙に落ち着かなかった。
同じ教室で勉強しているクラスメートが、普通に手慣れた様子で車を運転しているというのは、やっぱり違和感がある。
人それぞれと言ってしまえばそれまでなんだろうけれど、運転免許の取得年齢という常識が妙な阻害を生む。
国際免許とか言ってたけど、アレって確か、自身が運転免許証を取得している国や地域以外での運転を可能にするものであり、それ自体では運転免許証とはならない。あくまでも、本来の運転免許証に付随するもののはずなんだ。
まあ、世界は広いし、僕の知っている常識が全てではないので、なんらかの手段で『国際的に認められている』のだとしたら、それもまた国際免許と言えなくもない……のだろう。多分。きっと。
少なくても、警察に見つかっても追いかけられたりはしないので問題はない。
些細な違和感も追求しなければ、それでいいのだ。うん。
「ちゃんと家の前まで送っていくぞ?」
「ちょっと歩きたい気分なんだ」
「そか」
八百万くんはうなずいて、路肩に高級車を寄せて停車させるとハザードランプを点灯させた。
「なんかトイレで倒れたんだろ? 大丈夫か?」
「トイレの前の通路で、転んで頭を打ったらしいよ」
ちょっと訂正をしておく。
しておかないと、なんかヤな感じだから。
――とはいえ、正直なところ、あんまり覚えていない。
前後の記憶がちょっと曖昧になっているのは、頭を打ったからだろうか。そのわりには頭痛の類はないんだけど、それで油断をするわけにもいかないので、明日にでも日下部くんに診てもらう予定になっている。
ちなみに。
なんやかんやで気を失ってから目を覚まして、メイドさんの膝枕でもう少し休ませてもらってから、僕はお暇を告げてきた。
いい時間になっていたのもあるし、あんまり長居するのも座りが悪い。
なお。
皇くんたちは、これから三が日の間あっちこっちで催されているパーティーを行き来するのだそうだ。
最後まで付き合わそうと目論んでいたような気がしないでもないけれど、僕がちょっと事故ってしまったせいで頓挫を余儀なくされたっぽい。
不幸中の幸いである。
美味しい料理とかにはちょっとした未練が無きにしも非ずだけど、やっぱり棲む世界が違いすぎて気疲れしてしまう。
そうした疲労が足を躓かせたのかも知れないので、やっぱり帰る頃合だったと思う。
唯一の心残りは、救いを求めるような室井くんの悲痛の顔だった。
悪くても童貞じゃなくなるぐらいなんだけど、誰かとヤっちゃったら、あとは雪崩式も同然だろうから、彼が干からびてしまうかもしれないという懸念がある。
………どうか鋼の意思で誘惑に耐え抜き、がんばって生き延びてもらいたい。
とりあえず、心の中で祈っておく。
「新年早々からうっかりをやらかしてしまったよ」
「お前らしくないな。でも、大事にならなくてなによりだ」
「みんなに迷惑をかけてしまったけどね」
なにやら大騒ぎになったらしい。
詳細は聞かせてもらえなかったけれど、奇抜な倒れ方をして、周囲の注目を集めてしまったのだろうか?
そんでもって、偏屈なお金持ちが「なんだこの無様な地味な没個性はっ! さっさと掃除してしまえっ!!」とか叫んだとしたら………………………………………………ちょっぴり自信過剰かも知れないけれど、お金持ちのみんなが素敵な笑顔でブチ切れそうな気が……うん。考えるのはやめよう。
痛い自意識過剰の妄想ですよ。はい。ごめんなさいでした。
「そもそも、あっちが無理に招待したようなものなんだろ? それを含めたら、責められる筋合いはないと思うぞ? 存分に被害者面をして、慰謝料でもふんだくってやれ」
「責められたりはしてないし、普通に心配かけちゃったのを申し訳なく思ってるから、そこまでは図々しくなれないや」
「そか。勿体ないな。あいつらの罪悪感を煽って、白紙の小切手でももらってきてやろうと思ったのにな。あ、山分けで頼むぞ」
「あはははは。」
冗談めかした八百万くんの言葉に、僕はのほほんと笑う。
勿論、お互いに本気じゃない。
「じゃあ、気をつけて帰れよ」
「うん。ありがとね」
車を降りて、車内の八百万くんに軽く手を振る。
僕がドアを閉めるのを待ってから、八百万くんは車を発進させた。
見えなくなるまで見送ってから、僕も歩き出す。
「さて、と……」
西の彼方に太陽が沈みかけた茜色の空を見上げ、吐息をひとつ。
家の近所にある公園まで足を運んだ。
なんとなく。
ちょっと歩きたい気分だったのは事実だけど、同時にちょっと会いたい人もいたのだ。
別に約束をしているわけでもないので、いなかったらさっさと帰ろうと思っていたのだけど、彼はいつものベンチにいた。
まるで待っていたかのように。
「やあ」
軽く手を上げた魔法使いを自称するおっさんに、
「明けまして、おめでとうございます」
僕はペコリと頭を下げる。
かれこれ二年ぐらい前からこの公園に住み着いている(?)ひとだ。
別にダンボールハウスに住んでいるというわけではない。
きっちりとしたスーツを着込んだ紳士風の人なんだけど、不思議と僕が公園に足を運ぶと会うので、そんな印象が根付いている。
普段は何をしてるのか知らないし、いろいろと怪しげな特技を持ってたりするんだけど、話をする分にはかなり面白い。
実のところ、名前も知らないから『魔法使いを自称するおっさん』の怪しげな部分を省略して、おっさんと呼んでいる。
相手が文句を言わないので、それがずっと続いていた。
「新年早々から誰もいない公園のベンチに孤独で座っているなんて、ひょっとして家に居場所がないんですか?」
「随分な挨拶だね」
「薄々そうではないかと思っていたんですけど、やっぱり十四歳でもないのに、魔法使いを自称していると家族にさえも見放されてしまうんですね」
「勝手に決め付けて、心を抉ってくるのはやめないか?」
「それじゃあ、どうしてこんなところにいるんですかっ!?」
「ちょっと外の空気を吸いたくなったから、散歩をしてたんだよ」
「やっぱりぃぃっ!?」
「待ちたまえ。何を想像して、そんな悲痛な声を出したのかを教えてもらおうか」
「普段から家に居場所のないお父さんは、たとえお正月であってもお年玉をもらってしまえば、もう用済み扱いでさっさとどっかに言ってくれと辛辣に妻や子供に吐き捨てられる。でも、やはりお正月なのだから仕事はなく、会社も当然のように閉まっている。夜になるまで帰れない。夜になっても居場所はない。隙間風の止まない心の痛みに涙しながら、公園のベンチでほっと一息つくのが、唯一の心温まる瞬間っ!」
「………………………。」
「あれ? マジで?」
「いや、違う。断じて違う! そんなはずはない。あのたった一言で、そこまで妄想逞しく私を貶められる君の想像力に絶句していただけだっ!」
「あ、うん」
「気まずそうに目を逸らすなぁっ!」
「あ、はい。ごめんなさい」
「そもそも、私は普通の仕事などしていないっ!」
「いや、それは力説しちゃダメなんじゃないかな?
なんかますます痛々しさが増しちゃったんだけど……」
「大丈夫だ。私は必ずこの世界を救ってみせる。だから、君は安心して地味な日常を没個性として生きるといい」
「ハイ。ワカリマシタ」
「………………。」
「………………。」
わずかな沈黙を挟んでから、同時に苦笑を浮かべる。
相も変わらずというか、なんというか、おっさんと話すと凄い勢いで脱線する。
会話のキャッチボールのテンポがよすぎて止め時がわからなくなるぐらいだ。
未だに名前を知らないままだし、なんとなく聞く機会を逃し続けて、二年ぐらいが過ぎたのに、顔を合わせたら自然と会話を弾ませられるのは、この独特の距離感のせいなんだろう。
家族とも違う。
友だちだけど、クラスメートたちとはちょっと違う。
顔見知りの知人だけど、それだけでもない。
型に嵌る単語が思い浮かばない不思議な関係なのに、妙に心地がいい。
それは僕だけの一方通行ではないようで、おっさんも楽しげに肩を揺らしている。
「ちょっとした気分転換に公園で時間を潰していたんだが、君に会えたおかげで思った以上の気分転換になりそうだ」
「てゆーか、その口振りだと家には帰ってなさそうに聞こえるよ?」
「帰るべき家を、央都には持っていないからねぇ……」
「やっぱり、ダンボールハウスっ!?」
「例年よりも寒い冬を迎えているから、その選択肢は除外しているな」
「もうちょっとマシな寒さだったら、ダンボールハウスを躊躇わないだとぅっ!?」
「ダンボールと新聞紙の組み合わせは、意外と快適な保温効果があるんだぞ? 機会があったら試しに野宿してみるといい」
「今の文明時代に、試しで野宿するとしたら夏が最適かと……。冬に試しで野宿する人は、普通に凍死目的の自殺志願者ですぜ」
「私には自殺願望はないのでね。休息を取るための部屋はちゃんとある」
「路地裏にあるでかいポリバケツ(蓋付き)だね」
「微妙にランクアップしてるのが腹立たしいが、絵面を想像すると普通に遺体遺棄ではないだろうか?」
「とってもお似合いの末路かもっ!」
「どーゆー意味かねっ!!」
「では、どこに部屋があるのかを教えてもらおうかっ!」
「天城ロイヤルホテルの最上階っ!!」
「………なん………だと……………っ」
「――から三つ下の階にある一部屋だ」
「何故に無駄な見栄を張ろうとする。
途端に悲しくなってくるじゃないか」
「冗談はさておき、魔法使いの私には棲む場所などという概念など必要ない。霞を食って生きていける仙人の域には辿り付いていないが、魔法使いとなれば似たようなものさ」
ふっとニヒルに笑うおっさん。
格好つけてるつもりかも知れないけれど、妄想全開の発言内容が痛々しすぎて、直視するのが躊躇われてしまう。
「本当のところはどうなのさ?」
「大人には恥ずかしくて言えない秘密がいっぱいあるんだよ。君もあと七年ぐらいしたら、身を以って思い知っているはずさ」
地味に年数が具体的でヤな感じだなぁ……。
七年後の自分なんて、想像もできない。
具体的な展望はまだ思い描いてもいないけれど、大学には行くつもりだし、何も問題が生じなかったら、普通に社会人になっている頃合だろう。
成人にもなっていて、大人の社会に組み込まれて。
何かの仕事に就いて働いている自分が、何を考えているのかなんて、ホントに想像も出来ない白紙の未来だ。
白くて、真っ白で、純白で、漂白されていて、色を失ってしまったかのように〝無〟い。
「そろそろ真面目に考えなくちゃいけないのかなぁ……」
「うん?」
無意識にポツリと漏れた言葉が聞こえたようで、おっさんが聞き返してくる。
「将来のことを、そろそろ考えないといけないなって思わされちゃったよ」
「まだ余裕はあるだろう? 青春を楽しみたまえよ、若人っ!」
「将来に思いを馳せさせたおっさんに言われるとなんか釈然としないなぁ……」
「はははははははははは。」
他人事感満載でからからと笑うおっさんに、僕はため息を吐く。
「てか、どっから出てきたのか知らないけど、天城ロイヤルホテルならさっきまでいたよ?」
「君が?」
「僕が」
「それはまたどうして?」
「お金持ちのクラスメートにお金持ちのパーティーに招待……されて?」
「なんで口ごもりながら首を傾げるんだ?」
「招待という言葉にいろいろと疑問を感じたので……」
「?」
「気にしなくていいことかな」
「気になるので教えてもらおう」
「意外な食い付きだ」
「君から聞く話は面白いものが多いからね。さっきの反応は、それなりに荒唐無稽な経験を積んだ時のものに酷似している」
「あ~~~~」
変な声が出てしまう。
まあ、確かに、聞く分には楽しいかもしれない。
当事者としては複雑な気分だけど。
「なによりも、そんな馬子にも衣装な格好をしているんだ。生半可ではなかったのだろうと簡単に想像できる」
「あ~、そういえば、スーツのままだったっけ……」
なんやかんやで着替えるのを忘れてた。
――というか、いろいろと他がおかしかったので、自分の着ているものまで気を配る余裕が完全に失われていた。
このスーツもお持ち帰りしていいとか言われてたけど、もらっても保管に困るという認識に変わりはないし、だからといって売るわけにもいくまい。
そこそこ寝てたからシワになってないかも地味に気になる。
あと、預けてる私服はどうなるんだろ?
考えてるだけじゃどうにもならないし、あとで確認をするようにしよう。
「さすがに日が沈むまで暇潰しに付き合わせるつもりはないが、もう少し時間はある。よかったら、君の経験した元日の話を聞かせてはくれないか?」
「それなら、大晦日ぐらいから話した方がよさそうな気がするけど……。わりと長くなりそうな感じだよ」
「ダイジェストでも構わないし、じっくりとでも構わないよ。今日だけで全部を聞こうとは思っていないのでね」
「まあ、今後のネタのひとつには数えられるかもね」
「では、どうぞ」
手のひらを上向けるおっさんに、僕は軽く肩をすくめる。
「お正月なんですから、交換条件にお年玉ください」
「君にしては珍しい願いに驚嘆の念を禁じえないが、残念ながら人に渡せるほどの現金の持ち合わせはなくてね」
「………………………。」
「原点回帰の如く可哀想な人を見るような目はやめてくれないかっ!?」
「家からダンボール、持ってきましょうか?」
「最後まで聞きたまえ。現物支給でよいかと言いたかっただけだ」
「僕の目から見て、明らかなゴミじゃなかったら」
「………………………。」
「おっさん?」
「念のための確認だが、魔法使いが道具を渡すと言ったら、君はどう思う?」
「怪しい」
「被せぎみの即答をありがとう。どうやら、手持ちの道具でも君を満足させるのは難しそうだ。わりと非常識な環境に置かれている割に、君の常識はまだ強固なようだからね」
「はぁ………」
「だから、こうしよう。
今後のいつか、君が何かを私に望んだ時、無条件で道具を用意しよう」
「個人的にそんな状況になるとは思えませんけれど……」
魔法使いを自称するおっさんに、なんらかの道具を無心する僕。
そんな状況が成り立つとしたら、きっと僕は軽く狂ってるんじゃなかろーか。
「そうとも限らないだろう」
「上手く逃げられちゃったような気がするなぁ……」
「大人とは卑怯なものさ」
「そんな大人にはなりたくないですね」
「耳が痛いな。はっはっはっはっ」
「あっはっはっはっ」
「………というわけで、こんな交換条件で見逃してはもらえないだろうか?」
「いざという時が訪れても、お互いに覚えてるとは思えないけど、とりあえずは了解」
所詮は白紙の未来。
こんな怪しげな布石でも何かの役にも立つかもしれないし、別に忘れてしまったとしても痛む腹などありはしない。
本気でお年玉をもらおうと思っていたわけでもないので、落としどころとしては充分だ。
「よしっ!」
手を打ち合わすおっさん。
「そんなに僕の話が聞きたいの? あんまり楽しくないかも知れないよ?」
「言ったろう? 所詮は夜が訪れるまでの暇潰しに、過剰な期待はしていないよ。ただ、新年を迎えた日に偶然にも会えた友人と過ごす一時を楽しみたいだけさ」
「なるほど。それなら同感。
おまけに、ちょっと気合が入った」
「おお、期待できそうだね」
「僕は詰まらない地味な没個性だけど、周囲にいてくれる人たちは個性的だからね」
「君も充分過ぎるほど、面白いさ」
「おっさんもね」
僕らは顔を見合わせて、にやりと唇の端を持ち上げる。
「さて、それじゃあ……」
昨日のこと。去年の最後の一日のこと。
今日のこと。新年を迎えたばかりの元日のこと。
たった二日だけど、いろんな人に逢って、いろんな出来事に見舞われた。
そんな二日間。
今日に至ってはまだ終わってもいないけれど、それでもかなり濃密だったといえる。
軽く振り返ってみても、自然と笑みが浮かんでくる。
だから――
「まずは、デスマーチから始まる大晦日って、キャッチフレーズが思い浮かぶね」
「ほほう」
夜が訪れるまでに残された時間は少ないけれど、寒さを感じるでもなく、僕は楽しかった想い出を語り始めるのだった。
西の空にゆっくりと沈んでいく夕日を眺めながら。




