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ある日の新婚バカップルとその一味―② 『ほのぼの+なんちゃって????』






『たとえば――

 そう。これはたとえばの話なのだが。

 たとえば(・・・・)――我々の生きる『世界』が、誰かの『夢』だとしたらどうだろう?

 そこに在るもの。万物全てが泡沫(ほうまつ)に過ぎず。

 我々はただ泡沫(うたかた)の夢の如くに彷徨い、漂う無謬(むびゆう)の登場人物に過ぎないとしたら?

 いつか『誰か』が夢から醒めてしまえば、自覚も無く消え去るだけの存在すらしていない幻なのだとしたら?

 知らずにいたとしても、そんなものは『生』と言えるのだろうか?

 否であろう。

 所詮は夢幻の如きもの。

 眠りに落ちた何者かの脳内で演じられた刹那の『歌劇』など、それこそ眠る者の記憶にすら微量の残滓としか残りえないもの。

 断言しよう。

 仮にそんな『世界』があるならば、それはただの『無価値』である。

 ――些か極端な例え話であろうか。

 そもそも前提として成り立たず、そんな『悪夢(モノ)』が在りえたとしても、やはり自覚する者など居らぬであろうし、仮に居たところで意味は無い。閉じた円環の物語は、その外側に何も残さずに消え逝くだけであろう。

 ゆえに――

 では、もう一つの問いをするとしよう。

 たとえば――

 我々の生きている世界が、無限の繰り返しに過ぎないのだとすれば――

 君は……我が愛しき君たちは、どう思うね?

 唯一無二であったはずの我らが『世界』は、誰かの選んだ『解答(こたえ)』による終焉の刻限を迎えて久しく――原初の静謐へと還っており、故に我らが『現在(いま)』を生きる『世界』は存在するはずが無い(・・)

 無くなったはずの(・・・・・・・・)現在(・・)がある(・・・)

 馬鹿馬鹿しい矛盾だろう。

 先の私の発言には、矛盾しかない。

 笑うかね? 怒るかね? 呆れるかね? 聞く価値なしと耳を塞ぐかね?

 気持ちは理解しよう。

 だが、もう少しだけ耳を傾けて欲しいな。

 どうせ時間の無駄ではあるし、観客も忘れてしまう戯言(たわごと)――ああ、いや、そもそも記憶の片隅にすら残らぬ戯言(ざれごと)に過ぎないが、これもまた重要な『歯車』と成りうるやも知れぬ『無駄』なのだからね。

 さて、話を戻そうか。

 仮に存在するかもしれない繰り返されている世界というモノを、君たちはどのように認識するだろうか?

 ありがちな流れで察するに、平行世界やら仮想空間やらそういったものかね?

 そんな理解で構わないよ。

 別に難しく考える必要など無いのだから。

 ただ単純に『設定』を認識すれば、発端はもとより過程や結果などはどうでもよい。

 それはまた『別の物語』なのだからね。

 説明を続けよう。

 この世界は、ある『期間』を繰り返している。

 それ以前の『歴史』は、あらかじめ各自の脳内に情報としてインストールされているとでも思いたまえ。その『世界』には存在していない時間の流れも、情報として認識している限りは、存在していた(・・・・・・)と誤認し続けられるのだから。

 仮にその矛盾に気づく者がいたところで、証明する手段などあるはずもないので無意味である。そも端役にそのような『役割』が与えられるはずもない。

 そうさな。

 多少大雑把に概算するに――約二十数年といった感じかな? 君たちが世界に生まれて、やがて出逢い、『あの日』を経過したその後に、あの『結末』を迎えるまでの期間だと思えばよい。

 ご理解いただけるかな?

幾許かの誤差は含まれるが、要するに『君』が生まれてから、死ぬまでの期間だ。

 それを繰り返すだけの世界と認識しよう。

 何度も。何度も。何度も。

 幾度と無く。幾十。幾百。幾千。幾万。幾億。幾兆。那由他に至るまで。数の概念を超えるほどに繰り返しているとしよう。

 あの悲劇でしかない破滅的な結末を帳消しにするために。

 誰かが、あの『世界』を生み続けているとしたら?

 誰かの意志で、同じ過ちを繰り返す『世界』で苦しみ続けているとしたら?

 終わった出来事を、狂い果てるまで繰り返させられ、自覚の無いままに踊らされ続けているとしたら――

 それを知ってしまったら、君たちは――君たちの世界で神様を気取っているやもしれぬ何者かを許せるだろうか?

 既知へと成り果てた現実を曲げるために、未知の展開を求める誰かに、何か一言だけでも言葉を奉げてはみまいか?』


「くだらねぇ」


 俺は目を開きざまに、低い声で吐き捨てた。


 迂遠で遠回しに先延ばしをしながらも、最終的には極めてシンプルで女々しい問いを投げてくる『幽霊(レイス)』の妄言を切り捨てる。


「繰り返したいなら、幾らでも繰り返せばいい」


 十分程度の仮眠から醒める。


 鋼鉄の人型をした棺桶の中で、小さく身じろぎをする。相変わらずに最低限の空間的『遊び』しかないので窮屈なことこの上ないが――


 俺はこの『鎧』で数多の戦場を駆け抜けてきた。


 ――ああ、そうさ。俺はこの手を血で汚し続けながら、ずっと『あの日』の真実を求め続けてきた。


 あいつの死に意味はあったのか? なかったのか?


 ただの哀れな被害者に過ぎなかったのか?


 だとしたら、俺たちの『世界』が〝あの日〟を境に狂った理由は何だ?


 正直、答えを得たいとは思っているが、納得できるとは思えない。


 〝あの日〟がなければいけない理由があったとしても、それを俺が許容することなど出来はしない。


 要するに。


 元凶がいるのなら報いを与えたい。ただそれだけだ。


 復讐という憎悪の炎を原動力に動き続ける『獣』へと成り果てた。


「どうせ誰も気づいていないのなら、どんな『世界』でも同じだろうがよ。何人目だろうが、何度目だろうが、それで誰か(・・)幸福な結末(ハツピー・エンド)を迎えられるのだとすれば、誰かさんが諦めるまで付き合ってやらなくもない」


 これは意味の無い問答だろう。


 幻聴に過ぎない。


 それでも答えてやろうという気になったのは、その『声』が懐かしかったからか。


 それとも――


 もしかすると、こんな風にならなくてもよかった選択肢が何処かにあったのなら、それが自分に適用されずとも、何時かの誰かが誰かと何時までも笑い続けられるのなら――


 そのための礎になれるのなら、この未知の選択に触れるのもありだと思ったからか。


 それが刹那の夢想に過ぎないのだとしても。


『目標地点まであと六十秒です』


 無線機を通した相棒の声が、意識を研ぎ澄ませる。


 戦場の気配が近づいてくる。


 天翔ける翼は音速を超えて、虚空を飛翔し続けている。


『機体は射出台に固定。いつでも行けます!』


「了解した」


 鋼鉄の扉が左右に開いていく。


 ゆっくりと開けていくカメラ越しの視界は――赤黒い。


 空は厚い雲に覆われ、時間に関係なく闇の如し。


 眼下は鮮血と屍を燃やす炎で紅蓮に染まっている。


 人を捨てさせられた魔族が跳梁跋扈する地獄の戦場。


 今よりその地獄に修羅が舞い降りる。


「………………。」


 思えば、〝あの日〟から何もかもが変わってしまった。


 刹那の追憶に身を浸せば、陽だまりの記憶が過ぎ去っていく。


 変わり映えのしない日々は、それでも彩りに満ちていた。


 親しい友人たちとの他愛のない雑談が楽しくて、他の友人たちよりも深い関係になりそうだった幼なじみの少女との交流は胸の奥に暖かなものを育んでいた。


 どこにでもありそうなありふれた日々を、普通に過ごせていたことこそが何よりもかけがえのない『奇跡』だったのだと今更ながらに思い知る。


 だが、総ては灰燼と化して、失われてしまった。


 だから。


 あぁ、だから――


「では、行くぞ!」


 きっと彼女が望まぬであろうとわかっていながらも、戦い続けるしかないのだ。


『御武運を』


 その言葉と同時に、鋼鉄の死神は虚空へと解き放たれる。




 そして――




 その思いがけない返答に、『私』は知らず微笑む。


 手繰り寄せたのかもしれない。


 辿り着けたのかもしれない。


 ああ。それは泡沫の如き、淡い希望の光に過ぎないのだとしても。


 永い繰り返しの物語を終わらせるために『賭ける』価値があるのだと確信したから。



 ――では、これより未知なる結末を求め、最後の物語の幕開けに期待しよう。




 ● ● ●



「――こんな感じのゲームがあるんだけど、どうだい? やらないか♪」


「やらないかなぁ……」



 ● ● ●



 放課後の教室で、僕は冷めた声で呟いていた。


 ちょっとした暇潰しにゲームアプリを起動して指を動かしていたら、いきなりスマフォにダウンロードしたらしい動画(約十分)を見せられた。


 幼なじみ兼クラスメートの口から出たセリフは、個人的には限りなくどーでもいいような戯言(たわごと)だった。


 ………いや、本人が真面目なのは、あの濁りながらも澄んでいると評するしかない矛盾を宿した目を見ればわかる。


 わかるんだけど、純粋なオタクである鷹志――久我原(くがはら)鷹志(たかし)の真面目は、僕からしてみると頭痛を覚えるぐらいに、どーでもよかったりする場合が多々あるのだ。


 だから返答が少しばかり冷淡になるのも仕方がないのだと思って欲しい。


「いきなり何を言うかと思えば、鷹志(たかし)らしくもないな。どういう風の吹き回しだい?」


「――というと?」


 自他共に認めるオタク文化愛好家である鷹志は、その趣味から連想される人物像とは裏腹に意外に整っている面立ちを、不思議そうに傾ける。


「僕にゲームを勧めてくるのは珍しいって意味だよ。自分の趣味を恥ずかしげもなく公開しているのは衆知の通りだけど、それに対する干渉を肉親であっても封じている君は、同時に他の人に自分の趣味を押し付けたりもしないだろう?」


「最低限のマナーは守らないとね。そこら辺を理解していない同好の士を騙る輩が増えている昨今の風潮には辟易しているよ」


 ふぅっと、茜色の西日に照らされながら嘆かわしげにため息を吐く。


「そこまで言う鷹志が、なぜ僕にそのゲームを勧めるのかは、疑問を抱くのが自然だと思うけどね」


 個人的にゲームの類に興味が無いわけではない。


 小学生の頃はロープレに人並にハマッていたし、今でもそれなりの機種は揃っている。


 でも、最近は自分の趣味に使える時間が限られているので、たまにゲームセンターで対戦格闘ゲームに興じる程度である。ロクに電源も入れられなくなったゲームの本体類は埃を被った状態で放置されて久しい。


 ――というよりも、スマフォのゲームアプリがお手軽な上に充実しているので、家庭用ゲーム機にまで手が伸びなくなりつつあるとも言える。課金とかをするほどではないけれど、ちょっと時間が空いたらすぐに、指が動き始めるあの麻薬性はヤバいと思う。


 近くに壱世がいなかったらなおさらだ。


「しかも、それパソゲーだろ?」


 最初の戯言と同時に机の上に置かれた箱を指差す。


「ああ。そうだよ。この横に貼られたキラキラシールが何よりの証さ」


「つまりは十八歳未満禁止のゲームじゃないか」


「俗に言うところのエロゲーだな」


 腕組みした状態でふんぞり返りながら言う鷹志。


 ………頭が痛い。


 僕らはまだやったらいけないゲームじゃないか。


 脱力するように項垂れる様子から僕の内心を読み取ったらしい鷹志は、かけてもいない眼鏡を押し上げるような仕草を見せながら――


「まあ、聞け。そちらの言わんとするところは理解しているつもりだ。当方としても無理強いは望むところではないし、そちらの心証を害する行為と言うのも承知している」


「そこまで理解したうえでなら、耳を傾けるぐらいはしないと悪いね」


「単純に面白かったんだ。神作だぜ! だから、お勧めしたい」


「さて、そろそろ帰ろうか」


 僕は迷わずに席を立った。


 当然だよね?


「待て待てすまん。結論を急ぐあまり、大事な部分を残らず省略してしまった」


「次は無いよ」


「寛大な処置に感謝の思いを。

 要するにだ。これは半年ぐらい前に出た某有名ブランドの新作であり、多層構造のストーリー展開で、複数のヒロインを攻略しつつ、アクションもありでやり込める要素も山盛り。最終的に全ての謎が集約するグランドルートに至ることでクリアとなる」


「ふ~ん」


 いまいち、鷹志が何を言ってるのか理解できていないんだけど、熱の入った語りに無粋な横槍を挟まず――つまり、聞き流しながらゲームの箱(R-18♡)を持ち上げる。


「『スパイラル・ワールド』………螺旋の世界?」


 裏側を見る。


 簡単な物語の概要と何人かの女の子の絵に目を通す。それだけで全容を把握するには無理があるけど、あらすじを読む限りは嫌いなタイプのストーリー展開ではなさそうだし、絵的にも好みの部類に入るといっていい。


 肌色率の多い絵に関しては見なかったことにする。


「ふむ」


「――というわけなんだ」


 ちょうど鷹志の語りもひと段落したらしい。


「なるほど」


 途中から全く聞いていなかったわけだけど、そんな素振りなど欠片も見せずにもっともらしくうなずいておく。


 ひどい? うん。僕もそう思う。


 念のために言っておくけど、鷹志が嫌いなわけじゃないよ?


「多層構造のストーリーってのは?」


「ああ。そこから説明する必要があるのか。簡単に言うと、段階を踏むごとに隠された謎が明かされていく構造だ。いくつかのルートがあって、それをクリアするごとに謎が明かされていくと言ったらわかりやすいかな?」


「ふ~ん。で、このゲームは最低でも何週すればいいんだい」


 珍しく鷹志が勧めてくるぐらいのゲームなら、ハズレということは無いだろう。少なからず興味を引かれる気持ちが無いわけでもなかったのだが。


 ………裏面にあったエッチな絵に惹かれたわけではないよ?


「軽く十週ぐらい。総プレイ時間はざっと百五十時間ぐらいかな」


「長いよ!」


 興味は即座に失われていった。


 出逢うよりも前にすれ違ってたみたいな感じでグッバイさ。


「そう言うと思ったから、最初にクライマックス直前の動画を見せたんじゃないか」


「しかも、ネタバレぇっ!」


「ほら。段々と気持ちが盛り上がってきただろう?」


「鷹志の予想の斜め上を行くサービス精神のおかげで急転直下に盛り下がったよ」


「……むぅ。感動を共有する同好の士が身近に欲しかったのだが、さすがにこれ以上の勧誘は無粋な上にマナー違反となるな。無駄な時間を使わせたと謝罪しよう」


 退き際を弁えている鷹志は、制限時間の中で目的を達せられなかったのを悟ると、軽く頭を下げた。


「別に無駄だったとは思わないし、謝られるほどじゃないよ。理解を示してあげられなかったのは悪いけれど、まあそれはそれということで。今回は残念な結果になってしまったけれど、友だちに何かを勧められるのは悪い気分じゃないから、勝手は言い分だけどこれに懲りたりはしないで欲しいな」


「ふむ。では、このアニメはどうだろうか?」


「どれどれ」


 立ち直りの速い鷹志がスマフォを操作し、また別の動画を見せてくれようとした時――


 ポンと軽く肩に触れる手があった。


「まだ教室に残っていたということは、待ってくれていたのかな?」


 風格を漂わせる落ち着いた声。


 後ろを振り返れば、銀縁眼鏡をかけている貴族風の顔立ちをしたクラスメート兼幼なじみの正人――滝沢(たきざわ)正人(まさと)が微笑を浮かべて立っていた。


「そうだよ。まあ、鷹志と雑談してたから退屈はしてないけど。それで呼び出しの用事は終わったの?」


「ああ。恒例行事になりつつあるとはいえ、少しはこちらの都合を考えて欲しいね。複数の友人を同伴して呼び出しをする手法は、こちらの都合を無視しているような気がしてどうにも好きになれない」


 やれやれという風に肩を叩きながら、僕の隣に腰を下ろす。


 精神的に微かな疲労が垣間見えるのは、それだけ面倒だと正人が認識しているからだろう。


「はは。ご愁傷様だね」


「他人事だと思って気楽に言ってくれるね」


 ジロリと睨まれる。


「正人の苦労を労う気持ちはあるよ。

 ……まあ、確かに僕にはわからない苦労だから、他人事口調になっちゃうんだけどさ」


 入学直後に比べれば、随分と落ち着いてきているのだが、今でも稀にこのようなイベントは発生するのである。


 整った顔立ちにモデルのようにスラリとした長身の体躯。


 雑誌の記事などでも神童と紹介される明晰な頭脳に『滝沢グループ』という大企業を統べる一族の直系という申し分のない家柄――こんな好条件を備えた男子生徒を、多感な年頃の女子は放置してくれないのである。


 たとえ、問題児が集結しているとされる『一年B組』の生徒であったとしても、紳士的な振る舞いで問題を起こさない正人は安牌だと思われているのかもしれない。


 許婚がいるのが知れ渡っているはずなのにねぇ……。


 それでも挑戦してくる女子の心境というのが、僕にはいまいちわからない。まさか略奪愛を本気で夢見ているわけでもないだろうから、ある種の記念なのかも知れないけども。


「君の場合は、その気になれば案外そうでもないと思うんだけどね」


 何かを思い出す風にしながら、正人が言う。


「ははは。正人にしては珍しくも面白い冗談だね」


 僕は声に出して笑う。うん。本当に面白い冗談だ。


「……相変わらず、君は自分に無頓着なところがあるね」


 苦笑を浮かべた正人が小声で何事かを呟き、不意に視線を動かす。


「ところで――ソレは?」


 不思議な物を見るような視線を追うと正人は、例のゲームを見ていた。


 ガタッと音を立てて、勢いよく椅子から立ち上がったのは、当然のように鷹志である。


「ようやく貴殿の興味をゲットするのに成功しました。長いようで短い雌伏の期間を沈黙で我慢した成果が今ここにっ! さあ、語りましょう。お時間はよろしいですか、それでは――」


「あぁ、すまない。急用を思い出してしまったよ」


「アウチッ! こんなにも燃え上がった情熱の炎に、まさかの氷点下の帰宅発言が突き刺さる。二つの眼から零れ落ちる塩水に何の感慨も抱かぬ冷血漢を友と呼べるのでしょうか? せめて……ああ、せめて五分でいいからそのお耳をプリーズッ!」


「いや、ちょっとした冗談だよ。お願いだから本気で足に縋りつかないでくれ。赤インクの血涙とか流すな。顔が怖い顔が怖いマジで」


 ――などという一幕を経て、鷹志のゲームの宣伝を興味深そうに聞く正人という構図が出来上がった。


 意外に好奇心が旺盛なところのある正人ならば、あるいはゲームをプレイする気にもなるかもしれないが、既にその段階を通過している僕個人としては置いてけぼりの時間なので、熱弁の邪魔をしないように静かに長椅子から腰を浮かせた。


「よっこらしょ」


 我ながら年寄り臭漂うかけ声である。


 さすがにそれなりに時間が経過しているので、教室内の人口密度は激減している。


 この学園は一クラスが百人から百五十人ぐらいが基本なので――ウチのクラスは何故か五十人弱ぐらいだけど――教室も他の学校に比べると圧倒的に広いし、大学の講義とかをする大部屋を思わせる階段教室という構造だ。


 ただでさえ他の教室に比べて少ないクラスメートの大半が帰っているために、教室の中は広々としているだけにどこか寒々しく閑散としている。


 と。


 廊下側から聞こえてきた声に、聞き慣れたものが含まれているのに気づいた僕は、そちらへと足を進める。


 別のクラスになった中学時代の友人と壱世がお喋りをしていた。


「おや?」


 華やかなお喋りかと思いきや、漏れ聞こえてきた内容は――


「まあ、また猫さんが?」


 常であれば、周囲に暖かさと安心を伝播させる優しい微笑を、憂いに曇らせている壱世。


 片手を頬に添えて、悲しそうに呟く。


「そうなのよ。誰だか知らないけれど、近所の幼稚園に生まれたばかりの子猫を置き去りにしてね」


「五匹も段ボール箱に詰めて、可愛がって下さいなんて無責任な書き置きだけ残してさ」


「園長さんも保健所は避けたいみたいだけど、園児に加えて動物の世話までする余裕はないみたいで……」


「子供たちも可愛がってるんだけど……」


「何処の家もペットを飼う余裕は無いみたいで……」


「夜になると置き去りになるし、近所の目も少しあって……」


 ………やれやれ、またか。


 知らず額に手を当てて、天井を仰いでしまう。


 誰に対しても笑顔で接し、頼まれるとなかなか断れない壱世には、稀に悩みを抱えた生徒たちからちょっとした相談が持ちかけられる。


 大きなトラブルに発展するような類の面倒が舞い込むことは滅多にないけれど、だからといって壱世一人に任せておくわけにもいかない。


 最初から任せるつもりもないが。


 ともあれ、どうせ壱世の返事は決まっている。


「それならわたしが、里親が見つかるまで面倒を……」


「こらこら」


 彼女が愛用しているカチューシャの上に、軽く曲げた指を落とす。


「ぴゃん」


 なにげに可愛い悲鳴だ。


 痛みというよりも突然の衝撃にびっくりした風に、やや涙目でこちらを見上げてくる。


「な、なにするの~。和く~ん」


「ちょっとお邪魔するよ」


 顔見知りの元クラスメートに断りを入れてから、壱世に向き合う。


「後先考えるよりも、心情最優先で結論を出そうとするのは壱世の悪い癖だといつも言ってるだろ? 一人の学生に出来ることは限られてるんだから、まずは周りに声をかけるんだ。具体的に言うと僕に」


「ごめん。でも、迷惑じゃ――」


「とっくに慣れすぎて、迷惑と考えるよりも先に惰性で身体が動くようになってるよ。いちいち気にしてるようじゃ、とっくに胃に穴が開いてるさ」


「……あぅ。和くんの好意に甘えさせていただきますぅ~」


 落ち込むように軽く顔を伏せる壱世の肩をポンポンと叩いてやる。


「――というわけで………ぅん?」


 なにやらヒソヒソと顔を寄せ合って呟き合っている三人の女子。


「あらあら、奥様。見まして?」


「相変わらず見ているほうが恥ずかしくなるようなラブラブっぷり」


「全くこの新婚バカップルときたら……」


「それにしても流石は旦那ね」


「耳聡いというか、動きが素早いわ」


 壱世と話していると時々周囲から感じる微笑ましいものを見るような、もどかしいものを見るような、なんとも複雑なようで単純な何かを訴えるような視線で見られて、妙に落ち着かない気分になる。


 とっさに視線を教室の鷹志と正人に向けると――


「つまり前半はほのぼのした学園生活を楽しめるのか」


「そうそう。そして、ある一つの悲劇を経て、世界の情勢――というか、それまで当然のように認識していた価値観が激変して、主人公は戦いに身を投じるのさ」


「何故その悲劇は起こったのか、その真実を求めるわけか」


「そうそう。段階的に謎が明かされることで、最終的に全ての謎が解けて、感動のハッピーエンドに到達するんだよ」


「成程。確かに興味を惹かれる内容だが、少し引っかかる部分があるな」


「――というと?」


「悲劇が起こってしまった後の世界で何をどうしたところで、確定した事象は巻き戻せないだろう。ならば、その悲劇で失った者を取り戻せるはずがない」


「それも含めての多層構造さ。正人の言うとおり、起こってしまった悲劇を改変しようとするなら――」


 彼らはこっちの様子など見向きもせずに熱弁を奮っていた。


 ……おいおい。真夏のような熱気を感じるぞ。少しはこっちも気にして………いや、やっぱりいい。藪蛇(やぶへび)になりそうな気がするから、どうかそのままでいて欲しい。


 咳払いを一つ。


「……えっと、それじゃあ、僕にも詳しい話をお願いするよ」


「あ、じゃあ、最初から――」


 クスクスと笑いの余韻を滲ませながら話してもらった内容を常備している手帳に書き込む。


 やがて、一通り欲しい情報を得た僕は手帳を閉じた。


「とりあえず、その幼稚園には週末に顔を出すようにするよ。確実と約束は出来ないけれど、とりあえず園長さんに話を通しておいてくれるかな」


「わかったわ。ごめんなさいね」


「気にしなくていいよ。幼なじみの世話焼きに付き合ってるだけだからさ」


「む~」


「はいはい。頬を膨らませてないで」


 拗ねたように唇を尖らせている壱世の頭を撫でながら、


「それじゃあ、そんな感じで週末まではそちらでよろしく」


 大雑把な打ち合わせを済ませると、壱世に相談を持ちかけていた女子たちは安心したように帰っていった。


「ごめんね。和くん」


 友人の背中に手を振っていた壱世は、こちらを振り返ると申し訳なさそうな顔になる。


「気にしなくていいってば。それに動物関係は早めに手を打っとかないと壱世は家まで連れて帰ってくるしね」


「うぅっ」


「さすがに、そろそろ控えておかないと頼子さんが大変になる」


 子供の拾った動物の面倒を親が見るようになるのはある種のパターンだ。


 けれど、その数が二桁を突破すると、そろそろ傍にいる者としては抑止力にならなければならない。


 頼子さんは餌付けが数ある趣味の一つになりつつあるので問題はないのかもしれないが、許容量をオーバーするとご近所付き合いにも弊害が生じてくるかもしれない。


「あぅ。ごめんなさい」


「まあ、そういうところが壱世のらしさだからね。懲りたりしないで、でも一人でやろうとせずに周りにちゃんと相談するように」


「うん。ありがと。でも、最近は和くんに面倒を押し付けてばかりいるような気が……」


 遠慮がちで頼り下手――というか、大抵のことを自分でやろうとする幼なじみの上目遣いは普通に可愛い。

なんて内心を完全に隠蔽して、僕は軽く肩をすくめる。


 この程度は面倒でもなんでもないと態度で示すように。


「そんな風に言われると、僕は日頃の生活態度を改めなくちゃいけなくなるよ。それにさっきも似たようなことを言ったけれど、人から相談されて壱世の問題解決に僕たちも一緒に動くぐらいでちょうどいいのさ。適材適所って感じだし、日頃からやってたことと大差ないしね」


「………うん。そうだね」


「さて、そろそろ帰ろう………か?」


 教室に入って見回せば、夕暮れに沈みかけた黄昏色の教室から、正人と鷹志の姿が消えていた。


 巡る視線からこちらの考えを察したように、壱世が口を開く。


「正人くんと鷹志くんなら、さっき真剣な顔で話しながら、あっちから出て行ったよ」


「そうなんだ」


 ――となると、二人の行き先はいつものあそこだろう。


「それじゃあ、僕らも行こうか」


 壱世を促しながら、鞄を手に取ろうとしたところで気づく。


 机の上に置き去りにされた『スパイラル・ワールド』の存在。


 どうやら会話に熱が入るあまり、あの二人は周りが見えなくなったらしい。


 話に夢中になるあまりにゲームの存在を忘れ去るなんて本末転倒もいいところだ。


 仕方がないので持っていってやろうと手を伸ばした――その刹那。


「この不埒者(ふらちもの)がぁぁぁぁっ!」


「――はっ! 殺気っ!」


 背筋がヒヤリとする。


 考えるよりも先に身体を動かす生存本能が、伸ばした手を引き戻す。


 そうして生じたギリギリの隙間を流麗な一閃が、直撃すれば骨折必至な威力を持って通り過ぎる。


 ガドンツ!


 日常生活では聞きそうに無い破壊的な轟音が、長机の上で弾けた。


 衝撃で浮いたゲームの箱が落ちる音が、やけに大きく聞こえる。


 ゴゴゴ……というマンガのような迫力音を背景に轟かせている襲撃者は、当然のように僕たちの顔見知りであった。


「神聖なる学び舎に、また随分と不釣合いな如何わしい代物を持ち込んだものですわね」


 そう言いながら、机に叩きつけられていた鞘入りの刀を引いたのは、黒髪ロングの大和撫子風の雅な美人である。整った綺麗な顔立ちを抑えきれない義憤の色に染め、僕に鋭くなった視線を突き刺してきていた。


 さて。


 この鞘入りの刀を手に襲撃してきた危険人物の紹介をしよう。


 名前は氷上(ひかみ)(けい)


 滝沢の家と親交のある古き良き家柄の令嬢だ。


 僕の友人であり、壱世の親友であり、正人との間にやや複雑な事情のある幼なじみ兼許婚という立ち位置にある少女だ。


 留学先から帰国した正人がこの学園に通い始めるという話を聞いた途端に、本来の進路をポイ捨てした自分の気持ちに忠実で行動的なお嬢様である。


 手続きの都合で四月半ばからの編入という形になり、正人はともかくとして、僕らとはその時が初対面だったのだけど、今ではすっかり打ち解けている。


 鞘入りの刀で襲われるぐらいには。


 ――余談だけど、黒地のセーラー服を着てもらいたいタイプの子だ。


「危ないじゃないか、慧」


「慧ちゃんの歩き方は綺麗だね。ほんとに音が聞こえないから、いつ入ってきたのかもわからないもん」


 ――という頬に一筋の汗を流しながらの僕たちの発言を聞いているのかいないのか、慧は鞘入りの刀の切っ先を僕の鼻先へと向ける。


「それは余生を捨てたと解釈してもよろしいのですね」


 ちらりと横目で壱世を見て、安心させるように口元を微笑ませる慧。


 その微笑の意味するところは、『貴女に火の粉がかかる前に、私が跡形も無く斬り払って見せますわ』という感じであろうか。


「僕の生命の価値が理不尽に投げ売りされた気がするなぁ、その発言」


「不埒な輩が吸っていい酸素など、この世の何処にもありはしないのです。ましてや、二酸化炭素という害毒を吐き続けるだけというのなら、むしろこの場で介錯をするのが私に残された最期の良心――即ち、慈悲というもの」


「……敢えて言わせてもらおう。随分とちっぽけな良心だね。もっと大らかに生きないと人生を損するよ」


 はんっと鼻で笑って、わざとらしく肩をすくめる。


「それが遺言ですか。わかりました。きちんとご両親にお伝えしますね」


 にっこりと極上の笑顔を浮かべる慧。


 ただし、眼光に宿る温度は氷点下。


 とっても生命の危険の予感。警鐘が耳に響くよガンゴンと。


 やばっ。ちょっと調子に乗りすぎた。あの目はマジで殺る気だっ!


「――ふっ」


 流れるような自然な動きで一歩を踏み込んでくる慧。


 あまりに自然なので、逆にこちらの反応に空白が生じてしまう巧みの歩法。その流れのまま唐竹に振り下ろされる鞘入り刀の一閃。


 それを回避可能にするのは、これまでの人生で培った経験を束ねた勘!


「ひらり」


「避けるなっ!」


「古今東西、避けるなと言われて、本当に避けないバカはいない」


「しからば、避けなさいっ!」


「はっ! 避けろと言われて、本当に避ける奴が………ん? あれ?」


 脳裏に疑問符が浮かんだために生じた思考の空白。


 ふと気づけば鞘入りの刀を大上段に構えて、上品に微笑している慧の姿。


「――あ。」


 ゴガッ!


 かなり危険な音が頭に轟き、僕は床に五体を投置した。


「慧ちゃ~ん、本当に叩いたらダメだよ。頭は危ないよ~」


「心配の必要はありません。彼はインパクトの瞬間に打点をズラす事でダメージを最小限に抑えています」


 とっても真っ赤(クリムゾン)な嘘です。


「バトルマンガの解説みたいな説明をど~も」


 むくりと体を起こしながら抗議の視線。


 壱世の『頭は大丈夫?』という微妙なニュアンスの問いかけに無事をアピールしながら、


「実際にそんな面白い芸が披露できるなら、そもそも直撃をもらったりしないよ。人を実力隠した思わせぶりな主人公みたいに言わないで欲しいね。そんな大層なもんじゃないんだから、期待されると後のガッカリの反動が怖くなる」


 本物の実力者――慧は有段者である――に言われると嫌味に聞こえる。受け取る側の心理として。


 音こそは派手に聞こえるが、実際は直撃する寸前で剣先を引いてくれているのでダメージそのものは周りが想像するほどのものではない。


 例えて言うなら、ハリセンで叩かれたような感覚だろうか。


 そんな現象が起きる理屈が意味不明だが、軽い拳骨をもらった程度のダメージなのは確かなのである。不思議だ。


「さて、そろそろ僕の話を聞いてもらえるかな?」


「まだ罰が足りないというのであれば、いくらでも」


「誰がそんなマゾい主張をするもんか。誤解を解かせてもらいたいだけだよ」


「誤解?」


 かくかくしかじか。


「誤解なら誤解と罰を受ける前に言えばよかったのです」


 鞘入りの刀を竹刀袋にしまいながら、慧は呆れた風に言った。


「……問答無用で襲いかかってきたのは慧だろう。そろそろいい加減にしとかないと、いくら正人の許婚といっても反撃するよ」


 真っ向勝負では勝てる要素が皆無なのだとしても。


 それならそれとして他の手段を講じればいいだけだ。


 具体的には、親友である壱世の涙目での抗議とか。許婚である正人からの一言だとか。


 卑怯? 戦略です。


「でも、和くんも煽ってたよね」


「それはそれ、これはこれだよ」


 壱世の的確な突っ込みにしれっと返す。


「とにかく、いつまでも学園に残ってても仕方がないから、そろそろいつもの場所へ移動するとしよう。どうせみんな集まってるだろうからさ」


「そうだね」


「……わかりました」


 まだ何か言いたげだった慧が口を開くよりも先に、壱世が賛同の声を上げてくれたので、僕らはそれ以上のじゃれあいを中断して、もう誰もいなくなった教室を後にするのだった。







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