『元日の地味な没個性とその周辺』(17)
「……くそっ」
ようやく質問責めから解放された日下部くんが、僕の横で舌打ちをした。
普段の姿からは想像もできないほどに、やさグレてしまっている。
「なんだって、こんな目に遭わなくてはならないんだ……?」
何度目かの呟きをブツブツと零している。
「発端はともかくとして、些細な言い合いが言い争いになった挙げ句に痴話喧嘩にまで発展しちゃったからだよね」
クールで落ち着いている系の二人が、あんなになるとは想像の埒外だった。
元日限定のマジックショーと言われても納得できるサプライズである。
そんな感じだったものだから、皆喜さんと烏丸先輩はノリノリで絡んでいき、好機と見て取った雛森さんとメイドさんも参戦しようとして――大富豪の大富豪地獄から逃げ出そうとして――失敗する一幕を挟んだりもした。
ご愁傷様です。
僕はそんなワヤクチャな空気に地味に溶け込み、没個性な情報収集をさせていただきました。横でお茶を飲みながら聞いてただけともいう。
「………言うな」
目頭を押さえながら、苦々しい声を出す日下部くん。
「なんかごめん」
僕が謝るのはおかしいような気がしないでもないけれど――実質的には、純度100%の言い訳の入る余地すらない完璧な自爆だし――きっかけを作ったような気がしないでもないような感じが無きにしも非ずと言えなくもないのである。多分。
「いや、すまん。精神が少し不安定になっているようだ。落ち着かせるので、しばし待ってほしい」
冥目した日下部くんが、す~は~す~は~と深呼吸を繰り返す。
十秒後。
「――よし。問題ない」
「かなりあっさりだね」
ちょっとびっくりだ。
「精神的動揺の建て直しに時間をかけるようでは、救える生命も救えなくなるのでな。一種のスイッチ感覚でリセットできるようにはしている。今回は少し念入りにしたが、本来ならば一秒だ」
なんかすげぇ。
「それにしても、全くやれやれだ」
腕組みをした日下部くんが、高い天井を仰ぎ見る。
ようやく一息といった感じだけど、さっきまでが凄かったので無理もない。
ちなみに。
質問攻勢に普段の落ち着いた雰囲気を完全に崩されて真っ赤になってた甘粕先輩は、助け舟も出さずにニマニマしてた緋衣先輩を連れ立って何処かへ行ってしまった。
いろいろと限界がきて逃げたとも言える。
皆喜さんと烏丸先輩はなんか満足そうにツヤツヤした感じで、今はケーキやお茶を楽しみながら、ちょっと離れたテーブルで談笑している。
んでもって、あんまり役立ってるとは思えないけど、ちょっとした救命措置よりも憔悴した様子の日下部くんを僕が慰めている(?)という構図だ。
大富豪の大富豪地獄は被害者を捕らえたままに絶賛継続中で、室井くんも何人目かの許婚とイチャイチャ(苦笑)しているところで、これまた満足そうにツヤツヤした感じの他の許婚さんたちは、皆喜さんたちのテーブルに混ざったりしている。
なんとゆーかこう悲喜交々な空間になってるよね。
そんなところで、僕は何気にさっきから悪気のない迂闊な発言で、無駄に妙な火種を燃え上がらせてばかりいるような気がするけど………………………気のせいだよね?
うん。気のせいだ。そうに違いない。僕は悪くない。
「わりと疲労してるのに悪いけれど、意外な人間関係が明らかになったから個人的には少し面白かったかな」
「私としては意外でもなんでもないのだが……。
そうか。君から見れば、そういう認識にもなるのだな」
「うん。まぁね」
日下部くんの顔が広いのは当たり前と言えなくもないんだけど。
甘粕先輩との繋がりは、やっぱり意外性がある。
それも幼なじみで、なんだか夫婦漫才が出来そうなぐらいに親しいとくれば、なおさらだよねぇ……。
多少の問題を抱えてそうな雰囲気だったけど、ラブラブに至るためのちょっとしたスパイス程度にしか思えない。
「ならば、手っ取り早く明かしておくが、藤宮、沙耶守、水城、枢樹……はさておき、石動も捨て置くとして……あとは、岩永も知っていたな?」
「あぁ、うん。先輩や柊さんと付き合いのある後輩ちゃんだよね?」
「そうだ。こいつらも家業の繋がりがあって、私のお得意様という不快極まりない立場に落ち着いてしまっている。端的に脳筋な連中だ」
「ちょっとスパッと切れ味が鋭すぎる端的さなのが気になるけど……」
藤宮くんと沙耶守くんと水城くんは、なんやかんやで顔見知りみたいな感じなのは教室でのやり取りを見てるとわかるけれど、甘粕先輩と乱菊ちゃんが混ざると途端に繋がりが意味不明なものに思えてくる。
家業。つまるところ、家の繋がりだとしても……なんだか不思議な印象が拭えない。
藤宮くんと沙耶守くんは、武術家や格闘家みたいな感じで。
水城くんは剣道………というか、剣術家っぽいのに、実家が営んでいるのは喫茶店だ。
甘粕先輩は護衛を生業とした家系で。
乱菊ちゃんはよくわからないけど、今のところ物理的な印象は薄い。なんか無駄にあやとりが上手い娘って感じだ。
普通に考えると、点と点を繋ぐ線がまるで見えてこない。
内心で首を捻る。
「さっきも言っただろう? 生命に貴賎はないが、個人的な好みはある」
けれど、そんな僕の疑問は、日下部くんにとっては自明のようで、細かい説明のないままにさくさくと先へ(?)進んでいく。
「連中の自分の生命への向き合い方は、個人的には不快なんだよ」
眼差しを刃物の切っ先のように鋭くしながら、日下部くんが吐き捨てる。
「誰しもに与えられた〝たったひとつ〟を理不尽で全うできない者がいるというのに、健常に生きられる者が〝大事にするべきもの〟を蔑ろにしてしまうのは冒涜だ」
僕には見えていない彼らの何かが、日下部くんには気に入らないようだった。
なんとなくの察しは付かないでもないけれど、ちゃんと理解しているとは言い難いのに適当な言葉を紡いでしまうわけにもいかない。
ここは聞き役として静かにしているべきだと判断した。
「あいつらはそれを全く理解していない。沙耶守が修行と称して、身体を痛めつけるのはまだ理解の範疇ではある。極論ではあるが、修練とは肉体をイジめ抜いた先の記憶と回復こそが肝なのだからな。だが、ただひたすらに痛めつけるばかりでは疲労が蓄積するので、効率というものをちゃんと考えなくてはいけない。適度な休憩や休息の必要性を若さにかまけて軽んじてしまえば、肉体が衰えを覚える頃に一気に反動が襲いくるのだ。その辺のバランスと配慮が沙耶守には欠けている。理解する頭が無いと言えばそれまでだが、こちらが善意で提案する効率的に肉体を強化できる科学的統計も絡めたメニューを、なんか理路整然としてて詰まらんの一言で無視したのだ。あの野生児が理路整然などという単語を知っていたのも驚きだが、実際に試しもせずに直感みたいなもので無用と判断したのは許しがたい。
ひふ……甘粕は自分が女というのを忘れたように、護衛という仕事を都合よく曲解し、いざという時は自己満足で特攻する短絡的な思考に退化してしまっている始末だ。そんな考えだから、日々の訓練でも生傷が絶えずに、事と次第によっては痕が残るような重傷を負ってもへらりと笑いやがる。もう少しやりようがあるだろうに、私の治療を前提としているような態度には辟易せざるを得ない。いくら『神の手』と呼ばれていようと、手の施しようのない傷というものは存在する。なによりも、私には――いや、誰にも失われた生命を蘇らせることなど出来ない。だからこそ、その尊さを忘れずに大事にしなくてはならないのだというのに……あいつはいつまで経っても悪癖を直そうともしない。
藤宮と水城と岩永に至っては論外の一言だ。目的のためならば、生命を投げ捨ててでも邁進するような狂人に付ける薬は、私にも作れはしない」
「………………………ぉ、ぉぅ。そぅかもね」
そしたら、まぁ、なんとゆーか、こう、愚痴がすげぇ。
こりゃあ、根が深そうだ。
深入りしないのが賢明そうなので、適当な相槌をしながら流しておく。
あと、甘粕先輩のことを、ひふみと名前で呼びそうになったのは、ちゃんと気づいてるからね。ふふふ。
ある意味、このネタがここでの一番の収穫かも知れない。
普段からクールで大人びており、学園にある保健室のひとつを私物化しているために教室にあまりいなかったりするから日下部くんとの繋がりは浅かったけれど、これで今後に期待ができる。
せっかくだから、もっと仲良くなりたいのである。
新学期からがんばろう。お~!
「日下部様」
なんて思っていたら、執事モードの雲野くんがきた。
そういえば、しばらく姿を見かけなかったけれど、何処に逃げてたんだろう?
「なんだ?」
「彼が見つかったとの連絡が、沙耶守様から入りました」
「……そうか。どこで見つかった?」
「こちらです」
メモ用紙みたいな紙片を渡す雲野くん。
ザッと目を通したっぽい日下部くんが、怪訝そうに眉を顰める。
「また妙なところに転がり込んだものだな……。あるいは、因縁深いとでもいうべきか」
「どしたの?」
なにやらシリアスな雰囲気になったので、僕はかくんと首を傾げる。
「あぁ、クリスマスに腹に風穴を開けたまま行方不明になったという大馬鹿者が、捜索隊に発見されただけの話だ」
「なんとゆーか、大変だね」
寄りにも寄って、そんな日に腹に風穴が開くとか、どんな状況なのだろう? 修羅場?
普通に考えるともうちょっと驚くべき場面なんだろうけれど、あんまりなぐらいにあっさりと言うものだから、僕の感覚も少しばかり麻痺ってしまう。
それにまぁ、二人の態度から、見つかったのが死体でとかじゃなさそうなのが伝わってきたからでもある。
「他人事みたいに言っているが、藤宮だぞ」
「………なんで、また、そんな?」
他人事といえば他人事だけど、知り合いだったら当然のように気になってしまう。
「さぁな。私にも根本的なところまでは理解が及んではいない。馬鹿が馬鹿な真似をして、負けて、何も得られずに、無惨に地べたに這いつくばっただけの話で、私にとってはその程度の理解で充分だ。……生きてさえ、いるのならばな」
教えるつもりがなさそうなのに、気になる情報はオンパレードという不親切さに閉口。
日下部くんは、僕をどうしたいのかと悩んでしまう。
「………………。」
ちらりと雲野くんを見やると、苦笑しながら首を横に振る。
知っているから言わないようにも、知らないから言えないようにも見える曖昧な態度だった。
あぁ、つまり、要するに――
これはきっと向こう側の話。
……なんて思わせ振りな呟きだけど、大して深い意味はない。
どころか、僕自身に何らかの理解さえもなかったりする。
あくまでも、僕から見てヤバそ~な背景がありそうなクラスメートを、便宜的に『向こう側の住人』とか言ってるだけだ。ちょっぴり中二臭いのは勘弁してね。
僕の知らないところで何かが始まって、僕の知らないところで何かが終わっていて、僕の関わる余地なんかはどこにもない。
だからこその向こう側。
ほんのわずかでも関わる余地が生じるとしたら、事後のアフターケアぐらいだろう。
その程度の認識でいいし、きっとそうでなくてはならない。
「……『神の手』などと呼ばれてはいるが、私に出来るのは身体の傷を治すだけだ」
どこか口惜しそうに、日下部くんは自分の両手を見つめる。
たくさんの人を救ってきた両手。
でも、それだけでは足りないというように、日下部くんは拳をぎゅっと握り締める。
「だからこそ、君に頼みたい事がある」
真剣な顔で見つめられる。
「なんだい?」
「いつか、どこかで、馬鹿どもが馬鹿な真似をしているのを見かけたなら、叱ってやって欲しい。情けない話だが、私の言葉よりも、君の言葉の方が連中を抉るだろう」
「言い方が微妙に気になるけれど、とりあえずはわかったよ」
そんなに都合よく行き当たるとは思えないけれど、何かの手違いで巻き込まれでもしたら、その時は行き当たりばったりでがんばろうと思いました。
何を? とか聞かないで。
僕にもよくわかっていないから。
ひとまずは、落ち込んでる様子だったら、積極的に話しかけようぐらいの解釈でしかないのである。
「礼を言う」
深く頭を下げてから、日下部くんは腰を浮かせた。
「では、馬鹿を診に行くとしよう」
「向こうは必要ないと言っているようですが……」
「患者の意見など関係ない。その判断は、医者がする。
……大体、そんな寝言を口にするなら、さっさと連絡でも寄越せばいいのだ。わざわざ、こんなところにまで足を運ばせておきながら、何事もなかったかのように事を有耶無耶に出来ると思っているのならば、愚の骨頂極まれりというものだ」
「ん? 普通にパーティーにお呼ばれしたんじゃなかったの?」
普通にいたから、てっきりそうなんだと思っていた。
「父や兄姉ならば、政治や人脈作りに喜び勇んで参加するのだろうが、生憎と私はそんなものには興味がないのでね」
「まぁ、そうだろうね……」
「今日ここに来たのは、下手に自分でどうこうするよりも、よっぽど情報が集まる連中が揃っている場だからだ」
「なるほどね」
皇くんに、姫野さんに、滝沢さんに、他にもいろいろと。
彼らに捜索依頼を出しておけば、彼らのいる場こそが情報の最前線となる。
よくよく考えると、沙耶守くんや水希くんが『散歩』をしていたのも、行方不明になっている藤宮くんを探す一環だったのかも知れない。
情報がもたらされたのも、沙耶守くんからみたいだし。
………………。
当たり前の話だけど、僕の知らないところでも、やっぱりいろいろと世界は動いてるんだなぁ……。良くも、悪くも。
「とにかく、これでようやく〝あの夜〟の馬鹿騒ぎの後始末が一段落する」
白衣を翻らせて、日下部くんが背を向ける。
颯爽と迷いなく歩き出す背中は、医者としての誇りに満ちているようにも見える。
「どんな手段を用いたかは知らないが、とっくに野垂れ死んでいたような状態から延命したというのならば、私の今後に役立つ技術もあるだろう。たっぷりと情け容赦なく調べて、医療技術の発展に寄与してもらうとしよう。ふふ、ふふふふ……」
ゆらゆらと足の動きに合わせて揺れる片手の指の間で、何故か複数本のメスが鈍い輝きを放っている
どう考えても、マッドな予感しかしない。
不幸な事故(?)から一命を取り留めたっぽい藤宮くんの安寧を祈らずにはいられなかった。
「お待ちください、日下部様。移動手段はこちらで用意します」
ちょっぴり困ったように眉を下げた雲野くんが、そんな日下部くんを追いかけていくのを見送る。
気分的には藤宮くんの容態が気になるから同行したいところではあったけれど、脈絡なく現れては迷惑をかけるかもしれない。
訳ありそうでもあるからね。
「さて……」
あんまり気兼ねせずに接せられる男子が減ってしまったので、これからどうしたものかと考える。
そろそろ大富豪たちの『大富豪・ザ・地獄への行進』も落ち着いて欲しいところだけど、必ずお金持ちの誰かが大貧民になってしまうために、負けず嫌いの虫が騒いでしまってエンドレスリピートから抜け出せずにいる。
雛森さんとメイドさんがそろそろ限界みたいだけど、僕にはどうしようもない。
ごめんなさい。許してください。
見捨てるわけじゃないんですと心の中で詫びを入れながら、軽く用を足すためにその場を離れることにするのだった。




