『元日の地味な没個性とその周辺』(12)
「………そろそろこっちに来ないかい、夕凪くん。いや、むしろ、こっちに来てください。お願いします」
地獄の底で亡者が手招きしているような……そんな雰囲気を纏った室井くんに呼ばれて、振り返る。
僕のよりもさらに立派なスーツに身を包んでいる彼は、なんだかひどくげっそりしていた。
「なんで、そんなに卑屈になってるのさ。
この場での最上位は、間違いなく君だろうに……」
室井くんは天城財閥現総帥の息子である。
当の本人でさえも高校生になるまで知らなかった事実ではあるんだけど、『隠れ御曹司』の肩書きは、次期総帥が確定していないとはいえ、大多数にとっては魅力的に映る。
父親の溺愛ぶりが広まっているのだからなおさらに。
「肩書きがどんなに立派でも、中身が庶民なら意味ないよぅ……」
冗談めかした僕の言葉に、やつれてるようにも見える室井くんは、両手で顔を覆ってシクシクと泣き始めた。
よっぽど、大変な目に遭ったらしい。
「………もうヤだ。帰りたい」
室井くんとは幼なじみの雛森さんも似たような感じで、虚ろな目で空っぽのお皿をフォークで突いているのが、なんだか哀愁を誘っている。
僕と室井くんと雛森さんは、こういうパーティーとは相容れない。
骨の髄まで庶民根性が染み付いているからだ。
皆喜さんも一般人枠ではあるけれど、漲る自信と姫野さんの後ろ盾があるからなのか、溶け込んでいるとまでは言えないまでも浮いている感じはしない。
「それにしたって、着飾った許婚を三人も侍らせて、周りには同い年の社長やら名家の後継ぎなんかに囲まれて、誰がどう見ても最高峰のリア充なのにね。もっとこう自信満々に『傅けオーラ』とか出しても、罰は当たらなそうな気がするのに」
今にも逃げ出しそうな室井くんに、皆喜さんが言う。
「いやぁ、さすがにそこまでは無理があると思うけどね……」
「そんなものかしら?」
「みんながみんな、皆喜さんみたいに堂々としていられるわけじゃないんだよ?」
もしも、室井くんと同じ立場になったら、僕は完全に存在感を消して、山奥に逃げて自然と一体化する。
目指すは俗世から切り離された仙人だ。
「あら? わたしもちゃんと緊張してるわよ。表に出さないように苦心してるだけで……」
「それが出来るだけでも才能だよ」
「緊張感の欠片もなく、飄々としてるあなたに言われてもねぇ……」
失礼な。
ちゃんと場違いだと思ってるから、可能な限り存在感を消しているというのに。
ともあれ、室井くんたちが座っているテーブルにお邪魔させてもらう。
皆喜さんも付いてきた。
「改めて、明けましておめでとう」
「「明けまして、おめでとうございます。本年もよろしくお願いします」」
まずは挨拶。
項垂れている室井くんと雛森さんは、弱々しく手を上げるに留め。
藤原さんと白鳳院さんが、ちゃんとした挨拶を返してくれた。
藤原さんは当然として、意外に普段は物憂げ――というか、眠たそうにしている白鳳院さんが、きっちりと立ち上がってお辞儀までしてくれたのに驚いた。
やっぱり、公的の場では躾の成果が出るんだなぁ……と、わりと失礼な感想を抱いてしまった。
さて――
藤原さんと白鳳院さんと雛森さんは、室井くんの許婚だ。
藤原さんは由緒正しい名門のご息女で、お姫様のような気品のある女の子だ。艶やかな長い黒髪、端整ながらも柔らかな容姿、淑やかな性格、花が似合う春のような雰囲気。上品さと可愛らしさが同居した立ち居姿を華やかな着物で着飾っていて、なんかもうキラキラと眩しい。
白鳳院さんは、相変わらずの眠たそうな瞳で遠くを見るようにしており、感情の起伏が乏しい整った顔に表情らしい表情を浮かべてはいないけれど、しっとりとした色合いの着物に身を包んでいるので、妙に落ち着いているようにも見える。頬がちょっと紅潮しているのは、慣れない格好で親しい人たちに囲まれているのが恥ずかしいからだろうか。
雛森さんは何処にでもいる平凡で普通な女の子を自称しているし、知り合った頃は僕もそう思っていたけれど、最近はそうでもなかったよね……と思い直していたりいなかったり。長い蜂蜜色の髪をサイドポニーにしている彼女は、今日は黄色……でいいのかどうかはさておき、そんな色合いのドレス姿だった。いろんなアクセサリーで彩られており、皆喜さんと並んでも遜色ないぐらい飾り立てられているのに、染み付いた庶民根性と脱力感が、本来の魅力を少なからず翳らせている状態だ。
そんな好意全開の許婚たちに囲まれているのに、室井くんはやっぱりぐったりしていた。失礼な態度だと思わなくもないけれど、これまでに何があったのかを朧気にも想像できるので、同情の方が強かったりもする。
「室井くんがここまでぐったりしてるなんて、何があったんだい?」
とりあえず、会話のきっかけとして聞いてみる。
「………あは、あはは……あははははははは……」
思い出したくもないと言わんばかりに、乾いた声で笑う室井くん。
「いや~、まぁねぇ……。ここに逃げてくるまでに何人に自己紹介されたっけ?」
雛森さんが顔を上げた。
苦笑いが、老人のそれだ。
「……覚えてない。次から次へと来るから、ところてんみたいにポンポン頭から名前が飛び出して、最終的には覚えるのを放棄して愛想笑いしかしてなかった」
主賓に近い室井くんなら、さぞかし行列が出来たであろう。
「大丈夫ですよ。ちゃんと、わたしが覚えていますから」
「さすがは小鳥。すごい」
白鳳院さんが、パチパチと拍手をする。
藤原さんと白鳳院さんは家同士の仲が最悪に近いのに、そんなのとは無関係に強い絆で結ばれている親友だ。
………まあ、その家の関係のややこしさが巡り巡って、室井くんが許婚をたくさん抱えたハーレム王になってしまうきっかけになってしまったのだけど。
いろいろと大変そうだけど、少しぐらいなら羨ましいと思わないでもない。
心労を溜め込んでため息ばかりだった室井くんも、開き直りつつあるみたいなので幸せになって欲しいものだ。
「芙蓉さんはどうですか? 白鳳院の家と親しくしている方もいましたが……」
「知らない」
白鳳院さんは、無表情で首を左右に振る。
最初から覚える気なんか微塵もなかったみたいである。
さもありなん。
「それにしても、本当にご苦労さまって思うよ。僕なんかに近寄ったところで何になるわけでもないのに、どうしてあんなに一生懸命になれるんだろうね?」
行儀悪く頬杖を付いた室井くんが、深々とため息を吐く。
「何かを得られるかも知れないから、露骨なまでに一生懸命になってるんだよ。きっと」
「うん?」
「室井くんは何も持ってないっていうけど、君の口を通じた『お願い』をしてもらえるだけで、もしかしたら世界という単位までが動くんだ。誰かにとって都合がいいだけの妄想を、おねだりひとつで叶えられるかも知れないのなら、いくらでもプライドを捨てられる人たちが群がってくるのは当然だよ。海千山千の妖怪みたいなのからすると、君のバックにいる人を相手にするよりも与しやすいと思っちゃうんだろうね」
「そりゃそうでしょうともさ」
やさグレた顔で言う室井くんに、思わずといった風に僕は苦笑を零してしまう。
「でも、それはとんでもない大間違いだよ」
唐突に背負わされた肩書きに、不平不満をため息といっしょに零しながらも、室井くんは逃げなかった。
すぱっと逃げてしまえば楽になれるし、それを責める者もいなかったはずだ。
むしろ、内心ではそれを望んでいた者の方が多かったかも知れない。
それでも、彼は〝優しい〟から逃げ出さなかった。
彼の存在がもたらした様々な出来事に真正面から向き合い、最初はいろんな表情を見せてきた相手を、最後には笑顔にしてみせた。
決して、一人で成したことではない。
僕も少し手伝ったりもした。
それでも。
室井くんが選ばなければ、叶わなかったことなんだ。
彼が自力で掴み取った成果は、彼以外には到底なし得ないもので。
自分が正しいと信じる選択肢を選べる室井くんに、横からお零れを掠め取ることしか頭にない連中に何が出来るはずもない。
彼を弱者と見誤っている連中は、見えざる強さの前に叩き潰されるだけだ。
「室井くんが覚えられなかったのなら、その人たちに覚える価値なんかないよ。君が覚えたいと思った人の名前だけを覚えてたら充分だ」
「うん?」
室井くんがきょとんとする。
「難しい事を考えずに、好き勝手に生きればいいってことよ♪ ……多分。」
うんうんと何度もうなずきながら、皆喜さんが親指を立てる。
「……ニュアンス的にはあんまり間違ってないけれど、それだと誤解をさせちゃうかもしれないから、もう少し言葉は選んだ方がいいかな?」
好き勝手に生きる室井くんというのは、あんまり想像が出来ない。
室井くんは周囲の親しい人たちに翻弄されながら、ため息を吐いている姿が最高に輝いているような気がするんだよね。
本人の意見はさておき。
「結論として、嫌な記憶はさっさと忘れて、適当な雑談をしようじゃないか」
「結論に至るまでの過程が行方不明になってない?」
「僕も場違いな人間だからね。将来的にもあんまり経験する必要がないことに頭を使うよりも、当初の予定通りにみんなとお喋りしながら、美味しいものだけ飲み食いさせてもらえたら充分なんだ」
せっかくの新年なのだから、いつまでも沈んだ顔をしているのは勿体ない。
そういう意図を込めて、ヘタクソなウインクを飛ばしてみる。
「そうだね。新年早々、辛気臭い愚痴に付き合わせるのも悪いし、なんだか少しすっきりした気分にもなってる」
「それはなによりだね」
普通に思ったことを言っただけだけど、それで心が軽くなってくれたのなら、僕としてもうれしい。
「つ~か、なんで夕凪くんに愚痴ってるんだ。マジでごめん」
「いやいや、庶民感覚を共有できる相手が貴重なのはよくわかるから……」
「「「ん?」」」
何人かが不思議そうに振り向く。
………うん。まあ、気にしないで。
こればっかりは生まれ育った環境の問題だから。
「お待たせしました~♡」
大皿を抱えたメイドさんが戻ってきた。
同僚なのか、後にも何人かのメイドさんが続いている。
たくさんの料理が並ぶ。
鯛だのカニだの海老だの肉だのと選り取り見取りだ。
「わぁ。すごい……」
盛り付けにも気を使ってくれていて、なんだか壮観だ。
自然とお箸を伸ばしたくなる。
………どうでもいいけど、こういうパーティーだと、もう割り箸とか存在しないんだね。
「ようやく何か食べられそうなぐらい胃が落ち着いてきた」
「あたしも……」
室井くんと雛森さんの顔色が、さっきよりもよくなっている。
同時に食欲を思い出したように、いそいそと椅子に座り直す。
「それじゃあ、小皿に取り分けますね」
藤原さんが甲斐甲斐しく、室井くんのお世話を始める。
さすがは生まれた時からの許婚だ。
「ドレスを汚さないように食べられるかなぁ……」
そんなところを気にしちゃう雛森さんのおかげで、僕もスーツを汚さないように細心の注意を払わなければならないのだと悟る。
お金持ちのパーティーってのは、ホントに気が休まらない。
「そのスーツは夕凪様にさし上げますので、気にしなくていいですよ」
メイドさんが残酷なぐらいあっさり言うので、仰け反りそうになる。
「――――んなぁっ!?」
というか、思い切り仰け反った。
それって、アレですか。
一回着た服はもう要らないとかいうお金持ち特有のアレですかっ!?
「いらないよっ!」
とりあえず叫んでおく。
車よりも高いスーツなんか、どこに置いておけというのだ。
「いえ、本日のお召し物はお持ち帰り前提で用意されたものですので、そのような我がままを仰られても困ってしまいます」
レンタル衣装がそのままお持ち帰り前提とか、どんなパーティーやねん。
矛盾も甚だしい。
「僕も?」
「はい」
戦々恐々としている室井くんの震える問いかけに、メイドさんが慇懃な一礼を。
「あ、あたしも?」
「勿論です」
落ち着きなく視線を彷徨わせる雛森さんに、メイドさんはにっこりと微笑む。
「あたしも♪」
「言うまでもありません」
目を輝かせる皆喜さんに、メイドさんは親指を立てる。
何気にリアクションが豊富だ。
「「「えええぇぇぇぇ~~~~~~……」」」
何を遠慮しているんだろう……みたいなお金持ちな人たちの視線に晒されて、僕と室井くんと雛森さんの食欲は、またしても地味に失われていく。
なお、皆喜さんは普通に「やったぁ♪」と喜んでた。
さすがに肝が太いなぁ……。




