ある日の新婚バカップルとその一味―① 『ほのぼの』
白石和也と天宮壱世は幼なじみである。
親同士も長い付き合いの親友で、家も隣同士、その上で自宅出産をした壱世の誕生の瞬間にも立ち会っているのだから筋金入りの幼なじみと言っても過言ではない。
勿論、互いにその瞬間の記憶があるわけではないが、物心が付いた頃からお互いがいるのが〝当たり前〟の環境で育ってきた。
半ば家族のようでさえある二人だ。
そんな二人は運命の赤い糸で結ばれているかのように、お互いの存在を大切に想い合っている。ケンカらしいケンカすらしたこともなく、その仲のよさは周囲に微笑ましさと胸焼けを同時に与えるほどだ。
たまに意地の悪いクラスメートなどにからかわれたとしても、二人にとっては〝当たり前〟の事実の確認をしている認識のようなもので、無自覚な惚気に即座に移行するので長続きはしない。
あまりにも幸せそうにしている二人に感化されて、次第に祝福の声が多くなるばかりであった。
それは小学校も、中学校も変わらず、今の学園に進学しても現在進行形だ。
ただの一度もクラスが離れたことがないので、本当に運命の赤い糸で結ばれているのかも知れないと、他の幼なじみたちも納得し始めているとかいないとか。
ただ、いつしか呼ばれるようになった『新婚バカップル』という呼び名が示すように、新婚夫婦のように仲睦まじい二人を見る周囲の者たちは、次第に一つの危惧を覚えるようにもなっていた。
即ち――
こいつらは、今さら普通のカップルみたいなことが出来るのだろうか?
――という些細な疑問だ。
互いの存在が傍らにあることに満足しきっている二人は、関係の進展に興味がないというか、思い至ってすらいないようにも見えるのだ。
カップルとしての経験値は皆無に等しいのに、精神は添い遂げる間際の老夫婦のような境地に至っている――とは、幼なじみのひとりの評した言である。
ともあれ。
周囲にちょっとした不安を抱かせながらも、二人は幸福な毎日を送っている。
これから語られるのは、そんな二人の過ごしたある一日のお話である。
● ● ●
僕の朝はそれなりに早い。
――とはいえ、僕としては人並に眠気の誘惑に弱いので、とても優秀な目覚まし時計があるおかげではあるのだけども。
ペチペチと頬に触れる柔らかな感触。
仰向けに寝ている僕の腹部で動く重たい何か。
耳元で「にゃー」と鳴く子猫。
「んむ……」
眠っていた意識がゆっくりと浮上していくのがわかる。
もどかしそうに頬を前脚でペチペチし続ける。爪を出さないように気遣ってくれているので、肉球と毛の感触が幸せすぎる。
そのまま眠ってしまいそうになるぐらいの幸福感で、目を開こうという意欲がゴリゴリ削られていく。
すると、布団越しとはいえ、腹の上をウロチョロしているやや重たいのが、急かすようにさらに動き回り、耳元での「にゃーにゃー」という鳴き声も繰り返される。
「………………。」
まるで天国にいるかのような気分で二度寝を味わいたくなるが、あんまり焦らすと終いにはにょっと出した爪での攻撃が始まってしまうので、僕は誘惑を振り切って目を開き、ゆっくりと上半身を起こしていく。
二匹の子猫と一匹のデブ猫が、円らな瞳で見上げてくる。
そして、計ったように同時に「にゃー」と催促をする。
「はいはいっと……」
欠伸をしながら立ち上がり、ベッドの傍らに横倒しにしている木の板を持つ。
枕元に置いてあるスマフォを手に取り、『いつもの合図』を送る。
とっくに起きていたであろう壱世から、即座に返信が来る。
カーテンを開けば、隣の家の真向かいの部屋――壱世の部屋の窓が見える。
きっと待っていたのだろう。
向こうで壱世も同じぐらいのタイミングでカーテンを開いていた。
寝起きで寝間着姿の僕とは違って、きっちりと制服にも着替えて朝の準備は万端という様子だった。
見慣れているのに、見飽きたりはしない幼なじみの顔にほんわかする。
飛び抜けた美少女というわけではないけれど、僕にとっては誰よりも可愛いと思える幼なじみは、背中まで伸ばした黒髪に愛用のカチューシャをしている。
高校生になったのを期に、幼なじみの一人である柳から本当に簡単なお化粧を教わり始めたからか、最近はぐっと大人っぽくなったような気もする。
母親である頼子さんと朝食の支度をしているのか、エプロンまで装備をしているのだから魅力が際限なく上がっていく――などと、やや頭の悪そうな言葉が脳裏にタイプされていくのは、眠気が抜け切っていないからか。
「おはよう、和くん」
「……おはよう、壱世」
だらしないと言われても仕方がない格好で、寝癖も全開状態の僕はやや気恥ずかしさを覚えながらも窓を開き、同じように窓を開いた壱世に木の板の端を渡す。
窓枠の上に乗って、簡易的な橋になった木の板の上に三匹の猫たちを乗せると、とたたっと軽い足取りで実家へと帰っていく。
「はいはい。ご飯の用意はできてるからね~」
にゃ~と鳴いた猫たちが壱世の部屋の中に飛び込んで、そのままエサを求めて元気に駆け出していく。
天宮家には猫が十匹いる。
そのどれもが壱世が拾ってきた猫だ。
もっとも、大抵の場合は僕も居合わせているので共犯のような立場だが。
捨て猫を放っておけない――何故か犬には居合わせない――性格の壱世が親に泣いて頼み込んで天宮家の一員となっているのだが、さっきの三匹は僕を妙に気に入っており、夜に寝る時は部屋に来るようになっていた。
そして、朝になると――より正確には朝ごはんの時間になると天宮家へ帰宅する。
時間を見切る正確さとそのために必要な宿主を起床させる能力は、下手な目覚まし時計を軽く凌駕している。
今頃は他の家族といっしょに、キャットフードをモリモリ食していることだろう。
四月も終盤になり、黄金週間が近づいてくる今頃になると、さすがに冬のように布団の中にまで潜り込んではこなくなったものの、手を伸ばせば届くところで丸くなっている猫たちの手触りを思い出すと自然と口元が緩む。
「ニヤニヤしてないで、和くんも早くちゃんと起きないとダメだよ」
「わかってるよ」
「わたしたちの朝ごはんももうすぐ出来るから、早めにウチに来てね」
「了解」
軽く手を振って、手伝いの戻るために背を向ける壱世を見送る。
「さて、と」
軽く頬を両手で叩いて、完全に眠気を飛ばす。
着替えを用意してから部屋を出る。
現在の白石家は、僕の一人暮らし状態である。
両親は一年ほど前から、エペランデという国に長期間の海外出張をしている。
長期休暇などが取れれば、一時的に帰国することもあるが、ちゃんとこちらに帰ってくるには今の学園を卒業するぐらいまでかかるという話だ。
無論、僕にはそんな大した家事スキルなどありはしない。
なので、いろいろと天宮家のお世話になっているのが現状だった。
覚える気がないわけでもなく、任せ切りでいいとも思ってはいないのだが、『学生の本分は勉学と青春だ』という強いお言葉をもらい、甘えさせてもらっているのである。
いつまでもそれでいいとは思っていないので、壱世に少しずつ教えてもらってはいるが、芳しくないと言わざるを得ない。
僕はそんなに器用ではなく、何度も反復して要領を覚えていくタイプだ。
しかも、覚え切る前に間が空くとすぐに劣化する。
我ながらなんて面倒な。
「一人暮らしという自立への道のりは険しい……からこそ、あまり迷惑をかけるわけにはいかない」
自分に出来ることは可能な限り素早くしなくてはいけない。
今は洗顔と着替えが最優先だ。
ぱっぱと洗顔と歯磨きを済ませ、制服に着替え、中身を確認した鞄を手に天宮家へと足を運ぶ。
「おはようございま~す」
朝ごはんを食べて、それぞれに気ままな行動をしていた天宮家の猫たちが、玄関のドアを開けた僕を、みゃ~っと出迎えてくれた。
いつもの三匹は飛びかかってくるぐらいの勢いだ。
ちゃんと全員の爪を切っているので、ブスッと刺さることはないのだが、逆に取っ掛かりに引っかけられずに落下していくのが、なんとも微笑ま可愛い。
猫は正義だ。
「よぉ~し、よしよし♪」
飼い主である天宮家の人柄が染み付いているのか、他の人懐っこい猫たちもわしゃわしゃと撫で回してから靴を脱いでいると、トントンと階段を下りてくる足音。
「おひゃよぅ~、かずやさぁ~ん」
向けた視線の先で、眠そうに目元を擦りながら欠伸をしているのは――
「おはよう、双海ちゃん」
一つ年下の壱世の妹で、去年まで同じ中学の後輩だった女の子だ。
姉妹だけあって、壱世によく似ている。
顔立ちは壱世よりもやや幼くて、髪も肩で切り揃えている。
壱世と同じように距離の近しさは家族も同然であり、他には見せられないであろう無防備な姿を見られても、まるで動揺した気配はない。
それはそれでどうなのだろうと他の誰かなら思いそうだが、僕らは気にもせずにそれぞれの向かうべき場所へと足を向ける。
双海ちゃんは洗面所へと。
僕は朝食の席となるリビングへと。
「おはようございます、衛さん、頼子さん」
壱世の両親であり、僕にとっても両親に近しい二人に声をかける。
「おぉ、和也くん、おはよう。今日もいい天気だね」
新聞を読んでいた衛さんは気さくに片手を上げる。
「おはよう。もうすぐ出来上がるから待っててね」
キッチンに立っている頼子さんもまた優しく微笑みながら、フライパンを軽く揺らす。
美味しそうな匂いが鼻孔を刺激し、現金な腹の虫が鳴く。
「おはよ、和くん。双海はもう起きてたかな?」
テーブルに朝食のお皿を並べていた壱世が顔を上げる。
決まった時間に起きる壱世と違って、双海ちゃんは少し時間にルーズなので最後にリビングに顔を出すことが多い。
「来た時に洗面所に向かってたよ」
「あの娘ったら、また和くんの前でだらしないところを見せたりして……」
姉である壱世は、妹がどんな状態だったのかもお見通しだった。
「僕も壱世にだらしないところを見られちゃってるからお相子ってことで」
「むぅ」
ちょっと頬を膨らませる壱世だったが、すぐにキッチンとの往復を再開する。
「和くんは座っててね」
「いや、僕も手伝うよ」
「大丈夫。もうほとんど終わってるから」
その言葉通りにテーブルの上に並ぶ料理はほぼ出揃っているようで、頼子さんから最後の皿を壱世は受け取っていた。
「双海~、早くしないともう食べちゃうわよ」
「待って待って~っ!」
壱世の呼びかけに、寝癖がまだ少し残っている双海ちゃんがバタバタと駆け込んでくる。
そして――
いただきますの唱和とともに、天宮家でのいつもの朝が始まるのだった。
● ● ●
朝食を終えれば、僕たちは学園へと向かう。
途中までは双海ちゃんも一緒だ。
「あ~、わたしも早くいっしょの学校に通いたいな~」
「また言ってる……」
ここ最近は毎朝のように繰り返されているので、壱世は少し辟易しているようだ。
「だって~、和也さんとお姉ちゃんの話を聞く限りでは、とっても面白そうなんだもん」
「いや、あんまり面白くはないよ」
僕は片手をパタパタと左右に振る。
学園のスケールが並外れているのは今さら過ぎるので話題に選んだりはしないが、逆に『一年B組』というクラスで起こる出来事は誇張無しでなかなかトンデモないものばかりだ。
常識という言葉が、足蹴にされて放り出されている。
そもそも入学式後のホームルームでの軽い自己紹介であっても、いろいろと語り尽くせないぐらいなのだ。
前半は大人しかったのに、後半になるとカオスでしかなかった。
どうしてあんな風になったのかは、今でも謎だ。
それすらもが序の口でしかなかったと言わんばかりの日々には、もうすぐ一月が過ぎようという時期になってもなかなか慣れられるものではなかった。
「むしろ、とても大変だよ」
しみじみとした口調で言う壱世。
真面目な彼女は揺らぐ常識に悩まされている側だ。
直接の被害を受けてはいないとはいえ、毎日のように爆発したり、教室から『アイ・キャン・フライ』をさせられるクラスメートを目の当たりにすれば、ため息の一つも出る。
しかも、何事もなかったように次の授業になれば、けろりと回復していたりすれば、なおさらだろう。
あんな特殊な人たちが高確率で揃っているようなクラスに、どうして一般枠代表のような自分たちが割り振られてしまったのかと誰かを問い詰めたい。
――が、一学年が三千人越えの学園でありながらも、奇跡的に幼なじみたちがバラけなかったのだから、そこに関しては感謝をしなくてはいけない。
「かなり特殊なのはウチのクラスだけで、他はそこまでエキセントリックじゃないと思うよ」
単にウチが桁外れに図抜けているだけで、他も案外とそうではないのかもしれないが、入学して一ヶ月程度では、あの学園の全貌はまだまだ底知れない。
「でも、傍から見る分にはとっても楽しそうだし」
常識を重んじている当事者たちは悩ましげになり、単に話を聞いているだけの双海ちゃんは興味津々に好奇心を膨らませていく。
「天城学園はなんだかんだで変人率が高いって噂を聞くから、妙に巻き込まれるような立ち位置にならない限りは面白おかしく過ごせると思うな」
「ロクでもないクラスメートに巡り会いそうなフラグを立ててるよ、双海ちゃん」
「あはは。かもね♪
………っと、それじゃあ、わたしはここで」
通学路の分かれ道に出たところで、双海ちゃんが前に出る。
敬礼の真似をしてから、元気いっぱいに走り出していった。
「転ばないように気をつけなさいよ~」
「は~い♪」
壱世よりも運動神経に恵まれている双海ちゃんの姿は、あっという間に見えなくなった。
「それじゃあ、僕らも行こうか」
「うん。あ、バスが止まってるよ」
学園行きの無料バスが停留所に止まっていたので、僕らも軽く駆け出すのだった。