『元日の地味な没個性とその周辺』(7)
あまり人がいるところが得意ではない美命は、適当に参拝を済ませた。
それから社務所でおみくじを引き、安定と安心の『凶』だったことに、ほっとしてから、なんだか社務所で安静にしているという幼なじみの元へと向かった。
「……翔ちゃん?」
そっとふすまを開けて、部屋の中を覗きこむと予想外の光景に出迎えられた。
「なんで元日から、てめーらと枕を並べてなきゃならね~んだよ」
「不満があるなら、とっとと起き上がって、どこへなりとも行けばいいだろう」
「……そんな簡単に動けるようになるわけねーだろうが」
「だったら、女々しく愚痴ってないで黙ってろ。傷に障る」
「………………ぇ~」
翔悟だけでなく、いつも険悪な空気になる宗次と静輝の姿もあったのだ。
いつもの例に漏れず、悪口雑言を吐き散らかしている三人は、何故かボロボロな有り様で畳の上に横たわっている。
ケンカをした傷というよりも、硬いところで何度も身体を打ちつけたようであり、美命は首をひねる。
毛布の類は使っていないが、ストーブが置かれているので、風邪を引いたりはしないだろうというぐらいに部屋は暖かい。
「え~と、何やってるの?」
「うん? あぁ、美命か。なんだ、もう起きたのか?」
美命に気づいた翔悟が、顔を顰めながら上半身を起こす。
「お腹、空いたから……翔ちゃんを迎えに来た」
朝には起きて、翔悟と一緒に初詣をするつもりだったが、暖かい布団の誘惑には勝てずにすっかり寝過ごしてしまった。
こうなると、途中で目が覚めても気が済むまで寝たいと考えるのが美命である。
冬眠モードに入った幼なじみを起こすのは徒労と判断して、翔悟は一人で初詣に出向いたのである。
それなりに早く帰るつもりだった翔悟だが、不慮の事態(笑)に見舞われて遅くなっている内に、眠気で誤魔化せないぐらいの空腹を覚えた美命が起き出し、現在に至る。
なお、美命に一人で食事の準備をするという選択肢は存在しない。
そんな選択肢を選ぶぐらいなら、寒い中を歩いてでも翔悟のいる場所まで出向くぐらい存在しない。
なお、元日なのでデリバリーといった手段が使えないせいでもある。
使ったら、倹約家の翔悟は怒るのもあるが。
「あ~、そうか。悪い。早く帰るつもりだったんだけどな……」
「何があったの?」
「ノンストップでこいつらと石段から転げ落ちた」
「………………新年から何やってるの?」
「返す言葉もない」
「面目ない」
「放っとけ」
やや気まずそうに翔悟、静輝、宗次の順に言う。
ギャグでも何でも、ノンストップで石段から転げ落ちれば、多少は頑丈な彼らでも動けなくなるのが普通である。
別に『嫉妬団』でもないのだから、驚異的な回復能力もないのである。
当たり前の話なのだが、なんだか意外な発見をしたような感じになってしまうのは何故なのだろうか。
「いつものことと言えば、いつも通りなんだがね……」
壁際に座っていた奈々世が、なんともいえない顔でため息を吐く。
「……あ、どぉも」
「えぇと、御影くんの幼なじみの羽柴さん……だったよね? 明けましておめでとう」
「お、おめでとぉ……」
「何かと揉める機会が多いので、静輝にはあまりいい印象を持ってないかもしれないが、今年は穏便な形でよろしくして欲しい」
「……あ、と。わ、わたしに言われても、その、困る……」
ちらっと静輝に視線をやり、目が合いそうになると慌てて逸らす。
そんな意味のない工程を挟んでから、美命は小声で呟いた。
「すまない。ちょっと不躾だったかな。揉める男たちの手綱を、もう少しこちらで握れたらと思っただけなのだが、無理に強要するつもりはないんだ。忘れてくれていい」
「……あ、うん」
宗次はともかくとして、クラスメートではあっても美命と静輝との接点は薄い。
翔悟が宗次と揉めるのはいつものことだが、静輝との頻度は高くないのだ。
というよりも、宗次と静輝が揉めている場に居合わせることで、生真面目な翔悟が勝手に巻き込まれに行くという形が大半で、美命個人としては関わりがない。
男同士のじゃれ合いを遠巻きに眺めているだけなのだから、当たり前だが。
なので、静輝の幼なじみではあっても、クラスメートではない奈々世とはなおさらに会話が生じる機会がない。
こうした場ではあっても、話しかけられるとは思っていなかった美命は、自然と挙動不審になってしまう。
悪い人ではないとわかっていても、知らない相手は怖い。
正直に打ち明けると、あまり話したくもなかった。
「………………。」
そんな苦手意識が表情にまで出てしまっていたのだろう。
奈々世は苦笑すると、話しかけたことを詫びるように頭を下げてから、視線を逸らした。
「つーか、羽柴に頼むよりも、諸悪の根源を潰した方が早いと思わないか」
話題を変えるように、笑みを含んだ声で静輝が言う。
「あぁ、なんだそりゃ?」
「………そうだな。揉め事の種を撒くのは、いつも素行不良のチンピラだ」
「ホザいてんじゃねぇよ、雑魚どもが。安い挑発にあっさりと乗ってる時点で、傍から見る分にはなんも変わりゃしねぇんだよ。てめぇらもただの同類だ」
「だからこそ、諸悪の根源をしばらく動けないように潰そうと提案しているんだが?」
「一人消えれば、二人が安寧を得られる。考えるまでも無いな」
「………ちっ! 弱ったところを二人がかりとは恐れ入るぜ。弱者ってのは群れなきゃなんも出来ねぇんだな」
あっという間に立ち上がり、傷だらけというのを忘れたように額をごんごんと突き合わす三人のバカ。
美命は胡乱な眼差しで見やり、奈々世は深々とため息を吐く。
「………今日だけでも、少しは大人になって欲しいと何度も言ったはずなんだけどね」
どこからともなく、ハリセンを取り出し、『スパン!』とイイ音を鳴らして、奈々世はバカたちの頭を叩いていく。
「無駄に体力を浪費していないで、さっさと回復してくれ」
「「「………………。」」」
三人が無言で、再び畳の上に横たわる。
「まったく、夕凪くんがいなくなると、あっという間に収拾がつかなくなるな……」
「それだっ!」
「何がだ?」
不意に声を上げた静輝に、視線が集中する。
「前から不思議に思っていた。
なんで彼ほどの男が、こんなチンピラと一緒にいるんだ」
「あぁ~っ! なんか文句あんのか、コラァッ!!」
静輝に指を指された宗次が吠える。
立ち上がってから額を突き合わせるまでの流れが、完璧に先程の焼き直しだ。
「………………。」
美命はなんかもう面倒くさくなってきたので、空腹を我慢して冬眠しようかと考え始めていた。
「日歩くんが底の浅いチンピラじみているのは確かだが、それをわざわざ言葉にして反感を買っては聞ける話も聞けなくなるだろう。静輝も少しは言葉を選ぶんだ」
スパンとハリセンがうなる。
「さっきよりもなんか痛いっ!?」
かなりの痛みだったようで頭を押さえながら、ぴょんと跳ね上がる静輝。
ハリセンを振るった奈々世は疲れた顔になっている。
突っ込み役が不在なので、彼女が仲裁しなければ話が進まない。
そんな己の立ち位置に虚しさを覚えつつ、和真の日頃の苦労を偲んでいた。
「お前もお前で傷口に塩を擦り込むような毒を混ぜてんぞ」
「……失礼。だが、ここに至るまでの間、君の態度や言動が私の評価を覆せるものであったかを省みてはどうだろうか?」
「言い方が和真に似てやがるな」
「………真似をさせてもらったが、中々に汎用性の高い言葉だね。よほど鈍くない限りは、反論の難しい言い方だ」
「ちっ!」
面倒くさそうに舌打ちをしてから、宗次は視線を逸らす。
「私も不思議には思っていた。君と夕凪くんは……言うなれば、〝ジャンル〟が違う。普通ならば、まず道が交わったりはしないだろう。心の在り方が違い過ぎる」
「否定はしねぇよ。俺とあいつは違う」
唇を歪めながら、宗次は怒りの色を欠片ほども見せずに、不躾と言っても過言にはならない奈々世の言葉を肯定した。
些細な、けれど決定的な〝勘違い〟を正さないという意趣返しをしてはいたが。
「御影くんならば、まだ理解の範疇だ。機会を掴みさえすれば、そんなに難しくはない」
「そいつの〝機会〟ってヤツを先に聞いてみな。中々に傑作だぜ」
宗次は胡坐をかいて座りながら、顎先で翔悟を指し示す。
「………………ぐっ」
上体を起こし、立てた片膝に腕を乗せて傍観していた翔悟が、舌打ちのように息を漏らす。
「折角だし、先に聞かせてもらえるかな?」
あっさりと翔悟に向き直る奈々世。
「何故こんな話の流れになっているのか理解しかねるが、拒否権を与えてはもらえないのだろうか?」
「御影くんが嫌だというなら、別室で羽柴さんに聞かせてもらおうかと思わないでもないのだけれど、どうだろうか?」
「ひぇっ!?」
いきなり巻き込まれそうになった美命は眠気を吹き飛ばして、部屋の隅にバタバタと逃げ込んで身体を抱え込む。
当の本人は気づいていないが、勝手に追い詰められたような形である。
さっさと部屋を出ればよかろーに、と思ったのは奈々世だけではない。
そんな幼なじみを見捨てられるはずもなく、翔悟はため息を吐く。
「なんか、ホントに和真みたいな物言いになってるが、あんまり影響を受けすぎると手痛いしっぺ返しをくらうぞ……と、忠告だけはさせてもらおう」
和真のやり方は、和真にしか出来ない。
真似をしたところで、あいつと同じ結果をいつまでも出し続けられはしない。
「わかってるさ」
「なら、いいけどな。
……で、和真と関わりを持ったきっかけだったか」
考えをまとめるような間を置いてから、翔悟は続けた。
「中学の体育の授業であぶれたというか、普通に忘れ去られて誰とも組めていなかったあいつとバスケの1on1をしたんだよ」
「ほぅ。どうせ、君のことだから手加減抜きで圧勝したという流れかね」
「高遠さんにどんな風に思われているのかはさておき、ボロ負けしたよ」
「………………へぇ?」
虚を突かれたように、奈々世は目を丸くする。
その展開は予想していなかったという風に。
静輝も同様だった。
「そいつがバカなんだよ。言葉の選び方を間違えて、勝つ気になったあいつと勝負したんだ。そりゃ、負けるだろうよ」
ケラケラと嘲笑する宗次。
「あいつは勝負事に醒めてるっつーか、勝敗とかに興味のない奴だ。けどな、何らかの形でその気にさせたら、手段を選ばねぇんだよ。そいつの場合は、実力を出し切る前の先手必勝狙いだったな」
「………………。」
奈々世の視線を受け、その通りだと肩を上下させる翔悟。
正直なところ、和真を甘く見ていたのは事実だ。
それを踏まえても、ボロ負けという言葉が相応しい結果だった。
「……次の授業の時、翔ちゃんは大人げないレベルのリベンジしてたけどね」
美命が余計なことを言った。
「御影くん?」
奈々世の軽蔑するような視線を、翔悟は直視できなかった。
ケケケケケ……と嗤う宗次の声が不愉快だったが、反論すればするほどに立場が悪くなるのは明白なので耐え忍ぶしかない翔悟である。
「いや、相手の実力を認めたからこそ、次の機会では全力で挑むのが礼儀だろう。あんな結果になったのは、こっちも不本意なんだ」
それでも一応の言い訳はしたが。
「格上相手に奇跡の勝利を収めた地味な没個性に、情け容赦なく現実を叩きつけた屑野郎として、評判が悪くなったよなぁ?」
地味な没個性が地味な没個性であるが故に、悪評も一瞬で鎮火したが。
「うるさい……。今は大人気なかったと反省してるさ」
「当時は反省もしてなかったんだな」
「黙ってろ」
そうした一連の出来事が、翔悟と和真を繋げるきっかけだった。
「和真とはそれからの付き合いだよ。中二の夏ぐらいからだったかな。バスケがきっかけだったからか、それからしばらく〝それ〟絡みでいろいろあったが、本題に関係ない上に長くなるから割愛させてもらうよ」
改めて思い返せば、奇妙な関係だと思わないでもない。
当初はあっさりとした繋がりであり、友情と呼べるほどのものではなかった。
何事もなければ、次第に抱いた興味は薄れて、自然な形で疎遠になっていただろう。
なんだかんだで縁を繋げる出来事があったからこそ、今は親友と呼べる間柄になっているのだから、なんとも不思議な気分だ。
「そちらにも興味がなくもないけれど、次の機会を待った方がよさそうだね。
君たちの出会いは、やはり順当な形だったわけだ」
「偶然のきっかけに導かれてな」
わざとらしく意味深な眼差しを静輝と奈々世に向けながら、宗次は唇を釣り上げる。
誰かを。あるいは、何かを小馬鹿にするように。
「妙な言い方をするな。中二病か」
「実際に中二の頃の話なんだから、別にいいんじゃねーの」
小指で耳をほじりながら、どうでもよさそうに言う静輝。
「そーゆー問題?」
美命が思わず突っ込んでしまうほどに適当な口振りだった。
「ほどほどに面白い話だったけれど………」
壁に背中を預け、妙に真剣な顔を隠すように口元に手を添えていた奈々世が、
「そろそろ本題を聞かせてもらってもいいかな?」
にこりと微笑みを浮かべて、宗次を見やる。
「本題?」
「日歩くんは、どんな形で夕凪くんと縁を繋いだのかという話さ」
「なんで、聞きたがる?」
どこか攻撃的なものを含んだ眼差しで、奈々世を睨め上げる宗次。
「知りたいからだよ」
そよ風のように受け流しながら、奈々世は笑みを深める。
他意はないと示すように。
「………………。」
黙る宗次の視線が、静輝へとスライドする。
「この前にお前が盗み聞きした分の対価とでもしておくか。それなら過不足はないだろ?」
ポンとわざとらしく手を打ち、悪戯を思いついた子供のような顔で言う静輝。
「……気づいてたのかよ」
宗次は苦虫を噛み潰したように歯を軋らせる。
「当たり前だろ。まだまだ隠形が甘いな。彼を見習うといい」
「あいつの域に辿り着けるわけねーだろ」
「それはそれで失礼な物言いだと思うぞ」
「………何の話だ?」
眉根をわずかに寄せながら、宗次と静輝の会話の意味がわからない翔悟が割り込む。
「あいつには、俺たちの過去を盗み聞きされてるのさ」
「そんなに大した内容ではないんだけど、日歩くんから話を聞く上では対価としての価値が生じる。そうでないと公平ではないからね」
少しばかり意地悪そうな表情になった奈々世は、人差し指を立てた。
そのまま指を宗次に向けて、悪戯っぽくウインクを飛ばす。
「天邪鬼には対等な等価交換を持ちかけるのが有効だ。これも彼と接する上で学んだことのひとつになるのかな?」
「知るかよ」
面白くなさそうに吐き捨てる宗次。
「個人的に面白い話じゃねぇし、聞く側も愉快な気持ちにゃならねぇぞ」
「………………。」
妙な成り行きで長話が続く中。
無関係を主張するように部屋の隅で体育座りをしている美命は、お腹が空いたな~と遠い目をしていた。




