『元日の地味な没個性とその周辺』(5)
僕たちが見たのは、心が洗われるような綺麗な光景だった。
穢れきった峰倉さんの動きが止まるのも当然だ。
きっと、黒ずんだ魂が浄化されてしまったんだろう。これで少しは真っ当になってくれるといいなとか思ったね。
高遠さんは単純に見惚れたんだと思う。
一之瀬さんが描いた絵を見た時のような、心に真っ直ぐに訴えかけてくるような光景だったから。
僕も。
宗次も。
田中くんも。
言葉を発することなく、石段をゆっくりと上がってくる二人を見つめていた。
白石くんと天宮さんだった。
新婚バカップルだなんて呼ばれているクラスメート。
そこらの恋人よりも仲睦まじく、長年連れ添った夫婦のように落ち着いてもいる。見ている方が幸せな気持ちになり、心から幸せになって欲しいと願いたくなる二人だ。
「………………。」
白石くんが一段だけ先を歩いて、天宮さんの手を優しく引いて、ゆっくりと石段を上がっている。
手を引かれている天宮さんは、桜色の着物姿だった。
上に黒いコートのようなものを羽織り、空いている方の手には巾着袋。
髪は後ろにひっつめられ、簪が揺れている。
装い華やかな着物は高価そうで、凝った刺繍が施されているけれど、そんなのは無関係に天宮さんのためだけに誂えられたかのようで、天宮さんが着ているからこそ美しいのではないだろうか。
それほどまでに、とてもよく似合っている
天宮さんは薄く化粧もしているようで、いつもより大人っぽく見えた。
一転。
白石くんは普通のちょっとお小遣いを奮発しました的な私服姿なんだけど、ここで紋付袴とかだったりしたら台無し感が凄いので妥当なチョイスだと思います。はい。
とにもかくにも、二人だけの世界って感じがマジパネぇっす。
幸せそうに微笑んでいる二人が石段を上がりきるまで、僕たちはアホみたいに棒立ちしながら、ただただ奇跡のように美しい光景を眺め続けた。
え? 大袈裟?
そんなことは決してありません。
● ● ●
「明けましておめでとう」
「明けましておめでとうございます。
本年も相変わりませず、よろしくお願いいたします」
石段を上がりきった白石くんと天宮さんが、揃って頭を下げてくる。
にこにこ笑顔の白石くん。
はにかんでいる天宮さん。
新年になって初めて逢った二人は神々しいほどに輝いていて、本当にありがとうございますとなんだかよくわからない感謝の気持ちを捧げたい。
君たちが幸せそうに生きてくれているだけで、僕は満足してしまいそうだ。
なんかもう胸中に多幸感が満ち溢れて昇天しそう。
「………あ、あぁっと、その……」
長々と感嘆の吐息を漏らしていたら、ようやく初見の衝撃が薄れてきた。
夢から覚めるように、意識がはっきりしてきた。
……なんだろう? 軽く正気を失っていたような気がする。
峰倉さんなんか「ぐぎゃあああぁぁぁぁぁぁっ!?」とか叫びながら、膝を付いて両手で顔を覆っていたりするんだから、あながち間違っていないのかも知れない。
心が邪な人にとっては、文字通りの意味で毒のような光景だったんだろうね。やっぱり。
峰倉さんは目が灼けてしまったのかも知れない。自業自得でざまぁみろです。
宗次もなんか片手で口を覆いながら、思い切り目を逸らしている。
天邪鬼にもキツかったらしい。
凄いな、新婚バカップル。
君たちの存在は、新手の優しい精神破壊兵器みたいだ。
軽く尊敬してしまう。
ともあれ。
「こちらこそ。よろしくどうもでお願いします」
軽く頭を振ってから、白石くんたちに挨拶を返したところで。
「ふふふふふ。どう? わたしと慧の自信作は?」
「作品扱いするのはどうかと思うよ」
「素晴らしい以外の感想を許しません」
「物騒なことを言わないよーに。脅迫しなくても、みんなわかってくれるよ」
ゾロゾロと顔見知りなクラスメートが石段を上がってきた。
結崎さんこと結崎柳。
大島くんこと大島陽介。
氷上さんこと氷上慧。
久我原くんこと久我原鷹志。
白石くんと天宮さんが中心となっているグループの人たちだ。
多分、白石くんと天宮さんの後ろにいたんだと思うんだけど、完璧に目に入ってなかった。
あと、氷上さんがいるのに、滝沢くんがいないのはちょっと珍しいけれど……。
「うわぁ、いっぱい来たぁ……」
離れたところで他人の振りをしている愛莉の呟きが聞こえてきた。
――のはどうでもいいとして。
「素晴らしいね。こんなにも美しく着飾った天宮さんを見られたのは、素直に眼福だと言わせてもらいたい」
いち早く立ち直った高遠さんが、嘘偽りを一切含まない優しい表情で言う。
確かに、それ以外の反応をしようがない。
よっぽど捻くれていたり、心が穢れていたりしない限りは、美しいとか綺麗とか素晴らしいという感想しか抱けない。
え? 二人ほどおかしかったって。前述した内容に引っかかっただけですよ。はい。
「そうでしょ~、そうでしょ~♪」
結崎さんは自慢げだ。
峰倉さんと並んで、ウチのクラスでも二台巨頭と怖れられる悪質な愉快犯だけど、白石くんたちと一緒にいる時は基本的に安全だ。
彼らに害が及んだ場合は、その限りじゃないけど。
今は普通の女の子みたいな笑顔で親友の自慢を早口で捲くし立てており、高遠さんをちょっと引かせている。
「いや、本当にね。お正月らしい装いの効果もあるんだろうけれど、根本の天宮さんの魅力を完璧に引き立てているよね」
「ふっふっふっふっふっ。全くその通りですわ。夕凪くんも見る目が養われてきたようですね。もっと褒めていいんですわよ。写真や映像に残して、動画をアップして世界中に知らしめてくれても構いません。いや、むしろ私たちの手で行わなくてはならないのです。これぞ、世界平和の象徴! あぁ、ハレルヤっ!」
僕も素直な感想を口にしたら、氷上さんに手を握られながら怒涛の力説を受ける羽目になった。
氷上さんは、水城くんの女の子バージョンみたいな人で、当たり前のように竹刀袋に入れた真剣を常に持ち歩いている。
冷たい印象を抱かせる凛々しい美貌の持ち主で、長い髪をポニーテイルにしているんだけど、結っている位置が少し高いので若武者みたいな雰囲気になっている。
制服はともかく、私服はスカートを着用しないタイプなのでなおさらだ。
そんな彼女は滝沢家の守護を生業としている家の出で、滝沢くんのボディガードとして学園に転校してきたという背景を持っている。
最近はもっぱら天宮さんにべったりだけど。
「なんでお前らがそんなに自慢げなんだ?」
黒幕的冷笑キャラだったり、クールなキャリアウーマンみたいに物静かだったりする普段の姿をかなぐり捨てている結崎さんと氷上さんの有り様に、宗次がぼそりと呟く。
「なに、悪いの?」
「悪いとまでは言ってねぇだろ」
すぃっと凍るように冷たくなった結崎さんの瞳に睨まれ、宗次は肩をすくめる。
「つーか、何しに来たんだよ」
「壱世を見せびらかしに来たのよ」
「や、柳ちゃ~ん……」
威風堂々と胸を張る結崎さんに、天宮さんが困ったように眉を下げてる。
そんな女性陣の圧倒的な存在感はさておき。
「や。」
「あけおめ」
大島くんと久我原くんが、田中くんと軽い挨拶を交わしていた。
結崎さんと幼なじみという不幸な境遇の大島くんは、その壮絶を極めたであろう人生でも曲がることなく、人の好さがそのまま滲み出ているような、不思議と見る側に安心感を与えてくれる優しい雰囲気の持ち主だ。
いつも明るい空気を作り、白石くんたちのムードメーカーのような立ち位置にいるんだけど、本人は無自覚っぽい。
人畜無害を体現しているようなクラスメートだ。
久我原くんは自他共に認めるオタク文化愛好家である。
その趣味から連想される人物像とは裏腹に、意外に顔立ちは整っているんだけど、中身はちょっぴり残念。
ウチのクラス……というか、学園でもトップクラスの成績優秀者だけど、それは誰にも趣味を邪魔させないための方便と手段でしかないと断言する鋼鉄のような意志の持ち主だ。
「よう」
無意識に肩に入っていた力を抜くようにしながら、田中くんが応じる。
「峰倉の情報に踊らされたのか?」
「踊らされたっていうのがよくわからないけれど、それじゃあ田中くんはそうなのかい?」
「俺は違うが、ある意味においては、あいつの興味を引いた諸悪の根源のような立ち位置だな……」
「よく意味がわからないんだけど………」
「わからなくていい。今となってはどうでもいいようなことだ」
「「? ? ?」」
悔いるような田中くんの物言いに、大島くんと久我原くんは首を傾げる。
「……まあ、いいや。僕らは柳ちゃんの『着飾った壱世ちゃんをみんなに見せびらかしたい』っていうのに、付いて来ただけだよ。普段は行かない神社だからなんでだろうと思っていたけれど、君たちがいるからだったんだね」
「よもや正人が半ば出席を強制されているお金持ちのパーティーに参加して、他の主役(笑)の見せ場を奪っても悪いしってさ」
「むしろ、そっちに行ってくれた方がよかったような気もするがな……」
田中くんとしては、そう言いたくなる気持ちはわからないでもない。
でも、そんなお金持ちのパーティーなんぞに、白石くんと天宮さんを出席させたりしちゃったら、相当に居心地の悪い思いを強いられるに違いない。
穏やかな空気の中で、気心の知れた知り合いに囲まれて微笑んでいるのが、白石くんたちには似合っている。
「てゆーか、天宮さんが綺麗な着物を着てるのに、なんで氷上さんと結崎さんは着物姿じゃないんだい?」
「「うっ」」
素朴な疑問を尋ねたら、ちょっと気まずそうに氷上さんと結崎さんが目を逸らした。
「どうせなら、お前らも着とけよ。つまんねぇ。指差して笑ってやったのによ」
「ど~ゆ~意味よ!」
そっぽを向きながら言う宗次の額に、瞬時に間合いを詰めた結崎さんがデコピンをお見舞いする。
「――痛っ!?」
わりと痛そうな音がした。
「いや、氷上は和服が似合いそうな印象だがな」
田中くんがなんの悪意もなさそうな――好意もなさそうだけど――調子で言うのに、
「んん? それって、浴衣の似合う人の体型を揶揄しての発言か? ほら、まない――――」
久我原くんがここぞとばかりに反応した。
「ふふふふ。こらこら、そこの君たち。それ以上は赦しませんよ」
シュピン! シュピン!
銀色の煌きが閃く。
「「うおおおおぉぉぉぉぉぉぉぉぉっ!?」」
詳細は省くけども、生首が二つ晒される寸前の状況になりました。
常日頃から凶器を携えている人のコンプレックスを刺激するとどうなるかを少しは考えてから発言して下さい。お願いします。
「まあまあまあまあ、氷上さん。落ち着いてプリーズっ!」
「……はぁ、はぁ。私たちも着るつもりはあったのですけれど、ちょっと壱世の着物を選ぶのに夢中になりすぎてしまいまして……」
「てゆーか、どの着物を着ても壱世が可愛すぎて、なんかもう夢中で着せ替え続けてたら、自分のを選んでる時間がなくなってたのよね。てへ♡」
「君たち、ホントに天宮さんが大好きだよね」
「「何を今さら」」
「わたしが男だったら、和也から奪ってるわ」
「私もです」
「ちょっとちょっとちょっとぉっ!?」
聞き捨てならないとばかりに白石くんが突っ込む。
「あ、あはは………。柳ちゃんも、慧ちゃんも、冗談ばっかりぃ……」
天宮さんも手をパタパタさせる。
「「え? 冗談?」」
かなりマジな感じで、キョトンとするお二方。
「………………。」
「こいつらなら、本当にやりそうだよな」
「女でよかったね。いろんな意味で」
「いやぁ、ホントだね。あっはっはっはっ」
大島くんがちょっと大袈裟に笑って、収拾がつかなくなりそうだった話題を打ち切る。
「それにしても、一気にウチのクラスの人間が増えたな」
「一見の価値ある見物が増えたんだから、これはますます情報を拡散しないとね」
「やめろ、峰倉」
頭痛を堪えるようにしながら田中くんが言うけれど、
「や~よ」
当然のように、峰倉さんは取り合わない。
「………あ、白石くんと天宮ちゃん。ちょっと寄り添うような感じに立ってくれる?」
どころか、どこからともなく三脚とかを取り出しながらカメラを構えたりする。
「えっと、こうかな?」
「こ、こうですか」
戸惑いながらも、参拝客の邪魔にならない位置で寄り添うように立つ二人。
「ん~。もうちょっと、近くに……白石くんは腰に手を回すように………いやいや、照れちゃダメよ。天宮ちゃんは身体を預けるように………ん~、もう一声。甘えるような雰囲気が欲しいわ。そうそう。そんな感じ。表情はもうちょっと……こう初体験を終えて、ひと眠りして目を覚ました時みたいな感じで………え? わからない? またまた~♪ そんなに恥ずかしがらずに、素直な気持ちを表現するだけでいいのよ♡ 羞恥心を捨て去り、胸の内にある好きという気持ちを曝け出すのよっ! そうそうそうそう、素晴らしいわ☆ ―――――じゃあ、パシャリとね☆」
注文の多い峰倉さんが、ようやく満足してシャッターを押す。
その瞬間の二人は、やっぱり新婚バカップルの呼び名に相応しくて。
なんだか無性に拍手を送りたくなる。
てか、結崎さんと氷上さんはダバダバと涙を流しながら普通に拍手してたし、参拝客の人たちも何かの見世物のように思ったのか、何人もが以下同文。
気持ちはよくわかるので、僕も便乗した。
「正人さんにも写真を送ってあげないといけませんね……」
「衣装や着物を用意してくれたわけだし、それぐらいのお零れは恵んであげないとね♪」
ご機嫌な氷上さんと結崎さん。
「次は壱世ちゃんだけの写真を撮りたいんだけど、いいわよね~?」
「え、え~?」
「白石くんが部屋に飾りたくなるぐらい可愛い一枚を撮ってあげるから~♪」
「額に入れて飾りたい一枚を、どうかお願いしますっ!」
「和くんっ!?」
「むしろ、アルバムを作りたいから、ありとあらゆる角度から壱世の可愛い瞬間を切り取ってちょうだい。こればっかりはあんたに任せた方がよさそうだから、不本意極まりないけど、壱世をもうしばらく撮らせて上げるわ」
「柳ちゃんっ!?」
「必要でしたら道具を揃えますので何でも言ってください、峰倉さん」
「慧ちゃんっ!?」
どんどん顔が真っ赤になっていく天宮さんを、峰倉さんがパシャリまくる。
「あ、あうぅ~……」
「いいわ~♪ いいわよ~♡ その恥じらいが、あなたの女を磨き上げるのよ~☆」
「あう、あぅ~」
なんだか恥じらう天宮さんから、艶めいた色気を感じるようになってきた。
恥じらう着物女子って、なんか反則のような気がする。
「………………。」
なんだか白石くんに悪くて、ちょっと直視するのが躊躇われるくらいだ。
「いや~、壱世ちゃんは大人気だね~」
「当然だと思うよ。今日の彼女は綺麗だ。ちょっとばかり、あいつらが狂ってもしょうがないだろ」
そんなわけで視線を逸らしたら、大島くんと久我原くんがしみじみとうなずきながら、話をしていた。
やっぱり、天宮さんからは視線を逸らしながら。
「ふ~、動かずにいるのも意外と大変だね」
ちょっと顔を赤くしている白石くんもやってきた。
「今日の天宮さんは可愛いだけじゃなくて、綺麗だね」
「うん。女の子が寄ってたかって、壱世を着飾ってたからね」
「それだけか~?」
意地悪そうな笑みを浮かべながら、久我原くんが割り込んでくる。
「………壱世は、元から可愛いから、改めて言う必要はないんだ」
「なんて発言をしている白石くんですが、着物姿の壱世ちゃんを一目見た瞬間には、我を忘れた様子で褒めちぎっておりました」
大島くんがイイ笑顔で、親指を立てる。
「そうじゃなかったら白石くんじゃないと思うよ」
僕も親指を立てて、力強くうなずき返す。
どっかの幼なじみみたいに、下手なツンデレをする白石くんなんか白石くんじゃない。
天宮さんに関しては、恥ずかしいぐらい馬鹿正直なのが白石くんなのだから。
「ちょっとちょっと、君たちっ! 僕を惚気るしか能のない人間みたいに言わないで欲しいかなっ!?」
「「「え? だって、そうじゃん」」」
僕らの心はひとつになった。
天宮さんが絡んだ白石くんは、完璧にその一点が世界を塗り替えられそうなレベルで天元突破している。
「ひどいや、みんな。ちょっとはオブラートに包んでよ」
「それじゃあ、今の天宮さんのポーズを見てどう思う?」
「世界で一番可愛いっ!」
力強く拳を握って、白石くんは光の速さで言い切った。
「脊髄反射で出てきた言葉を振り返って、それでもまだ反論できるつもりなら、どんなに長い言い訳でも聞いてあげるよ」
「………………………………………。」
力強く拳を握ったまま、白石くんは沈黙する。
勝利。
なんか虚しいけど。
「よ~し。惚気男め~。世界で一番可愛い幼なじみをそら見ろほら見ろじっと見ろ~♪」
「こんな離れたところに立ってないで、すぐ近くで見守ってやらないでどうするんだい? 君が見ていたら、天宮さんはますます可愛くなるよ、きっとねっ! 根拠はないけど、愛の力的なものでさっ!」
「あ~、も~っ! 離してくれ~っ!」
悪ノリが止まらなくなった幼なじみに両脇を固められて、白石くんが連行されていく。
「なんか盛り上がってたな」
手を振りながら見送っていると、宗次が寄ってきた。
「今日の白石くんは、いろんな意味で美味しいからね」
「……あ~、確かにな。なんか義務を感じそうなレベルだ」
さすがにそこまでじゃないと思うけど……。
「なんか一気に賑やかになったね」
「この調子だと変なのが集まってきそうだな」
「宗次も部類としては、そっち側にカテゴリーされてると思うんだよね」
「うるせーな」
白石くんたちが中心になって、わいわいがやがやと盛り上がっているのを尻目に、息抜きがてらにちょっと離れたところに移動する僕と宗次。
ふうっと息を吐きながら、特に理由はなく――強いて言うなら、参拝客の中に新たなクラスメートが混ざってたりしないかなぐらいの気持ちで視線を向けた先に、変なモノがいた。
「「うわぁ……」」
必然のように変な声が出た。
キラキラとした輝き……としか評しようがないものが、石段を上がってきている。
「きたぁ……」
「紅白歌合戦の出場者みてぇな格好してやがるが……」
演歌が頭の中で再生されそうだ。
「あいつは一体、何を考えて生きてんだ?」
「さぁ? 彼の考えなんて、僕らには完璧に理解不能だと思うよ」
たった一つを除いて。
………あ~、その、なんとゆーか、こう、何を言ってるのか訳がわからんと思われるかもだけど、凄い格好というか、衣装を着た美男子がいるんだよ。うん。なんかもうね。キラキラしてんの。容姿の優れた美男子がマンガとかで表現されてるキラキラを日常的に背負ってるようなのをイメージしてもらえばいいかな?
うん。それが素なの。
んでもって、今はそのキラキラが、衣装の補正で十倍ぐらいになってるのね。奇抜というわけではないし、悪趣味というわけでもないんだけど、なんか無駄にキラキラしてるんだ。金色に輝いているだけならまだしも、どういう色彩効果なのか、七色に輝いてさえ見えるとかもう普通に常識が行方不明だ。おまけに、なんかワサワサしたものが背中で揺れてるし。
ほら、意味がわからないでしょ?
つまりはそういうことなんだよ。はははのは。
僕は混乱している。
「やあ、夕凪君。明けましておめでとう。新年早々、この美男子の美しく着飾った姿を見られるとは縁起のいいことだ。己の幸運を誇れ。そして、感謝の気持ちを捧げ、この美の体現者である俺様を崇め奉るがいい!」
「ア、ウン。アケマシテオメデトウ、ツカハラクン」
死んだ魚のような目にシフトチェンジして、機械音声で挨拶を返す。
彼は塚原京四郎くん。
クラスメートの美男子だ。うん。ここ重要。特に美男子という部分。途轍もなく容姿が優れているんだけど、中身が壊滅的に狂っているというのもポイントだ。
文武両道を地でいき、運動神経は並を遥かに凌駕し、頭脳もいっそ呆れてしまいそうなくらいに明晰だ。
そんな彼には『名探偵』という称号が与えられている。
………あと、全自動式厄介事誘発体質の持ち主というのも忘れてはいけない。
だけどね。
そんな諸々がどうでもよくなるレベルのナルシストなんだよ。うん。
先の発言だけでも、彼のひととなりの一端ぐらいは理解してもらえると思うんだ。
「そこの無様なチンピラにも挨拶をしてやろう。そして、この俺様の偉大なる雄姿を拝む権利を与えてやろうではないか。ふはははははは、感涙に咽びながら跪くがいい」
「殺すぞ、変質者がっ」
完全に本気で言ってる顔で、拳を握り締める宗次。
気持ちはギリギリわからないでもないけれど、落ち着くんだ。
相手をすればするほどにドツボに嵌っていくだけなんだから……。
「変質者……ほぅ………変質者とな? まさかとは思うが、そこな無様なチンピラよ。俺様の――偉大なる美男子の晴れ姿を、理解出来ぬとでも言うのか?」
「出来るわけねーだろうがっ! 無駄にギラギラしやがって、悪趣味以外のどんな言葉で評しろってんだ。言ってみろっ!」
「美。その一言で事足りるだろう、脳無しめ」
能無しじゃなくて、脳無しって言ったよね、今……。
「ただただ感嘆の吐息と共に讃えられる美男子が、美しく着飾っているのだ。その輝きは、もはや神々しいという言葉でも追いつかぬ。凡人・庶民などは直視するのも躊躇うほどの美しさを、貴様如き匹夫は理解出来ぬというただその一点で貶めようとする。愚かしい。浅ましい。凡庸にさえ劣る無理解は、悍ましいほどに哀れだ。所詮、お前如きでは頂を仰ぎ見る資格すらないということか」
………あ~、直視を躊躇っているのは、純粋に関わり合いになりたくないと思われてるだけなんだよ?
心の中で、一応の突っ込みを入れておく。
「だが、すまない。俺様にも足りぬ部分があったのだと認めよう」
「なん……だと……?」
傲慢が服を着て歩いているような美男子……じゃなくて、塚原くんの口から過ちを認めるような言葉が出てくるとは。
夜になったら、神社にある温泉がお酒になってるかもしれない。
我ながら意味不明の例えだけど、驚天動地なのだと思っていただければ。
「貴様の程度というものを、甘く見積もっていたらしい。人間並の知能を持ったチンピラだと思っていたが、所詮は上辺だけを取り繕ったハリボテに過ぎなかったか。人間に成り損なった醜悪な排泄物に、美を理解しろというのも酷な話だったのだ。世界の果てまで隔てた対極の概念……愚物に理解させようというのは残酷だった。ただ見るだけでいい。お前には理解出来ずとも、世界が知っている美しさを目に焼き付け……」
「………………。」
「せめて安らかに死ぬがいい」
とても優しいキラキラした笑顔で、なんか頭の狂しいことを言い出す塚原くん。
宗次の貶めぶりは、下手すると峰倉さんや結崎さんを上回りかねないレベルにまで達していたけど、その帰結は明らかに正気じゃない。
いや、ここまでの時点で、彼を正気だと思ってくれる人が何人いるか知らんけども。
「なんで?」
「無恥で無知で蒙昧なる己の愚かさを理解出来ずとも、俺様の美の威光が自壊衝動を発現させるだろうからな。……全く罪深い美しさだ。ならばこそ、自殺を勧めるのが、せめてもの慈悲なのだよ。わかるかな?」
「………………。」
無言の宗次の顔から表情が抜け落ち、代わりのように握り締めた拳が滅茶苦茶ブルブル震えてるのが、なんかもうヤバい。
名探偵の殺人事件が起きるまで、もうそんなに猶予がない。
「そろそろ収拾がつかない感じだから、ちょっと黙ってくれるかな、塚原くん」
「うむ。そうだな。便所にこびり付いた糞同然のチンピラを相手にしているほど、暇ではなかったな。……おっと、すまない。さっきの発言は美しくなかったな。忘れてくれたまえ」
「もう殺していいよな? 頼むから、許可をくれ」
「殺人幇助の罪を背負う気はないよ」
どーどーと背中をポンポン叩きながら、塚原くんが視界に入らないように身体の向きを変えさせる。
たったそれだけでも、幾許かは鎮静効果があるはずだ。
「ところで、なんでそんな格好までして、ここに来たの?」
立ち話……はあんまりしたくないんだけど、こんな塚原くんを境内に上げる決心も僕には出来ない。
時間を稼ぐために、適当な……ちょっと気になっていたことを聞いてみる。
「ふむ。当初の予定では、最も人の集まる神社に赴き、新年を迎えたことでリニューアルした俺様という新たなる美を披露しようとしていたのだが……」
不審者出現のニュースで、テレビが賑やかになりそうだ。
思い留まってくれてよかった。
「残飯漁りを趣味としている浅ましい女狐の回してきた情報を目にした瞬間……」
峰倉さんのことかな?
怖くて確認できないけど、きっとそうなんだと思う。
「俺様の明晰な頭脳が震えたのだよ。彼の地に、俺様と覇を争う美を顕現させた者がいるとな」
妙なシナプスの閃きが、天宮さんの晴れ着姿を感知したのかな?
どうもそんな感じだけど、塚原くんの美のセンサー(?)すげぇ。
同時に危機感が鰻登りだ。
塚原くんに自重という言葉は存在しないので、下手なことを言おうものなら天宮さん大好きな人たちとの戦争が勃発する。
柳原神社が消し飛ぶ。
発想の推移がおかしいけど、何も間違ってなどいない。やべぇ。
「あ~、え~と、ところで、その服はどこで売ってたの?」
変な汗を全身で感じながら、なおも時間稼ぎを画策する僕。
「勿論オーダーメイドだ」
威風堂々と言ってのける塚原くんだけど、何が勿論なのだろう?
僕にはさっぱり意味がわからない。
「俺様という美の化身が纏うに相応しい装束を、無知蒙昧なる凡俗どもに理解できるはずがなかろう? 俺様を最も理解しているのは俺様に他ならない。故に、俺様の着るべき衣装を俺様がデザインするのは自然の成り行きというもの。何の不思議もない」
うん。塚原くんは今日も平常運転で狂ってる。
こんな衣装を作らされた人に、心からの同情をしてしまう。
きっと、自分の人生に何度も疑問を感じたんじゃないだろうか。
「ふふふ、ははは、ふははははははははははっ!」
唐突に塚原くんが笑い出した。
「感じる! 感じるぞ! 俺様に匹敵する美の波動をっ!」
いよいよ変な電波までも受信し始めたらしい。
天才となんとやらは紙一重というけれど、彼の場合は天才のまま吹っ切れてるから厄介なんだよね。
「いざ往かん! 競合する美を捻じ伏せる戦場へ!」
石段を威風堂々と上がってくる塚原くん。
背中についてる羽根みたいなのが、ワサワサと揺れている。
キラキラとした輝きは、まるで何かの祝福のようにも見えてしまう。遺憾な話です。
「もう結崎とかに始末させようぜ、あいつ……」
宗次の言葉にうなずいて、家に帰ってしまいたいという気持ちが無きにしも非ず。
「新年早々から戦争とか殺人事件とかを、若菜ちゃん家で発生させようとするなよ」
ここが柳原神社じゃなかったら、ホントに帰ってたかもしれない。
でも、柳原さんたちに迷惑はかけられないので、僕は首を横に振るしかないのだ。
悲劇は止めなくてはならない。ならないんだ。
「追いかけるよ、宗次」
「………いざとなったら、俺は逃げるからな」
「出来れば、僕も連れてって」
「……余裕がわずかでもあったらな」
悲壮な覚悟を胸に抱きながら、僕たちはキラキラした塊としか言い様のない塚原くんを追いかけるのだった。
● ● ●
結論だけを言ってしまうなら、僕らの心配は杞憂だった。
着物姿の天宮さんを見た瞬間に、塚原くんの口から出たのは「美しい……」という賛嘆の言葉だったからだ。
当然のように「俺様ほどではないがな」という余計な一言を付け加えたりもしたけれど、素直に認める言葉は抑止力となり、戦争の勃発は回避された。
よかったよかった。
塚原くんも加わった一角がわいわいがやがやとさらに賑わっているのを横目に、心労で気疲れした僕と宗次はため息を吐く。
「疲れたぁ……」
「初っ端から、とんだ外れクジを引いたもんだな」
「最初は白石くんたちじゃないかな?」
「正直、そこら辺はどーでもいい」
「そだね」
「まだ物好きが来ると思うか」
「噂をすれば影が差すっていうよ」
冗談めかして言った瞬間だった。
ここからでは見えない石段の下の方から、不自然などよめきが聞こえてきて、一瞬で静かになった。
「「………………………………。」」
僕と宗次も静かになって、顔を見合わせる。
「どうする?」
「ど~するもこ~するも、何があったのかを確かめねぇと何も出来ねぇよな?」
「それじゃあ、確認は宗次に任せるよ」
「お前も道連れだ」
「やっぱり?」
おっかなびっくりの足取りで進み、僕たちは上から見下ろした。
石段を上がってきているであろう何者かを。
「「………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………ぅぁ、っ」」
何気にTAKE2の始まりだった。
うっかりで世界の深淵を覗き込んでしまった時の気分というのは、こんな感じなのかも知れない。
深海の底に横たわっているかのように音が消えた。
静謐とさえいっていいくらいの凍りついた空気の中で、満面にびっしりと汗が浮かんでいくのを自覚する。
世界が歪む。
目が泳ぐ。
全身が震える。
そして――
小さな音を聞く。
不思議と耳に心地よく響く可愛らしい音――詳細不明――は、教室で聞き慣れた(?)足音に他ならない。
「………く、来るぞっ!?」
戦慄の混ざった宗次の小さな叫び。
霧でも立ち込めているように霞んだ視界の向こうから、影がゆっくりと石段を上がってくる。
それは――
犬なのか猫なのかネズミなのかそれとも別の何か幻想的な生物なのか、未だに系統がはっきりしないシルエット。柔らかくもふわふわした感じの二・五頭身。背中に小さな翼を生やした、全体的に丸っこくもふくよかな体型の不思議な……不可思議な何かだった。
………………えっと、正確には、そんな謎生物の『着ぐるみ』を、何故か常に装着しているクラスメートの五十鈴さん……のはずだ。多分。きっと。
着ぐるみを装備(?)するようになってから、五十鈴さんのご尊顔を拝謁する機会が一切なくなっているので確証はないけども。
僕らのクラスの『不可侵領域』と化したマスコット。
今では五十鈴さんではなく、パトリシアさん……気軽にパットと呼んであげてください――なクラスメートの成れの果て(哀)だった。
「………………………。」
「………………………。」
『にゃふ?』
動けずに棒立ちしていたら、当たり前に気づかれた。
ぐんにょりと常識が歪むようなつぶらな瞳に直視されて、身体が勝手に傾いてしまう。
近づいてくる。近づいてくる。近づいてくる。
ほどなく至近距離――三段ほどを残したところで、パトリシアさんは挨拶をするように肉球のある片手を上げて一言(?)。
『にょにゃにゃにゃむ、にゃにゃにゃふにゃるんにゃ♡』
――と、鳴いた。
もしかしたら、「明けましておめでとう」と言ってくれたのかもしれない。
「………………。」
「………………。」
僕たちは動けない。
お正月仕様なのか、着物っぽいものを着ている(?)のが、パトリシアさんの見た目のインパクトに拍車をかけているからだ。
だから、もう間もなく起こるであろう混沌に対する備えなんか全く出来なかった。




