『元日の地味な没個性とその周辺』(3)
ふと気づけば、元旦を迎えていた。
ちょっと前まで勘違いしていたんだけど、元旦って、正確には元日の朝のことを示しているそうなのだ。元旦の『旦』の字は、太陽が地平線から出るさまを表した漢字で、朝や夜明けを意味しているとか。
だから、元日の朝のみを表しているらしいのに、実は一月一日である元日も意味しているらしいんで、結局のところはちょっと曖昧な感じだ。
ともあれ。
元日の朝である『元旦』を迎えている僕たちである。
「朝だな」
「朝だね」
田中くんと肩を並べて、僕は東の空を輝かせる初日の出を眺めていた。
夜の暗さがとっくに薄らいでいる空は、快晴を思わせる薄い青に染まっている。
高いところから見る地平線の向こうに曙光がさし、ゆっくりと太陽が顔を覗かせていく。
新しい一年の始まりを、目に見える形で実感する。
毎日のように繰り返されている光景のはずなのに、元日に見る日の出は特別なように思えるのだから不思議な気分だ。
「なんだか、本当に明けましておめでとうって気分だね」
「そうだな」
「改めて、今年もよろしくね」
「新年の挨拶はもう済ませてなかったか?」
「夜の空の下と明るい空の下だと、また趣が違うような気がしないかい」
「言いたいことはなんとなくわかるな」
田中くんは束の間、空を見上げてからうなずいた。
「こちらこそ、よろしく頼む」
なんとなくの握手を田中くんと交わしていると、仕事を終えて私服に戻った高遠さんとなんだかんだで朝までいた峰倉さんが歩いてきた。
二人は拝殿に初詣へ行っていたのだ。
高遠さんは改めてということになるけれど。
「なんで握手とかしてんの?」
きょとんとする峰倉さん。
「新年の挨拶みたいな?」
「なにそれ。夜通し一緒にいたのに、今さら挨拶とか遅すぎじゃない」
「夜の内に済ませてたけど、元旦を迎えたから改めてね」
「ふ~ん」
「ついでに、峰倉さんとも夜通し雑談してたけど、明けましておめでとうを言った記憶がないんだよね」
「あたしも言ってないわね。そういえば……」
「そんなわけで、明けましておめでとう。あんまりよろしくされたくないけど、穏便な形でよろしくしてくれたらありがたいかな」
「つまり~♪ 夕凪くんは不幸のどん底まで突き落とされたいわけね。わかったわ。冬休みが終わったら楽しみにしてなさい。あることないことを捏造した記事であなたの存在を最底辺まで貶めてあ・げ・る♡」
とっても素敵な笑顔だった。
見る側としては、凍り付きそうな気分だけども。
「ごめんなさいごめんなさいごめんなさいっ! 調子に乗った発言してごめんなさい。許してくださいお願いします欠片ほどの慈悲の心を思い出して優しさと寛容の精神でご寛恕をお恵みくださいませぇっ!」
「謝罪しているように見せかけて、さりげなくディスってないか?」
ちょっと口が滑っただけなんだから、余計なところに気づかないで欲しい。
「どうなんだろう。早口すぎて聞き取れなかった」
「峰倉の顔を見れば、一目瞭然だがな」
「こめかみに青筋が浮いてるね」
「ふふふふふふふふ……」
峰倉さんが不吉なものを孕んだ声で笑う。
「どうやら、あなたは身近な女の子に手を出しまくるハーレム野郎として、新年を歩いていきたいらしいわね」
「滅相もございませんがっ!? 僕にそんな度胸や根性やモテ要素があるわけないじゃないかっ! 地味な没個性だよ! 存在ステルスだよっ!! そもそもハーレム以前に、恋人が出来るかどうかの問題だし、根本的にこんな僕に気づいてくれた上に好意を抱かれるのが、どんなに難しいことなのかを少しでも想像してくれないかなぁっ!!」
「自分で言ってて悲しくならないのとか、自分から動く気はないの……ってのはさておき。あんたはヒトタラシの才能ならありそうなのよねぇ~? その方向性で攻め込んだら、あっさりと転ぶ女の子が今の時点でも五、六人ぐらいはいそうなんだけどね」
「そんなバカなっ!?」
とんでもない言いがかりに目を剥く。
なのに――
「あぁ、そうだな。間違いない」
「静輝も落とされかけてるからね~」
田中くんと高遠さんが妙にしみじみとうなずいているのが意味不明だ。
「人聞きが悪いな。単に友人として気に入ってるだけだぞ」
「静輝は簡単に友人を作らないタイプだからね~」
「あんまり増やしすぎるのも問題だろ」
「それは友人をいつでも作れるぐらい社交性のある人じゃないと言えないセリフだと思うけどね。悲しくはあるが、静輝が言うと負け犬の遠吠えみたいに聞こえてくる」
「あはははははははははははははははははははははははっ♪」
峰倉さん、お腹を抱えて大爆笑。
「笑うな、峰倉っ!」
「これが笑わずにいられるかってーの♪ げらげらげらぁぁっ☆」
「今時、こんな豪快に笑う女子は見たことがないなぁ……」
「灯理。女を捨てるのはよくないよ」
「………………くっ」
僕と高遠さんの突っ込みに、峰倉さんがちょっと恥ずかしそうに黙り込む。
「ぎゃはははははははははははははははははははははっ!」
田中くん、峰倉さんを指差して大爆笑。
さっきからキャラ崩壊の連続だ。
これも元旦の曙光がもたらした奇跡なんだろうか。
ヤな奇跡だ。
「こんなザコっぽい悪者みたく笑う田中くんは見たくなかったよ」
「静輝、さすがに格好悪いよ」
「………………ぐっ」
結局、なんだかんだで田中くんと峰倉さんが微妙にダメージを受けていた。
「それにしても……」
上手い具合に謂れのない誹謗中傷も下火になったので、揺り戻しみたいなのが起こらない内に雑談の方向性をこのまますり替えてしまおう。
「ホントになんやかんやで仲がいいんだねぇ……」
やいのやいのと罵詈雑言を吐き散らかす二人を尻目に、高遠さんに話しかける。
「もう二年と半年ぐらいの付き合いになるからねぇ……」
「そんなに長いの? てか、田中くんはその時期だと実家にいたんじゃないの?」
「光理は家の都合でいなかったが、夏休みに静輝がこっちに来ていたんだよ。その時に一堂に会する機会があってね。もう一人も含めて、いろいろとあった」
「もう一人って……?」
「彼女は素直じゃないので、多少の距離を置かれているがね。昨夜は久し振りに話をする機会を得たけれど、相変わらずだったね。将来の伴侶はとても苦労しそうだ」
「ふぅん。面倒くさい娘なんだ」
「そうだね。うん。本当に大事なところでこそ素直になれない娘だよ」
多分、僕の知らない相手なのだろう。
高遠さんは少しだけ曖昧なものを含んだ微笑を浮かべ、空を見上げた。
「灯理とも彼女とも長い付き合いになっている……。あんな〝偶然〟がなければ、出逢うこともなかったと思えば、不思議な縁が結ばれたものだ」
「高遠さんとしては、どんな感じ?」
「みなといると退屈はしないから、楽しいよ。でも……」
「でも?」
不意にジト目になった高遠さんは、いよいよ聞き苦しい言葉で互いを貶め合い始めた田中くんと峰倉さんを見ながらため息を吐く。
「光理の悪影響になりそうだから、ああいう時には近づかせたくないね。今年からは少し苦労をしてしまいそうな予感がしているよ」
「あはは……。確かに、情操教育にはよろしくないね」
乾いた声で笑っていると、巫女装束&ポニーテイルな若菜ちゃんが家のある林の方から姿を見せた。
「……み、みなさん。おはようございま………ひぃっ!?」
険悪な空気を剥き出しにして、そろそろ互いに掴みかからんばかりになっている田中くんと峰倉さんを視界に収め、ズザッと後退してしまう若菜ちゃん。
逃げたくなる気持ちはよくわかる。
そして、高遠さんの危惧は現実のものになりそうだという確証を得て、なんとなく胸中でため息を吐く。
「やあ、若菜ちゃん。おはよう……てか、明けましておめでとう。今年もよろしくね」
「あ、あっ、明けましておめでとうございます。こちらこそ、今年もよろしくお願いまします」
「うん。まずは受験勉強に関して、よろしくさせてもらうね」
「うっ」
笑顔が引き攣る若菜ちゃん。
「………えっと、それはひとまずさておきまして、よかったらですけど、ウチで朝ご飯、どうですか?」
「いいのかい?」
ちょっと意外そうに聞く高遠さん。
さりげなく、清々しい朝を濁らせる勢いでヒートアップしている二人の醜い争いが、若菜ちゃんの視界に入らないように立ち位置を変えたりしていた。
そんな気配りが素敵で、惚れてしまいそう。
「あ、はい。夜通しいっぱいお仕事してくれたので、せめてもの気持ちです。あの、そんなに大したお持て成しは出来ませんけど……」
「そんなに気を遣ってもらわなくてもよかったんだけど、折角のお誘いなのだから、お言葉に甘えさせてもらっていいかな? 実は少し空腹を覚えていたんだ」
高遠さんはにこりと微笑む。
「あ、はい。どうぞ」
これまたさりげなく、若菜ちゃんの肩を軽く抱いて、エスコートするように歩き出す。
本人に自覚はなさそうだけど、女の子から大人気になるのも納得の自然さだ。
機会があったら参考にしたいですね。はい。
「………っ」
若菜ちゃんもなんだか顔が赤くなっている。
それはさておき、黒い炎を背負っている二人は放置プレイなんですね。了解しました。
僕もその方がいいと思います。柳原さん家に迷惑はかけられないからね。
「ところで、若菜ちゃん」
「はい。なんですか?」
「ゆかりと愛利はどうしてるかな?」
「とっても気持ちよさそうに寝てますよ」
「う~ん……」
もうそろそろよさげな時間だし、起こしておくべきだろうか。
それとも、もう少しぐらいは寝かしておいて上げるべきだろうか。
あんまり放置しておくと忙しい柳原さん家の迷惑になるかも知れないけれど、起きたら起きたで騒がしくなりそうしなぁ……。う~ん。悩ましい。
「あ、そうだ」
いつの間にか、高遠さんにお姫さま抱っこされてる若菜ちゃんが、真っ赤な顔で僕を見る。
………………………………ホントにいつの間に?
「なんだい?」
「朝ご飯のあとで、家の前でお餅つきをするんですけど、みなさんもどうですか?」
「それはいいね。無駄に体力が有り余っている静輝向けの作業だ」
「高遠さんっ!?」
「返し手は、私がしよう」
「なるほど。新年早々から夫婦の共同作業がしたいんだね」
「少し光理に悪いような気もするけど、そういうことだね」
「熱々なんですねぇ」
「強いて贅沢を言うなら、もう少し彼には大人になってもらいたいのだがね」
ちらっと後ろを振り返れば、田中くんと峰倉さんはとうとう額と額を突き合わせて、口を動かしていた。
さすがに内容は聞こえてこないけれど、遠目にはもうすぐキスでもするんじゃなかろーかとか思える光景でもある。
内実は正反対だけど。
「やれやれだよ」
親愛のこもった吐息を漏らしながら、お姫さま抱っこをしている若菜ちゃんの温もりを求めるようにぎゅっと抱きしめる高遠さんだった。
なんで若菜ちゃんを抱いてるのかが現在進行形で意味不明なんだけど、僕はあえて突っ込まなかった。
● ● ●
そんなこんなで。
柳原さん一家と一緒に、朝ご飯をご馳走になった。
立派なお節料理も並んでいたけれど、僕的にはお雑煮や卵焼きやサンドイッチ(若菜ちゃん作)の方にばっかり手が伸びていたのは、若いからだと言い訳をさせてください。
高遠さんは見事な姿勢で静々と食べていて、涼平さんや青葉さんに感心されていた。
さらには、なんと柳原一家の大黒柱にして、神社の宮司でもある一葉さん――若菜ちゃんのお祖母ちゃん――から、「若いのにしっかりしてる」とお褒めの言葉をもらっていた。
そうこうしていると、ゆかりと愛莉も起き出してきて、諍いが一段落したらしい田中くんと峰倉さんも合流した。
宴会で酔い潰れていたご近所さんたちも続々と復活し、広い部屋での朝食はやたらと賑やかなものになるのだった。
そして――
飲んだくれたちの宴会が再開されるのを尻目に、若い僕たちは家の前に集合して餅つきだ。
「お~、立派な杵と臼だ」
「実際に餅つきするとこ見るなんて初めてだわ」
田中くんが感心したように言う傍らで、峰倉さんが自前のカメラでパシャリと撮ったりする。
「つきたてのお餅っておいしいんだよ」
準備を整えて、もち米が蒸しあがるのをのんびりと待つ。
「誰が杵でつく~?」
「こういうのは体力のある田中でしょ~」
「別に構わんが、返し手は峰倉がやれ」
言われるまでもないというように田中くんは杵を手に取り、ヒュンヒュンと風切り音をさせながら、重さを確かめるように振る。
あれ? そんなに軽々と持てるものだったっけ?
「手を潰されそうだから、や~よ」
「正月から、鮮血い餅とか食べたくないんだけど……」
「……ははは。二人にやらせると本当にいろんなものが赤く染まりそうだから、私がやらせてもらうよ」
「奈々世なら安心だ」
「念ために言っておくけれど、うっかりでも手を潰さないでくれよ」
冗談めかして言いながら、高遠さんはウインクを飛ばす。
「わかってる」
「新年早々から熱々な夫婦の共同作業です。是非ともみなさんで冷やかしてあげましょ~♪」
率先して冷やかしている峰倉さんの言葉に、みんなで苦笑する。
「五月蝿い。黙れ」
ワイワイガヤガヤやっていたら、大きな鍋(?)を持った涼平さんが姿を見せる。
「はい。お待たせ~」
湯気を上げる蒸しあがった餅米が臼に移されて、涼平さんの指導の下で田中くんが杵でコネていく。
この作業は『こわづき』と呼ばれていて、餅つきにおいては重要なポイントなのだとか。
コネ易いようにお湯を適度に含ませながら、じっくりと――でも、テキパキと早めに――餅米をコネていく。
このコネ作業をちゃんとしていなかったら、うまく出来ないのだそうだ。
「それじゃあ、始めるか」
「杵は力いっぱい打ち付けるのではなく、持ち上げた杵の重さを自然に落とすように、ぺったんぺったんとつくのがベストだよ」
「はい。わかりました」
うなずいた田中くんが、高遠さんに視線を移す。
臼のすぐ傍で片膝を付いている高遠さんは、小さな台の上に乗ったボウルに満たされているぬるま湯で手を濡らし、こくりと真剣な顔でうなずく。
「来い、静輝」
「ああ。行くぞ、奈々世っ」
なんだか、ただの餅つきのはずなのに、妙に緊張してしまう空気だ。
「なにコレ?」
「変な緊迫感が漂い始めたな」
「やっぱり鮮血い餅のご提供になるの?」
「いやいやいや……」
「ごくり」
なぜか下級生女子までもが固唾を飲んで見守る中、田中くんが高々と杵を振り上げる。
「―――なんだ? 何かと思えば、面白そうなことやってんじゃねぇか」
そんな絶妙のタイミングを狙ったわけでもないのだろうけれど。
この面子に加わるとなると波乱の予感しかしない新たな登場人物――宗次が唐突に現れた。
いやまあ、みんな後ろを気にしてなかっただけなんだけどね。
「うわぁ……」
僕の呟きは、わりとたくさんの人の心情を代弁してたと思う。




