『大晦日の地味な没個性とその周辺』(2)
「ふぅん。今回もなかなかの仕上がりね。あなたたちの血と汗と涙と阿鼻叫喚の感情がこびり付いて、夥しいほどの情念を立ち昇らせてるわ」
パラパラとR18の同人誌を流し見した古都乃先生の第一声だった。
取り置きしてた奴を強制的に徴収されました。はい。
「ちょっと何言ってるのかわかりませんが、褒められたのだと思っておきます」
描いたのは僕じゃないけど。
あれから、僕らは撤収準備を強制的に素早く終わらさせられて、古都乃先生の荷物持ちという役目をありがたくも仰せつかった。
そして、午後四時。
場内放送と拍手で祝うイベントの閉会を迎えてから、疲れ切った足取りで僕たちの街まで帰ってきたのである。
そのまま帰路につきたかったのだけれど、これまた古都乃先生の強権発動で馴染みのないファミレスに連行された。
ちなみに、僕と美命は当然として、途中で捕まった宗次と翔悟の姿もある。
美命がフィッシュされているために翔悟に逃げられる未来は最初からなかったけれど、宗次は流石の危険感知でこちらを一瞥した次の瞬間には背中を見せて逃げ出していた。
薄情者めと叫ぶ気すら失せる清々しさだった。
きっと同じ立場だったら、僕も逃げただろうから責める気にもならない。
だが、しかし、視界に入ってしまったからには逃げられるはずもなく。
「行きなさい、ポチ!」
「誰がだぁっ!?」
無慈悲に追っ手は放たれた。
ちなみに、水城くんね。
十分後。
何故か初見の段階からボロボロになっていた水城くんと同じくらい、ボロボロになった宗次がぐったりと引き摺られながら戻ってきた。
会場が会場なので、殺陣だと勘違いしてくれてたらありがたいなぁ……と、遠い目をするしかなかったね。
そんなこんなで今である。
「お姉様。わたくしも、見ていいですか?」
「いいわよ」
興味を引かれたらしい海棠さんに、古都乃先生があっさりと手渡す。
売ってた側が言うのもなんだけど、それは『R18』なんですがね。
「あら? あらあら、まぁまぁ……」
ペラッとページを捲っていく海棠さん。
ピンク色なシーンに到達したと思しきタイミングで、素っ頓狂というほどではないけど、ちょっと声の音程を狂わせる。
ほんの一瞬だけ、初心な乙女のように視線を逸らして頬を朱に染める。
でも、同人誌を閉じたりはしなかった。
「………………。」
無言。
再び紙面を見る海棠さんの集中力が高まっているのがよくわかる。
最後までページを捲ったら、今度は食い入るように最初から見始める。
また新たなファンを増やしてしまったようだぞ、愛莉。
今は遠くで労働に勤しんでいるであろう幼なじみに、心の中で語りかける。
「それにしても、古都乃先生がああいうイベントに参加するとは意外でしたね」
「ん~」
気のない声を出しながら、テーブルの上に並んだ料理を口に運ぶ古都乃先生。
ちなみに、僕らも食事中だ。
朝は早かったし、昼は抜いているしで、空腹は最高潮。
宗次と翔悟と水城くんは餓鬼のように、大量の料理をモリモリと貪り食らっている。どこかヤケクソじみているように見えなくもないけれど、気のせいだろう。きっと。
「これといった興味があるわけじゃないし、ゴミのように人間が集まっているところにわざわざ混ざる気はなかったんだけど……」
「ゴミのようにて……」
「ついうっかり教室にいる時のクセで、何度か薙ぎ払いそうにもなったわね」
「………………。」
突っ込んではいけない。
「縁のある小娘たちが喜び勇んで参加しているのが添琉の興味を引いたみたいだから、ついでの様子見がてらに足を運んでみたのよ」
「海棠さんが?」
「いろいろとあったらしくてな。俺はその巻き添えだ」
夢中になっている海棠さんの代わりに、水城くんが答えてくれた。
「てか、なんでお前はそんなボロボロなんだよ」
パスタをクルクルしたフォークを水城くんに向けながら、宗次が問い質す。
「今はお前も同類だがな」
律義に突っ込みを入れる翔悟。
「うるせーよ。時代遅れな格好した通り魔に襲われたんだよ」
「……多少、厄介事に首を突っ込まざるをえなくてな。その際に手傷を負ったにすぎん。大した負傷ではない」
どこか憮然とした様子で、水城くんは言う。
「とはいえ、安静にしてなくていいのかい」
水城くんは頑丈なタイプではないので、あんなに負傷している状態で迂闊に出歩くと無理が生じるのではないだろうか。
「………この二人を相手にして、俺に自由意志というものが存在するとでも?」
「あ、うん。なんかごめん」
反射的に謝ってしまうくらい、うんざりとした諦観混じりの表情だった。
「こいつはボディガードに動員したのよ」
切ない悲壮感を漂わせる水城くんを一顧だにしない古都乃先生である。
「ボディガードを実力的に圧倒している護衛対象というのはどうなんだ?」
「存在価値が破綻しているな」
「五月蝿い。黙れ」
「添琉がど~~しても、そいつと一緒じゃないと嫌だって言うから、仕方なく同行させてあげたのよ」
「ありがとうございます」
ちっともうれしくなさそうな水城くんの感謝の言葉だった。
心底迷惑そうにしているけれど、現在進行形で本に夢中な海棠さんに気づいた様子はなく、古都乃先生はそよ風のように受け流している。
哀れだ。
「ところで、縁のある小娘というのは、愛莉のことですか?」
古都乃先生の口振りから推理すると、そう考えるのが自然だ。
「添琉に関しては、そっちじゃないわね。遊月愛莉は、私とちょっとした縁を結んでいるのよ」
「それはまた、どんな縁なんですか?」
「気になる?」
「なりますね」
素直にうなずく。
組み合わせがすでに酷いのもさることながら、何時何処でどのように縁が結ばれたのかは普通に気になる。
あの広い学園で接点を持つのは簡単ではないはずだ。
古都乃先生は、他人にあまり興味がなさそうなタイプなのでなおさらだ。
目を付けられるだけの『何か』が、愛莉にあるとも思えない。
なのに。
サークル名は知ってるわ。過去作にも目を通していそうだわとくれば、わりと嫌な予感しかしない。
あのうっかり小娘、古都乃先生の目と鼻の先で、学園での猫被りが台無しになるような致命的な散乱でもしたんじゃなかろーな。弱みを握られて、骨までしゃぶられる嫌な力関係を構築していたとしても、なんら不思議じゃないと思えてきた。
ヤダなぁ……。知るのが怖いなぁ……。
「秘密♪ 私からは教えてあげない。知りたかったら、あの小娘から聞くのね」
「……そうさせてもらいますよ」
古都乃先生から聞くよりも、そっちの方が精神的に穏やかでいられそうだ。
そんな結論を出したタイミングで。
「よくわかりましたわ」
決意を秘めた表情で、海棠さんがパタンと薄い本を閉じた。
嫌な予感でも覚えたように、海棠さんの隣に座っている水城くんがピクッと反応する。半ば反射的に腰を浮かそうとしていたけれど、彼が座っているのは窓際。
逃げられようはずもない。愛刀も立てかけられており、とっさに手に取るには間に合わない。ましてや、抜こうとすれば、古都乃先生から辛辣な妨害が入るの間違いない。
彼はとっくに詰んでいる。
海棠さんの次の動き次第では、いろんな意味で致命的なところに追い詰められるだろう。
「「「………………。」」」
なんとなく。
タイミングを合わせたわけでもないのに、僕と宗次と翔悟と美命は全くの同時に合掌をしていた。
特に意味はないが、水城くんの精神の安寧を祈っておく。
「水城さん……いえ、刃さん」
「なんで名前で呼んだ?」
露骨に顔を顰める水城くん。
「そろそろわたくしたちの関係も、新たなステップを駆け上がるに相応しい時期かと思いましたので……」
「なんでそう思った?」
「遊月さんの描いた素敵な本を読んで、女から動かなくてはならない時もあるのだと知りました。今までは刃さんに押し倒されるために持ちうる限りの手練手管を駆使してきましたが、それだけではいけなかったのだと思い知らされた気分です。手は出すものではなく、出させるもの――という言葉に従っていたつもりでしたが、お膳立てを整えるだけでは足りなかったのですね。あえて自分から誘いかけることで、背中を押すことも時には必要。手を出させるために、あえて自ずから手を出すという選択肢を忘れてはいけなかったのです」
「うん?」
僕は首を傾げた。
なんだか海棠さんが何を言ってるのか、よくわからなくなってきたからだ。
同じように古都乃先生も天井を見上げていた。
愛娘の言葉を理解しようとしているのだろうけれど、眉間に皺がわずかに寄っているところから意味がわからなくなっているようだ。
「要するに、痴女のように振る舞うのも肝要だという話か」
「どう考えても違うような気がするが、そう取れなくもないような………」
「いやいやいやいや……」
ギャラリー化した残りの三人もなんか不思議そうに傍観者として、食事を続行しながら成り行きを見守る。
「つまり、何が言いたいんだ?」
頭痛を堪えるようにしながらの水城くん。
「今日は大晦日ですわ」
「だから?」
「刃さんは『姫始め』という言葉をご存知ですか?」
「知らん」
「年が明けて最初にする男女の交わり……端的にエッチを指している言葉なのです」
「………………。」
「では、年内最後のエッチを指す言葉は……という疑問が生じるやも知れませんが、これは『姫納め』というのです。であるならば、この二つを同時に成立させるのはなかなかに素敵だとは思いませんか? 紅白歌合戦が終わるくらいの時間に身体を重ね、遠くから聞こえてくる除夜の鐘を聞きながら、年を跨いで幸せな時間を共有するのです。あなたという何者にも変え難い愛しい人を感じながら、新年を迎えるというのは、とても素敵に思えるのです。このような天啓を授かったのが大晦日だったのも天の思し召しでしょう。わたくしにとっても初めての経験ではありますが、全身全霊をかけてあなたを受け入れてご覧に入れましょう。遊月様の描いた教科書で、わたくしに足りなかったと思わしき知識も補填されました。完璧です。何一つとして誤りなど見い出せません。参りましょう。わたくしたちの桃源郷へ。さあ、早く。……あぁ、いけませんね。気が急いてしまいました。まずは場所の確保をしなくてはいけません。ストレートにホテルがよろしいでしょうか? それとも風情のある温泉宿の方が刃さんのお好みだったりしますか? どちらでも問題は生じさせません。こんな時のための権力でもあるのですから、大抵の不可能は可能にして見せましょう」
「落ち着け」
水城くんが心から願ったたったひとつの想いだった。
「頼むから、落ち着いてくれ」
血涙でも流しそうなぐらいの苦渋に歪んだ顔だった。
「何かご不満でも?」
心の底から不思議そうな海棠さん。
二人はとても至近距離で見詰め合っているのに、心の距離は次元の壁を隔てるほどに離れているかのようだった。
「つーかよ。クリスマスに押し倒したんじゃなかったのか?」
わざわざ余計な突っ込みを入れる宗次は、なんかもう本気で明らかにヤバいとわかっている爆発物の導火線に火を点けるのが楽しくて仕方がないようだった。
やめてあげて。
「都合により、それどころではなくなってしまいましたので、今夜がリベンジのチャンスなのです。逃すわけにはいきません」
「もういい。逃げるわぁぁぁぁぁっ!?」
我慢の限界が訪れたように、水城くんが垂直に飛び上がる。そのまま壁を蹴って、僕の目には残像しか見えない速度で、ほぼ直角に動いたところで――
「逃がさないわよ♡」
「きさ―――――」
「よいしょお★」
あっさりと古都乃先生に捕まって、頭から床に叩きつけられた。
文字化するのも嫌になるぐらいトラウマ必至のえげつない音がした。
「あら? ちょっと力を入れすぎてしまったわね。彼、気を失ってしまったわ」
むしろ、生きてるの?
――なんて、問いかける気もなくなるくらいの惨劇であり、電光石火の早業だった。
頭から床に突き刺さった彼の周囲に、放射状に大量の血とか他のものが飛び散っていないのが不思議なくらいだ。
目が笑っていない笑顔の古都乃先生は、明らかに水城くんを殺る気だった。愛娘を守るためならば、悪い虫など微塵の容赦もなく踏み躙るのを一切躊躇しないのだ。
「ごめんなさいね、添琉♡ 折角の彼との時間を邪魔しちゃった♪」
惨劇を生み出しておきながら、古都乃先生は満面の笑顔を浮かべている。
ちっとも申し訳なさそうではなかった。
「いいえ、お姉様。むしろ、好都合かも知れません」
海棠さんもお淑やかな微笑を浮かべていた。
被害者だけが死んでいた。
なんなの、これ?
「え?」
海棠さんの反応に、きょとんとする古都乃先生。
「このまま刃さんをホテルなり、旅館なりに連れて行き、抵抗できないように二重三重に拘束して、滋養強壮たっぷりのお薬とかを注射してしまいましょう。お酒も飲ませておきましょう。ついでに催眠術とかもかけられたら完璧です。最高のチャンスをお姉様は与えてくれました。本当にありがとうございます♡」
「「「………え?」」」
僕らも変な声を出さざるをえなかった。
スマフォを取り出した海棠さんがポチポチと手を動かすと、ほどなく黒服サングラスの男女が現れる。
妙に手慣れた様子で水城くんを担ぎ上げ、そのままスタスタと歩き去り、ファミレスの駐車場にいつの間にか停まっていた黒塗りの高級車に丁寧に運んでいく。
無駄のない素晴らしい手際だった。
「それでは、みなさま。わたくしはこれで失礼させて頂きます」
ひょいっと伝票を手に取る海棠さん。
「あ、うん。」
「良いお年を……」
優雅に一礼してから上げられた顔には、期待に満ちた笑顔が燦然と輝いていた。
なんかもういっそ怖い。
呆然としている内に、淡々と事態は進行していく。
古都乃先生ですら置き去りにされているのだから、僕たちに何が出来るというのか。
「――――はっ!?」
海棠さんも乗り込んだ黒塗りの高級車が去ってから一分後。
古都乃先生が再起動した。
「しまったっ! このままでは添琉の初めてがっ!!」
古都乃先生がヒュンッという音を残して、消えてしまう。
なにをしたのかさっぱりわからないけれど、きっと海棠さんたちの後を追ったのだろう。
「どちらかってーと、水城の貞操を心配してやりてぇな。我ながら気持ち悪いが」
ぼんやりと寸前まで古都乃先生がいたところを眺めていた宗次が、ボソッと呟く。
「あぁ、いや、なんだ。俺も同感だ」
翔悟がうなずく。
「……そっとしておくのが一番かな」
力無く首を左右に振る美命。
「とにもかくにも関わりたくねぇ……」
くしゃっと灰色の髪を掻き上げながら、宗次は言い切った。
「「「うん。」」」
ちょっと薄情かなと思わないでもなかったけれど、僕らの気持ちはひとつだった。
今から車を追いかけるのは無理だ。うん。
だから、ごめんよ。水城くん。




