聖なる日の地味な没個性とその周辺(後)
突発的に発生した乱闘騒ぎは、宗次と田中くんの圧勝で十分もかからずに沈静化された。
死屍累々と転がるナンパ男たちの無惨な末路を広場に放置して、そこそこ離れたところでホットのジュースで喉を潤していた僕らのところに、一仕事終えた二人が合流した時。
「静ちゃ~~~~んっ♪ 奈々ちゃ~~~~~~んっ♪」
背中まで伸ばした髪を揺らしながら、輝かんばかりの笑顔で手を振る女の子が、こっちに駆けてきた。
リュックを背負っており、ゆかりと同じぐらいの小さな身体が一生懸命に躍動している。
それなり以上に人の流れが生じているのに、迷う様子もなく駆けてこられるのは、深い絆で繋がった幼なじみゆえだろうか。
「「光理っ!」」
田中くんと高遠さんもパッと表情を輝かせて、その少女――光理ちゃんの元へと駆け寄っていく。
そして、三人は狭間の距離の全てを埋めて、おもむろに抱き合う。
久しぶりの再会を心から喜びながら。
「素敵な光景ですねぇ……」
「ん。」
羨ましそうに見つめる藤原さんと白鳳院さん。
「ほら、八雲もあんな風に、あたしたちを抱き締めなさいよ」
そんな二人を優しい眼差しで見守りながら、雛森さんが室井くんの脇腹を小突く。
「無茶をゆーな」
げほっと咳き込みながら、憮然とした顔で言う室井くんだった。
「ああなると邪魔するわけにもいかんな」
やれやれと辟易したように肩をすくめる宗次だけど、微妙に口元は緩んでいる。
「そうだね」
言いながら、僕は感動の抱擁を現在進行形で交わしている三人の元へと歩み寄っていく。勿論、無粋な真似をするためではなく、さっきちょちょいとメモの切れ端に書いた地図を高遠さんのポケットに忍ばせるためだ。
こういう時に地味な没個性のステルス性は役に立つ。
田中くんや高遠さんには普通に気づかれるだろうけれど、少なくても光理ちゃんの感動の邪魔にはならないからだ。
「……ありがとう」
「どういたしまして。
あとは三人で楽しいクリスマスを」
高遠さんからの小声の謝意に応じてから、僕はみんなのところに戻る。
「それじゃあ、僕らも行くよ。
そろそろみんなと待ち合わせている時間なんだ」
白石くんが手を上げる。
「なんだ、お前らもクリスマスパーティーなのか?」
意外そうに眉を上げる宗次。
「そうだよ。こういう特別な日にはみんなで集まる習慣になってるからね。幸いなことに、壱世との特別な用事は昼間に内にすませられたしね」
天宮さんを優しい目で見つめながら、白石くんが言う。
微笑みながらうなずく天宮さんは、とっても幸せそうだ。
「お前らもいい加減に、性夜を過ごしたらどうなんだ? そっち方面の理由を告げると、あいつらなら喜んで協力してくれるだろ?」
「いやいやいや……」
「わたしたちはまだ学生なので、ちゃんと節度を持っていないとダメですよ」
天宮さんの天使のような笑顔で紡がれたその言葉に、何故か室井くんの許婚同盟一同が視線を在らぬ方向へ逸らした。
………やっぱり、今宵は性夜の予定なんですか?
「それじゃあ、学生じゃなくなったらタガが外れるのかね? どっちにしろ、俺らの中ではお前らが最初に結婚しそうだよな。今の時点で新婚とか言われてるわけだが……」
それを見て見ぬ振りをした宗次が、悪意を含まぬ調子でしみじみと言う。
「日歩くんがそんな風に言うのも、なんか珍しいね?」
「今日はクリスマスだからな。俺みたいな奴でも少しは気分が変わるさ」
ニヤッと笑ってから、宗次は何かを――誰かを探すように駅前広場をぐるりと見回す。
「なるほどね。日歩くんも楽しいクリスマスが過ごせるといいね」
「こいつに捕まった時点で、俺は楽しくない」
「……とか言ってるけど、これは宗次特有のツンデレだから気にしなくていいよ」
親指で示された僕は、のほほんと受け流す。
「うん。わかってる」
「ですよね」
「おいっ」
くすくすと笑う白石くんたちに宗次が突っ込みを入れるけども、誰も取りあったりはしないのだった。
本当に善良な人には、宗次の捻くれた言葉などなんの痛痒ももたらさないのだ。
それは決して鈍感というわけではなく、素直に総てを受け止めているからだ。奥に秘められた本音の部分を。
「………ちっ」
だからこそ、それ以上の墓穴を掘らないために、宗次もそっぽを向くしかなくなるのだ。
「さて。それじゃあ、みんな、またね」
「みなさんもよいクリスマスを過ごせますように」
そう言って白石くんたちも雑踏の中へ歩いていく。
白石くんの腕に自分の腕を自然に絡ませて、自然と寄り添う天宮さん。
彼らの代名詞となっている『新婚バカップル』の呼び名に相応しい見事な去り様だった。
当たり前のように現状を受け入れている僕でさえも、ほんの少しだけ『羨ましいな』と思うぐらいに。
それは嫉妬に狂っている者たちでさえも、決して例外ではない。
「ぐっ……ふぉぉぉぁぁぁぁぅぅぅぇぇぇぇぇぃぃぃぃぃぃぃ~~~~~っ!!」
「ねぇ、宗次」
「なんだ?」
「なんか、あそこでドス黒い怨念を空気中に撒き散らしてるのに見覚えない?」
「思い出す価値すら見出せないが、木島の本日のファッションだったなぁ……。視覚化された嫉妬の怨念でコーティングされてる分、さらにアレな感じになっているが……」
なまはげっぽいサンタクロースか、サンタクロースっぽいなまはげと言うべきなのか、もう別にどっちでもいいじゃんってレベルの複数体の着ぐるみが、物影から白石くんと天宮さんを見送っていた。
ドバドバと数秒で通常のバケツが満たされそうな血涙を流し、怨嗟の声を吐き出しながら。
言うまでもなく、『嫉妬団』の連中であり、古参幹部である木島くんと同じ格好という時点で、総帥の坂道くんと『三駄犬士』の残り二人――沖田くんと冴樹くんであろう。
「げふれしゅるぺぬねりえおぉぉぉぉぉぉぉすっ!!」
「ぐぎれびぎしゅべっちぎぢえへれにゅぎぃぃぃぃぃぃぃぃっっ!!」
「あばれぬびしゅるへべぃすぅるんでっしゅべりおぉぉぉぉぉぉぉんっ!!」
坂道くんたちと思しき着ぐるみが、白石くんたちの幸せオーラを受けて、陸揚げされた魚のようにのた打ち回っている。
「もはや怪獣の呻きと大差ないよね」
「むしろ、怪獣の方がまだ可愛げがありそうだがな」
懐から自動拳銃を取り出し、初弾を装填する宗次。
「しかし、なんだな。新婚バカップルの幸せオーラは『嫉妬団』すら寄せ付けない惚気に満ちてるんだなぁ……」
「いやいや、あの二人を襲ったりしたら、それこそ人間の最底辺を突き抜けちゃうよ。彼らに人としての最低限の理性が働いているのに僕は感心してる」
「まあ、手を出そうとしたところで、確実に邪魔が入るしな。
さすがの俺もあの二人を邪魔する奴を許容できそうにないと認めてしまう程だからな」
「うんうん。そうだね」
そんなこんなで、白石くんたちは何事もなく立ち去っていったわけなんだけど。
坂道くんたちが本領発揮するのは、むしろここからだったりする。
………………まあ、どう転んでも末路は決まっているんだけどね。
ともあれ。
「それじゃあ、八雲も十分に休憩しただろうし、あたしたちのデートもそろそろ再開といきましょうか?」
雛森さんが、パンと軽く手を合わせる。
「ん。そうね」
雛森さんが室井くんの右腕を捕獲し、白鳳院さんは左腕を捕まえる。
「あれ?」
きょとんとした室井くんがそれ以上を言う前に、彼の足は路面を滑り始めていた。
ズルズルと。
「次は服を見に行く予定でしたか。
それに、そろそろあの娘もこちらに来られる頃ですね」
おっとりと微笑む藤原さんは、ズルズルと引き摺られていく室井くんの三歩後ろにつく。
「それでは、夕凪さんと日歩さんもよき聖夜を過ごされますように」
「うん。そちらこそ」
「あ、いや、その、ちょっ、待っ………」
売り飛ばされる子豚を擬人化するとこんな顔をしてるのではないかと思わせられる室井くんの悲壮な表情だった。
なんかもういろんな意味で直視が躊躇われて仕方がない。
二人の許婚に捕獲された両手の指先が助けを求めるように小さく動いていたけれど、僕らは目を逸らしていたので見えなかった……ということにしておく。
だって、許婚同盟の逆鱗になんか死んでも触れたくないんだもん。
「まあ、室井が倒れない程度にな」
「はい。それでは失礼します」
丁寧に頭を下げる藤原さんに返しながら、僕らは室井くんたちを見送った。
雛森さんと白鳳院さんが手を軽く振ってくれるのにも、返しながら。
「それじゃあ、楽しいデートを再開しましょ?」
「今夜はとっても楽しみにしてる」
楽しそうな雛森さん。
うれしそうな白鳳院さん。
藤原さんも含めて幸せそうな三人の笑顔が室井くんに向けられて、観念したように彼も引き攣った愛想笑いを浮かべる。
僕の目には、まな板の上に乗せられた食材に通じるものを感じたのだけど。
見る者によっては、これからの酒池肉林に期待を馳せる腐れハーレム野郎の余裕に満ちたムカつく笑みにも見えたかもしれない。
……相当の曲解をすれば、だけど。
そして――
どこからともなく、プチンという小さな音が聞こえてきた。
遂に『嫉妬団』に普段からロクにしてない我慢の限界を超えさせ、都合のいい自己解釈による逆恨みで堪忍袋の緒が切れた瞬間だった。
「「「怨――――」」」
駅前広場全域を覆うドス汚い嫉妬のオーラが解き放たれる。
吹き荒れる黒い旋風。(※イメージです)
眼を血のように赤く染めた不気味極める着ぐるみが、高々と跳躍する。(※演出です)
「「「憎滅鬼殺亡―――――――――っ!!!!!!」」」
凶々しい鉈を振りかざし、坂道くんたちが室井くんに襲いかかる。
「お前の存在だけは許さない。那由他の果てまで消し飛ばす」
「今宵の性夜の前に、お前の腸を地面にぶち撒けてやる」
「私が調べた古今東西の残虐な拷問で、この聖夜を美しい鮮血で彩ってあげます」
いつもの合言葉を全力全開で叫んだのに、続くそれぞれの言葉は煮え滾った感情の全てが込められているわりに恐ろしく静かだった。
狙いは勿論、彼だけであり、女子に危害を加えるつもりなどは微塵もなかったとしても、その殺意に満ちた勢いは、万人を怯えさせるには十分過ぎる異様な迫力を伴っていた。
おまけに、周囲から何人ものドス黒いオーラを纏った集団までもが、奇声や怒号を発しながら動き出す有り様だった。
さながらタガの外れた暴徒の集団の如く。
クリスマスという聖なる日に、溜めに溜め込んだ『嫉妬』の怨念を解き放った『嫉妬団』の団員たちだった。前日のクリスマス・イブにもなんかいろいろあったのは考えるまでもないので、狂気の迸る情念が嫌な感じに熟成してしまっている風ですらあった。
「くたばれぇぇぇぇぇっ! 男の敵ぃぃぃぃぃっ!!」
「天城がなんぼのもんじゃぁぁぁぁぁいっ!! お前を殺れるのなら、その後なんざ知ったことかぁぁぁぁぁぁっ!!」
「地獄に落ちろぉぉぉぉぉぉぉっ!! むしろ、俺が落とぉぉぉぉぉぉぉぉぉぅすっ!!!!」
砂糖に群がる蟻のような有り様だったけれど、許婚同盟に捕獲されている室井くんにその手が届くはずもない。
何故なら――
「わたしたちの邪魔する人は、嫌い。」
「「「ぐほぉぅっ!?」」」
白鳳院さんの冷たい一言に、前衛に位置する『嫉妬団』の精鋭が一瞬で崩れ落ちた。
彼らの心が砕け散る音が聞こえたような気がする。
「クリスマスにそんな寂しいことを続けて、虚しくならないの?」
「「「げべれっぷぁぁっ!?」」」
雛森さんの追い打ちに、中衛が崩壊した。
ただの言葉に、血を吐きながら倒れる『嫉妬団』のなんと多いことか。
「あの、いけませんよ? 八雲さんをイジめられてしまうと、悲しくて泣いてしまいますよ」
「「「………………………っ!? ………っ!!」」」
ちょっと困ったように眉を下げて、台本を読み上げるようなやや棒読み口調で藤原さんが続けると、総帥と幹部を除く『嫉妬団』で立っている者はいなかった。
どす汚い嫉妬オーラも、許婚同盟の前に浄化されていた。
あとにはビクンビクンと痙攣しながら、自ら吐いた血の海で溺れる死屍累々が転がるばかりだった。
「おのれ、おのれぇぇぇぇぇぇぇっ!! 何故っ、何故、我々の邪魔をするっ!? 我々はただ諸悪の根源である腐れハーレム野郎をこの世から魂ごと消滅させようとしているだけなのにぃぃぃぃぃぃぃぃぃっ!!!!!」
血涙で濡れに濡れた結果、そのおぞましさが筆舌に尽くし難いレベルに達している着ぐるみの中から坂道くんが咆哮する。
「それが一番の致命傷なんだよ、馬鹿がっ」
許婚同盟の言葉の影響を受け、ギリギリのところで立っているだけの坂道くんたちの背後に回った宗次が呆れたように呟き、自動拳銃の引き金を引く。
パンパンパンと音がして、どしゃりと倒れる音もまた三つ。
こうして騒動は恙無く終わるのだった。
そんなこんなで。
「さて。」
室井くんたちも立ち去り、あっという間に二人に逆戻りしていた。
地面に転がったままの着ぐるみバージョンの坂道くんたちや『嫉妬団』の方々は気にしない方向で。
「賑やかだったのが、急に静かになるとアレだな」
「寂しいのとはちょっと違うけど、なんか急激な緩急に意識が付いていけなくなるよね」
「それだ」
気づけば、西の空が夕暮れに染まるような時間になっていた。
まあ、空は曇天に覆われているので、急速に薄暗くなっていくだけで、情緒ある茜色の光景なんてものは見えなかったけれども。
「どうする?」
「さてなぁ……。今ぐらいの時間帯になると下手にウロつくよりも、適当に時間を潰しているのが妥当と思うがな」
「そうだね」
駅前広場のイルミネーションが点灯し始め、昼とは違った顔を覗かせていた。
色とりどりの輝きで装飾された街並みは、一夜限りの聖夜を見事に演出していた。昨夜のクリスマス・イブと細部が異なっているあたり、かなり手が込んでいると言えるだろう。
「都合よくイベントもやってるみたいだし、適当に見て回ろうか?」
「そんなら一時的に別行動にしようぜ」
「うん?」
「こんな下らない日に男二人で肩並べて歩くのも虚しいだろ。
心配しなくても、俺なりの好奇心を満たしたいだけだ。今さら逃げたりはしねぇよ」
「それなら連絡が取れるように携帯の電源を入れておくよーに」
「わぁったよ」
面倒くさそうに携帯を取り出した宗次が背を向ける。
そのままひらりと手を振って、雑踏の中に紛れていく寸前。
宗次の手元の携帯から軽快なメロディが鳴り始める。
「――って、おぉいっ!?」
「いや、念のためにね」
振り返った宗次に、悪びれずに言う僕。
本当に電源を入れたかどうかは確認しておく必要があるし、心変わりしないように牽制しておく必要もあるのだ。
「それじゃあ、また後で」
「変な奴らに遭遇して、トラブルに巻き込まれんじゃねぇぞ」
「それに関してはお互い様だし、運任せになっちゃうね」
今の時点で、わりと穏便とはいえ、何人ものクラスメート(+α)と会っているのだ。人がたくさん集まっている駅前広場でもう遭遇したりしないとは、あんまり思えなかったりする。
ともあれ。
僕らは一時的に別れて、時間潰しの散策を開始するのだった。
● ● ●
時間にすると、ほんの三分だった。
「あら、夕凪くんじゃない」
新たなクラスメートに遭遇するまでにかかったのは。
おかしいなぁ……。カップラーメンを作るような気安さで、学園の外で会えるはずないんだけどなぁ……。
「……やぁ、峰倉さん」
適度に伸ばした髪をショートポニーを揺らしながら、吊り目を細めた同級生が軽やかに手を振っている。
左腕には『新聞部』の腕章。
首からはカメラを下げているし、胸ポケットにはボイスレコーダー。
そこまではいつも通りなんだけど、目に馴染んだ制服姿ではないのにちょっとだけ意表を突かれた。
場所が学園でもないし、冬休みに入っているので私服姿なのは当たり前なんだけど、プライベートの峰倉さんの姿を見たのがほんの数回だけなせいでもある。
その時にしてもパンツルックの動き易さを優先したような格好だったのに、今日はなんだか『女の子』っぽい。膝下丈のスカートにロングブーツ。白いコートの下にはフリル付きの上着というのだから、驚かない方が失礼だ。
「なんかいろいろと言いたそうね」
「今日は『女の子』みたいだね」
「――――ふんっ!」
瞬時にフルスイングされたカメラが、直前まで僕の頭があった場所を横薙ぎにしていった。
直撃したらいい感じにどっちも壊れそうな勢いだった。
「商売道具(?)を凶器にするのはどうかと思うよ」
とっさにしゃがんでいた僕は、膝を伸ばしながら言う。
「だったら、もう少し言葉を選ぶことね」
「いやぁ、でもさぁ。その服は峰倉さんの趣味じゃないような気がするんだけどね?」
「まぁね。生真面目で融通の効かない友達を着せ替え人形にして遊んでいたら、思わぬ反撃を受けたってとこかしら」
「なるほど。クリスマスに一緒に外出するような友だちが、峰倉さんにもいたんだね」
さっきよりも勢いを増したカメラのフルスイングが、バックステップした僕の鼻先を掠めていった。
「どーゆー意味かしら?」
氷点下のにっこり笑顔が怖いです。
「言葉通りの意味なんだけど、質問の前に反射的に手が出てるのはどうかと思うよ」
「だから、あんたも言葉を選びなさいよ」
「ごめんごめん。意外性の連続で口が滑りやすくなってるみたいだ」
そもそも二人きりで話をする機会なんか、今まででほとんどなかったのだ。
学園祭の絡みの時も玖堂くんとほとんどワンセットのような扱いだったし、そうじゃない時も新聞部の手下(笑)の人たちがいたし。
偶然の遭遇に、距離感の把握が追いつかないのも仕方がない。
「あらん限りの情報操作をして、その口を錆びつかせるわよ」
「いや、ホントにごめんよ。冗談はこれくらいにしておくよ」
両手を上げて、降参の意を示す。
峰倉さんは苛立たしそうに吐息を漏らしてから、首かけの部分を持ってブンブンと威嚇するように回していたカメラを首に戻す。
「でもさ。峰倉さんが素直に友だちと認めるような人がいるのを、意外に思ったのは本当だよ」
「どーゆー意味?」
「だって、峰倉さんはちゃんと線引きをして、他人を寄せ付けないところがあるでしょ? 新聞部でやってる事がやってる事だから、逆恨みの矛先が親しい人に向く可能性を配慮してるんだと思うけどね。そういう線引きを超えてる人って、幼なじみの玖堂くんぐらいだと思ってたんだけどさ」
「あいつはちょっとやそっとでどうにかなる奴じゃないし、むしろ矛先を逸らすための生贄として近くに置いてるだけよ」
酷い言い草である。
「う~ん。ツンデレ発言なのか、普通に本気なのか、ブレンド率が50:50な感じだね」
「うっさいわよ」
「それで?」
「それで……って、なによ?」
「お友だちさんとやらとは、ちゃんとやってけそうなの?」
いつもの教室での距離感から、一歩踏み込んだ問いかけだった。
外で逢ったからか、それとも峰倉さんが何かの気紛れで胸襟を開いてくれたからか、普段通りであったなら、とっくに成立しなくなっているであろう会話がまだ続く。
「そうじゃなかったら、こんな日に外に連れ出したりはしないわよ」
僕の目をじっと見ながら、峰倉さんが肩をすくめる。
どこか仕方ないという風に、同時に自分には似合わないなと自覚している風に、自分の行動にほんの少しの自嘲を滲ませながら。
それでも『友だち』の存在を否定できないのだというように。
「それはよかった。やっぱり、友だちの存在は人生を彩る重要な要素だからね。峰倉さんにもそんな人がいるって知れたのは、幸運だったよ。さすがは聖夜の日だね。思いがけない奇跡に巡り逢えるみたいだ」
「なんだか普通に貶されてるような気分になってくるんだけど……」
「まさか。ちょっと傲慢に聞こえるかも知れないけれど、安心したんだよ。峰倉さん的には心の底から余計なお世話だと思うけどね」
「そーね。ホントにそーだわ」
プラプラと手を振りながら、もう片方の手で顔を覆う峰倉さん。
「なんか、あんたとこれ以上話してると余計なとこに飛び火しそうだから、そろそろどっかに行ってくれないかしら?」
「先に声をかけてきたのは峰倉さんじゃないかとか、それ普段言われるのも峰倉さんじゃないかとか、わりと突っ込みどころがあるけど、それなら退散させてもらおうかな」
「あら。意外と素直なのね? あたしの友達を拝んでいくぐらいは言われるんじゃないかと思ってたんだけどね」
「興味がないと言ったらウソになるけれど、深淵の底を覗き込むような予感も少なからずあるから、その時期を待つことにするよ。仮に、今がその時なら席を外してるっぽい友だちさんとやらが都合のいいタイミングで戻ってくるだろうし、そうじゃなかったらまだ時期じゃないんだろうって言い訳で逃げられるからね」
「……言っとくけど、あの娘は悪い娘じゃないわよ」
「わかってるつもりだよ。
ところで、何か面白そうなイベントとかやってないかな? ちょと時間潰しにウロウロしてるとこなんだ」
「それなら、あっちの方でやたらと歌の上手い女の子がアカペラショーやってたわよ」
峰倉さんが指差した方向を見るけれど、ここからでは人に遮られてさっぱり見えない。
「へぇ……」
様々な情報を扱っているせいか、峰倉さんは客観的な視点で物事を判断するところがあるので、何事においても褒めることは少ない。
そんな彼女がお勧めするのだから、自然と期待値が高まる。
「なんでか、猫耳付けて」
「それは素晴らしい今すぐに行かなくてはねそれでは峰倉さんまた今度に学園かどこかで会おうね」
追加情報に迷わずにくるりとターン。僕は脇目も振らずに早足で歩き出す。
もはや峰倉さんの友だちのことさえも頭の中からスポンと抜け落ちていた。
「……あ、うん。
意外に面白い情報を得られたのかしらね、これは……?」
呆然としたような顔で僕の背中を見送りながら、メモ帳に何事かを書き込んでいるのに僕は終ぞ気づかなかった。
● ● ●
「ええ。はい。私は大丈夫ですよ。
今日はお出かけをして、綺麗に飾られた街を見ています。央都はすごいですよ。詩ちゃんにも見せてあげたいです」
月詠ほたるは、電話の向こうの『妹』と穏やかに話していた。
今日は十二月二十五日。クリスマスという特別な日であり、故郷では月詠家主催の催しが開かれていることだろう。
本来であれば、ほたるは故郷に帰って、人形のように大人の集まりの中で『良い子』を演じなくてはならないのだが、物理的な距離と時間の問題で免除されている。
幸いなことではあるのだが、『妹』に直接逢えないのは残念だった。
この学年に通う三年間は概ね『自由』を許されているので――監視の類はあるだろうが――冬休みの間に帰郷する予定もいれていない。こうして電話越しの会話をする以外で、直接的に『妹』と逢う機会が訪れるのは春先になるだろう。
「……はい。はい。詩ちゃんも元気そうで何よりです。
はい。受験勉強を頑張ってくださいね。あなたがまた私の後輩さんになってくれる日を心待ちにしています」
『うん。それじゃあ、お姉ちゃんもクリスマスを楽しんでね。
あ、それとも、ひょっとして、彼氏さんと一緒だったりして?』
「そんなわけがないでしょう、もうっ」
でも、友達とは一緒なんですよ――と、ほたるは言おうとしたのだけれど、タイミング悪く電話は切れてしまった。
「……むぅ」
何かと都会での暮らしを心配してくれている『妹』を安心させてやりたかったのだけど、もう一度電話をかけるのも躊躇われて――自慢しているように思われるのも嫌だった――ほたるは、短い吐息を漏らしてから名残惜しく見ていた携帯電話をポケットに戻した。
思ったよりも長話をしてしまった――と少し焦りながら、友人である灯理の元へと急ぎ足で戻るほたる。
『妹』との会話で気を緩めてしまう自分を見られるのが照れくさかったので、必要以上に離れたところに移動していたのが少し悔やまれる。
「すみません。お待たせしました」
「あ~、うん。気にしなくていいわよ。ヒマ潰しの相手がさっきまでいたから……?」
どこか困惑しているような灯理の様子に、ほたるは首を傾げる。
いつも泰然自若とし、逆に他者から動揺を引き出すのを生き甲斐にしているところのある彼女にしては珍しい。
「どうかしたのですか?」
「どうかしたというか、毒気を抜かれたというか、向こうのペースにずっと乗せられたままだったというか、総じて言えばおかしな気分ね」
「よくわかりませんね」
「あたし自身がそうなんだから、あんたは特にそうでしょうね」
「どなたとお会いになられたのですか?」
「夕凪くんよ。夕凪和真。知ってるでしょ?」
「えぇ、まぁ。」
その名前を聞いたほたるは、眉間にわずかな皺が寄るのを実感した。
そして、灯理が抱いている感情の大部分を、ほぼ理解した。
「あら? あんたがそんな顔するような相手ではないと思うのだけど……?」
風紀委員会に所属する身として、一年B組の問題児は不倶戴天の敵と言える。
そういう意味では、灯理も問題児寄りなのだが、直接的に何かをやらかさない暗躍タイプなので尻尾を掴めないという点とプライベートで親しいという点が、両者の間にある種のブレーキとして成立している。
薄氷の上に成り立っているような関係に思えるかもしれないが、灯理としても貴重な(・・・)友達をみすみす失う愚を犯すつもりはないので、風紀委員会の絡む案件に関しては大人しくしているのが実情である。
……たまに面白半分で火に油を注いだりもするが、細心の注意を払っているので問題はない――と、当人は判断している。普通にアウトである。
とはいえ、夕凪和真は問題児としてカウントされるタイプではない。
そもそもが地味な没個性なので他者に認識されないし、トラブルに易々と巻き込まれるタイプではない。巻き込まれたとしても鎮静化に一役買ったり、速やかに離脱していたりなので、現状では風紀委員会のブラックリストにも載っていない。
つい先日の学園祭で、その名前が一部で囁かれるようにもなったが、それさえも風紀委員会が問題視するような類ではない。
以上の事柄から、ほたるの表情が変化する理由が、灯理にはわからなかった。
「いえ、持ち物検査とかをしている時などに、何度か話す機会があったのですが……」
「うんうん♪」
好奇心丸出しの顔でメモを取り出す灯理。
その灯理らしさに苦笑しながら、ほたるは口を開く。
「灯理さんの言葉の大部分を借りることになってしまいますが、毒気を抜かれて、向こうのペースに乗せられて、どうにもこうにも普段の自分を揺らされて、なんとも言えないおかしな気分にさせられるんです」
それに――と、無意識に口元を緩めながら、ほたるは続ける。
「イライラさせられたはずなのに、後になると肩に入っていた力が抜けているようでもあるので、本当によくわからない人なんですよね。不思議な人です」
「………そうね。おかしな奴よねぇ。地味な没個性で空気も同然かと思えば、学園祭ではクラスを一つにまとめるような偉業を成し遂げたり……」
「アレも彼の仕業だったんですか」
「全部が全部ってわけじゃないけど、中心に近いところでいろいろと暗躍してたのは事実ね。あたしの『新聞部』も上手いこと利用されちゃったし……」
「ノリノリで広報活動に励んでいたような気がするのですが。部員のみなさんまで客引きに動員してらしたでしょう?」
「意外に人を動かす適正があったみたいなのよね~」
「不思議な人ですよね」
なんとなくといった風に視線を彷徨わせるほたる。
ますます人の数が増えてきた駅前広場の中で、地味な没個性である少年の姿は見つけられない。よくよく考えてみれば、いつも話しかけてくるのは向こうで、ほたるの方が先に彼を見つけた覚えがないのに気づく。
意外な話の流れで彼のことを考えていたからだろうか?
印象に残らない横顔を思い浮かべようと淡い記憶を探ったとき、キュッと胸の奥で『何か』が身動ぎしたような感覚があった。
忘れている何か。魂に刻み付けられた何か。
とてもとても大切な何かが、再びの産声を上げようとしているかのような――
「どうしたの?」
急に俯いて黙り込んだほたるを怪訝に思ったのだろう。
下から顔を覗き込むようにわずかに身体を屈ませた灯理の双眸を目にした瞬間、夢から覚めるようにほたるは不可思議な感覚から解放されていた。
「………………っ」
一瞬前の思考さえも無自覚の忘却に押し流されて、ほたるは頭を軽く左右に振る。
「いえ、なんでもありませんよ」
「そ?」
「はい。」
「寒くなってきたし、そろそろどこかで夕食にでもしよっか?」
「はい。よろしくお願いします」
「なんか店員と客層がかなり特殊なんだけど、味は保証されている洋食レストランがあるらしいんだけど、どう?」
「今は風紀委員会の役職から離れているので、そんな問題のありそうなお店は遠慮したいのですが……」
ため息を吐くほたる。
「ま~ま~っ♪ 何事も経験だってばっ☆」
そんな彼女の肩を強引に抱いて、機嫌よさそうに引っ張っていく灯理。
曇天に覆われた空から、ひらりと白い欠片が舞い降り始めていたのに気づくのはもう少し後になる。
● ● ●
残念ながら、猫耳少女のアカペラショーに立ち会うことは叶わなかった。
峰倉さんに聞いた時点で終わっていたのか、それとも別の場所に移動したのかはわからないけれど、僕の猫耳センサーには一切の反応がなく、気づけば駅前広場を横断して大通りにまで出ていた。
「やれやれ。縁がなかったってことかなぁ……」
残念に思いながら、駅前広場に戻ろうと踵を返そうとした時、すいっと視線の路肩に高級車が静かに停車した。
ハザードランプを点滅させて、後部座席のウインドウが下がり――
「やあ、夕凪君」
フォーマルなスーツに身を包んだ皇くんが、微笑を浮かべながら片手を上げる。
「ええぇぇぇ~~~~っ?」
この期に及んでとか言いたくなってきた。
今日は本当にどうなっているのだろう? 約束をしているわけでもなく、学園でもないのにこんなにたくさんのクラスメートに逢うのは、本気で珍しい。
ここまでくると聖夜限定での奇跡発生率向上を疑う余地がない。
「その反応は少し傷つくな」
先に助手席から降りたスーツ姿の女性が後部ドアを開けて、皇くんが降りてくる。
「相手があんただからじゃないの」
さほどの間を置かずに、これまたフォーマルな――実はあんまり意味がわかっていない――ドレスに身を包んだ姫野さんも降りてきた。
天城財閥麾下十二企業の一角であり、一年B組の金持ち四名家でもある『皇』と『姫野』の若社長二人組の登場である。なんとなく周囲が金ぴかに染まったような錯覚に襲われるほどの王気が放たれている……ような気がする。
「それは無いだろう」
いえ、あの、ある意味では大正解です。
「どうだかねぇ……」
姫野さんが意味ありげな視線を僕に向けてきたけど、この場はノーコメントで。
「まあ、いい。この場であったのも何かの縁だ。時間があるようなら少し我々と他愛のない話でもしないか?」
「それは、まあ……いいけど」
「ありがとう」
目を細めた皇くんが、片手を軽く上げる。
すると停車していた車が、スムーズに動き出す。
いつまでも停車していると迷惑になるので、僕らがお喋りしている間はその辺をぐるぐると回るのだろう。
「お時間は十分でお願いします」
「わかった」
「……って、あれ? 甘粕先輩?」
皇くんに囁きかけていた女性が、実は見知っている人だったことにようやく気づいた。
しかも、女性と評するよりも一つ上の上級生と言うべき人だった。
甘粕ひふみ。
同じく上級生であり、二年の生徒会長でもあり、天城財閥現総帥の『友人』が父親である四條家の一人娘――四條早百合先輩の専属の護衛をしている人だ。
「………………。」
うなじで束ねられた長い髪をゆらりと揺らしながら、無表情に綺麗な一礼をする。
その佇まいは、男装の麗人そのものだった。
学園では普通に女子用の制服に身を包んでいるので、その落差が認識の遅れに繋がったのだとしても違和感の無さがすごい。
ちゃんと身体のラインは立派な女性のものだというのに。
僕の地味な没個性とは異なる形で、護衛の職務を全うするために存在感を薄めているせいもあるんだろうけど。
「なんで、甘粕先輩が皇くんたちと一緒にいるの?」
何らかの事情で護衛対象を鞍替えしたのだろうか?
「さっきまでいたパーティー会場で、四條君と一緒になってね。次の行き先も同じだったから、同じ車で移動していたのだよ」
「少し話しておきたい事もあったしね」
僕の質問に、皇くんたちが答えてくれた。
「……ってことは、さっきの車に四條先輩も乗ってたんだ」
なんとなく、今はもう見えない車の去った方向を見やる。
皇くんや姫野さんはクラスメートだけど、四條先輩はそうではないし、そんな大した面識があるわけでもない。せいぜい学園祭の絡みで何度か話をする機会があっただけだし、その交渉の場でも僕は脇役だった。
皇くんたちみたいに車からわざわざ降りてくる必然性がないのは当然だけど、それをなんとなく残念に思っている自分がいた。
………………。
まあ、明確に立場の違う相手だ。
クラスメートとはいえ、皇くんと姫野さんも普通に考えると気安く話ができるような相手じゃない。今の時間が途方もない贅沢なのは確かなのだから、これ以上を望んだりしたら破滅してしまいそうだ。
「あぁ、そうだな」
「凄まじいVIP車だね」
金持ち四名家の二人と四條家のお嬢様とか、もしも何かあったら世界への影響が明確に生じる面子である。
「皇くんたちはクリスマスでも忙しそうだね」
さっきの言葉を聞いた限りでは、別に帰り道だったわけでもなく、現在進行形で過密スケジュールを消化している最中なのだろう。たまたまわずかな隙間がある時に、僕の姿を見かけたのだとしたら、折角の休憩をこんな形で使わせるのが少し申し訳なくなる。
でも、彼らが望んでくれたことなら、僕に出来る範囲で応じてあげたいとも思うのだ。
「我々の立場には、下らない柵が付き纏うものだ。かといって、無視をすれば、それはそれで角が立つ。大人の世界というものは奇々怪々な魔窟だよ。笑顔の仮面をつけるしかない若輩の身では疲労が蓄積するばかりだ」
苦笑しながら、わざとらしく肩を叩く皇くん。
学園祭の前の皇くんだったら、絶対に見せなかったであろう表情と仕種に、なんとなくれしくなる。気を許してくれている証のように思えたからだ。
「だからというわけではないけれど、たまには等身大の級友と肩を並べて、他愛のないお喋りに興じたくもなるのよね」
雑踏の中では明らかに浮いているドレス姿の姫野さんも、なんだか学園にいる時よりもリラックスしているように見える。
ちょっと寒そうに震えているのが気になったので、「安物だけど、羽織っとく?」とコートを脱ぐ素振りをすると、
「是非ともうなずきたいけれど、ちょっとの時間だけだから我慢するわ」
姫野さんはうれしそうにしながらも、首を左右に振った。
「しかし、等身大の級友とは言うが、夕凪君はこれでなかなかの曲者だぞ? 油断をしていれば、我々とてタダでは済まないのを経験で実感しているからな」
「知ってるわ。学園祭での所業が何よりの証よね」
左右から僕を挟むように立つ皇くんと姫野さんが、愉快げに唇の端を持ち上げる。
「いや、曲者とか所業って、ちょっと待ってよ」
「あの時は、まず真っ先に私が狙われたな。しかも、かなり適当な理由で」
「いろいろとあの企画の内容が充実してきた頃に、わたしも口車にまんまと乗せられて、協力を約束させられたしね」
「………。そういえば、学園側にも相当な無茶を押し通すための交渉をしていましたね。あの面子を見た時のお嬢様の唖然とした顔は忘れられません」
口元を手で隠しながら、甘粕先輩までもが混ざってくる。
「いやいや、ちょっと待ってよ。初期段階では僕がいろいろと暗躍してたのは事実だけど、中盤くらいにはみんなが暴走を開始していて、僕は手綱を握るのに四苦八苦してただけじゃないか。それだって結局は無理だと判断して、上手く転がるようにサポートする方面に鞍替えしたし……っ」
「それでも、君が始めた事に変わりはないのだが?」
「根本的な意味でそれを言うなら、白石くんと室井くんたちなんだけどっ!? 僕は単に協力者としてがんばっただけでっ!」
「あれはもう普通に乗っ取りと言ってもいいと思うの」
「いやいやいや、だから――」
なんかそんな感じで学園祭の想い出話に花が咲いたんだけど、なんか一方的に僕が責められるというか、誇張した風に語られて持ち上げられるとか、最終的になんであそこまで大袈裟になってしまったのだろうと甘粕先輩と首を傾げたりしている内に、皇くんたちの休憩時間の終了が近づいてきた。
「夕凪様、少しよろしいですか?」
お互いにそれを察して、名残惜しさをわずかに滲ませながらも会話を途切れさせたタイミングで、甘粕先輩がすっと僕に近寄ってきた。
「よかったら、その夕凪様というのも止めてくれるとうれしいです。甘粕先輩は先輩で、年上なんですし……」
「職務に忠実であるのが『甘粕』の名を継ぐ者の誇りです。今は皇様と姫野様の護衛なのですから、主人の認めておられる御友人にも敬意を示さなくては、主に恥を掻かせてしまいます。ですので、何卒ご容赦を願います」
慇懃な一礼からは、柔らかではあるが断固とした拒否があった。
それは一時的な主従関係からくるプロの義務感なのだと判断するべきなのに、その時の甘粕先輩は本気の敬意を瞳に宿していたように思えた。
まるで、僕という人間をよく知っているかのように。
「………………………あぁ、はい。なんだか我がまま言ってすみません」
内心で首を傾げながら、僕は頭を下げる。
「話を戻しますが、こちらをどうぞ」
スーツのポケットを探った甘粕先輩が、綺麗なラッピングをされた袋を渡してくれる。
「これは?」
「午前のチャリティ活動を視察した際に、子供に配っていたお菓子の余りです」
「……ラッピングからして手が込んでますね。もらっていいんですか?」
なんとなくではあったけど、甘粕先輩の言葉からは『嘘』の匂いを感じた。
でも、それを暴く意義も感じなかったので、素直に受け取った。
「私は甘いものが苦手なので、夕凪さんに是非もらって欲しいのです」
「ありがとうございます」
「いえ。こちらこそ、ありがとうございます」
お菓子をもらっただけの僕に、なんでか大袈裟なぐらいに頭を下げる甘粕先輩。
そんな甘粕先輩を苦笑しながら見ている皇くんと姫野さん。
「さて、そろそろ時間のようだ。有意義な休憩になったよ」
「こっちの都合に付き合わせちゃってごめんね、夕凪くん」
路肩に停車する豪奢な高級車。
恭しく甘粕先輩が後部のドアを開け、皇くんと姫野さんが乗り込んでいく。
「僕なんかでよかったら、いつでもどうぞ」
「「その言葉を忘れない」」
「………………その時に用事とかなかったら、可能な限り付き合うよ」
にっこりと声を揃えた二人のおかげで、予防線を張っておくことを思い出した。本当にありがとう。
「「――ちっ」」
この二人って微妙に似た者同士だよね、やっぱり。
「それでは失礼いたします、夕凪様」
「ええ。Merry Christmasです、甘粕先輩」
なんとなく、ちょっと気取った別れの言葉を口にしていた。
「そうね。Merry Christmas。
あなたは良き夜を過ごされますように……」
最後に助手席に乗り込んだ甘粕先輩はわずかに目を丸くし、次いで唇を緩める。
ほんの一瞬だけ職務を離れたように、微笑という言葉を正しく表現するような微かな笑みを浮かべていた。
「………………。」
虚を突かれた僕は、その美しい笑顔に見惚れてしまう。
あるいは、その瞳の奥に微かに垣間見えたのが、手の届かないところに失くしてしまった何かを追憶するような寂しさだったのが気になったのかも知れない。
見つめ合うように互いを見ていたのは一瞬で、すぐに分厚い黒に覆われたウインドウに甘粕先輩の顔は隠れてしまった。
彼らの乗った高級車は音もなく、すぐに車の群れの中に飲み込まれていく。
僕は軽く手を振ってから、雑踏の中を歩き出す。
「うぅ……っ。寒いな」
思ったよりも身体が冷えていたのを今さらながらに自覚して、何の気なしに空を見上げたら粉雪が舞っていた。そんなに多くはないし、大半は地に着く前に溶けている。それでもネオンやイルミネーションに照らされた街に、白い結晶がさらなる彩を添えていた。
「ホワイトクリスマス……か」
まだまだ寒くなりそうだと、勝手に震える身体を抱きながら歩く。
「甘粕先輩の笑顔とか、レアっぽいのが見られたのもクリスマスのおかげなのかな」
あれ?
ふと疑問が生じた。
なんか当たり前のように甘粕先輩と話していたけど、いつの間に知り合いになったんだっけ……?
いや、学園祭のときになんやかんやあって、知り合いになったのは確かだけど、あんな場面であんな風に会話が生じるほどではなかったような気がする。
――■■■――
もう少し何かがあったような……。
なんだか記憶が不自然に虫食いになっているような……。
大切なところが欠けているような……。
何かがおかしいという違和感があって、なんだか頭がムズムズする。
――■■■■■■■■■■■――
………………。
「いや、まあ、いいか。
普通に他愛のないきっかけで、単に忘れてるだけかも知れないし……」
僕は頭を掻きながら呟き、宗次と合流するためにポケットから携帯電話を取り出すのだった。
● ● ●
「ねえ。」
次のパーティー会場であるホテルに到着し、通路を歩いている時だった。
前を歩く主人――四條早百合が前を向いたまま、独り言のような調子で小さく呟いていた。
「はい。なんでしょうか、お嬢様」
ひふみもまた周囲に聞かれないように小声で応じる。
「彼にちゃんと渡してくれた?」
「はい。」
努めて平静でいようと感情を押し殺している声に、ひふみの胸中は穏やかではいられない。
「なんとか食べられるぐらいの味にはなってるはずだけど、彼は食べてくれるかな?」
「きっと。」
「美味しいって言ってくれるかな?」
「………。お嬢様が手渡ししたのならともかく、あのような形では答えかねます」
「そうよね」
「彼は……元気そうだった?」
「はい。」
「そう。ちゃんと『約束』を守ってくれているのね」
「そのようです」
「外は雪が……降ってるわね」
わずかに歩調を緩めて、早百合は窓の外を見つめる。
その憂いを帯びた横顔を見るのが苦しくて、思わず顔を伏せてしまう。
あるいは、もしかしたら――という可能性に胸が疼くような痛みを訴える。
しかし、今のひふみには何も出来ることはなかった。
「あなたは彼と何か話せた?」
「少しだけ、ですが……」
「教えて。」
「………学園祭の時の話を少し。
あとは別れ際に、Merry Christmas……とだけ」
「あぁ……。そうね。今日はクリスマスだったわね。
彼の姿が見られただけでも、望外の幸運……奇跡と思うべきよね」
「……はい。」
「ありがとう。詰まらない話に付き合わせて悪かったわね」
「いえ。」
「それじゃあ、そろそろ四條家の娘らしく『お仕事』をしましょうか」
「………はい。」
ひふみの主はもう前を向いていた。
確かな足取りで歩んでいく主の背中を、ひふみもまた内心を強固な鎧で覆い隠して追いかけていく。
いずれ、その刻が訪れるまで、主を護ると誓っているから。
● ● ●
「……見つけちまったな」
誕生日的な意味で『兄』となってしまう和真からの電話がかかってくる一分前、駅前広場を適当に彷徨っていた宗次は無意識に呟いていた。
口調そのものは苛立たしげでありながら、声音には安堵にも似たものが混ざっている。
本人にとっても内心を明文化するには、いろいろと複雑になり過ぎている。
あるいは、単純すぎて認められないというべきか。
しっかり視線は『彼女』を追いながら、足は動くのを拒むようにその場に棒立ちしている。周囲の人間が迷惑そうに宗次を避けていく。
懐の携帯電話が着信を鳴らしたのは、そんな時だった。
「――――っ!? 和真かよ」
タイミングがいいと言うべきか、あるいは最悪のタイミングと言うべきか、どうにもこうにも狙い澄ましたかのようなタイミングだった。
『そろそろ合流しようと思うんだけど、どうだろう?』
「………悪いな。急用が出来た。今日の予定はキャンセルさせてくれ」
迷ったのは数瞬。
それから勝手に口が動いていた。
『………………。』
電話の向こうからでも、こちらの真意を探っているような沈黙。
思わず、ごくりと喉が鳴る。
こいつを騙すには相当の労力が必要となるので、正攻方で真っ向勝負を挑むのが正しい対処法となる。後ろめたいわけではないし、何よりも自分がどうしたいのかわからない。
だから、これはある意味では、和真の判断に任せた逃げのようなものだった。
『ふぅん。……まあ、わかったよ。
それじゃあ、急用を優先するといいよ』
「いいのか?」
『だって、急用なんでしょ? こっちよりも優先したいと宗次が判断したのなら、その判断を信じるさ。正直なところ、急用の内容ぐらいは聞いておきたくもあるけれど、長話してる余裕もないだろうからね。それじゃあね』
「………あ、ああ。」
拍子抜けするくらいあっさりと和真は電話を切った。
今からなら逃亡も可能というわけだが、和真の言葉はしっかり『楔』として機能している。
相変わらず、タチが悪い。
「仕方ねぇか」
選んだことになるのは事実だ。
意を決するように一度だけ目を閉じた宗次は、目で追い続けていた『彼女』の元へと歩いていく。
「よう、委員長。奇遇だな」
中学時代のクラスメートであり、いろいろと妙な関係を築いた『委員長』――花咲ちさの肩に無造作に手を置く。
「……偶然ね、日歩くん」
驚いた様子もなく、ちさは足を止める。
相変わらずの委員長呼びに不服そうに頬を膨らませていたが、それが二人の挨拶であった。
眼鏡。肩で切り揃えたおかっぱ頭。大人しくて地味。
中学時代はそんな印象だった彼女も、あの雨の日から劇的な変化を遂げた。
お洒落に気を遣った服を着て、眼鏡を外して軽く化粧をし、髪型を変えた姿は、ほとんど別人といっていい。
だからといって、本質的な意味で中身が変わったわけではないので、宗次にとっては『委員長』であるのは変わらない。
「また出逢っちゃったね」
「あ~、そうだな」
「今日はどうする? 特別な日だから、誰かに誤解されないように止めとく?」
宗次とちさはある雨の日に、深く繋がった関係である。
だが、それは気持ちまでは繋がらない一夜限りの関係のようでもあり、それは二度目であっても変わらなかった。
それでも完全に関係を切るには至らず、付かず離れずの曖昧な距離感を維持していた。
約束はしない。
街で見かけたら声をかけ、その時の気分でどうするかを決める。
そんな決め事が今でも続いていた。
だから、ちさの問いかけもいつも通り。
ちょっとだけ意地悪な含みを混ぜたのは、今日がクリスマスという特別な日だからだろう。
「誰が誤解するんだよ。委員長を委員長と見抜ける奴が、そんないるわけねぇだろうし、知ってる奴はとっくに知ってるだろうがよ」
「蓬莱寺さんにからかわれるかも」
「いつもの事だろうが」
「え~っと、あとは……」
「委員長はそんなに嫌なのかよ?」
「へそ曲がりなあなたがグチグチ言いそうなネタを最初の段階で潰してるだけよ。どうせデートするなら楽しい気分でしたいしね」
「……………。」
口を開きながらも言葉の出てこなかった宗次が、苛立たしげに頭を掻く。
「それで、どうするの? デートする?」
「………………………………ああ。とりあえず、どっかでメシ食うぞ」
ぶら下がったシルバーアクセサリーをジャラジャラさせながら、荒っぽく宗次が歩き出す。
ちさの目にはそれが照れ隠しにしか見えず、悪戯心がムクムクと育っていく。
小走りで追いかけながら、耳元に口を寄せて囁く。
「ね? 腕組んであげよっか?」
「………勝手にしろ」
「お願いしますって言ったら、やったげる」
「………………っ」
「冗談よ♪ 冗談♪」
宗次の腕に両手を絡めて、ちさは抱き締めるようにする。
今日はいつもよりご機嫌だ。
クリスマスのせいだろうかと嘆息するが、宗次もまた浮き足立つような気分であるのを否定できない。今日が『特別な日』であるという免罪符があるために、少しばかり気持ちのタガが緩んでいるのかもしれなかった。
そこまで自己分析しながらも、締め直す気にもならないのだから重傷だ。
「やれやれだな」
「せっかくのホワイトクリスマスに辛気臭い顔してないで、もっとにこやかにしなさいよ」
言われて空を見上げれば、確かに雪が舞っていた。
「……これでいいのか?」
「威嚇?」
「………失礼な」
「ふふふ♪ 鏡、見る?」
当人たちは否定するだろうが、どう見ても仲睦まじい二人は夜の街を歩いていく。
お互いにポケットの中にあるプレゼントを意識しながら。
● ● ●
「……あぁ、うん。宗次は急用が入って、今日はダメだってさ」
『そっかぁ。クリスマスだもんね。そういう用事が入っても仕方ないよね』
「ゆかりの言うところの『用事』がどういういうものかは聞かないとして、そういうわけだから、翔悟と美命に声をかけてみたんだ。いい返事をもらえたんだけど、二人が参加してもいいよね?」
『勿論だよ♪ なんか微妙に邪魔してるんじゃないかなという不安があるけど、来てくれるなら大歓迎ってみんな言ってるよ』
「わかった。じゃあ、翔悟たちと合流したら、その店に行くから」
『うん。待ってるからね♪』
ワクワクを抑えられないというゆかりの声に頬を緩ませながら、僕は電話を切った。
ポケットに携帯電話をしまって、白い息を吐く。
空から降る雪の勢いは増しているけど、明日の朝には積もっているというような感じでもない。
クリスマスを彩る粋な演出みたいな降り方だと思うのは、好意的に過ぎるだろうか?
なにはともあれ。
特別な日は最高の条件で、道行く恋人たちの想い出に花を添えている。
それを羨ましく思う気持ちがないでもないけれど、家族や友人と過ごすクリスマスだって悪いものではない。
それに一年後の自分がどうなっているかもわからないのだし。
もしかしたら、恋人と一緒に素敵なクリスマスを過ごしているかも知れない。
雪の舞う夜の街を、僕は期待に胸を弾ませながら歩いていく。
僕にとっても。
他の誰かにとっても。
楽しい時間はまだまだこれからだ。




