聖なる日の地味な没個性とその周辺(前) 『ほのぼの+たまにシリアス』
ノクターンで連載中の『夕凪和真と(自称)魔法使いの秘密道具』で、去年のクリスマスに公開した番外編と同じものです。
この話は夕凪和真の物語であると同時に、その周辺の連中の話でもあるので、こっちにも含むことにしました。
十二月二十五日。
世間で言うところのクリスマス――つまり聖夜の日だ。
世の中には『性夜』などと言って、主にカップルがいろいろと盛んになる日でもあるらしいのだけれども、そっち方面のイベントからは僕は今年も無縁だ。
地味な没個性は今日も安定して、存在が埋没している。
客観的な目線で周囲を俯瞰すると、どちらかというとクリスマス・イブの方が盛り上がっているような気もするけれど、こっちもこっちで重要なわけで優劣を付けるよりも気持ちの優先順位みたいなものなんだろうなと思わないでもない。
ともあれ。
「クリスマスパーティー?」
携帯電話の向こうから聞こえてきた声を、そのまま繰り返す。
ウチの学園はもう冬休みに入っていて、特に用事があるわけでもないけれども、家に引きこもっているのも不健康なので散歩がてらに街中に繰り出していた。
『うん、そう。お父さんとお母さんが無理矢理に時間を作ったから、せめて夕食ぐらいは絢爛豪華にどっかで食べようって言ってるの』
「ほほぉ……。」
最近は仕事が忙しくてすれ違いが続いている両親からの特別な日での粋な計らいに、素直にうれしいという気持ちになる。
『それで若菜もっていうか、柳原さんのところも合同でどうかなって話になってるんだ』
「いいね。賛成する以外の選択肢なんか思い浮かびもしないよ」
『だよね。若菜の方にはわたしが話をするから、お兄ちゃんはもう一人のお兄ちゃんをゲットしておいてくれるかなぁ?』
「了解。フィッシュしておく。
何か特別な用事でもない限りは、拘束して連行していくよ」
『お願いね♡』
ゆかりの声は弾んでいた。
久しぶりの家族団欒が楽しみで仕方がないのだろう。そこに親友と親しくしている一家が加わるとなると相乗効果が半端ない。
ゆかりはあんまり外食を好まないところがあるけれど――遊月食堂は例外――デメリットを丸投げできるメリットに目を輝かせているのが、電話の向こうからでも察せられる。
昨日は昨日でバイト先での夕食に招待したのだけど、そこに至るまでの道程で散々なぐらいナンパに付き纏われたらしいのだ。精神的な意味で疲労を蓄積させてしまったという負い目もあるので――無論、夕食に関しては大歓喜してくれていたけども――妹が加えたがっているもう一人の家族をゲット&フィッシュしなくてはいけないだろう。
「わかった。それじゃあ、また後で。
細かいことが決まったら連絡をよろしく」
『はいはぁ~い♡』
そんなわけで、そういうことになった。
それが。
すでに半日が過ぎている聖夜の一日をとても長くする発端になるやり取りだったとは気づくよしもなく。
● ● ●
そんなこんなで、僕は誕生日的な意味で『弟』になる家族を探して、その場所へと足を踏み入れた。
それは本来であれば、僕のようなタイプは絶対に足を踏み入れないような、およそ接点を見出せない類の空間。
強いて例えるなら、テレビや漫画の中のような現実味の薄い世界とでも言うべきだろう。正しくジャンルが違うとしか表現できない。
所謂ところのクラブハウス。
それもあまり健全ではない街のアンダーグラウンドに属する類の……見るからにガラの悪い同年代ぐらいの少年少女がひしめき合っている空間。大音量のクラブミュージックが流れる中、ろくに換気もしてないせいで充満している濃い煙が、眼と喉にくる乱雑とした環境だ。
何かに餓えたようにギラギラとした視線が無数に存在しているのが印象的だが、そのどれひとつとして僕を見ることはない。
無人の荒野を行くも同然にゴチャついた通路を横断し、奥のプライベートエリアのあいつ専用に用意されているVIPルームに足を運んでいた。
当たり前の話だが、僕のようなタイプの人間が普通に入れる場所ではなく、入ったところで物理的な意味で即座に追い出される。
その当然を無きの如くにしているのは、地味な没個性という存在感の薄さが第一で、第二に周知が徹底しているからだ。
王や女王や幹部――そうした称号で敬われている『上』にいる者からの徹底したお触れ。
あいつには絶対に手を出すな。訪ねてきたなら無条件で通せ。
元を正せば会いにきた相手が起こしたイザコザのせいでもあるのだけど、その一悶着の過程でいろいろとあったのだ。
良く言えば、気に入られた。
悪く言えば、目を付けられた。
諸共に。
ともあれ、縁で得られた特権は活用しておくに限る。
そんなこんなで第三の理由と一緒に歩いているわけなんだけど。
特別な日になると雲隠れをする『弟』が、引きこもれる場所は多いけれど、自然と僕の選択肢からは外れる場所は少ない。そんなわけで足を運んだのがここであり、思った通りというわけではないにしても――可能性としては三割くらいだと判断していたので――最初でビンゴを当てた。
「やぁ、宗次。」
「……あぁ?」
豪奢なソファに気だるげに身体を預け、手前のテーブルには明らかなアルコールが注がれたグラス。空になった瓶が床の上に散乱している。
煙草の吸殻が灰皿に一本も詰まれていないのは及第点だとしても、わかりやすく退廃的だった。二日酔いでもしてるのか、眉間に皺を寄せながら怪訝そうに目付きの悪い三白眼が見上げてくる。
「昨夜は随分と楽しんだみたいだねぇ……」
「別に楽しかねぇし、飲みまくったのは俺じゃねぇぞ」
状況を理解するのに、灰色の髪がボサボサになっている頭を軽く一振り。
それだけで意識を切り替えたらしい宗次が、ため息を吐きながら言う。
「何の用だよ?」
「夕凪家と柳原家の合同でクリスマスパーティーをするから、なんか特別な用事でもない限りは宗次も強制参加してもらうよ。いつも通りに携帯も電源から切ってるみたいだったから、直接探しに来たんだよ」
「ぷっ……あっはははははっ♪」
ここまで案内してくれた少女、あるいは女性――どちらとも取れる外見をしている女の人が、開いたままの扉に寄りかかりながら、思わずといったように吹き出していた。
冬も盛りで随分と寒いというのに、店内は空調を効かせているからか、肩が剥き出しになっている紫――というかラベンダー色(?)のナイトドレス姿だ。どこか誘うような妖艶な雰囲気を醸し出しており、その外見を大人びさせている。
お腹を抱えるように身を捩じらせながら、薄暗い照明の光を反射させるイヤリングを揺らしている。
本名はこっそり教えてもらっているけども、ここでは『女王』と呼ぶように言われている。
「こんなところまできて、口から出るのが友だちをクリスマスパーティーに誘うためって言うのは、なんとも言えないくらいあなたらしいわね」
「そう?」
そんなに笑われるようなことだろうかと首を傾げていると、宗次が苛立たしげに頭を掻く。
「悪いが、俺は忙しい」
「説得力の欠片もないセリフだよね」
部屋の中を見回して、宗次を見て、何処に『忙しい』要素があるのかと。
半ば条件反射で拒否っただけなのが丸わかりで、むしろ悲しくさえなってしまう。いつもならもう少しは捻った言い方で煙に巻こうとするだろうに。
「いや、ホントにね」
嘆かわしそうに女王も同意してくれた。
「………………。」
宗次、沈黙。
もう少し考えて喋ろうよ。
単に酔いの影響で、まだ頭が回ってないだけかもしれないけれども。
まあ、そのおかげで簡単に墓穴を掘ってくれたのはありがたい。
「ともあれ、彼に『貸し』ひとつで、あなたの提供を約束したのよね。悪いけれど、顔を洗ったら即刻出て行ってくれるかしら?」
「おい、和真。こいつに『貸し』って……っ!」
「前の一件を帳消しにするって条件だから、プラマイゼロだよ」
良くも悪くも利益重視な人たちで人情なんてものを期待してはいけないので、そこら辺はキチンと弁えていますとも。
「……なら、いいけどよ。いや、よくねぇよっ!」
「一人でノリツッコミしてないで、さっさと準備してくれる? 事と次第によっては強面の人たちも動員する手筈になってるんだよ」
「――ちっ!?」
「その目線は逃走経路を探してる風に判断させてもらうけれど、既に封鎖は完了してると無駄な労力を省ける情報を提供しておくよ。あぁ、それと四十秒以内に動かなかったら、実力行使を開始するのでそのつもりで」
「おま――――っ!? そこまでするかっ!!」
「どうせ消費するんなら、最大限に活用しないとね。僕の頭で考え得る限りの状況を想定して、それに応じてもらう形での協力を女王にはお願いしてるんだよ。宗次がクリスマスパーティーに参加しないでいられるとしたら、それは僕を納得させる以外の手段はないとこの場で明言するよ。絶対に逃がさないからね」
「そういうことね♡」
「………………………………………相変わらず、鬼のような追い込みしやがるな」
「有無を言わさぬ強制連行でないのを、僕の誠意だと思って欲しいかな」
「………………………。」
「ちなみに、あと五秒だよ」
「~~~~っ。わかった」
百面相していた宗次が、ラスト一秒でうなだれた。
「それじゃあ、話がまとまったところでさっさと出て行って♪
あ。でも、夕凪くんはその……ぷっ♪……クリスマスパーティーとやらが始まるまで、私とゆっくりじっくりとお話をしない? なんならねっとりとした身体の会話でもいいわよ? 将来の愛しい人との初体験のための授業的な感じで。ほら、今日は『性夜』なんだし、ね♡ お姉さんがいろいろとレクチャーしてあげるわよ♡」
僕の腕を取り、身体を寄せてくる女王。
薄い布地越しに――この感触だとブラはしてない――柔らかな胸を押し付けてくる。
「そんな風に妖艶に微笑みながら『ね♡』と言われましても、宗次を野放しにすると逃亡するのが目に見えていますので、僕の監視が必要なんです。折角のお誘いですが、今日のところは遠慮させてもらいます」
「あら、残念♪」
そんなに残念じゃなそうに言うのだから、女王の真意がさっぱり読めない。
からかわれていると思っておくのが無難だろう。
悪い意味ではなく、こんな人が僕なんかを本気で相手にするとも思えないし。
「今日のところは――なんて、迂闊な言質を取らせると後日に押し倒されるぞ」
「ははは。まさかぁ」
「――ちっ」
「今の舌打ちって、まさかの女王ですか?」
「なんのこと?」
にっこり笑顔が、ちょっと怖いですよ。
「……たくよぉ……っ」
煩わしそうに思い腰を上げる宗次。
それがただのポーズだとわかっているので、特になんの反応もしない僕と女王。
宗次は顔を洗ったら、女王の配下の人たちに文字通りの意味で追い立てるように叩き出されて、僕はなんか丁重なお見送りを受けた。
ともあれ。
そんなこんなで、宗次をフィッシュ&ゲットしたのだった。
ミッションコンプリートっ!
● ● ●
「で、そのクリスマスパーティーとやらは、何時に何処でやるんだよ?」
路地裏でゴミのように放り捨てられた服を着る羽目になった宗次は、とっても荒んだ目になっていた。ただでさえ目付きが悪いのに今や三割り増しで、普通に見るだけでメンチきってるような惨状になってしまっている。
おかげでさっきから眼前の通行人が、モーゼの十戒みたく左右に避けていく。
「まだパーティーの開催が決定しただけで、具体的な話は何も決まってないよ。とりあえずは、ゆかりからの連絡待ちだね」
「おぉいっ!? それだとこんな早朝に、俺を連れ出す意味が何もねぇだろうが」
「とっくに昼過ぎなんだけどね?
君の感覚だとしても、午後二時過ぎを早朝呼ばわりするのは図々しいにもほどがあるよ」
昼夜の感覚をなくした引きもりかよって話だ。
「うるせぇな」
「ともあれ、一番の問題児の確保にそれなりの時間を割かれる見積もりだったからね。あっさりと最初の第一手で確保できたのは大きかった。でも、そのおかげで大幅に時間が余ってしまったのは由々しき事態だね。どうしてくれるんだい?」
「お前にしては、相当に理不尽な言い様だな。おい。」
「いや、宗次のことだから、もっと捻くれたところに潜伏してるかもとか思ってたんだよね」
あのクラブハウスも普通に考えると到達できないところではあるのだけど。
「あるいは、ド直球で普通にあの部屋にいるかも……とかいろいろ考えてたんだけど、僕が捜索場所として簡単に思い付かないところの方が確率高そうだったからね」
「それであっという間に辿り着くんだから、お前の『勘』も神掛かってきてんな。若菜かよって話だ」
「あ~、うん、まあ、宗次のパターンが読めてきたのかもね」
「俺としては趣向を凝らして裏をかいたつもりだったんだがなぁ……。どーもあの学祭以降のお前は、タチの悪さが増す一方だ」
タチが悪いと評されるのは心外だ。
むしろ、コソコソと逃げ回っている宗次の方がタチが悪いと評されるべきなはずだ。
「宗次よりもタチの悪い人たちと接する機会が多かったから、相対的に宗次の難易度が下がったのかもね」
「だとしたら、屈辱だな。
今日のところは素直に負けを認めてやるが、次は必ず裏をかいてやる」
「そんな後ろ向きな決意を燃やしてなくて、素直に家族の集まりには顔を出しなよ」
「俺は――――」
「その件に議論の余地はないよ」
「――ちっ」
舌打ちしながらも、それ以上は続けようとしない宗次。
「………んで、これからどーすんだよ?」
しばらく無言でテクテク歩き、沈黙が一分を過ぎたところで今後の方針を聞いてきた。
「適当にブラブラしてればいいんじゃないかな」
実のところ……なんて前置きに何の意味がないくらいには、何も考えていない。
宗次のフィッシュ&ゲットに夕方くらいまでかかるんじゃないかと適当な見積もりをしていたので、時間が余ったらどうするかなんてちっとも考えていなかったのである。
とはいえ、是が非でも何かをしなくてはいけないわけでもないし、適当に散策するもよし、ファミレスでドリンクバーしながら雑談するもよしという感じだ。
「まあ、お前がそれでいいんならいいけどよ」
「久しぶりに宗次と適当に遊ぶのもいいと思ってるよ。むしろ、この空白の時間が生じた原因の大半は宗次にあるんだから、暇潰しのネタの提供を要求したいな」
「……とはいっても、あんま時間をかけられるもんして、呼び出しがかかっても詰まらんしな。ボーリングか、バッティングセンターか、卓球か、ビリヤードかってとこか?」
「見事に全部玉遊びだね。宗次にしては珍しい」
「お前に合わせてやってんだよ。なんなら馴染みのカフェ&バーで一杯やりながらダーツでもするか?」
「なにを一杯やるつもりなんだ」
「酒。」
「少しはオブラートに包む努力をして欲しいかな」
「冗談だよ。この時間帯ならまだカフェ営業だ。夜の方が楽しめる店ではあるが、昼もそんなに悪いもんじゃねぇ。どうだ?」
「宗次のお勧めは当たり外れの落差が激しいけど、その言葉に期待してみようか」
「よっし。決まりだな。
――こっちだ。そんなに遠くじゃねぇ」
そんなこんなで宗次の先導に従って、進路を変える。
冬の冷たい空気を吸いながら、僕はなんとなく視線を巡らせる。
街中はクリスマス仕様で華やかになっているし、世界の中枢たる央都であるからか、それとも住人がノリノリになっているからか、見て歩くだけでも十分に楽しめる。
暗くなってからの駅前のイルミネーションなんかは、わざわざ遠くから足を運んでくる人もいるほどなので一見の価値もある。
なによりも幸せそうにしているカップルの姿を見るだけで、なんか浮き足立ってくるような気持ちにもなる。
「おい、和真」
――とはいえ、そんな楽しい気持ちになるような人たちばかりではないのもまた自然の摂理なわけであって……。
「なんだい……って、アレは…っ」
怪訝そうな宗次の指先が示す路地裏に視線を向けた僕は、なんとも言い様のない光景に言葉を失わざるをえなかった。
「お願いだから、そんなことはやめてよぉぉぉぉぉぉぉぉぉっ!!」
「うるさい、離せぇぇぇぇっ!?」
そこには一人の少女が涙ながらに、『何か』に縋り付いていた。
「なんだ、アレは?」
「いや、僕にもよくわからないけどさ」
強いて言うなら、サンタクロースっぽいなまはげというか、なまはげっぽいサンタクロースというか、奇跡的なまでにグロテスクな融合を果たした着ぐるみだった。
勿論、本物ではないだろうけれど、大振りの鉈を持っているし、担いだ袋は返り血みたいなもの――絵の具の演出だと信じたい――で汚れている。
子供が見たら、トラウマ必死の『鮮血の聖夜』になりそうな悪夢の具現だった。
「なんなんだ、アレは?」
「いや、だから、僕に聞かれても困る」
関わりたくはないけれど、縋り付いている女の子を見て見ぬ振りするのも躊躇われるし、なによりも素っ頓狂な光景に動くに動けない。
目を丸くし、口をポカンと開いて、間抜け面をするしかなかった。
むしろ、日常的に変な耐性があるせいで、逆に傍観体勢になってしまっていたというのもあったりする。
「何故、止めるっ!? クリスマスは独り身の人間が心からカップルを呪う日なんだぞ。あの浮かれポンチどもの顔を苦痛と悲哀の海に沈めてやれると思うと心が躍らないか? お前もまた寂しい独り身であるのだから、俺の気持ちが存分にわかるはずだっ!! ならば、共に武器を手に取れっ! 奴らがいちゃつくのを見過ごすなっ!! 破局を誓わせろっ!! 嫉妬の絆で繋がれた同士の元へ集えぇぇぇぇぇっ!!!!」
「それはいやぁぁぁぁぁぁぁぁっ! お願いだから、止めてよぉうぅぅぅぅぅ……っ!!」
「「………………………………。」」
僕らは黙って見るしかない。
一見すると痴話ゲンカのように見えなくもないのだけど、着ぐるみのグロテスクなインパクトが強すぎる。
他にも気づいて足を止める人たちはいるんだけど、関わりたくないとばかりにすぐに足を動かして立ち去っていってしまう。
よっぽど神経が鈍くないと、関わろうとは思わないだろう。
その正常な判断力が羨ましくなる反面、すっかり神経の鈍くなってしまっている僕らの足はまだ動かなかった。
おまけに。
「なぁ、和真」
「なんだい?」
「気のせいだと思いたいんだが、あの着ぐるみの声に、なんか聞き覚えがあるような気がしないか?」
「具体的に言うと、学園の教室とかでだったり?」
「ああ。そうだな」
ひとつの顔を思い浮かべて、僕はため息を吐いた。
「回れ、右したいなぁ……」
「俺もしたいが、あの娘を放っておくのはどうかとも思うんだよな」
「宗次でさえそう思うぐらいなんだから、僕も全くの同感さ」
彼から危害を加えられそうにはなさそうだけど、アレの関係者だと思われてしまうと今後の人生に支障を来たすかも知れない。
それがわかっていながらこの場を去るのは、なんとも後味が悪い。
「お願いだから、いつもの順平ちゃんに戻ってよぉぉぉぉぉぉ………っ!」
ズリズリと少女を引き摺りながら往来に出ようとする――つまり、こっちに順調に近づいてきている――着ぐるみの中身の名前が発覚した瞬間であった。
「「………………………。」」
坂道浩太率いる『嫉妬団』の最古参幹部『三駄犬士』が一人、木島順平。
声からして恐らくそうだろうとは思っていたけれど、それが的中してしまったこの瞬間の心中たるや筆舌に尽くし難いものがあった。
あぁ、やっぱりな。
ある意味、いつも通りだね。
なにやってんだ、あいつは。
宗次との一瞬のアイコンタクトでそんな内心の呟きを交わしながら、平静な――むしろ無感情な心境で心の底から呆れながらも、あの少女は何者だろうという好奇心も生じる。
とにかく。
「宗次、頼むよ」
「わかった」
うなずいた宗次が懐から自動拳銃を取り出す。
幼なじみにして親友でもあり、同時に誕生日的な意味で『弟』になる家族が、そんな非日常な物品を取り出しても落ち着いていられるのは、あの学園での日々で耐性が付いてしまったからなんだろうね。
幸か不幸かはさておき。
路地裏に足を踏み入れた宗次が、自動拳銃に慣れた手付きでサイレンサーを付けて、乾いた銃声を響かせる。
「ぐべぇうぁ……っ!?」
ドシャッと断末魔を上げて倒れる着ぐるみ――もとい、木島くん。
「ふえっ……あ、あの……」
何が起こったのかを理解できずに目を白黒させる少女を安心させるように、僕は手を差し伸べる。
「事情はよくわからないけれども、あんまり騒ぎになるのもどうかと思うので、緊急的な措置を取らせてもらったけど、彼は大丈夫だから安心して欲しい」
地面が血の海になっているけれども、そんなことで『嫉妬団』の連中がどうにかなるわけはないのである。理屈は一切不明だが。
肉片や消し炭になっても、翌日にはしれっと復活してるようなデタラメさで存在しているのだから、細かい理屈を考えるだけきっと時間の無駄なのだ。
「え? えぇっ!? あ、あの、その、えっと………ええぇぇぇぇぇっ!!」
「あ。大丈夫。僕らは彼のクラスメートだから、対処法もちゃんと心得ている。拳銃で撃ったけれどもそれぐらいで死んだりはしないからさ」
「そもそも本物じゃないしな」
そこに関しては疑わしい部分がないでもないけれども、実弾ではない『何か』を撃ち出しているのは事実だ。
それでも大量に流血してるから、さしたる違いがあるとも思えないけど。
無駄な演出をするための血のりということにしておこう。
「とりあえず、少しだけ話をさせてもらってもいいかな?」
「このまま放置するのもなんだしな」
「………………………………あ、その、はい。わかりました」
少女は戸惑いと混乱で表情を百面相させながらも、僕らの提案にうなずいてくれた。
● ● ●
とりあえず、気絶(?)している木島くんを持参していた血塗れの袋の中に折り畳んで詰め込み、たまたま近くにあった喫茶店に入った。
落ち着いたレトロな雰囲気の個人で経営しているっぽい店だった。
「あの、わたしは若槻麗と言います。
えっと、順平ちゃんとは幼なじみです」
まだ戸惑いを色濃く残した若槻さんが、ペコリと頭を下げる。
僕はカフェオレを、宗次はブラックを、こっちのオゴリで若槻さんは紅茶を頼んで、それぞれに一口だけ口に運んだあとだ。
おっとりした雰囲気だけど、躾がしっかりと行き届いているようなイメージだ。
クラスメートで美形に慣れているせいか、素朴な印象の顔立ちに親近感を覚えてしまうのは、わりと失礼だなと内心で苦笑してしまう。
なんとなくお洒落をがんばったんだなぁ……と思うのは、その服装を着慣れていないように見えるからだろうか。
特別な日に、特別な相手に可愛く見られたかったのだろうと思うと微笑ましくなる。
その相手を木島くんと仮定するのは、その名前を呼ぶ時に含まれた親愛の響きゆえだ。
けれど、その特別な相手である木島くん(仮)が、あんな素っ頓狂な感じに変貌していたのでは、泣いて縋り付きたくもなるのかもしれない。
世は無情である。諸行無常の響きに目尻が濡れてしまいそうだ。
「ほぉ……」
宗次が足元の袋に軽く蹴りを入れながら、意外そうな呟きを漏らす。
「……ってことは、同じ学園なのかな?」
「いえ、わたしは清華女子に通っています」
僕らの通う学園は『学校』という枠組みでいうなら完璧に規格外の別物でしかないけれども、清華女子は古くからの伝統と格式を受け継いでいる有名所のひとつである。
ちなみに、小中高と一貫しているエスカレータ方式のところでもある。
女子校なのだから当たり前だけど、女子からの人気が高く、理由の一つとしては吹奏楽が全国区の強豪であるらしい。
そして、余談ではあるが、主に制服とかで男子からの人気も高かったりする。
ゆかりと若菜は進学先の一つとして選択肢に入れているらしい。
第一志望は、ウチの学園らしいけれども。
「それでまぁ、大体の見当は付くけれども、どうしてあんな状況に?」
「今日はその……えっと、クリスマスなので、順平ちゃんがヒマしてるようなら、その……あくまでもヒマなら、一緒にお出かけしたいなって思って家を訪ねたら、あの姿の順平ちゃんが出てきたんです」
「軽くホラーだな」
「むしろ、心を抉るようなホラーだよ」
木島くんは引き止めようとする若槻さんを引き摺りながらそのまま街まで繰り出して、僕らが遭遇してしまったというわけか。
「その時点で見放さなかったあんたの心の広さを、俺は尊敬するぞ」
冗談めかしているわけでもなく、本気の言葉なのが伝わってくる宗次の声音だった。
「えっと、坂道さん……でしたか? ――と出逢ってからの順平ちゃんはおかしく……じゃなくて、壊れて……でもなくて、心の箍が外れちゃってるような感じになっちゃっていますが、常時そんな風じゃないんです。ちゃんと昔みたいに普通な時もあるし、だから、わたしは、その……」
「健気だな。俺には無理矢理イイトコ探ししてるとしか思えんぞ」
こめかみをヒクヒクさせながら、若槻さんには届かないぐらいの小声で漏らす宗次。
それだけ幼なじみを大切に想ってるんだろうね。
三つ子の魂百までというけれど、きっと幼い頃に気持ちを決定するような心温まる物語があったんだろう。
僕らの観点からすると、盲目にさせてしまっている呪縛のように感じてしまうけども。
「余計なお世話だとは思うが」
「はい」
重々しく口を開く宗次に、真剣な顔でうなずく若槻さん。
「こいつはもうダメだと思うぞ」
足元の袋に蹴りを入れ、爪先でグリグリする。
「全く同感だけど、はっきり言い過ぎだと思うよ」
「あ、あはは……」
若槻さんが顔を引きつらせる。
「そもそもからして、こいつは中学時代に既に人間として転落している。より正確には、坂道と遭った時点で、あんたの知っているこいつはもう死んだも同然だ。他人の幸せを妬み、妨害し、男に物理的な意味で襲いかかる。女と見れば見境なしというわけではないが、少なくてもセクハラまがいの行いなど何度もしている。底辺も底辺で、ゴキブリの方がまだ可愛いと思えるほどの害虫だ。世間的にも駆除した方がマシだし、そんな奴に関わろうとするとあんたの人生も転がり落ちてしまうぞ。止めておけ。敢えてもう一度言うが、こいつに関わるのは止めておけ。あんたのためだ」
宗次にしては、意外なほどに親身になっている。
言葉の内容は他人を貶しまくっているのだけど、そこに弁護を差し挟む余地はほとんどないんだよね。
存在そのものが迷惑な『嫉妬団』の幹部なのだから。
根が善人な宗次としては、自分から不幸になろうとしている若槻さんを放ってはおけないのだろう。
「で、でも、順平ちゃんはそんなに悪い人じゃないし、昔だってわたしを……」
「あ。ちょっと待って」
なんか長くなりそうな過去話の導入みたいな若槻さんを遮って、軽く手を上げる僕。
「え? あ。はい」
「長くなりそうな惚気……じゃなくて、砂糖吐きそうな美しい想い出話……でもなくて、とりあえず、若槻さんの主張はさておき、僕らの根拠を示したいと思うんだ。中学時代から今に至るまでの木島くん……というか、『嫉妬団』の所業について、ちょっとだけ聞いて欲しい。いちいち話すと時間がいくらあっても足りないから、とりあえずは僕らの間で有名な事件をピックアップするけれど……」
「は、はい……っ」
ごくりと唾を飲む若槻さんに話すこと約十分。
「………………………………………………………………………。」
彼らの仕出かした諸々の事件というか騒動を聞いた若槻さんの表情は、完全な『無』になっていた。
さすがに百年の恋でも冷めるだろうと、僕らは少しだけ重苦しい空気を甘んじて受け止める。
これも若槻さんのためなんだと自己弁護をしながら。
「で、でも……っ」
しかし。
若槻さんは死んだ魚のようだった目に光を蘇らせ、椅子から腰を浮かせた。
「わたしには順平ちゃんを見捨てられませんっ! 今がどんなにダメでも、どこまでも堕落してしまったとしても、人間の屑に成り下がっていたとしても、それでも更正する可能性を全否定したら、ホントにダメになってしまいますっ! だから、だからっ! わたしは順平ちゃんを見捨てられませんっ!!」
目の端に涙を浮かべ、苦渋の表情で言葉を紡ぐ若槻さんは、決して自分に酔っているわけではなかった。
ちゃんと現実を受け止めて、しっかりと考えた上で、それでも木島くんを見捨てないという選択肢を選んでいた。
窓際に背中を向けていたために、まるで後光が差しているかのようだ。いや、それだけではなく、光の加減でなんとなく天使の翼が広がっているようにも見えた。
それは疑いようのない目の錯覚なのだとしても、彼女の心の強さを直に受けた僕らにはそう見えたとしてもなんら不思議ではなかったのだ。
彼女は天使のような心の持ち主だ。
魂が穢れた屑同然の塵にさえも(←言い過ぎだとは思ってます♡)慈愛の心を失わない強さは、そう易々と持ち得るものではない。
「これが、愛か」
「愛って、すごいねー」
盲目な慕情ではあっても、その眩さを尊いと思う気持ちに偽りは一切ない。
同時に、半分ぐらいは呆れ混じりではあるのだけども。
他者からは愚かに思える選択であったとしても、突き抜けてしまえば清々しいような気持ちにもなれるのだった。
「これは説得は無理そうだね」
「……だな」
顔を寄せて、ヒソヒソと相談する僕と宗次。
若槻さんの気持ちは言葉では折れないし、折っていいものでもない。
ならばこそ、選ぶべきは異なる手段。
彼女の尊い願いを叶えるべき方向へと、方針を転換しなくてはいけなかった。
実際のところ、僕らにしてはわりと珍しい対応である。別に若槻さんに求められているわけでもないのだから、もう引き下がってもいいような段階ではあるのだ。
しかし。
そもそも地味な没個性の僕であるならば、あのような現場に立ち会う『偶然』に行き当たることはなかっただろうし、宗次にしてもそれは同様だろう。何かの手違いで遭遇したとしても、宗次一人ならば、普通にその場を立ち去っていたのを疑う余地はない。
だからこそ、この『偶然』には何らかの意味がある。
そんな解釈さえしてしまうのは、若槻さんの想いの強さも含まれる。
わりと奇跡的な確率で設けられている場だからこそ、僕らは内心で苦笑しながらも、期せずして必要以上に親身に接しているのだった。
「こうなったら、木島くんを更正させるしかないよね」
「十分な無理難題だが、気長にでもやるしかないだろ」
「千里の道も一歩からって言うからね」
「なら、まずは今日の馬鹿な行いを脅して止めさせて、若槻と一緒にいさせるところから始めるか」
「頼むよ。僕は若槻さんともう少し話しておくから」
連絡先の交換とかをしておく必要もあるし、今後の方針みたいなのも決めておかないといけない。
「わかった」
床に転がった血塗れのサンタ袋(死体入り)をむんずと掴んで、店の外まで引き摺っていく宗次。
「え? あの、その……」
「あ。大丈夫、大丈夫。ゴミ捨て場に捨てるとかみたいな悪いようにはしないよ。
で、若槻さんの心意気に胸を打たれちゃったから、今後は何かと協力をしていきたいと思うんだ」
「協力……ですか?」
「そう。木島くんを更正させて、真人間に戻すんだ」
「ほ、本当ですか?」
「うん。可能な限り協力するよ。
正直に打ち明けると木島くんは本気でどうでもいいんだけれど、若槻さんが不幸になるのは寝覚めが悪くなる。君みたいに優しい娘は、幸せにならないと世界を信じられなくなる」
木島くんなんかに若槻さんが純粋な好意を抱いている時点で、世界にはかなりの疑惑が生じているけれど。
人の心というのは、時には神様の思惑だって超える可能性があるのだから、そんなこともあるのだろう。
今日という特別な聖なる日に、目と鼻の先に発生するとは思わなかったけれども。
「ついては、連絡先の交換とかもしておきたいんだけど、いいかな?」
「あ、はいっ。わかりました。よろしくお願いします」
ペコリと丁寧に頭を下げる若槻さんに、僕は苦笑するのだった。
● ● ●
この日の若槻さんとの出逢いが、なんやかんやあって木島くんを『嫉妬団』の裏切り者に仕立て上げてしまうのだけど、それはもう少し先の話である。




