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一年B組の学園祭 ~暗躍する地味な没個性~ First Chapter(6)






「彼は放っておいても、よろしいのですか?」


 愚者の始末を終えたなのはは、改造したエアガンを後ろ腰のホルスターに戻しながら、主に問いかける。


 その視線は遠ざかっていく和真の背中を、わずかに剣呑な眼差しで見ている。


「あぁ、構わない」


 帝は書類を処理しながら、なんでもないように言った。


「私が動くに足る『見返り』が、彼に用意できるとは思えん。仮に単純な金銭で考えていたとするならば取るに足りんし、ましてや先に告げたように『青春の想い出』などと口にするようであれば、相手にする価値も失われる」


「ですが……」


 素直にうなずいておくべき場面で、さらに口を開いてしまったのは迂闊であろう。


 口応えと取られて不興を買う可能性すらあるし、そもそも天と地ほども立場が隔たっている相手の判断に異を唱えるなどあってはならない。


 仕える者としては、明白な失態だった。


 それでも半ば反射で口を開いていたのは、わずかな嫉妬のせいだった。


 憧れを持って仕えている者が見せた意外な一面――どこか楽しげに会話に興じる横顔に魅せられ、そんな表情を引き出したのが自分ではないという事実に苛立ち、それを成したのが取るに足らないような地味な没個性であった現実に嫉妬を抱いた。


 未熟な己の精神に内心で恥じ入りながらも、表面上は平静を装う。


「そもそも学園祭の出し物も決定していない段階で、何を協力させるつもりだったのかも私には一切の見当が付かんよ。案があるようなことを言ってもいたが、私への交渉の体たらくから考えても一蹴される未来しか見えん」


 そんな部下を気にした素振りも見せずに、帝はペンを片手に書類に流麗なサインを描く。


「………それも、そうですね」


 思わずといった風に、納得のうなずきをするなのは。


「少なくても、彼と再び相対する機会が訪れるのは土壇場になってからだろう。所詮は些事に過ぎん。放っておけばいい」


「――はい。」


 無意識に返事を一拍遅らせながら、なのはは一礼をする。


 帝の判断は正しいはずだ。


 盲信ではなく、客観的にみても帝の判断は間違っていない。


 だが、妙な不安がある。


 じわじわと暗雲が広がるような……という不吉を孕む類のものではないが、彼をこのまま放置しておけばなんだか途方もない事態に見舞われそうな予感が胸中に生じている。


「………………。」


 探りを入れておくべきだろうか――と、頭の片隅で考えるなのはだったが、わずかな黙考の後に帝が言っていたように急ぐ必要はないだろうと判断した。


 そんな些細な先送りが――


 彼女の今後に多大な影響を与える選択だったのだと知る由もなく。



 ● ● ●



 その次の休み時間。


 僕は廊下の片隅で、白石くんと室井くんの二人と話をしていた。


「「イベント喫茶?」」


 僕の提案を、二人は異口同音に繰り返す。


「うん。そうだよ。ベースになるのは喫茶店だけど、教室の教壇(ステージ)部分を使って、各種様々なイベントを行うんだ。具体的にというと少し語弊がありそうだけど、現状で出ている出し物の案なんかをね」


 要するに、これこそが白石くんの口にした『全部やる』というのを形にした案だ。


 これならば、それなりの積極性を見せている全員の希望を叶えられるし、ありとあらゆる反対意見を一蹴できる起死回生の一手。


 ………ただし、別の意味で無理難題度も跳ね上がるので、前途多難であることに全く変わりがなかったりするのはご愛嬌。


 現状の出し物が決定していないという問題は解決するけども、それを実現させなくてはいけないという現実は苛酷を通り越した絵空事としか思えない。


 そんな無理無茶無謀の三拍子が揃っているからこそ、ウチのクラスに相応しいと言えなくもない。


「とりあえず、白石くんたちの案である『演劇』は決定ということで。他の出し物がまとまらないという最悪の場合は、一日四回ぐらいは公演してもらうという方針でよろしく」


「「えぇええぇぇぇ~~~~~~~………っ」」


 内容を聞いた二人は揃って、変な声を出した。


 特に、白石くんの驚愕振りは、普段の彼からかけ離れたものとなっていた。


 ………この時点では僕の知る由ではなかったのだけど、結崎さんたちがノリノリで準備を進めている『演劇』の脚本(シナリオ)はそれなりに完成に近づいており、主役である白石くんと天宮さんのラブラブ展開もエスカレートをしていた。


 公衆の面前でキスする演劇を一日に四回もした挙げ句に、それが五日も続く可能性があると示唆されたら、まぁそんな声も出るのだろうね。


 驚きの中に、仄かに喜びが混ざってたような気がしないでもないけれども、それは言わぬが花ということで。


 新婚バカップル万歳っ! リア充は末永く幸せになってくれっ!!


「よ、余裕で無茶苦茶だなぁ……」


「むしろ、そんな無茶振りをやらかしていいのかと思うんだけど……」


「そもそも本当に可能なのかい」


「どう考えても、どうにもならないような気しかしない」


「まあ、確かに僕も無茶苦茶だと思ってるけどね」


 口々に難色を示す二人に、僕は軽く肩をすくめる。


「そこはそれ、とりあえずは方向性を決めるのが最優先だよ。みんなが納得できるようなひとつを選ぶのが困難なら、その逆をすればいいだけだと思うんだよね」


 我ながら、凄い屁理屈だと思うけども。


「それにも程があると思うんだけど……」


「白石くんと室井くんが難色を示すのは無理もないと思うくらいに無茶苦茶ではあるけれど、絶対に不可能かというとそうじゃないと僕は思うんだ。僕らだけでするなら、それは無理無茶無謀の三拍子で即日破綻する馬鹿げた突拍子もない案だよ。でも、僕らのクラスに揃っている人材がその気になったら、実現不可能な夢物語じゃなくなる。いろんな道のエキスパートが揃っているんだからね。」


 いかにも自信ありげに聞こえるように、声音に余裕を含ませる。


 実のところ、僕も全く自信はないんだけど、たったそれだけの理由で諦めるのでは、彼らに協力を表明した意味がないし、なによりも詰まらないような気がする。


 地味な没個性の僕がこういうのに関わっても、「あ。いたんだ」という胸が切なくなるような一言で放置プレイされるので、なんかこう肩を並べて目立てる――微妙に違うような気はすれども――機会は滅多にないのだ。


 今の僕は、彼らに認識されているっ!


 たったそれだけで、僕は無理無茶無謀の三拍子が揃った難題に挑めるだけの気概を胸に抱けるのだ。


 ならば、躊躇う理由はどこにもない。


「そのために、まずはみんなの目指すべき方向を決定する。この『イベント喫茶』なら、そう簡単に反対意見は出ないはずだし……」


 さっきから何度も繰り返しているように、無理無茶無謀の難題であるために、それを理由で反対意見を出してくるクラスメートが確実にいるだろうけれど、内容そのものにインパクトがあるために、少しは驚きで意識の矛先を逸らせる――はずだ。


 そうして隙を抉じ開けて、一気に決定まで持ち込んでしまえば、その後の反対意見に効力は失われる。


 何故なら、決定した意見に反対するなら、対案を出せという伝家の宝刀が抜けるからだ。


「僕たちの仕事は、そこから先にある。今はまだやる気じゃないクラスメートをその気にさせて、イベント内容の充実を図ること。僕らの手に負えないくらい規模が大きくなり過ぎないように抑えること。要するに、みんなが一丸となれる舞台をお膳立てすることさ。それさえ叶えば、僕たちはきっと凄い思い出を共有できると思うんだ」


 素晴らしいではなく、凄いという言葉を選んだ僕の内心を汲み取ってください。


「まあ、今の段階だと構想上の机上の空論だから、白石くんと室井くんの意見も聞かせてもらいたいし、賛同してくれるなら君たちに頼みたいことがある」


「僕たちに……?」


「そ。この役割は地味な没個性の僕だと少し無理があってね。ただでさえぽっと出なんだから、あんまり出しゃばりすぎると今後に支障があるかもだし」


 そもそも自分で言ってて悲しくなるけれど、僕が前に出たところでみんなに認識してもらえるかどうかが怪しい。


 余計なワンクッションを挟んでまで前に出るよりは、最初から前に出ている白石くんたちに頼んだ方が話は早い。


「う、うぅ~ん。でも、そんなに上手くことが運ぶかなぁ……」


 難色を示す白石くんの肩に、室井くんが手を置く。


「でも、そもそも頼んだのはこっちなわけだし、ここは夕凪くんのアイデアに乗ろう」


 ほんのわずかな迷いを瞬きひとつで消し去り、覚悟を決めた男の顔になる室井くん。


 その顔はまさにこれから最終決戦に挑もうとしている勇者の如しであった。


 流石は、天城学園が世界に誇る(?)ミスター・ハーレム。


 伊達に何度も修羅場(←わりと意味深♡)を乗り越えてはいない。


「そうだね。停滞した状況を覆す起死回生の一手になるかどうかはわからないけれど、進んで地獄に飛び込んでくれた協力者のアイデアを無茶苦茶の一言で却下する権利なんて、僕らにはないっ!」


 そんな男から激を受けては、白石くんとしても奮起せざるを得ないのかもしれない。


 彼も瞬きひとつで、瞳の中に浮かんでいた迷いを消し去り、拳を握り締める。


「そうだ。毒を食らわば皿までの精神で、火中に飛び込んでやろうじゃないかっ!!」


「……いや、そこまでの覚悟を決めないといけないことなのかな?」


「そりゃそうだよ。君の提案が通ったら、普通よりもかなり大変な事になるのは目に見えているからね」


「やり甲斐はありそうだけど、むしろ現状よりも困難な道行きだからねぇ……」


 でも、この二人が表立って動くなら、協力者は多い。


 むしろ、この二人でなければ、まとまらない話の方が圧倒的に多いだろう。


 そんな『人徳』に無自覚なところが、この二人のいいところなんだと思う。


 僕が協力したいという気持ちになったのも、きっとその辺が理由の何割かを占めているんだろうね。


 この二人の笑顔が曇るのは嫌で、この二人が笑顔でいてくれるならうれしい。


 そんな気持ちが確かにあるのだから。


「でも、上手くいったらとっても楽しくなると思うんだよね」


「それは確かにね」


「疑う余地はないよ」


 笑みというには苦笑の成分が多く含まれた表情で、白石くんと室井くんがうなずく。


「それじゃあ、君たちに頼みたいことも含めて、もう少し細かい話をしようか」


「ああ。」


「うん。」


 相槌を受けて、僕は今日の放課後までにやっておいて欲しいこと。放課後の話し合いの進め方をいくつかのケースに応じて話していく。


 それに対する白石くんと室井くんの意見を聞き、多少の修正なんかを織り込んでいく。


「――それじゃあ、そんな感じの手筈で頼むよ。僕も宗次や翔悟に根回しをしておくから、放課後の話し合いは任せるね」


「うん。わかった」


「任されたよ」


 そんなこんなで、休み時間の密談は滞りなく終わるのだった。



 ● ● ●



 そして、運命の放課後の幕が上がる。



 ● ● ●



「現在の停滞した状況を覆すために、僕たちが考えた出し物は『イベント喫茶』です」


「喫茶店をしながら、お客様に教室の教壇(ステージ)部分を使ったイベントを観覧してもらう」


「イベント内容は、今出ている提案の全部(・・)を予定しています」


 放課後の一年B組の教室がざわめいた。


 そもそもの学園祭に興味がない者たちはとっくに姿を消していたりで、話し合いそのものに参加しているのは全体の三分の二ぐらいでしかなかったが、その中の半分ぐらいも自分の世界に没頭していたりで真面目に話を聞いていたりはしなかったのだが――


 そうした者たちでさえも耳を疑うような顔で、教室の教壇(ステージ)に立つ四人――和也と壱世と八雲と小鳥に視線を向けていた。


「何……?」


 突拍子もない企画案には、流石の帝も興味を引かれて顔を上げていた。


 壇上の男二人はどことなくヤケクソに近いような引き攣った表情をしており、一歩後ろに立つ女二人はそんな彼らを支えるように、優しく背中に片手を添えている。


 麗しい光景ではあったが、帝の冷めた心中には小波ひとつ起こりはしない。


 コレ(・・)は『彼』の仕組んだ流れだろうと直感で悟り、仕事を一時的に中断して頬杖を突いた帝は成り行きを見守る。


 生徒の出した答案用紙に評価を下すように。


「そういうわけで、多数決を取ります」


「賛成の人は挙手を願いますっ!」


 シュバババ……ッ! ――と、空気を裂くような音を立てながら、何人もが手を上げる。


 その迷いのない挙手は、事前に打ち合わせをしていたとしか思えない。


 割り振りとしては和也と八雲の派閥の者たちに、他にも何人かが手を上げている。翔悟や美命に宗次などもそうだし、腹を抱えて笑いながら悠も手を上げている。


「………………。」 


 やはり、事前に話を通しているのだろう。


 未だに戸惑っているクラスメートとは明らかに一線を画す、『共犯者』じみた笑みを浮かべている。


 帝は無表情を保っているが、ちらりと視線を向けた先にいる朔夜もきょとんとした珍しい顔で未だに状況を把握しかねている様子だった。


「既に帰宅している人たちは棄権と見なした上で、賛成の数が現在教室にいる人たちの過半数を超えましたので、学園祭の出し物を『イベント喫茶』で決定とさせて頂きますっ!」


「――以上、終了。解散っ!!」


 和也と八雲は早口にそう言うと、傍らの少女の手を引いて、そそくさと教室から離脱していった。彼らの派閥の者たちも同様に、にまにまと笑いながら椅子から腰を浮かす。


 あっという間に人口密度が減少した教室には、未だに戸惑いの空気が色濃く残っていた。


 そんな中――


 近づいてくる軽い靴音。


 常であれば、あっさりと聞き逃していたであろうが、今はある種の確信があったためにその主を見落とすことなく、しっかりと認識していた。


 それでも薄っすらと浮かび上がるような存在感の曖昧さを宿してはいたが、それも彼が近づいてくるごとに確かなものへと変わっていく。


「そーゆーわけで、こーゆー感じになりました」


 おどけるように片手をひらりとさせながら、和真が言う。


 ほんの数歩分の距離を置いて通路に立つ彼は、真っ直ぐに帝を見ていた。


「やはり、君の仕込みか」


 本題(・・)に入る前の軽い雑談のノリで、帝も口を開く。


「まぁね」


「中々に見事な手腕だと言わせてもらおう。反論の余地を与えずに、電光石火の早業で一気に決定に持ち込むのは正しい手段だ。あとの反発を一顧だにしていなければ、だがね。それも今回の場合(ケース)においては、考慮する必要もない」


「そう易々と一発逆転が可能な対案を考えてまで、出し物の決定に反発したい人はいないだろうからね」


 軽く肩をすくめる和真。


 根本的な意味で、反発するだけならば、参加しなければいいだけなのだから。


「だが、『イベント喫茶』とやらも中々に無理難題だと思うがね。停滞した状況から一歩を踏み出したところで、その先に聳え立つのがさらに高い山では意味がなかろう」


「僕はそうでもないと思ってるよ。みんなで一緒にやったらね」


「だが、こんな強硬手段での決定では不満も燻るだろう。なによりも、軽く想定するだけでも問題が山積みだ。そんな無益な労働に意欲的な者が、果たして何人いるかな?」


「少なくても、白石くんと室井くんたちはやる気になってるし、あそこのまとまりだけでもそれなりの(・・・・・)『イベント喫茶』は開催できると思ってるよ」


「だが、君はそれだけでは(・・・・・・)不満のようだが?」


「どうせなら、とことんまでウチのクラスらしさを追及していくのが、白石くんたちに頼まれた『協力』に繋がりそうだからね。それに、どうせなら楽しみたいじゃないか」


「その押し付けを迷惑だと思う者の気持ちを、君は無視するのか? 説得の労力を惜しまないということは、強要してるのと変わらないはずだが?」


「最後の最後までやって、それでも迷惑だったと言い切られたら、その時は素直に謝るよ。

 でも、食わず嫌いみたいに最初から不参加を表明するのは、それはそれで間違ってると思うんだよね。やって見なくちゃわからないことって、やっぱりあると思うんだ」


「今回の場合(ケース)は、やらずともわかりそうなものだと思うがね」


「それはそれ、これはこれ。僕と皇くんの間にある意見の食い違いに関しては、学園祭の最終日ぐらいに結論が出る案件さ」


「……君は中々にいい性格をしているようだ」


「褒められたと思っておくよ」


「厚顔だな」


「金○だなんて、そんな失礼な。ははは。」


「………。」


 ほんの一瞬だが、帝の表情が『無』になった。


「面の皮が厚いと言っているんだ」


「わかってるよ。冗談さ」


 和真は飄々と肩をすくめる。


 ほんのわずかだが、己のペースを崩されつつあるのを帝は自覚する。


 どうにも違和感が拭えない。彼と話していると、ある種の誤作動が内面に生じる。彼との会話を楽しんでいる自分に気づかされる。


 無意識に、無自覚に、固く閉ざした心の扉を、優しく開かれていくかのようだ。


 それに確かな心地よさを感じながらも、同時に自分でも幼稚だとしか判断できない反発心が鎌首を擡げる。


 簡単に流されてたまるかと、わずかでも緩みそうになる口元を引き締め直す。


「では、用件があるようなので、話を聞こうか?」


 互いの視線が絡み合い、ピンと空気が張り詰める。


 傍らに立つなのはは口を挟む余裕もなく、緊張した面持ちでごくりと喉を鳴らしていた。


「急な話で悪いんだけど、再試験を頼んでもいいかな」


 言葉を口にするのと同時に、すぅっと和真の纏う空気が変わるのを感じた。


 掴み所のない飄々としていたものが、さらに薄らいでいく。


 透明な光を宿した眼差しに見つめられ、微かなざわつきが帝の背中に生じた。


 肌が粟立つほどではなく、警戒を抱くようなものでもなく、それなのに致命的なまでに懐に入り込まれているような――


 暴かれてはいけないものを見透かされているような不可思議な感覚に、仄かな畏れを抱きそうになる。


「確かに、急な話ではあるな。まさか、当日に頼まれるとは思わなかった」


「のんびりしてる余裕はなくなっちゃったからね」


「……いいだろう。私が君個人の『協力者』になることで得られる『見返り(メリツト)』はなんだ? 金銭など他人から貰う必要がない。青春などに興味はない。そんな私に、君は何を差し出すというのかね?」


「お金なんかは他人に差し出せるほど裕福じゃない僕には無理な相談だ。青春に関しては、皇くんが『協力者』となってくれたなら、そこから過ごす日々が青春そのものになるんだから差し出す意味がそもそもない」


「………………。」


「だったら、僕は何を提供するべきなのかを考えてみたんだけど、皇くんには無理難題を提供するのが一番かなって思ったんだ」


「なんだと?」


 ――そう。


「僕に提供できるのは、皇くんでも簡単じゃない『お仕事』さ」


 ――本当に何気ない言葉で。


「僕に協力してくれるなら、毎日繰り返している仕事よりも、ずっとやり甲斐のありそうな無理難題(おしごと)が山積みだよ。退屈なんか感じるヒマもなくなると思うんだけど、どうかな?」


 ――彼は容赦なく、ずっと無自覚だった急所を撃ち抜いてきた。


「……………………………………………………………………君は、何を言っている?」


 誰かと会話をする過程で、こんなにも次の言葉を口にするのに時間がかかった経験は、その最後を思い出せないほどに久しい。


 こんな掠れた声で意味のない言葉を吐いたのも。


「正直、自分でもバカなことを言ってるような気はしてるんだけどね。今の(・・)皇くんを楽しませてあげるには、頭が空っぽになるぐらい働かせてあげるのが一番かなって思ったんだ」


 ポリポリと頭を掻きながら、和真は片手を上向ける。


 採点をどうぞ――というわけだ。


 だが、帝はまだ彼の言葉を、頭の中で正常に受け止められたわけではなかった。


 正直に打ち明けるなら、何を言われたのかわからなかった。理解できなかったわけではなく、心の奥底を無遠慮に掴まれたような衝撃を味わっていたのだ。


「………………。」


 退屈。


 そうだ。その単語だ。


 何を馬鹿な事を言っている。


 天城財閥麾下十二企業の一角を担う『皇グループ』の事業の一端を担い、日々を大量の仕事に忙殺されている自分は、千人を超える人間を従え、自分の倍以上の年齢の大人を相手にしている。


 そんな単語とは無縁のはずだ。


 なのに、何故こんなにも心が騒ぐ。


 無意識に今の日々を退屈だと感じていたとでも言うのか?


 そんなはずがあるものか。


 責任があり、才能と能力があり、社会(セカイ)に貢献する義務がある。


「………………。」


 だが、それはそもそも何のためだった?


 私は――


 俺は――


 僕は――


 そもそも『誰』のために―――――――



『あなたは、わたしの自慢の子供よ』



 優しく微笑む母親の顔が、フラッシュバックする。


「―――――」


 すとんと戸惑いに揺れていた胸中に納得が訪れた。


 ……あぁ、そうか。


〝僕〟はまだ、あなたのいない日々を受け入れられずに、余計な事を考えずにいられるように闇雲に仕事を求めていただけだったのか。


 なまじ才能があったがために没頭していられたが、心の隙間は塞がることなく、乾いた風を吹かせ続けていた。


 なんて、詰まらない灰色の日々なのだろう。


 なんて、下らない時間の無駄使いなのだろう。


 なんて、虚しい人間なのだろう。


 なんて、退屈なのだろう。


「………ふ、ふふっ」


 だが、それ(・・)に気づけたのは僥倖だ。


 正確には、気づかされたというべきだが。


 過ちに気づかぬままに盲進するよりも、遥かにマシだ。


 直視を躊躇う恥部であったとしても、それが過ちであるのならば、修正して前に進んでいけるのが自分だ。


 少なくても、そうあろうとしているし、今もその矜持に揺るぎはない。


 それが誇らしく思える。


「皇くん?」


 怪訝そうな和真の声が聞こえてはいたが、帝は湧き上がる衝動に身も心も委ねる事にした。


 唇の緩みが抑えられない。喉の奥から込み上げてくる音を止められない。


「ははは、ははははははははははははははっ」


 和真の自覚の有無はこの際捨て置くとして、こうも容易く自分でも気づいていなかった恥部(よわさ)を暴かれたというのに、帝の胸中に満ちているのは痛快さだった。


 こんなにも愉快な気持ちで笑ったのは、いつ以来だか思い出せない程だ。


「うわぁ。これは採点を聞くのが怖くなる反応だなぁ……」


「み、帝さ、ま…っ!?」


 ドン引きしている二人の反応にも構わずに、帝はしばらく笑い続けた。


 周囲の視線――特に朔夜の視線さえもお構いなしに。


「いや、すまない。自分の不甲斐なさというものを不意打ちで突きつけられてしまってね。どうにもこうにも情けない気持ちになりはしたのだが、同時にこの上もなく痛快な気分にもなった。まさか、君にこんな気分を味わわされるとはね」


 まだ笑いの衝動を端々に残しながらも、どこか晴れ晴れとした心地で帝は言う。


「いや、あの、その、そんな心を揺さぶるような言葉を述べたつもりは微塵もないんですけど……っていうか、何が皇くんの琴線に触れたのかもさっぱりわからないんだけど……」


「そこまで見透かされてしまっては、流石の私でも君の口を封じるための手段を講じなくてはいけなくなるのでね」


「殺りますか?」


「ひぃっ!?」


 嬉々とした笑顔でありながらも、眼が微塵も笑っていないなのはが後ろ腰に手を回す。


「やめたまえ。黙秘権を行使するだけだ」


 片手で制しながら、帝は改めて和真を見やる。


「採点だ」


「あ、はい」


「私は――君の『協力者』になろう」


「え? マジでっ!?」


「何故、そこで驚く?」


「いやぁ、さっきの反応を見る限り、なんかとんでもない地雷でも踏んだような気がしないでもなかったから、却下だの一言で終了かなって思ってた」


「いいや、君は良い『退屈凌ぎ』を用意してくれた。私はそう思っているよ」


「………。」


 透明な光を宿した和真の視線が、帝の真意を確かめるように細められる。


 微笑さえ浮かべながら、帝は受け止める。


「それじゃあ、お願いさせてもらおうかな」


 数秒が過ぎてから和真は歩を進めて、片手を差し出してきた。


「君が望む青春とやらに、私も参加させてもらおう」


 帝は腰を浮かせて、その手をしっかりと握った。


 不思議な温かみを宿す和真の手の感触を手のひらで感じながら、帝は内心で呟く。



 ――母さん。



 不甲斐ない息子だけど、少しは子供らしく遊んでみるよ。


 とりあえずは、不思議と底の知れない彼と友達にでもなるところから始めてみようと思う。


 なんだかとても面白くなりそうな予感がするんだ。


「――――。」


 何気ない素振りで窓の外を見る。


 空は青く、雲は白く、世界は綺麗だった。


 そんな当たり前を、帝は久しぶりに思い出していた。



 ● ● ●



 少し大袈裟に言うなら、ここに『契約』が成立した。


 皇くんと握手しながら、僕は内心で安堵の吐息を漏らす。


 正直なところ、随分と分の悪い『賭け』ではあったのだ。


 下手を打ったら、逆鱗に触れる可能性すらあった。


 ――というか、多分、普通に鷲掴みにしてる。


 それでも、この結果を拾えたのは、単に運がよかっただけだ。


 あくまでも勘のようなものに推論を重ねただけに過ぎないのだけど、それでも的に近いところを射てはいたのだろう。


「………………。」


 皇くんは天城財閥麾下十二企業の一角である『皇グループ』の一部の事業を任されている若社長だ。


 才能があり、教育があり、努力があり、積み上げてきた能力が認められた上で、その『立場』を与えられている。


 でも。


 皇くんからは、それ(・・)を誇るような態度が一切見えない。


 僕たちと同じ若さで海千山千の百戦錬磨な大人と渡り合っているのだから、それ相応に精神が成熟しているのかも知れないけれど。


 大きく言ってしまえば、一部とはいえ世界を動かしている自らの手腕に、誇りを抱かないほどに――当然のように受け入れてしまえるほどに、精神(ココロ)を完成してしまえるものだろうか?


 そうではないだろう。


 むしろ、逆に考えるべきだ。


 価値を見出していない……とまでは言わないが、今の彼の立場は手段の結果であって、目的ではないのではないだろうか。


 そんな風に考えてしまうと、欠けたパズルのピースが、どこかに嵌るような感覚があった。


 目的を亡くしてしまったのか。


 それとも見失っているのか。


 どちらでもいいし、どちらでもないのかも知れないけれど、そもそもそんなに重要じゃないし、下手に追求すると今度こそ本当に逆鱗に触れた場合の対応になるかもなので、さておいてしまおう。


 要するに、皇くんに何を与えられるかが重要なのだ。


 今の立場が手段の結果でしかないのなら、彼が仕事をしているのは半ば義務感のようなものでしかない。


 そんな仕事は『退屈(つまらない)』に決まっている。


 無論、手を抜いているわけではないのだろうし、当人にとっても無自覚な部分だから、本気でやってはいるのだろう。


 でも、そこに楽しみを見出せているかといえば、明らかに『NO』だ。


 仕事に楽しみが必要かどうかと問いかけると、そんなのあるわけねーというのが大半だろうけれど。


 ウチの両親みたいな例外は、世の中そんなにないのである。世知辛い社会に出るのが嫌になるよね。ホント。


 ともあれ。


 それならそれで、そんな苦痛を和らげる息抜きが必要となるのが道理だ。


 けれど、皇くんの場合は、仕事をするために仕事をしているような感じになっているみたいな上に、気の休まるヒマもなさそうなぐらい多忙だ。


 そして、それでもこなしてしまえるだけの実力が、彼にはある。


 ある種の悪循環が成立してしまっている。


 そんな彼に与えるべきものと言えば、さて何がいいだろうか?


 お金は論外。お金持ちに端金を渡したところで無意味だ。


 青春の想い出。現時点で彼が価値を見出していないので却下。


 では、何を?


 彼は何を求めている?


 僕に思いつくような答えはひとつ。



 ――仕事(・・)である。



 それも皇くんの肩書きが絡まない類で、皇くんの肩書きが有用である類の普段とは少しばかり毛色の違うもの。


 何故かと問われたら、それをするしか能がない人――もとい、それをする以外の選択肢を見失っている人には、それを与えるのが一番だからという乱暴な理屈だ。


 絶対に口にはしないけどね。


 詰まるところ、学園祭関係の諸々で、彼の才能に溢れた手腕を振るってもらうのが、一番の息抜きになるんじゃないかと思ったのだ。


 一筋縄ではいかない連中(クラスメート)も揃っている。


 選り取り見取りの無理難題。


 仕事中毒者(ワーカーホリツク)ならば、垂涎ものだろう。


 それが普段(いつも)の『退屈な仕事』とは違うのだから、なおさらのはずだ。



 まあ――



 ここまでわりと適当な御託を並べたわけだけど、学園祭の出し物が決定して、ある程度の目処が立ったのが、皇くんが『協力者』になってくれた大きな理由でもあるはずだ。


 いくらなんでも、沈むのが確定してるドロ船に乗り込むほど酔狂ではないだろうし。


 そういう意味では、白石くんのアイデアと室井くんたちの根回しのおかげと言える。


 相も変わらずの他力本願が上手い具合に嵌った幸運に感謝しよう。


 さておき。


 意識を思考から、皇くんと面と向かっている現状に戻す。


「君は優秀な生徒だったよ。

 いや、むしろ私が教えられたくらいなのだから、上から目線では失礼だな」


「社長さんなんだから、上から目線なのはデフォルトなのでは?」


「日頃の態度を省みるとそう思われてもおかしくはないのだが、今後学園では自重するとしよう。私と君は対等だ」


「じゃあ、これからはクラスメートから友だちにランクアップだね。やった♪」


「………………。」


「変な顔してどうしたの?」


「いや、目標の立て甲斐のない展開だと思ったのだが、君が気にする必要はない」


「なんだか不満そうなんだけど、僕と友だちになるのは不快だったのかな」


「そういうことではないよ。素直に嬉しいと思っている。私が気にしているのは、全くの別だから気にしなくていい」


「なんか釈然としないけど、わかったよ。うん。」


「それで今後に関してだが」


 なんとなく続いていた握手を終了させて、皇くんが真面目な顔になる。


「あ。うん。」


「まだ少し前進しただけで、君としても大した展望を思い描いてはいないだろう」


「そうだね。とりあえずは、簡単に考えているくらいだよ」


 ――とはいえ、方向性が決定したからには、妙な反発が起こらない限りは喫茶店の準備から始まると思っている。


 そこに関しては、白石くんたちに任せておけばいいし、必要な物資なんかが生じた時に皇くんに動いてもらうつもりだ。


 僕個人としては、そっち方面ではあんまり動く余地はないと思っている。


 地味な没個性だから。


「では、今後に対する詳細を話し合うのは、少し日を置くとしよう。それまでにこちらも、いくらかの展望を考えておく」


「白石くんたちとも話し合いたいし、現状の賛成派での顔合わせもしておいた方がよさそうだよね」


「うむ。」


 皇くんはうなずき、少し考えるような間を置いた。


「君への協力を表明した矢先にこんな事を言い出すのは心苦しいが……」


「うん?」


「やはり、私はそれなりに多忙の身だ。君と常に連携が取れるわけではないし、思うように時間が取れるわけでもない」


「それはわかっているつもりだよ」


「ああ。理解を示してくれて助かるよ。

 だからというわけでもないが、こちらから君に補佐を付けようと思う」


「補佐?」


「そうだ。私の手の者を君の傍らに付かせることで『協力』の体裁とし、私との円滑な『報連相』を行えるようにしておく」


「ちなみに、誰を? 大人の人は勘弁して欲しいんだけど……」


「わかっている。――伊瀬君」


「はい」


「一時的に私の秘書見習いの任を解き、君に夕凪君を補佐する役目を任せる」


「わ、わたしが、ですか……?」


 驚きと困惑を宿した声が、伊瀬さんの口から零れる。


 多分、誰か適当な人を見繕ってくように命じられると思っていて、自分が任命されるとは思っていなかったんだろうね。


 うん。僕もその人事異動(?)は予想してなかった。


「不服か?」


 皇くんはちらりと冷たい視線を向けながら問いかけた。


 問いかけの形を取ってはいるけども、異論や反論を許さない眼差しだった。


「――い、いえ、了解しましたっ!」


 慌てて一礼する伊瀬さん。


「よろしい。君の代わりはすぐに手配するので、今から彼の補佐を行うように。基本的に学園内に限定するが、彼が必要とするならば学外もその限りではない。そのつもりで励みたまえ」


「わかりました」


 敬礼じみた所作をした伊瀬さんが、僕に向き直ると丁寧に一礼します。


「よろしくお願いします、夕凪様」


 よろしくされたくなさそぉな内心が微妙に滲み出ている声音だったけれども、表情は完璧な作り笑いだった。


「コチラコソ、ヨロシクネ」


 微妙に前途多難な予感のする足枷を嵌められたような気分になったけれども、皇くん的には純然たる好意での申し出なので文句も言えない。


 まあ、個人的には伊瀬さんの好感度以外に、問題点らしい問題点はないのだけども。


「では、そういうことだ。私はそろそろ仕事に戻るとしよう」


「うん。」


 書類仕事に戻る皇くんから視線を外して、


「さて。」


 僕は緩く肩を上下させてから、小さく呟いた。


 そんなこんなで昼休みの時点からすると、学園祭に関する案件は一気に状況が進展したわけなんだけど、まだまだ前途多難としか言えない。


 でも、だからこそ、やり甲斐もあるというもの。


「無事に協力者も得られたことだし、次はイベント内容を充実させないとね」


 曲者揃いのクラスメートたちの顔を思い浮かべながら、僕は誰から話をしていくのがいいかなと考えを巡らせていくのだった。






 First Chapter END

 To be Continued Second Chapter








 というわけで、学園祭編三部作の第一部完です。


 これからしばらくは、イベント内容を充実させるために必要な連中の話を、ちょこちょこやってから第二部がスタートする予定です。

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