一年B組の学園祭 ~暗躍する地味な没個性~ First Chapter(2)
「「「はぁ~~~~~~………」」」
これは何かの嫌がらせだろうか――と、夕凪和真は真剣に考え込む。
場所は学園にいくつもある食堂の『エステラント』であり、本日の昼食を食べるために足を運んでいた。
店内には大きな丸テーブルを六つの椅子が囲むという形式の座席が見渡す限り並んでおり、奥まった場所にある人の来そうにない席を選んで腰を落ち着けていたのだけど。
同時に店員もなかなか通りがからない上に、僕の固有スキル『地味な没個性(笑)』が発動していたために、手持ちの小説を読み耽っていたのもあって、昼休みの三分の一を空腹のままで消費してしまうという事態に陥った。
この時点でなんか今日はツイてないな……とでも思っていれば、あるいは今後の展開に巻き込まれるようなことはなかったのかも知れないけれど、僕は軽くため息を吐くに留めて、ようやく通りかかったバイトの店員さんを苦労して呼び止め、ようやくの昼食に在り付いていた。
目に見える形で暗雲が立ち込め始めたのは、カツカレーの最初の一口に至福の気分を味わった瞬間だった。
視線の先に見覚えのある少年少女を――というか、普通にクラスメートの四人を見つけ、なんだかこっちに近づいてくるな~とか呑気に思った。
さて――
〝目に見える形で暗雲が立ち込め始めた〟という表現をさっき使ったわけだけど、それは正しく彼らから放散されているものだった。
近づいてくる彼らの表情は………どう表現すれば伝わるのかと頭を捻らざるをえない感じだけど、僕の貧相な語彙からピックアップするなら『どよん』としている、であろうか?
纏う空気から滲み出る疲労。
足取りもなんだか重たげで。
目は死んだ魚のよう。
普段の彼らからは想像できないくらい口数が少なくというか、喋っている様子もない。
あ。こりゃ関わると面倒そうだなぁ……と、反射的に思った僕を責められる人はいないだろう。
もっとも、地味な没個性として普段からスルーされるのが自然な僕としては、向こうから積極的に接してくる可能性なんかは微塵も考慮に入れていなかった。
ただし――
「………………。」
今回は僕の勝手にステルス能力(笑)が悪い方向に働いてしまった。
僕に気づかないからこそ、僕が一人で座っているテーブルに彼らはゾロゾロと足を運び、椅子に腰かけてしまったのだ。
両隣を男子に挟まれ、正面には美少女が二人。
普通に考えれば嫌がらせにしかならないが、彼らは本気で僕という存在が眼中にないのもまた明白なのである。
常々疑問に思うのだけど、どうして僕はこんななのだろう?
周囲からどんな風に見えているのか、本当に見えていないのか――さしもの判断はつかないけど、恐ろしく婉曲な嫌がらせという可能性だけは除外できる。
すでに昼食は済ませているのか、それとも単純に食欲がないのか、彼らは寄ってきた店員さんに軽い飲み物だけを注文した。
注文を受けた店員さんがテーブルを離れてから、彼らは全く同じタイミングでため息を吐いた。
つまるところ、それが今話冒頭のため息に繋がるわけなのである。
勘弁してください。
ご飯が美味しくなくなるじゃないですか。
――などと思いながら、僕は少し行儀が悪いと思いながらも読みかけの小説を片手に、カツカレーをパクリと口に運ぶのだった。
うん。今日も美味しいね。
● ● ●
ちなみに、僕の存在に気づかないままに同席してきたのは――
『新婚バカップル』の白石和也くんと天宮壱世さん。
『隠れ御曹司』の室井八雲くんと『生まれた時から許婚』の藤原小鳥さん。
――の四人のクラスメートだ。
そして、同時にその四人だからこそ、彼らがそんな重たい空気を背負っている理由もわかるので、同情の視線ぐらいは送っていく。
あ。このカツ、美味しいや。
彼らは学園祭の企画を決める上で、クラスをまとめる役に抜擢されているのだ。
実際にはクラス委員がするべき仕事なんだけど――多分――彼と彼女は学園祭の出し物を決める初日の話し合いで物理的な意味でリタイアしており、数日を経た現在に至るも復帰していない。
病院の白いベッドの上でうんうんと唸っている人たちに無理はさせられない。
学園祭の実行委員は現時点で多忙を極めているので、以下同文。
他の人たちはわざわざ面倒に首を突っ込むほど酔狂ではなく、物理的な被害を受け難い彼らが後任に選ばれたというか、立候補してくれたというか、そんな感じだ。
だけど、状況は芳しくなく、出し物の企画は遅々として決まらない。
意見そのものが出ていないわけではない。
白石くんたちは『演劇』を提案しているし、室井くんたちは『喫茶店』を提案している。他にも定番なものから奇怪で奇抜なものまで。
いくつもあるからこそ、クラスの意見が一つにまとまらないという状況だ。
そもそも五日も開催期間のある学園祭なのだから、たった一つの企画を延々とやる続けるのも芸がないと言い出す人まで現れる始末で、話し合いは錯綜を極めつつある。
あと、わりと個人単位で対立している人たちがいるのも問題の種だ。
挙げ句の果てには『嫉妬団』の総帥が「裸エプロン喫茶っ!」と言い出し、後に続く三駄犬士が「猫耳喫茶♪」「エロメイド喫茶☆」「キャバクラ♡」などと欲望丸出しの妄言を垂れ流し、自然な流れとして爆発沙汰が起こり、女子のお仕置き(←穏当表現)が加えられる。
そんなこんなでトラブルの収拾まで話し合いが滞る。
ここ数日は詳細が異なれど、似たような流れが続いている。
気合の入っているクラスやクラブ・団体などは夏休み前から動き出しているのを考えれば、そろそろ企画をまとめないと中途半端になってしまうという危惧が、彼らの表情を暗くさせているのだろう。
一筋縄ではいかないクラスメートが納得する企画というものを、僕にも思いつかないのでなんとも言えないところだ。
「「「はぁぁぁぁぁ~~~~~………」」」
僕が一通りの現状を頭の中でまとめたタイミングで、彼らはまたため息を吐く。
ほとんど無意識で吐いているような感じだ。
「………………。」
ペラリとページを捲りながら、カレーを一口。
程よい辛さと甘みの融合が舌の上で踊り、喉を通っていく。美味です。
「今日こそ決まるかなぁ~」
そうであって欲しいという希望的観測に縋るように天宮さんが言う。
「どうだろうね」
白石くんは懐疑的な素振りを見せ、室井くんも同感というように小さくうなずく。
「困りましたわね」
普段のふんわりとした微笑は翳りを帯びており、本当に困ったように言う藤原さん。
個性的な幼なじみや友だちに囲まれ、派閥というと大袈裟だけど、ウチのクラスにしては大人数と表してもいいグループの中核にいる彼らだけど、リーダーシップの有無には首を傾げざるをえないところがある。
積極的で押しが強いというよりも、暖かで居心地のいい居場所に迎え入れる――僕が抱いているイメージはそんな感じだ。
だからこそ、今回のような複数の意見から一つを選び、全員に納得させるという今の立ち位置には不向きな印象が強い。
選ぶというよりも、受け入れるというスタンスなのだから当然といえば当然の話だ。
他に立候補者はいないし、強行的に押し通そうとすれば反発が起こり、それが一騒動に発展するのは目に見えている。
火薬庫の前で火遊びしているような話し合いの場で、導火線に火が点かないだけでも大したものだとは思うのだけど、そのままではいつまで経っても結論が出ない。
端的にジリ貧だ。
それがわかっていて、それでも決定的な一手を見出せないからこそ、彼らの表情は日に日に暗くなっていく。
「もういっそ、喫茶店で意見をまとめちゃうのはどうかなぁ……?」
言ったのは、天宮さんだ。
ちなみに『演劇』を提案したのは彼女で、それに乗り気になったのが結崎さんだ。
結崎さんは嬉々として、『新婚バカップル』がラブシーンを演じられるような過激な演目を選出し、あれやこれやと動き回っている。
そんな親友の頑張りに水を差すような意見を口にするのは心苦しいのだろう。
天宮さんはやや俯きがちになって、スカートをギュッと握っている。
「そ、れは………」
気軽に自分の意見を取り下げようとしているわけでないのは一目瞭然であり、白石くんも言葉に詰まって二の句が続かない。
「それはいけません」
優しく穏やかに、でも、きっぱりとした声で言ったのは藤原さんだ。
「誰かを配慮するためにご自分の望みを取り下げるでは、壱世さんたちのために動こうとしているご友人の方々が報われません」
「そうだよ。そんなに辛そうに言われると、こっちもうなずけないよ。逆に僕が同じことを言ったとしたら、天宮さんは喜んでうなずけるのかい?」
と、室井くん。
「うなずけ……ないと思います」
少しだけ考えるような間を置き、天宮さんは首を左右に振った。
「みんな揃ってお人好しなんだよねぇ……」
そんな天宮さんに優しい笑みを向けながら、白石くんが腰を浮かせて手を伸ばす。
新婚のお嫁さんの頭を、愛おしそうに優しく撫でる。
「それは君もだぞ」
苦笑する室井くん。
「僕も?」
「そうだ」
「うん♡」
「はい」
「そぉかなぁ~」
なんだか、納得が言ってないように呟く白石くんだけど、僕も全くの同意見だ。
むしろ、彼らがお人好しじゃないとか言われるような世界観なら、この世界は悪徳と背徳に満ちた世紀末のモヒカンワールドでヒャッハーだ。
完全に空気………いや、二酸化炭素みたいな扱いで彼らに囲まれている僕は、そんな青春じみた光景に心がほっこりしながら、カツカレーを食べ終えていた。ごちそうさまです。
それじゃあ、そろそろ退散しようかな――と、腰を浮かすタイミングを計っていると。
「でも、それじゃあ、何時まで経っても話が進まないんだよなぁ……」
椅子に座り直した白石くんが頭の後ろで両手を組んで、心底困ったように呟く。
「我々では荷が重かったということになってしまうな」
「せめて、クラス委員の二人が戻ってきてくれたら……」
「もう数日は安静にさせないといろいろとダメらしい」
「その数日のロスは、私たちにとっては大きなものとなってしまいますね」
「戻ってきたところで、すぐに解決するとも限らないが……」
白石くんたちは互いの顔を見合わせて、ほとんど同時に「はああぁぁぁぁぁ~~」とため息を吐いた。
なんかもうかなり堂には入ってしまっているのが地味に哀れだ。
「暗中模索だね」
「それでもなんとかするしかないさ」
白石くんと室井くんが互いの顔を見る。
間に僕を挟んでいるのに、やっぱり僕が認識されていない不思議体質に物申したい。
「「だから――協力してくれよな」」
それは互いに助けを求めただけの行いではあったのだけど、間に僕がいたので二人の手は僕の肩にポンと置かれていた。
「え? あぁ、うん。わかった。
僕に出来る範囲でなら協力するよ」
それは、僕に向けられた言葉ではない。
でも、言葉とともに肩に置かれた手から伝わってくるものがあった。
本当に困っていて、なんとかしたいと心から思っていて、そのための助けを求めている。
だったら、応じないわけにはいかない。
自分に何が出来るのか、本当に助けになるのかなんてのは二の次に、友だちに助けを求められたら助けるのが普通なんだから。
だから、考えるよりも先に反射的に口が動いていた。
言葉にすれば、自然とそうしようという風に気持ちが切り替わった。
寸前まで関わるつもりが微塵もなかったというのに、なんて現金なのだろうと自分で自分に呆れてしまいそうになるぐらいの変わり身だ。
「「は?」」
白石くんと室井くんが、不自然に空中で静止した手を不審がるような声を出した。
「「え?」」
天宮さんと藤原さんが、目の前に突然新たな人物が浮き上がってきたような、真昼に幽霊でも見たような感じに目を丸くする。
驚きによる硬直。
それは寸時で驚きの叫びを口から迸らせていただろう。
「どうも。ご存知だと信じてるけど、地味な没個性で有名という矛盾した属性を兼ね合せたクラスメートの夕凪和真だよ。君たちの話はさっきからずっと聞いてた。念のために言っておくけど、僕は最初からここにいたからね」
だから、先んじるように僕は自己紹介をしていた。
毎朝、教室で挨拶をしているクラスメートに。
「「「………………………………………………………。」」」
出足を挫かれた形になる彼らは口をパクパクさせながら、次の反応を決めかねているようだった。
なので、僕はもう一押し。
「そんなわけで、これから白石くんたちの直面している困難から脱せられるように協力するからよろしく頼むね」
「「「お、お願い、します……?」」」
僕が頭を下げたから、白石くんたちも釣られるように頭を下げる。
そんな感じで、ただの傍観者でしかなかった僕は、彼らとともにおよそ一ヵ月後に控えた学園祭に深く関わるようになるのだった。
● ● ●
全貌すら定かではない巨大な機構に、小さな小さな歯車が嵌められたかのように――
カチリと小さな音が、何処かで鳴った。
ゆっくりと歯車は廻りだす。
機構に些細な歪みさえも生じさせず、されど先刻までとは明白に異なる何かしらの〝動き〟を加えて、小さな……小さな小さな『世界』が変化する。
これが――総ての〝始まり〟だった。
誰も知らない。
誰も気づかない。
その後に振り返ってみたとしても誰もが見落とすようなこの一幕が、彼らの〝世界〟に途轍もなく大きな影響を与える〝布石〟になったとは、誰にも知る由はなかった。




