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妖夢幻想譚(後)






「さて……」


 鞘に刀を納めた刃が、吐息する。


 どこか近寄り難い雰囲気はそのままだが、蒸し暑い夏の夜でさえも凍えさせる冷たい殺気は一気に薄れた。


 ともすれば機械仕掛けの人形のようでもあった表情にも、些かの人間味が戻ってくる。


「とりあえず、終わったな」


「くだらない噂を終息させるための後始末が残っているが、そっちに関しては俺たちの仕事でもない。これで依頼は終了だ」


「問題は残っているがな」


 ちらりと流し見るように、刃の視線が添琉に向く。


「なんですか?」


 疚しいことなど何一つとしてありませんというにっこり笑顔で、その視線を迎撃する添琉。


 二人の瞳が互いの腹を探るように交錯する。


「そういえば、結局この娘たちはなんだったんだ?」


 いまいち状況を把握していない蛟が、軽い柔軟の意味合いを含んで肩をぐるぐる回しながら言う。


「……妙な真似はするなよ。そっちの胡散臭い笑顔を浮かべた、セクハラ紛いの発言が目立つお嬢様は『古都の妖狐(くずのは)』の愛娘らしいからな」


「ぶっぺっ!?」


 目を剥いた蛟が、吹き出す。


 古都の妖狐――葛の葉。


 齢千年を越す大妖怪にして、あやかしの社会でもトップクラスの顔役だ。


 首を獲らんと大挙して押し寄せる退魔士の悉くを返り討ちにした挙げ句に、古都を領地として召し上げたという逸話の持ち主でもある。


 無論、裏の話ではあるが。


 ここ百年ほどは大人しくしているが、基本的に手出しをしてはいけない類のあやかしだ。


 その『愛娘』の不興を買ってしまった結果として、葛の葉が報復に動き出せば、現存する退魔士一族が総出で対抗しても壊滅的な被害を受けるのは確実だ。


「随分な言われっぷりですね。先ほども言いましたが、娘というよりも妹のつもりなので、次からはお間違えのないように」


 添琉の抗議には、鼻を鳴らすことで返事とする刃。


「え? うそ? マジで? あんたは………いやいやいや、あなたは、古都の妖狐様の指示でこの学園に……?」


 いきなり態度が変わったのは、やはり添琉のバックについている『大妖怪』の存在が物を言っているからなのだろう。


 添琉としては、『お姉様』の日頃の振る舞いを知っているので微苦笑が浮かんでしまう。


「ん~。」


 わずかに眉間に皺を寄せる添琉。


 先刻の刃とのやり取りで、ある程度は知れ渡ってしまっているようなので、今さら隠し立てをするのも無意味に近しいような気がする。


「わかりました。話せる範囲でお話をしましょう」


 それに助けてもらったのも事実なので、ある程度の事情を話すぐらいの義理立てはするべきだろう――と、添琉は判断する。


「改めて、自己紹介をさせてもらいます。わたくしの名前は海棠添琉」


 スカートの端を摘んで、優雅に一礼をする。


「そういや、さっき苗字名乗ってなかったな」


「フルネームを聞いていれば、もっと早くにピンときてたよな」


「ですから、保身のためにフルネームでは名乗らなかったんですよ。

 ともあれ、わたくしは人の世とあやかしの世を繋ぐ『調停者』としての修行を積んでいる身の者です」


「……調停者、ねぇ」


 訝しげな声を出す刃。


 懐疑的というよりも、どちらかというと意味を見出していないような口振りだった。


 退魔士の観点からすると、妖怪や幽霊なども討伐の対象に含まれる場合が多々あるのだが、現在の穏やかに人の世の裏側に存在している〝彼ら〟までもを積極的に狩り出そうとするのは、少数派だ。


 水城はそうした理屈を無視して、『斬っていいモノが視界内をうろついていたら斬ってしまえ』という発想が先にある端的に通り魔みたいなタイプの退魔士なので、添琉とは考え方そのものが相容れないのだ。


「わたくしは〝彼ら〟を視る瞳を、生まれついた時から持ち合わせておりました。その意味を知らぬままに〝彼ら〟とお友だちになりました」


 河童や溺れて死んだ子供の幽霊といっしょに川原で水遊びなどをしたのもいい想い出だ。


 結婚前夜に不運な事故死をして未練タラタラな男性の幽霊は、やたらと饒舌でいろんな話をしてくれたりもした。


「そんな日々の中で稀に悩みを聞いたり、持ちかけられた相談を解決するための知恵を出したり、行動をしたりもしていました」


 十歳前後ぐらいの子供が出来ることなどたかが知れているが、当時の添琉が関わった妖怪や幽霊などは力も弱く、おおむね知能も低かった。


「悩みや相談は他愛のないものばかりでしたが、そんなことを繰り返しているとあやかしの社会でも噂として広く伝わっていくようです。その結果として、古都を統べる妖狐――葛の葉お姉様の耳に入り、興味を持たれたがために誘拐をされたりもしました」


「誘拐って、おいおい」


「詳細は省きますが、お姉様はわたくしをたいそう気に入ってくださりまして、愛娘という肩書きとともにわたくしの『後ろ盾』にまでなってくれたのです」


 古都を統べる大妖怪がバックについているとなれば、ちょっと悪さをしている程度の妖怪たちならば即座に平伏す。


 結果として、〝彼ら〟の間で争いごとや問題が持ち上がった時、添琉に仲裁や解決案を求めて相談にくるモノたちがそれなりの頻度で訪れるようになった。人間との間に起こるトラブルもあり、しばしば頭を悩ませている。


 そんな添琉を、葛の葉は面白半分に『人の世とあやかしの世を繋ぐ調停者』と称した。


 まだまだ見習いとしか言えないぐらいだが、そうした肩書きで伝えた方がわかりやすいという点も踏まえて、添琉は『調停者』という二つ名を受け入れているのだ。


「――とまぁ、前置きはこれぐらいにしておきましょう」


 添琉は軽い咳払いを挟んでから続けた。


「今回の一件に関する事の発端は、この学園に住み着いている妖怪さんたちが、わたくしの元に相談にきたことです。日を追う毎に段階的に変容し、『力』を増していく〝魔〟に穏やかな生活を脅かされて困っていると」


「妖怪のクセに、やけにほのぼのしてんのな」


「現在のあやかしの社会は傾向として、人間社会に迷惑をかけないように寄り添う方向で意見がまとまっていますからね。あと、妖怪のクセにとか、そんな差別的な言い方は止めてくれますか?」


「あ、お、おぅ。すまん」


 悪気はなかったのだろう。


 添琉にじっとりとした眼差しで軽く睨まれた蛟は、即座に頭を下げた。


「しっかし、こんな立派な学園にも妖怪とかが棲んでるんだな……」


「あなたたちには〝彼ら〟が見えないのですか?」


 蛟の物言いに軽い不審を覚えた添琉は、問いかける。


 退魔士は〝魔〟を討伐する者たちだ。


 それなのに、今も添琉たちを窺うようにそこかしこから視線を送ってくるこの学園に住んでいるあやかしたちが見えていないような口振りには、首を傾げてしまう。


「人間に姿を見せる気がある奴らなら見えないこともないが、そうじゃないならかなり集中しないと普通は見えねぇな」


「別に普段から見たいとも思わないしな」


 鼻を鳴らしながら刃。


「………………つまり、あなたたちはある一定の規準(ライン)を超えないモノ(・・)たちに関しては、意図的に感知しないようにしているのですか?」


「単純に、あんたみたいに常時『視』えるのが普通みたいな状態を維持できない未熟者ってことでもあるんだが、害意のない異質な奴らをいちいち気にしてもいられない。オン・オフの切り替えは大事だろ?」


 肩を上下させる刃。


「実際のところ、真夜中の墓地なんかを『視』ると、何気にホラーだしな。ああいうのを視続けていると気が滅入りそうになる」


「むぅ。みんな、可愛いのに………」


「「悪いが、あんたの価値観には共感できそうにない」」


 声を揃える二人の反応に、友だちを悪く言われているような気分になった添琉は憮然と頬を膨らませる。


 さっきから会話に入れずに、半泣きでオロオロしっぱなしのみなもまでもが同意見のようなのは、ほんの少しばかり腹立たしかった。


 もっとも、添琉も自身の価値観が少しばかり『普通』からズレているのは自覚しているところではあったが。


「それなら、実際に自分の目で見ればいいんです。

 ――――みなさん、もう大丈夫ですので出てきてもいいですよ」


 だからといって、いい気分になるはずもないので、さっきから物言いたげにこちらを伺っている〝彼ら〟に呼びかけていた。


「は?」


 蛟が疑問の声を出した時には、わらわらとあちこちから〝彼ら〟が姿を見せていた。


 透けて見える女学生や教師だったり。


 白かったり黒かったり、猫や犬だったり、不定形のモヤモヤした気体が輪を描く。


 ケガをした小さな子供、くたびれた中年といった人間の幽霊もいれば、何とも形容し難い異形な容姿のなにかもいる。


 この学園に棲み付いているモノ(・・)たちだけでなく、遠くから見守っていた近隣の幽霊や妖怪も決着を見届けて、姿を見せているのだ。


「あのばけものめがきえよりました」


「ありがとう、ありがとう」


「おねえちゃん、ありがとう」


 人間の幽霊などは言葉で感謝の意を示し、そこまでの『力』を持たない〝彼ら〟は一定の距離を置きながらも粛々と喜悦に身を揺すっている。


 添琉の肩に乗ったソラも労うように鳴きながら、頬を舌で舐める。


「お、おぉう。思った以上にいやがった」


 ドン引きしたような顔になる蛟。


「………………。」


 刃はわずかに刀の唾を押し上げるが、柄に手は添えなかった。


 攻撃に繋がる動作をすれば、添琉の不興を買うのが自明だからだ。


「それなりに歴史のある学園で、街だからこそ、〝彼ら〟にとっても居心地がいいのですよ」


 なによりも、古都は『お姉様』が、人間から管理の権利を奪い取っている。


 あくまでも『裏社会』での話ではあるが、一定の秩序が保証されているのは事実だ。


 近年の人間社会の急速な発展は、あやかしの社会をじわじわと縮小させるものである。


 だからこそ、古都は棲み処を追われたモノ(・・)たちが自然と集まってくる安息の地としても機能しているのだ。


 同時に、添琉の存在が安息に一役買ってもいる。


「きゅう……」


 耐性の極めて薄いみなもが許容量の限界を超えて気絶をする傍らで、添琉は〝彼ら〟に手を振って応じる。


「おい。倒れたぞ」


「無理もありませんね。いろいろと限界だったのでしょう」


「結局、この娘はなんなんだ?」


「わたくしの友人というのは嘘ではありませんよ。ただ、今日が――いえ、正確には昨日が初対面ですが。立ち位置としては不運にも巻き込まれてしまった一般人のようなものです」


「なんだって、そんな〝一般人〟を同行させてんだよ」


「お姉様のお茶飲み友だちの半ば強制的な勧めに逆らえなかったからですわね」


「タチの悪そうな茶飲み友だちだな」


「ちなみに枢樹の方ですよ」


「………………枢樹で、古都の妖狐の茶飲み友達というと……あの枢樹京花か」


 片目を閉じた刃はわずかな間を置き、思い出したような調子で言う


「やはりご存知なのですね」


「現役時代の伝説は、退魔士の間では語り草だからな。そうか。まだ生きてたんだな」


「退魔士は引退して久しいようですが、とてもお元気ですよ」


「じゃあ、この娘も同業者なのか?」


 心配した〝彼ら〟に囲まれているみなもを、不憫そうに見やりながら蛟。


 絵面だけなら捧げられた生贄みたいなものだ。


「本人も知らない内に、退魔術の基礎を教え込まれているみたいですが、当人の認識としては健康体操みたいですよ」


「なんじゃ、そりゃ……」


「わたくしとしても予想外の展開になってしまいましたが、今夜は穏便な話し合いで済ませる予定だったのです。それなりに安全が保証されていたのですから、孫娘にそういう世界が存在するのを教えておきたかったのでしょう」


 単純な結果だけをみれば、思惑が完全に裏目に出てしまった形だが。


 それでも、当初の目的は果たしているといえなくもない。


 みなもの将来の選択肢に、退魔士という項目が加えられる可能性が、極端に低くなったのは間違いないにしても。


「とんだトラウマを植え付けたような気もするが……」


「そうですわねぇ」


 さすがに添琉も苦笑するしかなかった。


「まあ、それはさておきましょう。いま気にしても仕方がありませんし」


「見た目とは裏腹に、イイ性格(・・・・)をしているようだな」


「それはもう、お姉様に可愛がられていますので……」


 誇らしげに胸を張る添琉を、何とも言えない顔で見やる刃と蛟だった。


 その表情を文字にすると『関わりたくねぇ』であろうか。


 添琉が彼らに抱くのと全く同じ感想である。


「とにかく……」


 コホンと咳払いをした添琉は、〝彼ら〟の存在を刃たちに示すように両手を拡げる。


「あなたたちは〝彼ら〟を見ようともしていないようですが、あなたたちもちゃんと〝彼ら〟に感謝されているんですよ」


 添琉の言葉を肯定するように、〝彼ら〟は歓喜のざわめきを発する。


「………俺は、むしろ怖がられてるような気がするがな」


 ため息を吐く刃。


咎人の太刀(・・・・・)……でしたか? あんな〝彼ら〟に特化したような刃物を振るう危険人物なら、怖がられるのが当然です」


「そうかもしれんが、面白くはないな」


「それこそ日頃の行いですよ。それでも感謝の気持ちを示してはいるのですから、穿った見方をせずに素直に受け取ってあげてください」


「へーへー」


「さあ、みなさん。今日のところはもうお戻りになってください。わたくしはあまりお役に立てませんでしたが、今後も何かありましたら相談にいらしてくださいね」


 添琉が言うと、〝彼ら〟は名残惜しげにしながらも――『古都の妖狐(くずのは)』の愛娘は〝彼ら〟の間ではアイドルのように大人気なのだ――三々五々に散っていく。


「やれやれ。世界ってのは広いもんだな」


 蛟が何ともいえないで頭を掻く。


「どちらかというと、わたくしたちが知らなさ過ぎるだけなんですよ」


「………確かに」


 苦笑しながらの添琉の一言に、蛟も同意する。


「ところで、わたくしの立場については納得してもらえたのでしょうか?」


「ああ。」


 刃は詰まらなそうにうなずく。


「――というか、あまり疑ってもいなかった。偽りで口にするには『古都の妖狐』の名はあまりに大きすぎる。相当の命知らずでない限りは、騙りに使おうとも思わない」


「………そうですか」


 今までのやや長い話に使った時間を丸ごと水泡に帰すような刃の発言に、添琉は疲れたように肩を揺らす。


「ただ、一つだけ疑問がある」


 そんな添琉をじっと見ながら、刃はゆっくりと歩み寄っていく。


 警戒など抱きようもない自然さで。


「なんでしょうか?」


「あんたは枢樹の少女を逃がそうとしていた。自分よりも劣る者を逃がそうとするのは自然な発想だが、自分は逃げようとする素振りも見せていなかったのは位置関係から明白だ」


「それがなにか?」


 そんな風にも見えるというだけで、真実は経験不足から追い詰められていただけなのだが、添琉はおくびにも出さない。


「あの娘は訳もわからぬままに巻き込まれたも同然なんですから、最優先で逃がすために時間を稼ぐのは当然の行いでは?」


「なら、あんたはどうしてそんな危険な役目を躊躇わずに行えたんだ?」


 刃の双眸が細まる。


 まるで獲物を見定めるように。


 百合のように白く、簡単に手折れそうな細い首を見据えながら。


「あんたには危険に対処する〝力〟がある」


「………………。」


「もしくは最低限、自分の身を守る手段がある。それは、あの〝魔〟を目の当たりにしたとしても揺らぐものではないと判断できる」


 刃の手元で、微かな音が鳴る。


 左手は鞘を持ち、右手が刀の柄に添えられた音。


 きょとんと。


 添琉は吸い寄せられるように視線を落としていた。


「―――――俺は、それ(・・)にとても興味があるんだよ」


 踏み込みとともに、抜刀された鋼の煌きが添琉の首筋に迫る。


 蛟が止める暇もない刹那の早業だった。



 ● ● ●



「あ?」


 どこか遠くに、蛟の呆けたような呟きを耳にした。


〝抜刀〟状態は解除しているにしても、刃の腕ならば無防備な人間の首など、容易く斬り飛ばせる。



 だが――



 キィン――と、刃物が人の肉に食い込み、骨を断ち切ったにしては、不自然なまでに甲高い音が直後に響いていた。


「―――――――――はっ……」


 予想外の驚きに目を丸くした刃は、歓喜の響きを乗せた声を口から零していた。


「まったく……」


 ゆらゆらと。


 揺らめくは、桜色の羽衣。


 添琉の首と刀身の狭間に割り込み、受け止めたモノ(・・)


「一度ならず二度までもいきなり何をするんですか」


 羽衣を纏う少女は――


 まるで、空から降りてきた天女のようで。


 得体の知れぬ感情の揺らぎが、刃の奥底に眠る何かを揺り動かす。


 どくん――と、一定のリズムを奏でる心臓の鼓動が、わずかに乱れたのを自覚する。


「―――――――っ」


 ただ――


 目の前の少女を〝綺麗〟だと思った。


 コレ(・・)を手に入れるためならば、何を捨ててもいいと思えるほどの狂おしいほどの飢え。


 欲しいとさえ、思ってしまった。


「温厚だと自負しているわたくしでも、怒りますよ?」


 柔らかそうな頬を膨らませて、ビシッと刃を指差す。


「………………………それが、」


 魅入るような自失は、ほんの一瞬。


 己の中に起こった詳細不明の異常動作を、即座に立て直す。


「あんたの自信の正体か」


 鋼にも似た硬質な響きを発しておきながら、今は柔らかく刀を受け止めている『羽衣』の正体は、刃に見抜ける類のものではなかった。


 刃の行動を予期していたかのように――警戒を解いてはいなかったのだろう――抜刀した瞬間には、添琉の指先は動いていた。


 一動作(シングル・アクシヨン)で取り出せるように〝何処か〟に格納していた『羽衣』を纏い、刃の軌道に割り込ませたと判断するのが妥当だが、添琉に刃の一閃を完全に見切れるほどの実力があるとは思えない。


 恐らくは、自動防御タイプの代物だろうと見当をつける。


 が。


 ここまでだ。


 元より、そのつもりはない。今はまだ(・・・・)


 これ以上は、古都の妖狐の逆鱗に触れてしまう。


 この時点でも相当に危ないが、おそらくは問題ないはずだと楽観論を信奉する。


「いや、いきなり襲ったのは悪かった」


 慎重に刀を引きながら、ついでに何歩か後退する。


「あんたに何かありそうだと思ったら、好奇心を止められなかったんだ」


 刃は軽く両手を上げて、害意がないのを示してから、刀を鞘に戻す。


「好奇心で襲われたら、たまりません。お姉様にもらった『羽衣』がなかったら、死んでしまっていたのですが」


「あぁ、勿論。俺の考えが的外れそうだったら、寸止めするつもりだったよ」


「どうだか……。とても疑わしいですわ」


 添琉はため息を吐く。


「どうせ襲われるなら、別の意味で襲われた方がまだマシです」


「………あんたは、時々じゃなくて、わりと頻繁に妙に意味深な言い回しをするよな?」


 主に、エロい方面を想起させる方向性で。


「そうですか? 別にあなたの逞しいもので刺し貫かれた方がまだマシです――というような発言はしていないつもりですが……」


 腕を組んで、プイッとそっぽを向く添琉。


 どうやら、相当怒らせてしまったようだ。


 刃の目では見えないが、周囲にいる連中も相当に怒り心頭なのが、ピリピリした空気で伝わってくる。


 早まった真似をしたかと後悔したが、今さら時間を巻き戻せるわけでもないと、あっさりと割り切る。


「いま言ったぞ」


「言わされたと思っています」


 さすがに先の言動は自分でもどうかと思ったのだろう。


 微妙に頬を朱に染めている。


 白さの目立つ少女なので、妙に映えて見える。


 鮮血(アカ)に染まった姿が――――とてもとても似合いそうだと刃は思った。


「わからん奴だな」


「人並程度には好奇心旺盛なものですので……」


「おい。海棠家のお嬢様」


「どうも、お嬢様という架空の存在を過大に美化しているようですが、お嬢様だろうとなんであろうとわたくしという個人はこんな人間ですよ」


「そうかよ」


「では、水城さんにお聞きしますが、男女のまぐわいに興味津々な女の子はお嫌いですか?」


「もっと言葉を選べよ、お嬢様」


 突っ込みを入れることで、明確な返答を避ける刃。


 それが既に答えているのも同然なのには、気づいてもいない。


「………………ところで」


 主に刃の責任で目まぐるしい状況の変遷に、いい加減にうんざりした様子の蛟が、ようやく割り込めたというように疲れた声を出す。


「俺としてはそろそろ帰りたいんだがね。その痴話ゲンカみたいな様相を呈してきた仲睦まじい会話をそろそろ切り上げてはもらえないかな?」


「違うぞ」


「違います」


「十分にそれっぽいよ。些か以上に物騒だったけどな」


 蛟はジト目でため息を吐いた。



 ● ● ●



 後始末らしい後始末は後日に専門の者がやる手筈になっているので、添琉たちはいろいろと大変な痕跡の残っている図書館をそのまま後にしていた。


「随分と長い夜だったような気がします」


「夜明けまでは、まだけっこーあるけどな」


 校門前まで来たところで、添琉がふう――と吐息と一緒に漏らした呟きに、妙に律義に反応する刃。


「そういう意味じゃねぇと思うぞ」


 いろいろと今夜の相棒が迷惑をかけたお詫びという意味を含みつつも、気絶しているみなもを背負った蛟が、余計な突っ込みを入れる刃を嗜めるように言う。


 添琉はくすりと微笑んでから、前に出る。


「それでは、ここでお別れですね」


「そういうことになるな」


「この娘のこともあるし、なんなら送っていくけれど……?」


 背中のみなもを目線で示しながら蛟が提案するが、添琉は首を左右に振った。


「そんなに遠くはありませんし、いざという時は〝彼ら〟に手伝ってもらうので大丈夫ですよ。あなたたちと一緒に帰ると、お姉様に説明するのが面倒です。うっかり誰かが口を滑らせてしまうとあなたたちの身の保証がなくなってしまいますしね」


「あ、うん。そうだね」


 添琉と蛟の視線は刃に向けられ、集中砲火を浴びた刃は目を逸らす。


「ですので、ここでお別れをするのが無難だと思います」


「ウン。ソウダネ」


「ですが……」


 添琉は少し考える素振りを見せてから、


「そういえば、まだ〝お礼〟をしていませんでしたね」


「お礼?」


「はい。そういうわけですので、水城さん」


 添琉は静々と足音をさせない歩き方で、刃の正面に立つ。


「……っ。な、なんだ?」


 そのまま刃の頬に両手を伸ばし、じっと見つめる。


 慣れていない経験なのだろう。途端に目を泳がせながら挙動不審になるが、添琉もこのような真似を他の誰かにした経験などはない。


 赤みを増した刃の頬から、冷めた指先に熱が伝わってくるかのようだ。


 きっと自分の顔も少しぐらいは赤くなっているのだろうと思いながら、添琉は唇を動かす。


「目を、閉じてくれますか?」


「お、おおぉぉおぉぉ~~~~?」


 傍観していた蛟までもが、添琉の思わせ振りな発言に動揺を示して、オロオロしていた。


「な、なんでだ?」


「野暮なことは聞かないでください。勿論、〝お礼〟をするためですよ♡」


 にっこりと極上の微笑みを浮かべながら、添琉は自ら身体を寄せていく。


 一歩進めば、わずかな隙間が埋まり、抱き合ってしまえるほどの至近距離。


 互いの吐息さえもが感じられるほどだ。


「ちょっ、おい、待てっ!?」


「待ちません。さぁ、目を閉じてください」


 添琉が顔をじわじわと寄せていくと、強引に振り解く決断が出来なかったらしい刃がぎゅっと両目を閉じる。


 それを確認した添琉は、頬に添えていた両手を刃の首の後ろに回す。


 ぐいっと引き寄せるように両手に軽く力を込めると同時に、左足は床を噛むように踏ん張らせてから、右足を跳ね上げた。


 膝を刃の鳩尾に突き刺すために。


「ごぼえっ!?」


 どすんっと会心の手応え――もとい、足応えがあった。


「………………………………………………~~~っ」


 半ば反射的に直撃の瞬間に後ろに衝撃を逃がそうとする挙動が垣間見えたが、首の後ろで組まれた両手に拘束されていたために大半の威力を身体で受け止めざるをえなかった刃は、息を詰まらせたために声もなく、その場に膝を付く。


「ふぅ。すっきりしました」


 やり遂げた気分で、添琉は額に浮いていた汗を拭う。


「あんた、なんばすっとね~~~~~~~~~~っ!?」


 咳き込みながら青い顔で悶えている刃の代わりに、蛟が大げさな身振りでシャウトしていた。


「水城さんへの〝お礼〟ですが?」


 可愛らしく小首を傾げながら言う添琉。


 無論、素でわかっていないのではなく、意図的に惚けている。


「いや、お礼ってっ!? 違う。なんか全然違う。単語と行動が微塵も噛み合ってない。ああいう展開だとラブコメみたいな感じで、ホッペにちゅっとかじゃねぇのっ!! もっと大胆に唇にキッスでもいいけど、あの思わせ振りな展開で鳩尾に膝は反則じゃねぇっ!? 俺でもモロに食らっちまうよっ!!」


「沙耶守さん。よくよくお考えになってください」


「だから、何をっ!? お礼って言葉の意味ぃっ!!」


「わたくしは今夜、最初にお逢いした時に水城さんに物騒な刃物を、ほぼ問答無用で突きつけられました」


「お、おう。ソウダッタネ」


「あの〝魔〟に襲われているところを助けてもらいはしましたが、その後にわたくしが普通の女の子であったならば、首がポンと飛んでもおかしくないような凶行に遭いました」


「そ、ソウカモネ」


「助けてもらった恩義で、最初の脅迫にも近しい行いで受けた精神的な苦痛を帳消しにするのは吝かではありませんが、二度目の暴挙を許す理由はどこにもありません」


「………………。」


「ですので、しっかりと〝お礼〟をしておかねばならないのです」


「ええぇぇ~~~っ? そっちぃぃ~~っ?」


「お姉様も言っていました。『受けた恩は別に忘れてもいい。でも、恨みは倍返しするまで忘れてはならぬ』と」


「………古都の大妖怪さんよぉ。千年も生きてるんだから、もう少しマトモで含蓄のある言葉を娘さんに教えてやってくれよぉ………」


「それ以前に、わたくしに報復されるような行いをした水城さんに、もう少し世間の一般的な常識を教えてあげるのが先決だと思います」


「それもそうだね」


 がっくりと肩を落とす蛟から、添琉はみなもを預かる。


 少しばかり手間取りながらみなもを背負い、改めて蛟と刃に向き直る。


「それでは、さようなら。

 縁があったら、いずれまたどこかで」


「俺たちは基本的に央都にいる。古都住まいのあんたとは縁が続きそうにないな」


 ようやく回復した涙目の刃が口を拭いながら、ゆっくりと立ち上がる。


「では、どうして今夜はこんなところに?」


「折角の夏休みなんで、沙耶守の里で修行するための帰省の途中だったんだ。たまたま近くにいたから、ついでのように依頼が回ってきた」


「では、水城さんは?」


「沙耶守の修行に興味があってな。……夏休みの半分を潰す予定で同行してる」


 腹部を押さえた刃は、実に痛そうに撫でている。


 身体を鍛えるのが本懐の退魔士なのだから、相応に頑丈だろうと全力で膝を叩き込んだのだが、どうやら思っていたよりも腹筋は鍛えられていなかったらしい。


 むしろ、攻撃に特化している分、防御は疎かになっているのかもしれない。


 謝るつもりはないが。


「なるほど……」


「偶然の積み重ねが生んだ遭遇に、二度目があるとは思えないな」


 そう願うといわんばかりに、無造作に手をヒラヒラさせる刃。


「それは残念ですわ」


 どこまでが本気かわからない曖昧な表情になる添琉。


「さようなら。もしも、また縁があったら、その時はお手柔らかに頼むよ」


「はい。沙耶守さん。また逢えたら、ゆっくりとお茶でも飲みましょう」


「じゃあな。お嬢様」


「はい。水城さん。次に逢えた時は、もう少し紳士的な振る舞いを期待しますわ」


 素っ気なく背中を向けようとする刃に、意味深な表情で人差し指の先端をそっと唇に触れさせる添琉。


「――――っ!」


 その仕種に何か思い当たるものがあったのか、刃は勢いよく顔を逸らす。今の表情を見られたくないというように。


「どうかお元気で。通り魔などでお捕まりにならないように祈っています」


 クスクスと声に出して笑い、添琉は二人の若い退魔士を見送った。



 ● ● ●



「なかなか大変な夜だったな」


「………………八割方、俺の自業自得ではあったがな」


 鈍い痛みの残る腹部を擦りながら、刃は自嘲の笑みを零す。


「自覚したなら、次からは気をつけろ」


「あぁ、わかったわかった。それに………………」


 刃は右の頬に軽く手を添える。


 ほんの一瞬だけだったが、わずかに濡れた柔らかなものが触れたような気がしないでもない。


 直後の鳩尾に食らった衝撃があまりにも強烈だったので、記憶になど残ってはいないが、去り際の思わせ振りな態度から、もしかしたら――などと思わないでもない。


「それに、なんだ?」


 不自然に呟きを中断した刃を、怪訝そうに見る蛟。


「いや、なんでもない」


 苦笑と共にかぶりを振る。


「面白い奴だったよ」


 小さな呟きは蛟の耳には届かずに、刃の耳の中で木霊する。


 ほんの少しだけ――


 切れてしまった縁を惜しむように、もう添琉の姿の見えない背後を振り返る。



 ● ● ●



 時々、悪夢にうなされているかのように呻き声を上げるみなもを背負った添琉は、人気のない夜の町中を歩いていく。


 人気はなくても、〝彼ら〟はまるで護衛のように――あるいはちょっとした百鬼夜行のように、添琉の周囲を徘徊しているので、ちっとも寂しくはない。


 むしろ、ちょっと賑やか過ぎるくらいだ。


「ああいう人たちが傍に控えてくれると、いろいろとやり易くはなるのですが……」


 あやかしの持ち込んでくる問題の解決や仲裁などは、基本的に話し合いで解決するものが大半だが、最近の世界の――文明の発展は、今夜のような新たな問題を生み出している。


 誰もが『世界』と繋がれるような時代になったからこそ、瞬発的に発生した〝噂〟が生む凶暴な『魔』の存在が恐ろしく身近になってしまった。


 ただ『そうであったら面白い』という願望が、現実に『怪異』を生み出す時代の到来は、かねてより存在するあやかしの世界をも脅かし始めている。


「…………むぅ。」


 脳裏を過ぎるのは、美しいと感じた剣の煌き。


 それを振るう少年の横顔――


「少し残念ですけど、もう逢うことはないでしょう」


 未練にも似た想いを断ち切るように、添琉は敢えて言葉にしてから、奇矯な夜の終わりを惜しむようにゆっくりと帰路を辿っていく。



 しかし――



 もう逢うことはない。


 そんな添琉の予想は裏切られる。


 この夜に結ばれた不思議な縁は途切れずに続き、やがて添琉を世界の中枢へと(いざな)うことになるのだが、それはまた別の話。









 これにて、妖夢幻想譚の前日譚というか、プロローグ的なところは終わりです。

 次からは、また普通? な感じに戻ります。

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