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妖夢幻想譚(前) 『R15・シリアス』






 まだわたくしが幼かった頃のお話です。


 とても広くて大きなお屋敷の離れにある蔵の中で、わたくしは不思議な〝モノ〟に出逢いました。


 その子は見たことのない不思議な生き物でしたが、大人しくて可愛らしくて無害でした。


 わたくしはその子とお友だちになりました。


 その子もわたくしにとても懐いてくれました。


 起きてから眠るまで、ずっとずっといっしょにいました。



 でも――



 不思議な話なのですが。


 お父様やお母様に肩に乗っているこの子を見せても、まるで見えていないかのように困ったような顔をするのです。


 他のお友だちも同じような反応をします。


 どうやら、この子はわたくしにしか見えていないようでした。


 もしかしたら、わたくしの妄想なのかもしれないと疑いましたが、触った感触などはどう考えても現実のものでした。


 不思議な話なのですが、わたくしは気にしないことにしました。


 なぜなら――


 わたくしにしか見えていない不思議な〝モノ〟たちは、そこかしこに他にもたくさんいたからです。



 ● ● ●



『ねえ、聞いた?』


『なにを?』


『図書館の噂よ』


『え? 体育館じゃなかったっけ?』


『そーいえば、そっちの噂はもう聞かなくなったわね』


『な~んか現実味がなくて面白くなかったもんね』


『噂に現実味とか(笑)』


『ちょっと、笑わないでよ~』


『で、今度はどんな愉快な味付けがされちゃったの?』


『それがね~。これがまたグロテスクにホラーなんだけど――――』



 ● ● ●



 季節は梅雨を越えて、夏の盛りを迎えた七月後半。


 時刻は草木も眠る丑三つ時であり、時計は午前二時十三分を表示していた。


 場所は玲瓏女学院中等部校舎の一階廊下。


 非常灯以外は全て消灯され、雲に隠れた二つの月とささやかな星明りぐらいしか光源のない闇の中を二人の少女が歩いていた。


 先導する少女の名は、海棠(かいどう)添琉(そえる)


 十四歳の中学二年生であり、この学園の生徒でもある。


 可愛いと評されるのが相応の年齢でありながら、端的に美しいとため息とともに言葉が漏れてしまうほどに整った面立ちをしている。肩で切り揃えた髪も下手にアクセサリーなどを付ければ、持ち前の可憐さが翳ると言わんばかりに生のままだ。


 文字通りの意味で『お人形のような』というフレーズが思い浮かぶ。


 そんな少女であった。


 彼女は肌を露わにしない服装を好んでいるので、普通に歩くだけでも汗ばむほどの蒸し暑さの中でも、長袖のワンピースにストッキングを着用していた。


 色は白で統一しているし、それは頭の上にちょこんと乗せたベレー帽も同様だ。


 肌も透き通るように白く、学校では『白雪姫』と呼ばれることもある。


 呼び名に『姫』と含まれているように、俗に言うところの『イイトコのお嬢さん』でもある彼女は、明かりもなく歩くのは困難を伴う暗闇の中でも迷いのない足取りだ。


 そんな彼女の後ろを、なにやら不満ですと言わんばかりのため息混じりで追いかける少女は、庶民然とした何処にでもいそうな女の子だった。


 年齢的には添琉よりも一つ下になる彼女の名前は、枢樹くるるぎみなも。


 同年代の平均よりは、少し身長が高いというぐらいしか特徴が見当たらない。


 この二人が並んで立てば、衆目は添琉に注目して、誰もみなもには見向きもしないだろうと当人でさえもが思うほどに。


 単純に比較対象がずば抜けているだけではあったが、みなもからなけなしの自信を喪失させるには十分すぎたのである。


 もっとも、ため息の理由はそちらではない。


 こんな真夜中に学園に不法侵入する添琉に同行させられていることに対するものだ。


「そんなにご不満ですか?」


 みなもが無意識に漏らしているため息が、二桁台に突入したところで添琉は歩調を緩めて、肩越しに背後を振り返った。


 責めるような意図などまるでなく、どちらかというと我がままに付き合わせている妹を気遣うような調子であった。


「いえ、あの……」


 みなもは困ったように目線を彷徨わせながら、口をムニムニさせる。


 無理もない反応ではある。


 なにしろ、添琉とみなもは今日――正確には、昨日になる――が初対面なのだ。


 まだ打ち解けたとは到底言い難い相手と一緒に、深夜の見知らぬ学園に忍び込むという行いに手を染めるのは罰ゲーム以外のなんでもないだろう。


 おまけに。


 こちらの事情(・・・・・・)をほとんど教えられていないので、頭の中での情報の整理がちっとも追いついていないに違いない。


 添琉としても同情をしてしまうところではあった。


「いえ、不満がない方がおかしいですわね。せっかくの夏休み。骨休めのための帰省の最中に、みなもさんはこのような面倒事を押し付けられてしまったのですから……」


 足を止め、みなもに全身を向き直らせた添琉は丁寧に頭を下げる。


「わたくしとしましても、みなもさんを巻き込んでしまったことには慙愧の念に堪えないのですが、お姉様やあなたのお祖母様が言い出したことを翻意させるには、まだまだ若輩の身なのです。申し訳ありませんが、お付き合いをお願いします。大丈夫です。身の危険はありませんからね」


 泣いている子供でもあっさりと泣きやんでしまいそうな優しい微笑を浮かべる添琉に、警戒を残しながらもおずおずと歩み寄ろうと口を開くみなも。


「あの、では、もう一度だけ聞かせてもらってもいいですか?」


「はい。どうぞ」


「わたしたちはこれから、ここで何をするんですか?」


「今のみなもさんにわかりやすく言うと、お化け退治(・・・・・)ですわね♡」


「いぃぃやぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」


 にっこりと言った添琉に、みなもは頭を抱えて悲鳴を上げた。


「お家に帰るぅぅぅぅぅぅぅぅ………っ!?」


 いろいろと切羽詰まっていたところに止めを刺されたような形になったのか。みなもは目の幅涙を流しながら蹲ってしまった。


「あらあら。困りましたわね」


 口にしたほどに困った様子でもなく、妙に余裕がある態度で吐息を漏らす添琉だったが――



『――――――ッ』



「な―――」


 耳元で何かを囁かれたかのように、ほんの一瞬で身体を反転させていた。


 闇の奥を見据えるように鋭く細められた目は何かを捕らえることはできずに、しかし、添琉の反応を超過した何者かはその懐に侵入していた。


「きゃっ!」


 添琉が気づくよりも速くに、何者かは彼女の軸足を払う。


 バランスを崩された添琉は成す術もなく、その場に尻餅を付かされてしまった。


「え?」


 状況の急変に置き去りにされているみなもは、間の抜けた声を出していた。


 それも無理からぬだけの光景が、展開されていた。


「………………っ」


 添琉の目と鼻の先には鋭く尖った切っ先。


 月明かりを反射して冴え冴えとした煌きを放つのは、緩い曲線を描いた刀身だ。


 それは『刀』と呼ばれる刃物であり、手にしているのは添流と同じ年頃の少年だった。


 時代錯誤も甚だしい和服姿をしており、黒の羽織袴は武士を連想させた。


 少年の体格に合わせているのか、刀身のサイズはやや短いようだったが、それでも殺傷能力を存分に秘めた凶器であるのに変わりはない。


 そんな凶器である刀を扱い慣れていると主張するように、切っ先は微塵も動かない。


 添琉を見つめる少年の眼差しの色は静謐そのもの。凪いだ湖面のように透明で揺らぎなくありながらも、刀の切っ先に劣らぬ鋭さを宿していた。


 ――斬る。


 叩きつけられたその意思は、もうそれだけで凶器に等しい。


 背筋を這い上がるのは悪寒などを、余裕で通り越した死の確信。



 ざわり――と空気が軋み、意識が閉塞感に包まれていく。



「………っ」


 迂闊な行動が、血の花を咲かせかねない一触即発の状況で、添琉は息を飲んで審判を待つ。


 最早、彼女には行動選択の余地はなく、驚愕で口をパクパクさせているみなもに行動を求めるのは酷な上に、仮に動けたとしても添琉を救える余地は微塵もない。


 どう考えても突きつけられた切っ先を動かす方が速い。


 だが。


「人間……か?」


 死神の如き眼差しは雲に隠れていた二つの月がその姿を晒し、月明かりで明度が増すと同時にきょとんとしたものへと変わった。

研ぎ澄まされた刃のような殺気が薄れたので、添琉の身体の強張りがわずかに緩む。


「………。問答無用でか弱い女の子に刀を突き付けておきながら、随分な第一声ですわね。凶悪な不審者だけではなく、頭の中に不思議な世界を構築しているのでしょうか?」


 最低限の礼儀として、万歳するように両手を上げながら添流は言った。


 いつまでも尻餅を付いているのは個人的には間抜けなようで不満たらたらだったが、迂闊な動きをして刺されても堪らない。


 幸いにしてスカートの丈は長く、下着が相手に見えているようなことは無いだろうと論点のズレた安心をしかけて、己の置かれた状況に対するもう一つの可能性を閃いてしまう。


「それとも………あなたはもしかして、深夜の学び舎に侵入していく女の子に欲情して追いかけてきた性犯罪者なのでしょうか?」


「――なんだと?」


 添琉は自分の容姿が優れていると自覚している。


 謙遜などをすれば、それ自体を嫌味と受け取られるほどに。


 男目線からの女性の魅力を左右する部分の発育はまだまだ慎ましいが、まだ十四歳であることと経妊婦とは思えぬモデル体系を余裕で維持する母親を考慮に入れれば、将来性は抜群といっても過言ではないだろう。


「困りましたね。もう初潮は迎えているので男性を迎え入れられるのですが、このような形で処女を失ってしまうのは本意ではありません」


「おい。ちょっと待て」


「ですが、刃物で脅されてしまっては是非もありませんね。あなたを心の底から軽蔑しながらも、手折られてしまうしかないのでしょう。自分で服を脱いだ方がよいですか?」


 言いながら服を脱ぐ素振りを見せる添琉。


「そ、添琉さぁん……」


 絶望したような声を出しながら、必死に手を伸ばそうとするみなも。


「あのなぁ……」


 少年は呆れたようにため息を吐きながら、刀を引いた。


 手の内で刀をくるりと回すという無意味な動作を挟んでから、腰に下げた鞘の中にパチンと収める。


「ふぇ……?」


「あら? 見逃してくださるのですか?」


 万歳していた手を下ろした添琉は相手を刺激しないように慎重に立ち上がり、自分を抱くようにしながら警戒も露わに問いかける。


 だが、少年の目線からすると妙に余裕があるような態度に見えて、不思議とおちょくられている気分にもなっていた。


「婦女暴行の罪を背負うつもりはない。妙な気配を追っていたんだが、あんたに早とちりで刀を突きつけただけだ」


「それはまた随分と杜撰な反応ですね。わたくしの心の傷に対する保障は、誰に請求すればよいのですか?」


「………いや、悪かったよ」


 悪いと思っているのに偽りはないらしく、少年は気まずそうに目線を逸らす。


「言葉だけの謝罪ですか? そもそもこんな時間に女子校の校舎で何をしていたのですか? やはり変態さんで倒錯的な趣味を抱えていらっしゃると解釈するのが無難なような――」


「そういうあんたこそ、こんな時間にこんなところで何してたんだよ」


「質問に質問で返すのはいただけませんが、わたくしは少し図書館に用がありまして……」


「こんな時間にか」


「こんな時間にです。あなた…………のお名前をお伺いしてもよろしいですか? わたくしの名前は添琉です」


水城みずしろ……やいば


 ほんのわずかな躊躇を見せながらも、少年――刃は名乗った。


 添琉は目を細める。


 微笑のように見えながらも、内実は増した警戒に他ならない。


「やいば……ですか。珍しいお名前ですね。そこはかとなく、わたくしたちの年代の一部で蔓延するという病を感じさせます」


「うっせーよ」


「それで刃さんこそ、このような時間にこのような場所で何をしておられるのですか? ご存知かと思いますが、ここは女子校ですよ」


「俺は仕事だよ」


「お仕事……ですか? 通報してもいいですか?」


「どんな仕事を想像した?」


「端的に下着泥棒などに類似した犯罪的なお仕事ですが」


「ちげーよ」


「この場で証明できますか?」


「俺は退魔士だ。まだ見習いだがな」


「………………………。」


 それで総てを理解できるだろうといわんばかりに堂々と言う刃を、添琉はこの上も無く優しい眼差しで見つめた。あまりにも優しすぎるために、まるでその場にいる彼を透過して壁が見えているかのようだった。


 しかし、内心では、これはまた面倒な(・・・・・・・・)と呟いてもいた。


「そうでしたか。よくわかりました。ご苦労様です。わたくしはわたくしの用事を片付けたらすぐに帰りますので、あなたもそのようになさってください」


 育ちのよさか、それとも躾の賜物か。


 添琉はスカートの端を軽く摘みながら、丁寧にお辞儀をした。


「それでは失礼いたします。参りましょう、みなもさん」


「へぁ……っ!? あ、の、その………は、はいっ」


 オロオロしながら視線を両者の間で忙しなく往復させているみなもを促して、くるりと背中を向けて足早に歩き出そうとしたところで、がしっと刃に肩を捕まえられる。


 ザワッと髪が逆立つような怖気に襲われた添琉は、最初に肩に置かれた手をやんわりと払ってから、やや冷たさを帯びた眼差しになりながら振り返った。


「まだなにか?」


「まあ、待て。今夜のこの学び舎は危険だ。お前らをこのまま徘徊させるわけにはいかない」


「あなたと一緒の方が、個人的にはよほど危険に思えるのですが………」


 添琉の背中に隠れるようにしているみなもが、全力で首を上下に振っている。


「あ~、くっそ」


 自分の仕出かした失態で信用を失ったと考えているのか、刃は苛立たしげに自分の頭を掻く。


 しかし、それは誤解だ。


 単純に添琉とみなもは、武士のような格好をしている挙げ句に帯刀している刃が、仮にどんなに友好的な形で目前に現れていたとしても、一ミリたりとも信用することなど出来なかっただろう。


 理由など、わざわざ考えるまでもない。


 怪しいの一言で事足りる上に、追加で危険な要素が山積みだ。


 と。


 ダダダダダ……と誰かが凄い勢いで階段を駆け上がってくる音が聞こえてきた。


「刃―――――っ!? てめぇ、いきなり動き出して、面倒事を………………………………起こしてやがるぅぅ~~」


(みずち)


 階段を駆け上がってきたのは、またしても添琉や刃と同年代の少年だった。


 どうやら蛟という名前らしい彼は黒髪短髪で、年のわりに傍目にもかなり鍛えられているのが瞭然な肉体の持ち主だった。


 息を切らしているのは全力疾走をしていたからか。


 息を整える間もなく、添琉たちの状況を目にした彼は、がっくりと地に伏すように五体投地を行っていた。


 その流れるような動きから苦労人というよりも、芸人のような空気を感じた添琉は、思わずといった風に口元を緩めていた。


 刃に不意打ちで刃物を突きつけられた時はさすがに驚いたが、肝の太い彼女はもう落ち着きを取り戻し、冷静に状況を分析している。


 この二人は知己のようで、曰く『仕事』でこの学園を深夜に訪れている。


 その『仕事』の内容は定かではないが、今までの反応からして少なくても添琉たちを害するものではない。


 もっとも、人目を忍ぶようなものなのは間違いないだろう。


 変態疑惑はまだ完全に解けていないが、このままさようならをしてしまうのがお互いにとって、最良の選択肢だと添琉は判断する。


「お友だちがいらっしゃったようですし、それではわたくしたちは失礼を」


「だから待てって言ってるだろ」


「ところで、刃。その娘たちは?」


「あの、その………」


 その場にいる四人がほとんど同時に口を開いたために、収集の難しい混乱が生じてしまう。


 刃に場をまとめる能力はないだろうし、乱入してきた蛟はそもそも今の状況を理解していないし、みなもに至っては迂闊に喋られる方がややこしくなるので論外だ。


 深入りを望んでいない添琉だが、「仕方がないですわね」とため息を吐いた。


 ぱんっと手を合わせて、三人の注目を集める。


「不本意ですが、お互いの立ち位置をはっきりさせましょう」


「お、おう。よろしく頼む」


 蛟はノロノロと身体を起こし、その場に胡坐をかく。


「………………。」


「は、はい」


 刃は無言でうなずき、みなもは添琉の背中に隠れたまま必死に首を上下させる。


「わたくしはこの学園の生徒で、図書館に用事がありまして、不躾ではありますがこのような時間にこっそりと訪ねています。後ろの娘は付き添いを頼み、同行してもらった友人です。そして、そこの武士みたいな格好をした刃さんに、誤解か何かよくわからない勘違いで刃物を突きつけられました」


「おい」


 蛟がギロリと刃を睨む。


「すまん。妙な気配を追いかけていたら、あの二人を見つけたんだ。それで、つい……」


「つい、で女に刃物を突きつけんなよ。

 ――ったく、お前って奴はどうしてこぅ……」


 ガリガリと頭を掻いた蛟が、ゆっくりと立ち上がる。


「俺は沙耶守(さやのもり)(みずち)。見習いの退魔士だ――って言っても、意味がわからんよな」


「「………………………。」」


 添琉とみなもは白い目と沈黙を、返答代わりにした。


「……とにかく、学園側の正式な(・・・・・・・)依頼で動いている(・・・・・・・・)者だ。非常に怪しく思うだろうが、通報とかはしないで欲しい」


 蛟は少し悲しそうに目を伏せながらも、すぐに気を取り直して続ける。


「非常に怪しいのは一切否定できませんが、わたくしどもとしましても関わりたいとは思いませんので、それ以上の余計な情報提供はご遠慮願います」


「わかった。ただ、見かけたからにはあんたらを安全なところまで送る義務が、俺たちにはあるんだが………」


「お断りします」


 添琉は一刀両断した。


「いや、だが、迂闊に動かれたら危険に見舞われる可能性が高いんだ」


「既に生命の危険に見舞われていますが?」


 ちらっと添琉が刃を見やると、彼はさっと視線を逸らした。


「当方としても遺憾な出来事であり、今後の再発を防ぐべく一層の精進を重ねていくことで信頼回復に努めたいと思いますので、どうか――」


「結構です」


 蛟の不祥事を起こした企業か病院の謝罪会見のような言葉に被せるように、添琉はバッサリと切り捨てる。


 言葉に物理的な切れ味があったならば、この二人の不審者は致命傷を負っていただろう。


「わたくしとしましては、あなた方がよほど危険に思えます」


「………………。」


「ですが、そちらの言い分にも一理があるのは事実です」


「だったら――」


「速やかに用事を済ませて、速やかに帰宅するよう努力しますので、あなた方はご自分のお仕事に専心してくださいませ」


 にっこりと微笑みながらも、有無を言わさぬ迫力を上乗せする添琉。


「あぁ、それとも、容易に個室へと変貌させられる場所にまで同行するというのは、逃げ場を絶った上で獣性を解き放つためと解釈してもよろしいのでしょうか?」


「な――――っ!?」


 添琉が仄めかした意味を理解したのか、途端に蛟は顔を真っ赤にした。


 刃は反応が薄かったが、彼はかなり初心なようだった。


 女としての意味で襲われる危険性は減少したが、だからといって彼らの同行を許可するわけにはいかない。


「それでは、失礼いたします。

 ――さあ、行きますよ、みなもさん」


「あ、はい」


 丁寧に一礼した添琉はみなもを促して、彼らに背を向ける。


 物言いたげにしながらも、彼らは追っては来なかった。



 ● ● ●



「どうするんだ?」


 二人の少女の背中を見えなくなるまで見送ってから、刃は軽く肩をすくめた。


 自然とため息が漏れる。


「厄介な状況だが、不幸中の幸いだろう。俺たちがさっさと『仕事』を片付ければいいだけの話だ」


 相方である蛟もため息を吐いている。


「………。例の〝噂〟の収束点は体育館(・・・)だったな」


「ああ。ところで――」


「なんだ?」


「本当に誤解や勘違いで襲ったのか?」


「………よくわからん。怪しげな気配が取り巻いていたのは確かだが、実際に刃物を突きつけた時に、彼女からは攻撃的な反応はなかった」


 むしろ、周囲の空間から敵意にも似たものが集中して突き刺さってきたような気がしたが、結局は遠巻きに見ているだけのようなもので、刀を引けば自然と霧散していった。


 まるで『何か』が添琉を守っているかのようではあったが、彼女の自覚の有無までは判断しようもない。


 挑むように刃を見ていた瞳からは、何も読み取れなかった。


「つまり?」


「よくわからん。

 ――ただ、もしかしたら、只者ではないのかも知れない」


「俺たちの『仕事』に関わりはありそうか?」


「さぁな。判断材料が少な過ぎる」


 投げやりな刃の返答に考える素振りを見せる蛟だったが、元々が単純な構造をしている頭なので情報不足の中で何らかの解答を導き出せるはずもなく。


「とにかく、速やかに『仕事』に取りかかるのが先決だな」


 丸く収めるのに最適な行動を選んで動き出すのだった。


 ただし――


斬るなよ(・・・・)


 悪癖持ちの刃に釘を刺すのだけは忘れなかった。


「今はそんなつもりはない」


「気が変わってもだ」


「………努力はする」



 ● ● ●



「さっきの人たちはなんだったのでしょうか?」


 月明かりに照らされた薄闇の廊下を歩くみなもが、思い出したように呟くのを添琉は背中で聞いた。


「え?」


 意外なことを聞いたというように目を丸くした添琉は、足を止めて振り返る。


「な、なんですか?」


 むしろ、その反応にみなもが驚くほどだった。


「………本当にみなもさんは何も知らないのですね」


 困ったように眉を下げた添琉は、どうしたものかと少し考える。


「退魔士……という者たちを知っていますか?」


 みなもは首を横に振る。


「枢樹の家も昔はそうだったのですが、みなもさんはご存知ないと……」


 みなもの祖母は『枢樹』の名に秘められた『裏の顔』を教えていないようだが、添琉に同行させているからには知ってしまっても構わないと思っているのだろう。


 判断を任された風になっているのは、一種の丸投げのようで愉快な気持ちにはならないが、不本意ながらも妙な状況になっているからには知ってもらった方が、お互いの狭間にある認識のズレがもたらすかもしれない危険を回避できる。


「わかりました。みなもさんにお話しましょう。少し長くなってしまいますが、歩調を緩めれば、図書館に着くまでには終わるでしょう」


「あの……」


「少なからず、荒唐無稽に聞こえるかも知れませんが、どうか最後までご静聴をお願いいたします」


「わ、わかりました」


「では、まずはわたくしの昔のお話から………なのですが、その前にわたくしの一番古いお友だちを紹介しましょう」


 すぅっと添琉は自らの左肩に右の手のひらを添えた。


 より正確には、そこにいる何かを撫でるように手を動かす。


「みなもさんにも見えるように現れてくれますか?」


 愛おしむように目を細めながら、そっと囁きかけられた言葉に応じるように、添琉の肩にいた〝何か〟が浮かび上がってくる。


 うっすらと透けていた輪郭が像を結び、実体化していく。


 犬や猫に似ているが、明らかに異なる小さな羽根の生えたモノ(・・)。明らかに自然な生物ではないのが一目瞭然だった。


 手のひらサイズの〝何か〟が、きゅぅ~っと鳴いて、添琉の頬に頭を擦り付けていく。


「え?」


 一連の展開を見ていたみなもは、唖然とした顔になる。


「この子の名前は、ソラです」


「きゅぅ~っ♪」


 細い指先で頭を撫でながら添琉が紹介すると、言葉が理解できているように鳴く。


 まるで名乗るように。


「か、可愛い……っ」


 様々な疑問を放置して、みなもの脳裏を埋め尽くしたのはその一言だった。


「きゅっ♪」


 どうやら気に入ってもらえたような反応を見せるソラに、みなもはますます表情を緩ませる。添琉は微笑を浮かべながら、静かな調子で話を始めた。


「まだわたくしが幼かった頃のお話です」


 みなももソラに奪われていた意識を、添琉の語る話へと向ける。


「とても広くて大きなお屋敷の離れにある蔵の中で、わたくしは不思議な〝モノ〟に出逢いました。その子は見たことのない不思議な生き物でしたが、大人しくて可愛らしくて無害でした。わたくしはその子とお友だちになりました。その子もわたくしにとても懐いてくれました。起きてから眠るまで、ずっとずっといっしょにいました。

 でも、不思議な話なのですが。お父様やお母様に肩に乗っているこの子を見せても、まるで見えていないかのように困ったような顔をするのです。他のお友だちも同じような反応をします。どうやら、この子はわたくしにしか見えていないようでした。もしかしたら、わたくしの妄想なのかもしれないと疑いましたが、触った感触などはどう考えても現実のものとしか思えませんでした。

 不思議な話なのですが、わたくしは気にしないことにしました。なぜなら――どうやら、わたくしにしか見えていない不思議な〝モノ〟たちは、そこかしこに他にもたくさんいたからです。わたくしのお友だちは、そうした〝モノ〟たちにも大層可愛がられているようで、お友だちになっているわたくしにも少なからず興味を抱いていました。

 そして、わたくしはそんな〝彼ら〟ともお友だちになりました。時折、悩み事の相談や争いの仲裁などを求められたりもしますが、おおむね関係は良好で充実した日々を送っていました。ですが、そうしたわたくしの存在を快く思わない方々もいたようで、一度は誘拐のような真似をされたこともありましたね」


「………ゆ、誘拐ですか?」


 理解が追いついていないように目を白黒させながら、それでも聞き逃せなかった単語をみなもは拾い上げる。


「その話は本題から遠ざかってしまうので、置いておきましょう」


「は、はい」


「とにかく、わたくしの『瞳』は、生まれつき普通の人とは少しだけ違っていたのです」


「………………。」


 みなもはまじまじと添琉の瞳を見つめるが、薄闇の中ではよく見えないでいた。


 そもそも、目に見えるような明確な違いがあるわけでもないのだ。


「ですが、そこまで稀少というわけでもありません。訓練……のようなものをすれば、大抵の人には見えるようになるものですし、ただ単純に最初から『チャンネル』が繋がっていただけなのですから……」


 たまにふらりと姿を見せるお姉様の知り合い――『魔法使い』を自称する中年紳士の表現した言葉を思い出した添琉は、薄く口元を緩める。


 テレビのアンテナ受信のようなものだ。


 通常では見えない『チャンネル』の電波を受信するためには、契約を結ばなければならない。


 本来ならば必要とする契約が、最初から成されていたのが添琉の『瞳』だ。


 言うなれば手違いのようなものであり、それほどには特別な話でもない。


 だが、そんな〝手違い〟が添琉にもたらしたものは、普通に(・・・)歩んでいくはずの人生を変えるほどに大きいものだったというだけだ。


「ともあれ――」


 続ける言葉に、添琉は内心でほんの少しだけ躊躇をしたが、今宵この学園に足を踏み入れてしまったからには、遅いか早いか程度の違いでしかないと判断した。


「この世界には、普通の人間(ヒト)には容易に〝視〟えないモノ(・・)たちがいます。妖怪、あやかし、怪異……幽霊や亡霊なども含んでいいでしょう。おおかたは人間の社会と折り合いをつけているので害になるようなものではありませんが、確かにそこかしこに存在しているのです。この学園にも、この町にも、人間の傍らに寄り添うようにしながら……」


 添琉は両手を拡げる。


 今この瞬間も自分たちを見守っているモノ(・・)たちの存在を示唆するように。


「で、でも、わたしには見えませんよ」


「普通の人たちには、ちょっとしたコツがいるのですよ。ですが、見たいのでしたらこの子のように現れてもらいましょうか? ちょっと歪な形をしているモノ(・・)もいますが、可愛らしい子もいますよ?」


 みなもは全力で首を左右に振った。


 予想の範疇にあった反応に添琉は、くすりと笑みを零して続ける


「〝怪異〟や〝妖怪〟とは人の生んだ噂がある種の伝統となり、そうあるべき(・・・・・・)なのだと世界に固定化されたモノ(・・)たちなのです」


 例えば、化け狸。猫又。河童。子泣き爺。天狗。河童。海坊主。鬼。


 例えば、学校の七不思議などを代表とした怪談。


 長い年数を語り継がれたが故に、信仰の域にまで達した噂。


 そういう存在が存在する(・・・・)と大多数に信じられたモノ(・・)たちは、自ずと形を成していく。


 要するに、人々が強く、強く強く願えば、〝怪異〟は具現化するのだ。


 数百万単位の人が、百年単位で語り継ぐのが最低条件ではあるが。


 幽霊の正体見たり枯れ尾花――という言葉が示すように、その正体はそんなモノ(・・)ではなかったのに、そうと信じた人たちが口伝(くちづて)に尾ひれや背びれをつけて、広く広く語られていくことで生み出されてゆくのである。


 土台となる信仰(・・)が強ければ強いほどに、強大な『力』を持って。


「そうあるべき、ですか?」


「端的に言ってしまえば、人や物を害したり、または益したりという具合ですね。みなもさんもそういう話(・・・・・)を少しは嗜んでおられるでしょう」


「えぇ、はい。」


「そうしたお話では、〝彼ら〟は悪役のように語られていたりもするのですが………どのような〝怪異〟といえど、無差別で猟奇的に人を殺せるほどに強力なモノ(・・)はほとんど存在しません。対処の仕方さえ知っていたなら倒せるものでもあるのです。だから、そのモノ(・・)たちは必要以上に人の目を引きつけるような真似はしないのです。人間が退治しようと本腰を入れてしまうギリギリの境界線で、人を害したり益したりして存在を主張するぐらいで、基本的な立ち位置は傍観者に近いのです。何故なら、彼らは人間がいるからこそ存在できるのであって、仮に人間が絶滅するようなことがあったら同じく滅び去ってしまうからです」


 人間と同じように彼らの存在を支えられるだけの知恵や知能がある存在が、人間の後を引き継いだなら話は別だが、その場合は〝彼ら〟の在り方もまた少し違ったものになるだろう――というのは余談の域だ。


「ただ……〝彼ら〟と同じようでありながら、あやかしの法則(ルール)から外れて、人間に仇なすだけ(・・)モノ(・・)も存在します。わたくしたちはそのようなモノ(・・)を〝魔〟と呼称しています」


「………………〝魔〟……?」


「〝魔〟とは人の抱く負の想念が生み出した生命を仇なす悪しきモノ(・・)

 まだ見習いと言っていましたが、彼ら――退魔士とは、そのような〝魔〟を祓うことを生業とした一族なのですよ」


 添琉は窓際に歩み寄り、空に在る大小二つの月を見上げる。


岩永(いわなが)甘粕(あまかす)、…石動(いするぎ)沙耶守(さやのもり)水城(みずしろ)、……藤宮(ふじみや)

 ………………そして、枢樹(くるるぎ)。退魔士業界の有名どころを新旧問わずに並べるとこのようになります」


「え? 沙耶守に水城……?」


 聞き覚えのある――というよりも、ついさっき二人の不審者から耳にしたばかりの名に、みなもが声を上げる。


「ええ。先ほどのお二人はそういう理由で(・・・・・・・)ここにいらしているようです。わたくしとしても困ってしまいましたね」


 頬に手を添え、緩々とため息を吐く。


 彼らには知らないような素振りを見せていたが、添琉はそうした業界にも通じている。


 ――というよりも、深夜の母校に不法侵入している理由そのものは、彼らと大差がない。ただ単純に手段が穏便かそうでないかだけの違いだ。


 そして、学園側も――現状を由々しき事態と判断し、そうした依頼を『沙耶守』にでも出していたのだろう。


 互いの動きがかち合ってしまったわけだが、タイミングが悪かったとしか言い様がない。


「いえ、いえっ! それよりも枢樹って………っ!?」


 それよりも――なんて、あっさり流されてしまうと添琉的には困るのだが、みなもとしては訳のわからないところよりも、自身の名字が出てきたのが聞き逃せなかったようだった。


 とりあえず、そちらから話すのが妥当かと思い、添琉はうなずく。


「そうです。みなもさんのお祖母様――京花様も退魔士だったのですよ。

 ですが、枢樹の一族は数代前にはもう廃れ始めていて、もうお祖母様の代では他に(わざ)を受け継げる方はいなかったようですけれど……」


 退魔士一族としての枢樹は、もう存在しない。


 枢樹(くるるぎ)京花(きようか)も現役を退いて久しく、『お姉様』の茶飲み友だちをしながら、余生を穏やかに過ごしている。


「ですが、お祖母様の業をみなもさんが受け継いだとお聞きしていますので、一族の復興をお望みのようでしたらお手伝いをいたしますよ。具体的には他の一族との仲介や繋ぎなどですが、個人的には岩永さんや甘粕さんをお勧めしますのでご検討を願います」


 藤宮は数年前に凶悪な『魔』に滅ぼされ、それを機に台頭してきた石動は退魔士としては邪道に近い類なので論外だ。


 沙耶守は正統派過ぎる(・・・)のでみなも向きではなく、水城は異端扱いなのでこれまた論外だ。


 岩永・甘粕の一族には年の近い知り合いがいるので、いろいろと話は進め易い。


「………すみません。ちょっと待ってください。頭が全然追いついてないです」


 ただでさえ与えられた情報量が多すぎたみなもの頭の中は、完全に混乱の局地へと至る。


 添琉は理解を示し、みなもが落ち着きを取り戻すまで待ちの体制に移る。窓に背中を預けながら、髪の手入れをするように指先で梳く。


 艶やかな黒髪が、月光を纏って、夜に舞う。


「―――――え? えぇっ!? ちょっと待って?」


 しばし時間が経過するとだんだんと理解が追いついてきたのか、みなもはブツブツと呟き始める。


 もっとも、理解とはいっても、頭を抱えていく方面での理解のようではあったが。


「そもそも退魔士の業って、わたしには心当たりがないんだけど……? …………まさか、お祖母ちゃんに妙に熱心に教えられたあの健康体操が………っ!?」


「おそらくは、そうなのでしょうね。お姉様のお茶飲み友だちでもある京花様は、こう言ってはなんですがお茶目でイタズラ好きな側面もありましたし、本人の気づかないうちに仕込みを済ませておくなんてことは平気でやっていそうですわね♡」


「いぃぃやぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ…………っ!?」


 頭を抱えて、絶叫するみなも。


 本人でさえも知らない内に退魔士としての英才教育を受けていた少女の魂からの嘆きであった。


 添琉としても同情しなくもなかったが、慰めているほどヒマではなかった。


 ある程度の知識が必要と思って立ち話に興じてはいたが、あまり長引かせるとあの二人が追いかけてくる可能性は否定できないのだ。


 添琉としては何一つ嘘を言ってはいないのだが、それはどちらかというとペテンに近いものであり、意図的に間違った方向に二人の認識を誘導するように、慎重に言葉を選びながら会話をしていたのだから。


「ところで、そろそろ図書館も近いので、今宵の本題に戻りますが」


「えっと、その、つまり、お化け退治(・・・・・)というのは比喩表現とか肝試しじゃなくて………」


 両手の指を意味もなくワキワキさせながら、恐る恐るという感じでみなもが「違いますよね?」と縋るように見上げてくる。


「はい。最近この玲瓏女学院で猛威を振るっている悪しき〝魔〟の討伐です」


 希望的観測を無慈悲に粉砕する添琉。


「お家帰るぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅ………っ!!」


 迷わずに背中を向けようとしたみなもの襟首を、がっしと力強く掴む添琉。


「大丈夫ですよ。本当に危険なお話でしたら、そもそもお姉様が許しません。わたくしにも対処可能な範囲と判断したからこそ、快く送り出してくれたのです」


「わたし、完全に巻き込まれてるだけじゃないですかぁぁぁぁっ!?」


 添琉としては何を今さらとしか言いようがないのだが、みなもがほとんど素人とわかった上で同行に反対をしなかったのだから、みなもの目線からすると共犯者も同然だ。


「暫定的に〝魔〟と呼称していても、大抵は話し合いで済むので、荒事にまで発展するのは稀ですよ」


 迂闊な発言をすると飛び火してくる可能性が濃厚なので、みなもの思考を誘導するように添琉は話の方向性を逸らしていく。


 添琉もまた『お姉様』や京花の影響を受けて、それなりにイイ性格をしているのだ。


「きっと、みなもさんをわたくしに同行させたのは、こういう世界があると知らせておく必要があり、また今後の選択肢を提示するためなのでしょう」


「いらないいらないいらないぃぃぃぃぃっ!? そんな選択肢いらないよぉぉぉぉっ!!」


「まあまあ、このご時勢に就職先の選択肢が増えるのはよいことではありませんか」


 逃げようとするみなもをズルズルと引き摺りながら、階段を降りていく添琉。


「はぁぁなぁぁしぃぃてぇぇぇぇ………っ!?」


「でも………」


 絵面は果てしなく間が抜けていたが、添琉は真面目な口調で付け足した。


「もしも、想定外の事態になったとしたら、みなもさんは脇目も振らずにお逃げになってください」


「え、でも……?」


「同行はしてもらいましたが、いわゆるお化け退治に協力してもらうつもりはありませんでしたよ。ましてや、先ほどの話で素人同然なのだとわかったのですからなおさらです」


「だったら、今からでも逃がしてくださいぃぃ……っ!!」


 もっともな発言ではあったが、心を鬼にして添琉は無視した。なんとなく。


「わたくしには最低限、自分の身を守る手段がありますので、いざという時はお気になさらずにご自分を優先してくださいね。約束ですよ?」


「……わ、わかりました」


 現在進行形でズルズル引き摺られているみなもは、諦観を宿した目になりながらも渋々とうなずいた。


「さて、ソラ。念のために、あなたも安全なところでみんなといてくださいね」


「きゅ~っ」


 スゥッと薄らいでいくソラ。


 完全に消え去る寸前に、添琉の肩を離れていくのがみなもにも見えた。


「さあ、着きましたよ」


 添琉がそう言った時には、もう図書館の前だった。


 玲瓏女学院の図書館は地下に存在する。歴史と伝統のある大きな学園だけあって、その蔵書量も並外れている。高い天井にまで届く本棚には、どこの国の言葉かもわからない文字の書かれた背表紙が並び、荘厳と言っても過言ではない古めかしくて繊細な装飾が施された内装は、どこか幻想的にも見える。


 時折ぽつんとおいてある単なる木製の梯子すら、その場所にあるだけで何か特別な小道具であるかのように思えてくるほどだ。


 こんな深夜なので消灯しているのは疑いようもないが、みなもには人が行き交う昼間に一度は訪れてみて欲しいと思わないでもない。


 一見の価値はある光景が、眼前に広がるだろうから。


 ――とはいえ、今はそんな悠長なことに思いを馳せているしている場合ではない。


「それでは、参りましょうか」


「………………………………はい」


 心底から嫌そうでありながらも、逃がしてもらえないと悟ったみなもも自分の足で立つ。


 そして――


 二人は両開きのドアのノブを回して、図書館の中へと入っていく。


 この時、添琉の中には緊張と同等の楽観があった。


 あやかしが起こす怪異の解決は何度もしており、ほんの一ヶ月程度の間に囁かれ始めた噂が生んだ〝魔〟が強い『力』を持っているはずもない。


 簡単な交渉で、穏便に片付けられる案件だと疑っていなかった。


 しかし――


 彼女たちが足を踏み入れた図書館には、そんな楽観論を容易く吹き飛ばす『闇』が滞留していた。


「―――――――――――――――――――――――――え?」


 その全貌を把握した彼女たちが何らかの行動を起こすよりも早くに、その〝魔〟は天地を揺るがす咆哮を大きく開いた口腔から放っていた。







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