覆水は盆に返らず、高きより低きに流れる
「あがっ!?」
右腕から焼け付くような痛みが流れ込み、脳が一瞬ショートする。
後方へ跳躍した俺だが、一瞬遅れた右腕が手首のあたりで両断され、右手だけが置き忘れられたように宙に浮いて残っている。
一跳びで5メートル近い距離を空けることに成功し、体勢を崩しながらも着地したころに、やっと右手も地に落ちる。
痛っーーー! これはシャレにならん!
一撃で右手を持ってかれた、否、右手だけで済んだと言うべきだろう。
恐るべきは騎士の絶技。これが修練に裏打ちされた業か……。
伊達に『一刀両断の騎士』などと呼ばれてはいないな。
「グフッ……何故だ! 何故キサマが……。キサマも王国民であ、グガァァァ!!」
レオンの左腕にマシロが放った矢が突き立ち、後ろ手に取ろうとしていたポーションらしき容器が転がり落ちる。
ナイスな援護だ、これで易々と回復されることもあるまい。
折れた剣先が突き出た奴の胸元からは、どくどくと血が流れ落ち、よろよろと近寄ってくる足元にも力が無い。
俺の目の前には、いつの間にやらナオが居り、大剣を盾のように構え警戒してくれている。
更には、焼け付くようだった右手の痛みは既に鈍痛に変わっており、動くのに支障は無さそうだ。
この辺りの痛みの感じ方も、レベルアップによる恩恵なのかもしれない。
そんな考察よりも、まずは奴の足止めか。
「『シャドウバインド』!」
「ぐくっ、放せっ! このっ、何とか言ったらどうだ!?」
「……逆らう気なんて、これっぽっちもありませんよ」
レオンの影から伸びた闇の手が彼の歩みを止めている間に、俺はポーションを収納から取り出して右手の血を止める。
「では何故、こんな事をする!?」
「降りかかる火の粉は払う、それだけのことです。あなたは犯人が混血種と決めつけてたみたいですがね……ふふっ、あなたの主を殺したのは、この私ですよ」
「なん、だと……キサマが……キサマガァァーー!!」
「知らなかったのですか? 私が知る限り一番タチが悪いのは、他ならぬ普人族なんですよ」
まっ、俺はホントのところの種族は異世界人なんだけどね。
歩くことすら出来ずに咆哮するレオンに、背後からはマシロの放った矢が容赦無く突き刺さる。
俺も残った左手で投剣を抜き、肌の露出部を狙って投げつける。
しばらく必死に動こうともがいたレオンだったが、間もなく倒れ伏して動かなくなった。
うーん、これって死んだよな? 近づいたら蘇って、切りかかってきたりしないよね?
レオンを鑑定できないことと、自分のモラル値が下がっている事(なんと180も下がっていた……)を確認して、死亡したことを確認してから彼に近寄る。
レオンの遺体をよくよく確認してみると、折れた剣身が彼が背負っていた大剣で止まっていることから、その大剣が俺の剣が折れた原因であると判った。
左手一本でその大剣を引き抜こうとすると、想像以上の重さに驚いた。
改めて気合を入れて引き抜くと、ズッシリとしたその重量にバランスを崩しそうになる。
どうにか身体の中央で剣身を捧げ持つことでバランスを保ち、剣身を月の光に映し見る。
馬鹿でかい水晶の原石のような、うっすらと蒼く光を放つ刀身は、剣としては凸凹で切れ味など無さそうに見える。
しかし、自身の左腕に掛かる重量からは、それが確かに人を殺すための兵器であることがうかがい知れた。
鑑定を発動すると、それがとんでもない代物であると判明する。
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名称:星破巨剣
スキル:不壊
説明:降り注ぐ星すら打ち砕くだろうと噂される不壊の巨剣。
最重量の鉱物であるアダマンタイト製の大剣は使い手を選ぶ代わりに、その超重量が生み出す破壊力は絶大。
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銘の付いた剣など初めて見たよ。
銘入りの装備の存在は図書塔で調べて知っていたが、まさかこんな所でお目に掛かろうとはな。
なんでも品質か名声のどちらかが一定水準以上の装備に、銘が付くらしいのだ。
品質が高ければ製作者、もしくは所有者が銘を付けることができ、名声が一定以上となった場合は、自動的にその通り名が銘として付くらしい。
この星破巨剣がどちらなのかは不明だが、今まで見た武器に比べて高性能なのは間違い無いだろう。
今もレオンの右手に握られている小剣が、ただの黒鋼の剣であることを考えるに、星破巨剣を抜いたレオンの強さは考えるだに恐ろしいものが有る。
スキルレベル的にも大剣術のが高かったみたいだしさ……。
たぶんまともに戦っていたら勝てなかった。右手を失ったとしても、不意打ちで倒せたのは良かったと思う。
それにしてもこの剣の重量、下手すりゃ200kgくらいあるんじゃないか?
そろそろ左腕がぷるぷるしてきたので、ナオに剣を渡す。大剣術スキルがあるのはうちではナオだけだ。
「こいつは貰っておこうか。ナオなら使えそうか?」
「おもい……むりそ」
「それなら、取りあえず収納にでも入れといてくれ。あと、遺体もついでに回収しといてくれ」
ナオがこくりと頷き、星破巨剣を収納に仕舞うのを見てふと思った。
これも窃盗になるのだろうかと。
今までは、死体から剝ぎ取ってそれを懐に入れるような事はしてこなかった。
野盗に関しては、あれは魔物の一種だから除外するがね。
そう思って、俺のモラル値を確認したところ案の定、更に10だけ減っていた。
今日で130も減ったことになる。
少し前の野盗退治で少し増えたとはいえ、このまま減ると不味いんじゃないだろうか。
まあまだ、200以上は残ってるし大丈夫だろう。
「アスラさん、早く右手を出してください!」
走って合流してきたノルンがせっつく。
「大丈夫だよ、もう血は止まっている。治療の前にさっさと移動しよう、これ以上騒ぐのもマズい」
「音に関しては安心してください、私が『サイレンス』で周囲の音は遮断してます。そのせいで、戦闘には参加できませんでしたが」
「そうだったのか! いつも助かるよ、ほんとに。俺も調子に乗って話にのっちゃったから、周囲に漏れたらどうしようかと思ってたんだ」
ホントに反省しないとな……自分で悪事を暴露し出すとか、悪役の負けフラグじゃねーか。
それにしてもノルンは器用な事をする。
風魔法『サイレンス』の本質は、音だけを遮断する大気の壁を作ることだとは言え、普通は何らかの対象にかけて、そこから発される音を防げる程度。
にもかかわらず、周囲の何もない空間に対してそれを作用させるとか、俺には到底無理だな。流石はうちの魔法使い様だ。
マシロも遅れてやってきたが、こちらの顔色は相変わらず悪い。
「マシロも援護射撃、すごく助かったぞ」
「ん……頑張った」
震えは収まったようだが、ほんとに頑張ってくれたのだろう。
そういやマシロのモラル値、大丈夫なのか?
確認してみるとモラル値の低下は無く安心する。
たぶん、マシロは契約魔法で縛られているため、俺の援護を命じられてしたため、モラル値にカウントされないのだと思う。
その分、俺にカウントされたとすれば、レオン殺害によるモラル値低下は120だ。
異種族のため5分の1になっていることを考えると、同種族なら実質600のマイナスになる。
モラル値150くらいの変態貴族の時は60(同種族で300)のマイナスのはずだから、
たしか軽犯罪者と重犯罪者の境界が『-300』だったから、善人にも『+300』辺りにでも境界があるのだろう。
300以上は聖人みたいな。それで聖人を殺したから、モラル値の低下も多いのかもしれないな。
俺が考えてる間にも、ナオが遺体の回収を終えたようだ。
それだけでなく、路面に付着した血や俺について返り血も、洗浄魔法でしっかりと洗い流されていた。流石はノルン、抜け目がない。
「周囲に誰も居ないと思うが、念のため遠回りで帰るぞ。全員、隠密状態で付いて来てくれ」
全員が頷くのを確認して、移動を開始する。
もしも目撃者がいたらと考えて、宿までの道を直進せずに、30分ほどかけて街中の路地裏を縦横無尽に行きかって相手を混乱させる。
まあ、追手なんて居ないだろうけど、念のためだよ。
その後、手首から先が無い右腕を服の下に隠して、何食わぬ顔で宿へと帰った。
宿の中に入った俺達は、復調したらしきスズとクレアが出迎えられた。
「遅いよお兄さん! もうお腹ペコペコだよう」
「おかえりなさい。私を除け者にして、皆で何をしてたのかしら?」
「なんだ、待っててくれたのか……よし! 今日は俺のおごりだ、存分に飲み食いしてくれ(詳しくは後でな)」
すれ違う際にスズにだけ耳打ちして食堂へと向かう。
クレアは嬉しそうに、スズはしょうがないなぁといった態で後について来てくれた。
食堂のテーブルについて、スズやクレアにギルドでの話を説明する。もちろん、レオンへの奇襲には一切触れずに、ギルドでスズを訪ねて来た人が居たとだけ伝えた。
ちなみに説明の最中、目の前にはこれでもかという料理の数々が並んでいたが、俺は片手で摘めるもののみをエールを飲みつつ食べる程度に止める。右手を使えないのってほんと不便。
「私を訪ねて来た男、ね。ふ~んそっか、そういうことね」
食事中一度も使われていない右腕に視線を送り、意味深に頷くスズ。
いつも一緒に食事してるスズには、さすがにバレるか。
食卓には俺の好物も乗っているのに、左手だけで食べられる物にしか手を出してないからな。
「へー、剣士風の男の人かぁ……もしかしてあの人かなぁ? でも、あんな偉い人がスズを探してるわけ無いし……」
「ん? クレアはその相手に心当たりでもあるのか?」
「えっとね、実は狩猟都市で馬車を預けた後に、立ち寄った村が魔物の集団に襲われちゃって、私達も戦ったんだ~。その時、助力してくれた人がいてね、かっこよかったな~」
「へ、へぇ~、それでその人は?」
半ばその後の展開を予想しつつ、平静を取り繕って俺が問うと、クレアは嬉しそうに答えた。
「それがなんと! 何も要求せずに、先を急ぐからって颯爽と去って行ったのよ~。私は追いかけて御礼を言ったんだけどね、その時にね、極秘で人を探してるんだって言ってたんだ」
「そうだったのか。それで、その人は誰を探していたんだ?」
「それがね~、行きずりの冒険者に話せる事じゃないって、結局は誰を探してるのか聞けなかったんだ……。でも、あの様子だと、探してたのはきっと犯罪者だよ! だってここだけの話、あのレオン様だったんだよ。お忍びみたいだったから、確認はしてないけど間違い無いよ! スズも孤児院で何度か見たことあるでしょ?」
「そうね……でもその人がレオン様だって言うなら、やっぱり私を訪ねて来たのは別の人よね。あんな凄い人が、私のような小娘に用なんて無いはずよ」
「そっかぁ、残念。また会いたかったんだけどなぁ……。じゃあさ、もし見かけたら私にも教えてよ。お兄さんもお願いね!」
「……ああ分かった。今度見かけたら連絡するよ」
もう二度と見る事は無いだろうがな……。
この時、俺は大罪を犯した。
口から出た空虚な言葉は俺の罪を浮き彫りにし、クレアとの決別を予感させる。
覆水は盆に返らず、流れ出した水は高きより低きに流れた。
既にこの手は血塗られて、俺と相対した者達の血を溢れ出るほどに流させた。
死した者達の血が戻ることは無く、俺の行く道を紅く染めるだろう。
俺の選択は確かに安易であったのかもしれない。
それでも、流れに逆らって砕け散るよりはマシだという考えは変わらず、今更、改めるつもりも無い。
今は激流の最中であるなら、いずれは下流に辿り着き、落ち着くこともあるだろうか?
本来の意味での、上善は水の如し、強く飄々とした水のように生きたいものだ。
俺はそう強く願った。




