十二使徒の泉であったこと
雀の子供の背に、あわあわとやわやわとした羽毛が生えている。
まだ、子供だというしるしらしい。
飛び立つときにぴよと鳴く。
「まだ、子供、か」
池神りゅうの役を射止めた内村百扇もまた、子供っぽい。
先年は華山元業平の若い時代を演じ、その天才ぶりをまざまざと見せつけた。
「でもまだ、ぴよぴよだ。」
咲市にある放送局は、国営放送と自由放送のみである。
舞台が主流であった。
局内に幽霊が出ると聞いて、ひょっとして有名なあれか、と思いやって来たのだった。
「赤目りゅうの霊なんて、やはりあの池、泉でないと無理か。」
十二使徒の泉は涸渇れたと聞いた。
朱川からの水も、大戦の時に地形が変わり絶たれてしまった。なぜか湧水の方も枯れて、泉自体がなくなったと聞いたが。
足をのばすか。
木村円のイメージでは、赤目りゅうの外見は内村百扇と似ている。
朱族人てことだ。要するに。
細い顎に小さい顔。色が白くて花車で。
まっすぐの綺麗な黒髪。
「ぴよぴよ」
木村円は咲市では有名なスピリチュアルマスターだ。テレビにも出演し、いやしの時間担当と言われる。少しいいおとこだが、それも表向きの顔である。
十二使徒の泉譚で有名な赤目りゅうと対話した、なんて話題ものだよ。
やはり泉に行ってみなくちゃあ。
「春日君。」
「あーはい。」
助手の春日緑丸はちょっと頼りなさそうなイケメンで、木村との組み合わせとしては面白かった。
「今日はちょっとした登山だよ。デジカメ持って。」
「はーい。登山ですかー。体力無いのになあ。」
ぽんぽんと春日の背を叩く。
しぶしぶと春日はついてきた。
しそ科の雑草が白い花を咲かせて群生している。
「お前さ、この緑丸って名前は何だよ。本名じゃないだろ。」
へへ、と春日は顔を歪ませた。目が青い。
「目の色でね。昔、ホストや出前をしていてね。目が青いのを昔、みどりと言ってね。」
「なんだ源氏名か。」
しかしこの青年の来歴に少し驚いた。
ホストや出前。男娼か。
ちらりと春日の顔を見て、ちょっと妙な気になりかけた。
普通の短い髪じゃなくて、まげみたいに結ったり垂らしたりして長かったら、色っぽいのかも。
「ふっ」
それは男の全部がそうか。
近代現代で、男はみな短髪になって、綺麗というジャンルからは遠くなった。
だから見ろ、内村百扇の人気ぶり。
髪が長くて綺麗な男の子。中身は天然ぼけちゃんなのか、子供なのか。
「うわあ」
春日の声に驚く。
十二使徒の泉には先客があったようだった。
「何だ。」
「あ、あなたはハール谷中、一人で?」
髪が長かろうと短かろうと、容赦なく顔の美醜を思い知らせるほどの美貌。
「本名を、十二使徒円架。近々、この泉にまつわる分析番組が組まれると聞きまして。下見ですよ。何しろ本名が十二使徒ですから、俺。異民ですので。朱族人とかうそ言ってるけど。」
「いやーカンが鈍ったなあ。」
「?」
春日の独り言は聞き流しておいて、泉の中へと踏み込む。
「本当に水がないな。」
枯れ草をぱりぱりと踏んで進む。
泉の東の方に湿っているらしい部分があった。
「少し水が。透き通っていますね。」
ハールこと十二使徒が水に手を入れた。
「円と円架か。」
「何を言っているんだよ。」
木村は春日の様子に苛立った。
「湧いてるみたいですよ、ほら。」
ハールが水の中で土を掘り返している。
「ああ、ひどい。」
「春日、お前休んでいたら。」
ハール谷中が水をどんどん拡大させる。
「何かで詰まっているようだなあ。丸い石かなんかが湧口に詰められているような。」
十二使徒を手伝う木村。
春日は遠くでしゃがんでその様子を見ている。
わざと詰めたんだよ、とぶちぶち言う。
赤目りゅうの一部は転生したり自然と一体化したりした。だが十二使徒の泉が完全に無くなったらそれらは「無」に帰すおそれがある。
だから無駄とならないよう、少し水を制限したのだった。
昔のようにこんこんと湧かせていたら、人間は群がる。ゴミを捨てたりもするかも知れない。下手したらダムにもするかも。
それなのに、泉を守る血筋の十二使徒氏が、泉を掘り起こすだとそんな馬鹿な。
「わたしのような地味な男には、こういう作業が良く似合う。ふふ。」
「はあ。」
ハールの顔面は派手である。
服装は確かに地味だ。眼鏡をしていても顔面の派手さは隠されていないが。
「何だこれ、水晶玉、ネックレスみたいな、金の腕輪。」
「遺跡じゃないか、おーい春日君、春日っ」
みどり丸はとうの昔に山を下りて内村百扇を迎えに行っていた。
りゅうの生まれ変わり。また、かわいがってやらねば。
テレビ局に行ったり、百扇の宅にも行ったがどこにも内村百扇はいない。
そんな。
「おそいよ百ちゃん。」
「なんだよもー、ハールう。」
内村百扇は携帯電話でハール谷中に、十二使徒の泉に呼び出されていた。
「着物できたのかい。ところで、うちの助手に途中で会わなかった?」
「んー。ものすごい早さで山を駆け下りていく人ならいたよ。」
それだな。木村はあきらめていた。
「おい、おいもっと、岸に上がった方がいい。水がどんどん出てくる。」
百扇が湧水口をのぞき込む。
「きれいだなー」
「百ちゃんほら。」
ハールに腕を掴まれて百扇は岸のほうへ行く。
「これハールが取ったの? これ年代物だね。博物館に持っていこ。」
「気持ちわりーよ。ここに置いといて連絡だけするよ。」
ハールと内村。自由放送局の中では地位ある若い俳優二人。
「じゃ、お二人さん。ついでだから運勢とか見てあげよ、か。」
軽い調子で木村は言った。
「やだよー」
百扇は両手をさっと後ろに隠して口をとがらせている。木村を見上げている。
なんだこいつ。かわいいな。
百扇にうなずいて見せてからハールへと向き直る。
ハールは腕を組んで仁王立ちしていた。
「地味で堅実なわたしには占いは不要。」
お前のどこが地味で堅実なんだよ。と、外見への判断だけで木村は思った。
「ハールは真面目で努力家だもんな。」
内村が言った。
「そう。スカウトされたから芸能なんて職にある。でもなければ芸能人だなんて考えられない。演技の才能とか無いし、地味に勉強し続けているよ。」
聞いていて疲れてくる木村。
泉の水はどんどんと拡大していっている。
「お水きれいだね。」
水を触りたいのか近寄っていく内村をハールは制する。
「よしとけ。この泉は霊泉なんだ。」
「んー。」
大人しく言うことを聞いている内村。
「わたしには霊感はないが、百ちゃんは霊媒体質だろう。」
「そうそう。業平もりゅうさんも、取り憑いてくるの。なんちゃってー。」
半ば驚いて木村は聞いていた。
春日の携帯電話に連絡を入れると、拒否設定にされていた。
「あの野郎。」
木村の怒りはどうでもよさそうに、内村百扇と十二使徒円架は泉を見ていた。
「百ちゃんは天才だからね。」
「ハールの見かけだと却って、ちょっとの失敗も拡大して感じられるんだと思う。完璧以外は受け入れてもらえない、て感じかと。」
ハールは答えない。
いつも限界以上を出す。少しずつ階段を上るように実力を付ける。
それはどこまでも果てしがない。
だがまだ疲れを知らなかった。
水が二人の足元まで来た。
「お二人さーん。ちょっと異常なくらい、水が、ここから離れよう。」
木村の言葉を無視して内村は言った。
「俺、この中に入りたい。」
「なんでだ。」
驚くハール。
「ここが懐かしいの。ここに棲む奴に会いたい。ハール一緒に行こう。行こう。」
「おい。」
木村が内村の肘を掴んで立たせた。
「内村さんは撮影があるってのに。風邪など引いていられないだろう。」
「呼んでる。呼んでいるんだよ。帰るから必ず、帰るからー」
木村はひょいと内村を抱えると、ぼうとしているハールに声をかけた。
「ハールさん。帰りましょう。」
「あ、ああ。そうしよう。」
もう暴れなくなった内村だが、用心のために木村は内村を抱っこしたまま山を下りた。
麓に止めた車の前に春日が居た。
春日は内村の顔を両手で挟んでじっくりと見た。
「なーにー。そんなに見ないでー。」
がっくりと、春日はうなだれていた。
木村は内村とハールを車に乗せると、春日に声をかけた。
「乗らないのか。」
「乗るよ、でも、泉はどうなりましたか。」
「こんこんと湧いているよ。詰まりがとれたかららしい。」
ふっと、吹いてきた風に乗ったかのように春日はいなくなる。
「ちみもうりょうか、あいつは。」
平然と木村は車を発進させた。
りゅう
りゅう
赤目りゅう。
春日は心に湧く思いに翻弄される。
赤目せいじの甥がこんなに大人しいとは思わなかった。儚く弱く、だが清らかで気高かった。
幼龍。
「死人を一人生き返らすには三人の死人が必要なんだ。」
そう言っていたかっき。
「そうか、三人。」
赤目りゅうを生き返らせるために、麓を走る車中の三人の命をいただこう。
そう思い、悩む。
内村百扇は、赤目りゅうの魂のかけらの生まれ変わりである。
殺したくない。
十二使徒の泉には、水晶玉の中から水中へと行ったり来たりする赤目りゅうの魂のかけらがいた。
いとおしい。
「なぜお前を殺してしまったのだろうな。今こんなにも共に生きたいと思うのに。」
関心を持ったはじめの気持ちが、殺してみたいだった。せいじへの仕返しもあるが。
はずかしめて、命乞いのひとつもさせてみたいと思った。
「やめよ、殺すなら殺せ。」
聞き取れないような細い、脅えて震え上がった声だったが、それでも強いものだなと感心した。
身体の数カ所に管を通し、ゆっくりと血を抜きりゅうの反応を楽しんだ。
青白くなった顔に紫色になった唇が美しかった。頬に赤みの差した愛らしさを思い出しては切なくなるのをみどり丸は楽しんだ。
りゅうの泳ぐ十二使徒の泉に手を浸し、一口飲んでみる。
「ん」
塩辛かった。
「海が?」
その瞬間春日みどり丸は泉に引きずり込まれた。
「あっ」
朱川には海水の交わる地点があるが、十二使徒の泉に届くまでに塩気はなくなる。
一時的にせよ、海と繋がっているのだ、この泉、生きてる。
ふわふわと水中で幸せそうに赤目りゅうが笑っていた。まるでエクスタシーにあるようにとろけるような顔だが上品だ。
深い。
海だ。
みどり丸は掴まれた足を見てみる。
なんだこの手は。赤黒く、鉤爪の黒い、太い腕。
手首には青い貝がらが見えた。赤い紐でぐるぐると巻き付いたそれ。
「お前はっ」
赤目かなめ。それと同じ顔をしていたか、九音字かなめ。
一度ならず二度までも。響いてくる声にみどり丸は応える。
「何がだ。」
何のことだ。
赤目りゅうを守れずに死なせた。
華山元業平の愛する人を奪った。
「それはすべてお主が人として弱いからよ。未熟だからだまされ、気付かず、愚かなのよ。」
かくも罪は重く苦しい。海中にあっても、この身は浮かない。
妻の絵留もここまでは潜ってこられない。
それなのにおれは幾度もここから転生している。何度も何度も、りゅうに償うために。
だんだんと、忘れていくのに。
淋しさ、悲しさ、悔しさ、憎しみ、それらが重くて離れてゆかない。
「暗い、だが白き城だ。」
そこには乙姫と呼ばれる美しい存在もない。
「鬼よ。云うだけ云うてみよ。わたしは聴いてやろう。いくらでも。鬼が云うは魂ぞ。あっはははは。」
時折、赤目りゅうのかけらの魂が、ふわりふわりと城を横切る。
にこにことした花のように。
それが鬼と化したかなめには尚更辛いのだった。
「賢く品のある子だったのに。」
「なあ、わたしの足首をいい加減に放さぬか。鬼よ。ここまで連れてこられたからにはわたしは逃げぬよ。」
中心に据えられた玉座のような椅子に春日みどり丸は座った。
「さあ話せ。龍宮に棲まう鬼よ。魂となるまで。」
春日緑丸がこの世に帰って来れたのは百年の後。まるで浦島太郎となった気分であったという。
「何さ、夢のようなひととき。」
十二使徒の泉はひたひたと水をたたえて今日も美しい。
ぐしゃりと、濡れた姿でみどり丸は岸に立った。
十二使徒円架のあだなはユダだった。
その名が首を吊った男を連想させるとかで。