硝子の血管
王国史以前に活躍のあった志能備集団はことごとく滅せられていた。
春日者と呼ばれる頭領筋に春日みどり丸と言う上忍があったが、彼は貴族に化けて色で食っていた。
若者の生き血を好み、悲鳴と涙に笑った。
この男、なぜか老けず死なず、咲市の不思議譚にも度々出てくるが主体が見えてこない。
十二使徒の泉譚で赤目りゅうを殺害せしめたのがこの春日なのだが、その後咲市の王都をさまよう赤目りゅうの亡霊のような存在を、ことごとくいじめ抜く春日なのであった。
赤目りゅうは殺された後も赤目のめし屋に住んでいた。大将のかなめと妻の絵留は、りゅうが死んでいるとも思っていなかったと春日は言うが。
親の心理からして、たとえ亡霊でも我が子ならば優しくしていたまでのことではないだろうか。
実際のところ、りゅうの霊はふわふわと家のあちこちにとまり、にこにこと家族を見ていただけなのだそうだ。かわいいものである。
せいじはいたたまれなくなって、後援者である大貴族の城にいそうろうするようになり、めし屋には近づかなくなった。
ある日みどり丸はかっきを見つけ出し、めし屋に一緒に来た。
「おお、りゅうの霊。」
すぐさまかなめはかっきを叩き出すと、みどり丸の存在に困った。
貴族に見えたからだ。
みどり丸は赤い血の付いた青い貝がらをテーブルに置くと出て行った。
ああああああああ
空回るような、風の音のような泣き声に絵留は脅えた。
りゅうが殺された時のことを思い出し怖がって泣いているのだった。
これ以後、りゅうの亡霊は赤目の家には出なくなった。
時代を経て演劇なぞ王都のあちこちで催すようになると、りゅうは現れた。時代遅れのくるぶしの出る着物姿なのですぐに分かったそうだ。
りゅうは本条ナオというスター役者がお気に入りで楽屋や舞台袖には大概居た。
本条ナオは食べることができない病気で、日に日にやつれていった。りゅうにはその原因は、ナオの幼い日にあることが見えていた。
本条ナオはぷっくりとした少年だったのを、入団を期にすっきりと細く衣装の映える姿を目指すようになった。
幼い日の記憶が、今の本条ナオの首に巻き付いていた。
食うな
食うなと言って、己で己の首を絞める絵図がりゅうには見えていた。
春日にも見えていた。
「おや、本条ナオには十二使徒の泉の亡霊が取り憑き害なしているよ。」
違う、違うと言うのに。
りゅうはナオの出演する劇場から追い払われてしまった。
みどり丸は本条ナオの過去を解き明かし、ナオが普通に食事が出来るようにしてやり信用を得た。
「うんうん。もう少し肉が付いたらお前は完璧に美しいよ。」
美しい貴族に見えるみどり丸と親密になってほめそやされて、守り育てられてきたナオはのぼせた。
みどり丸の誘いにふらりとかかり、生き血を奪われて殺された。
ナオの魂は一瞬であの世と同化した。
りゅうのようにさまよわないらしかった。
嘆き悲しむ亡霊であるりゅうの姿に、みどり丸は満悦していた。
ある時りゅうは貴族屋敷の姫の部屋に飼われていた。
不思議な力を持った姫で、柳の枝を編んだ柵でりゅうを囲い、霊水で養い姿を保たせた。
これらの話しも直接に姫がりゅうより聞き出したもので、姫が書き留めたらしかった。
絶世の美女と呼ばれる姫に、すっかりと赤目りゅうは酔っていた。その姫が愛おしそうにりゅうの姿を見やるので余計に切なかった。
姫は時折出かけて、帰りに必ずどす黒いような赤い梅の花枝を持ち帰った。
その血のような色に脅えるりゅうの姿に姫は少し喜んだ。
「かわいらしい反応をして見やること。ふふ、ふふふ。」
馬鹿にされたと感じて、りゅうは涙までこぼした。
その涙をかぎつけて奴が来た。
春日みどり丸。彼は今度はまじない屋として貴石で身を飾り、香を焚きしめやさし気な言葉で姫をほんろうした。
池神宗家の姫のおすみ付きとしてみどり丸は王宮にも出入りした。
朱王かなめの欲望を知ったみどり丸は、それを煽った。
美しいものや愛らしいものに心動かされ易い朱王かなめは、又みどり丸の言葉にも一々うなずいていた。みどり丸はたくみに政治を避け、あくまで余技にのみ口を出した。
臣下のものは主のものかと。
その日、池神宗家はたった一人の暴漢によりほろんだと言える。
九音字かなめは人とも思えぬ豪腕剛力の持ち主であったし、池神宗主は朱王と知ってあきらめた。
華山元正室よりも、朱王側室にと娘を送るのが正解だったのだ、と。
最後に姫はりゅうを入れた柳の柵を解いた。
さみしそうな瀬織姫の表情にりゅうは戸惑いながらも天に昇った。
池神の城の屋根ではみどり丸が待ちかまえていた。
「水晶玉にお入り、りゅう。」
必死でのがれようと宙を掻くりゅう。
あっ
りゅうの魂は粉々に割れ、一部はあの世と同化したし一部はみどり丸の持つ水晶玉に吸い込まれてしまった。
草木や池に、夜空にと赤目りゅうは散っていった。
招かれて、りゅうは池神瀬織姫の心の中へと入っていった。
姫は朱王の腕の中で脅えながらも心の中の赤目りゅうへと意識を向けて耐えていた。
「ふん。あじな真似を。」
みどり丸は水晶玉を十二使徒の泉へと飛ばした。泉の中へとりゅうは解き放たれて自由に泳ぎ回った。