傍にいる
「なんで、コイツが? 来奈やめろ!」
「もうやめてます。しかし、これは……」
雪那と来奈が後ろで言い合っていたが、俺にはそれを気にする余裕はない。
目の前には神谷が立っている。右手にはスーパーのビニール袋を思わせる袋を持っている。察するに買い物の帰りだとは思うが。
「どうして……、神谷がいるんだ?」
とりあえず口に出してみた。すると、神谷は困惑と怒りを露わにした。
「それは私のセリフよ。どうして、輿水君がここにいるの? ……まさかあの子がいるって言うわけじゃないでしょうね」
神谷は語気を強めて言い放った。
「あの子?」
「あの子はあの子よ。……こ、狛井智沙ちゃんのことよ」
後ろで「えっ?」という声が上がった。
「そんな……。じゃあ、あのおねえちゃんが瞳ちゃん?」
ちさが驚きの声が上げたが、神谷には聞こえない。ちさの姿も神谷には見えない。だが、俺の目には見える。確実にそこにいる。だから、否定してはいけない。もう神谷にはどう思われたっていい。これがちさを未練なく送ってやれる本当の最後のチャンスだ。
「ああ、ちさちゃんはそこにいる。俺の、……そして、神谷のすぐ傍に、いる」
俺は断言した。その言葉に嘘偽りはない。だが、神谷の顔は曇るばかりだ。
「そんなの、どこにもいないじゃない!」
「いや、いる!」
俺は神谷の手を引いて、ちさの下に近づいて行った。そして、目の前に立つ。ちさは困惑してオロオロとしていた。
「いないじゃん!」
まだ掴んでいる手をちさの顔に近づけた。ちさは目を閉じる。
「えっ?」
予期していなかったわけじゃないが、俺は冷静さを失っていたみたいだ。ちさは幽霊だ。俺は触ることができるが、神谷にはできない。俺の手はちさに触れると止まったが、神谷の手だけはちさの顔をすり抜けて真ん中で止まっていた。ちさは複雑な表情だ。
「輿水君はなにがしたいの?」
神谷は俺が掴んでいた手をさすりながら言った。
そうだ。俺は何がしたかったんだ? ここに神谷を呼び出して。ちさの見えない神谷を呼び出して。何がしたかったんだ? この後はどうすればいい?
プランは考えなかったわけではない。だが、考えても無駄な気がした。
「おにいちゃん……。震えてるの?」
俺の手はちさに触れたままで、ちさはその手を掴んでいた。鎖がついているせいで、ぎこちなく動くちさの手。おかしな感覚だ。さっきまでは冷たかったのに、今は本当に生きている人間のように温かく感じる。
この温かさを神谷は感じることができない。ちさの姿を認識させる方法がない。だが、俺がちさはいると伝えない限りは、神谷の中にちさは確実にいないことになる。
「神谷、散々言っているかもしれないけど、この俺たちの傍には……」
最期まで言葉を繋げることはできなかった。また昨日のように神谷は俺の胸倉を掴み、コンクリートの塀に背中を押さえつけた。
「本当に、ふざけないで! あの子はもうどこにもいないのよ。それに、君が私にこんなことをしても、もう何も変わらない。全くもって無意味なことなのよ!」
「それは違う。これは無意味なことなんかじゃない。神谷はここに来てくれた。俺のことをまるっきり信じなかったわけじゃないんだろ? ちさちゃんのことも、全く信じなかったわけじゃないんだろ?」
「違う! 笑いに来ただけ! 私は妄想に浸る君を笑いに来ただけ!」
じゃあ……。
「じゃあ、その顔はなんなんだよ!」
神谷の顔はクシャクシャになっていて、両目からは涙が流れ落ちていた。昨日、一昨日以上に泣いていた。
「瞳ちゃん!」
ちさは神谷の後ろから叫ぶ。けれども、当の本人には聞こえない。それがわかっていても、ちさは神谷の元に歩いた。それでもぎこちなく、鎖を引きずって、一歩一歩踏みしめるように。近づいて、近づけて、そして、両腕で抱きついた。