彼女の家
その日の放課後、俺たちはある家の前にいた。
「ここか……」
「そうです。ここが神谷瞳さんの家です」
家の表札には「神谷」とあった。閑静な住宅街にある一般的な家屋。それは、ちさのいた場所から歩いて二十分の位置にあった。
「さっさと入ったら?」
「言われなくても入るよ」
雪那の投げやりな声を耳にしながら、インターホンを押す。「ピンポーン」といった音が緊張と静寂を破るように響いた。
『……どちら様ですか?』
インターホンのスピーカーから女性の声が聞こえたが、神谷本人ではないようだ。声からして母親か。
「あの、僕は瞳さんと同じクラスの輿水和志といいます。学校から届けたいものがあってきました。瞳さん今いますか?」
少しの沈黙の後、『ちょっと待ってね』と、言われた。
「さすがにいきなりは無理なんじゃねえのか?」
「でも、これが最後のチャンスかもしれないんだ。なんとしてでも神谷には伝えたい」
「……そうかよ。まあ、なんにしても私は眺めているだけになるから、やってみな。やってみせてみろ」
雪那はやはり関係ないとでも言いたげな口調で言い放った。
「ちょっと雪那ちゃん、さっきからなんか、言うことなすこと和志君を突き放すような感じなんだけど、いったいどうしたんですか?」
来奈が近づいてきて耳元で言ったのだが、雪那に聞こえないように話したところで意味がない。俺の考えていることは雪那に伝わる。聞くということは、結果的に、無意識にも頭の中で考えるということになってしまうから、来奈の喋った言葉はわからなくとも、話した内容くらいは伝わってしまっているだろう。というか、もう既に俺達を睨んでいる。来奈はそれに気づいておらず、神谷の家の上の方を眺めているが。
「和志君、出てくるみたいですよ」
えっ?
来奈の言葉通り、家のドアが開かれた。そして、
「…………」
現れたのは神谷瞳本人だった。
ドアは段差の上にあるため、道路に立っている俺は見下ろされている形になっている。それも相まってか、神谷の目には少なからず敵愾心が感じられた。
無言の時間が流れる。ほんの数秒が、数時間も経っているように感じるほどだった。
「……入って」
消え入りそうで冷たく、かつすぐに壊れそうな声を聞いて、俺達は神谷の家へと足を踏み入れた。
玄関で靴を脱ぎ、廊下を神谷に続いて進む。階段を上がり、神谷の部屋へと通された。その途中で神谷の母に会い、一言挨拶をした。
「割と普通の女の子の部屋ですね」
神谷の部屋に入ったところで、率直な感想を来奈は述べた。雪那もそれに頷く。
確かに、普通だ。女子の部屋は、詩美と優実花、そして文香の部屋ぐらいしか見たことがないが。
ベッドに学習用の机にテレビに本棚。本棚の中身は小説でぎっしりと詰まっている。安直な考えかもしれないが、図書委員に立候補するだけあって本が好きなのだろう。俺の本棚とは大違いだ。それと部屋の隅には、美術部らしく絵の具のチューブや筆などの画材道具が、それぞれ整理されて置いてあった。
「……それで、なんの用? どうして私の家がわかったの?」
神谷から切り出してきた。その言葉には敵意しか感じられない。
俺はあわててカバンからあるものを取り出す。
「これ、昨日渡し忘れたノート」
二つ目の質問には答えなかった。無言で神谷は受け取った。そしてノートを一瞥すると、もう一度俺を睨む。
「それだけ? それだけの用で来たわけじゃないでしょう?」
さて、何から話せば良いのやら。
「まずは、あの新聞記事の弁明をした方がいいと思いますよ」
それもそうだ。あの新聞記事を俺の不注意で、神谷の目の前に段階を踏まずに出してしまったことが原因だ。元々、雪那や来奈と相談して決めたプランがあったのだが、それも全て台無しにしてしまったのであった。
「……これについてのことなんだけど」
鞄の中からコピーした新聞記事を取り出した。また神谷は無言でそれを受け取り、文字を目で追った。
「それで、輿水君はどうしてこれを持っているの? どうして……知っているの?」
毅然とした口調が崩れ始めてきた。
「お前、『幽霊が見える』、とか変なことを言うなよ。今、コイツの心は弱い。今度こそ頼みを聞いてもらえなくなるぞ。いや、もうお前の話はなにも聞かなくなるかもな。あっ、でもそうしたら、この問題はどうやって解決するんだろうね?」
「クックッ」と雪那は最後に笑った。やはり、観客席から眺めているような言い草だ。神谷が俺の話を聞かなくなる前に、俺がコイツの話を聞かないでやる。九割方。
「ああ、そしたら本当のことしか言わねえようにするからいいさ。あっ、この発言自体が嘘かもな」
「雪那ちゃんの戯言は無視して、本当のことを神谷さんに喋った方がいいと思いますよ。変なことを言って、嘘を言ってヘマをしたらいけないですし。それに嘘は、誠意を表していないと見破られますよ、今の和志君ですと」
そうか。そうだよな。本当のことは言った方がいいに決まっている。
「神谷……、変な話、いや、本当に信じられない話、ふざけてるって思ってくれてもかまわないから聞いてほしいことがある」
神谷が緊張の面持ちで身構えた。続けよう。