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あっちに行きな! こっちに来るな!  作者: 河海豚
第二章 残された幽霊
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帰宅危機

「……ただいま」

 家のドアを恐る恐る開けて、俺は顔を覗かせた。忍び入るように入るのは否めないが、朝の状況からは堂々と家に帰ることはできない。一応、「ただいま」と言って入ったわけだから、文句の謂れはない、という苦し紛れの言い訳もある。

 ドアを閉めようと、後ろを向いた。外には誰の姿もない。とどのつまり、騒々しいあの二人はいない、ということである。実のところバスで家の最寄りのバス停まで帰ってきたのであるが、バスに乗る前に来奈には

「ごめんなさい。ちょっと用事があるのを思い出して……」

 と言われて、どこかに行くのを見送ってから雪那と二人で(もちろん端から見たら一人である)乗り、バスを降りた後に残った方の雪那は

「ああ、そうだ。ちょっとその辺の様子見てくる。来奈はいないけど仕事だしな、パトロールっていうのも。え? それで霊を見つけたら、俺はどうすればいいって? ああ、その時は頼むよ。ちさと同じでさ。まあでも、見つからないと思うぜ。私の長年の感覚的にも、私に課せられた行動範囲的にもね」

 と言って、どこかへ飛んでいってしまった。

 というわけで、二人の姿はない。それを確認してドアを閉めると、その瞬間に「あっ……」という、零れたような声を聞いた。

 …………。

 俺は素直にゆっくりと振り返る。視線の先には詩美がいた。意表を突かれたような顔をしているが、どうやら風呂から出てきた後のようだ。紅潮した肌の色と頭に被せられたタオルがそれを物語っていた。そのタオルの隙間から見える明るい茶色の髪が適度に水分に富んでおりツヤツヤと光っている。

 しばらく見ていたのに気づいたか、詩美は「ジトー」とした違う意味で水分を含んだような表現の視線を投げかけてきた。

「た、ただいま……」

「…………」

 何かに気圧されているように感じてしまい言ってしまったが、その行為は間違っていたようだ。詩美の目が強いものに変わる。身体を射抜きかれない目で睨まれた。思わずこちらから目を逸らす。

 何をやっているんだ、俺は。

 しばらくすると詩美は(きびす)を返し、「トン、トン」と軽快でもなく、重い足取りでもない階段を上る音が聞こえた。詩美は二階に上がっていったようだ。

 不意に大きなため息が漏れた。だが、それが次の災難の呼び水となった。

「ひょっこり」

 キッチンの方の扉から、母さんが顔を出した。その様相は、ちさが電柱の陰から様子を窺っていた時と似ているが

「じぃー……」

 ……さて、何と言うべきか。俺の返答次第でこの後の俺に渡される処遇が決まるだろう。

「じぃー!」

「ああー! うるさい!!」

 俺は腕を払った。いつの間にか母さんは、俺が考えを巡らせている間に腕にまとわりついていたのである。

 しまった!!

 頭の先から足のつま先にかけて冷たくなっていくような感覚に陥った。対して母さんは

「カーズちゃーん。『ああー! うるさい!!』じゃないでしょう? その前に言うべきことがあるでしょう?」

 母さんは猫撫で声を出し耳元で囁く。耳から受け取った刺激が身体の至る所に行き渡り、身がゾクゾクと震えた。気持ちが悪い。それに反応するように、嫌な汗が流れ始めた。首が動かせない。

「ご、ごめんなさい!」

「何について謝ってるのかなぁ?」

 視界の外から正面に母さんは現れた。表情は、さっき扉の陰から覗かせていた時と全くと言っていいほど変わっていない。だから確実に怒っているだろう。俺にはそれがわかっているんだ。頭に「蛇に睨まれた蛙」という言葉が思い浮かんだ。実際、俺は微動だにできない、蛙のような状況だ。雪那や来奈がいないというのもほんの少し辛い。まあ、いたとしても助けにはならないだろうが。雪那は特にその通りだろう。だが、母さんと二人だけという状況よりは幾分かマシという考えもある。

 さて、無駄な考えに時間を浪費してしまった。打開策を考えよう。とは言っても、正直に言うしかないと思うが。母さんに嘘は通用しないからだ。さっさと朝のことを謝ってしまおう。

「んんー? まだ何か考えているのかなぁ?」

「いや、あの……、皿洗いとかすっぽかしてごめんなさい」

「……謝る気なら最初からやらないの。そっちじゃなくてねえ……、私がいつも言っていることがわからないの?」

 いつも言っていること? あっ……。

 母さんは「ハァ……」と、長い息を吐いて続ける。

「思い出した? いつも感謝の方を先にしなさい、って言っているでしょう? まったく……」

 そう言って頬を膨らませた。

 昔から家では口酸っぱく言われていたことだ。「感謝」と「謝罪」。同じ「謝」という文字が入るなら「感謝」の方をしなさい、と。この言葉は、誰かの受け売りだろうか。

 一度謝った手前、なんだか恥ずかしいのだが、

「弁当、ありがとう」

「うん! どういたしまして! ユミちゃんにもちゃんと言ったよね」

 母さんは無邪気な笑顔をした。とても四十を超えた大人とは思えないが、そんなことは口が裂けても言えない。


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