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あっちに行きな! こっちに来るな!  作者: 河海豚
第二章 残された幽霊
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オレンジ色のマグカップ

 どこに行ったんだ? うん?

 雪那と来奈の二人の姿を探していると、ちさが俺の持っていたジュースの間を両手で掴んだ。いや、掴んだように見えるだけだ。俺は何も感じない。

「何やってんだ?」

「へへーん、それはね……」

 ちさは何かを含んだような笑いを見せると、

「えい!」

 そのまま引き抜くように両手を上に挙げた。

 するとどうだろうか。

 俺の持っていたジュースはちさの手の中にあった。いや、実際には二つ存在している。俺の手と、ちさの手の中。両方とも蓋は開いているから、同じものなのだろうか。

「な、何をやったんだ?」

「へっ? 知らないよ」

 俺の疑問を気にすることなく、ちさはジュースを飲み始めた。

「プハア。……おにいちゃんは飲まないの? それ」

 ちさは顎で俺の持っていたジュースを示す。

「『みかん』ジュースじゃないし、『果汁百パーセント』でもないけどおいしいよ。まあ、こっちに来て飲みなさい」

 そこは引きずるのね。というか、なんで命令形?

 ちさは座って地面を手の平で「バンバン」と叩く。実際に音が聞こえたわけではないが、そんな感じだろう。俺はそれに従って、ちさの横に座った。

「ほら、早く早く!」

「……ったく、しょうがないなあ」

 ちさに勧められた通りに飲んでみた。だが、ここに来るまで一時間半かかっているわけで、ぬるくなってまずくなってしまっているが。

「それ、ぬるくないか?」

「うん? そんなことないよ。おいしいよ、すごく」

 ちさは首を傾げながら言った。俺の言っていることが理解できてないようだ。もしかして、ちさのジュースはぬるくないのか。

「なあ、お前……」

「ち・さです。ちゃんと『ちさちゃん』って、呼んでください、アホな顔したおにいちゃん」

「あのなあ」

 俺は立ち上がって、ちさを見下ろした。

「『アホな顔したおにいちゃん』じゃなくて、俺にも『輿水和志』っていう名前があるんだよ。わかったかよ、ちさちゃん?」

「ちさちゃん?」の部分を皮肉っぽく言ってみたが、満更でもない様子だ。むしろ、「ちさちゃん」と名前を呼ばれたことに喜んでいる。微笑ましい光景である。

「でも、雪那のおねえちゃんはおにいちゃんのことを『アホな顔したおにいちゃん』って言ってたよ? 本当にそうじゃないの?」

 言い終えると、ちさはまたジュースを口にした。

「いやいや、そのあとにそのおねえちゃんが俺の名前呼んでたし。……というか、ちさちゃん。そんなに俺の顔、アホに見える?」

 小さな頭を傾げながらひとまずジュースを飲み終えると、ちさは「うん!」と言って大きく頷いた。それも、キラキラとした効果のつきそうなほどの無邪気な笑顔で。あまりの精神的ダメージに心が打ちのめされそうになったが、グッと堪えた。

 さて、何の話をしていたんだっけ?

「そうだ。本当に、その、さっきの、ジュースを二つに増やした、みたいなやつはどうやったんだ? わかるか?」

「うーん」と、腕を組んで考え込むちさ。

 ジュースの缶は地面に置かれていた。だが、それにも影はできていない。触ろうとしたが、やはり触ることができないし、感触すらない。まさに、空を掴むような状況だろうか。

「やっぱり、わからない?」

「うーん……、うん。やろう、って思ったらできたわけだし。うーん……やっぱり、わかんない」

 ちさは頭を振った。思わず、ため息が漏れた。やっている本人ですら「どうやったかわからない」、と言うのだ。来奈や雪那がいれば話が別だが、その二人の姿が見当たらない。このことについては、後で訊いてみよう。

 もう一度ジュースを飲む。やっぱりぬるい。「人肌」といった何とも言えないぬるさであり、何よりもまずい。果汁が少ないのも原因だろうか。顔を歪ませていると、ちさが下から覗き込んできた。

「あのさ……、おにいちゃんって……死んでるの?」

 恐る恐るちさは尋ねる。突然のことであったが、俺は驚くことはなかった。

「うん? 俺は死んでないよ」

 俺の発言にも、ちさに驚いた様子はない。さっきの質問には確認の意味が込められていたようだ。

「じゃあ、どうして生きてるのに、私みたいに死んでる人が見えるの?」

 ちさは首を傾げる。

「えっと、それはだな……」

 理由はわからない。

 物心ついた時にはもう既に、それも今よりも見えていたが、そこまで真剣に考えたことがなかった。見つけられる幽霊も経験上限られているみたいで、見える幽霊と見えない幽霊がいるようだ。それに、ここ数年は専ら、幽霊に出会わなかった。

 答えが見つからないのは、俺もちさも同じのようなものだろう。

「さあな。……神様がくれたりでもしたんじゃないのか?」

「神様、ですか……」

  俺は適当なことを言ったつもりだが、ちさは俯いて考え込んでしまった。そして、顔を俺に向けて続ける。

「私が死んじゃったのも……、その神様のせいなのかな?」

 今までの無邪気な笑顔からは考えられないほど、暗く、指ひとつ触れようものなら簡単に壊れてしまいそうな悲しい表情。そんな顔でちさは、立ち尽くす俺の顔を見上げていた。ちさにかけるべき言葉が見つからない。これは生きている者と死んだ者の差、超えてはならないことがあるのだろうか。

「私、生きている時のことって、よくわからないんだよね。気がついたらここにいて、なんでここにいるのかもわからないし」

 ちさは、生前のことを覚えていないらしい。幽霊というのはみんなそうなのだろうか。雪那もさっき、生きていた時のことを覚えていないと、同じようなことを言っていた。いや、でも朝に会った中年の男の幽霊は、家族のことを覚えていたし、俺が昔会った幽霊も大体が覚えていたように思える。とすると、幽霊の中でも個人差があるのだろうか。そして、その理由もあるのだろうか。

「……そうだ」

 何かを思いついた様子で、ちさはショルダーバッグを身体の前に持ってきて手を突っ込み、何かを取り出した。すぐに見つかったのか、手の動きに迷いはなかった。

「こんなのが鞄の中に残ってました」

「なんだ? それ」

「マグカップみたいです。……め、どう、ちゃん?」

「たぶんだけど、ひとみちゃん、じゃないか?」

 ちさが握るのは、オレンジ色のマグカップ。取っ手の部分には、マグカップより淡いオレンジ色のリボンがつけられていた。側面の中央には「瞳ちゃん」、と曲がっている形状であるマグカップに書くのには慣れない字である。特に「瞳」の部分はまだ書いたことのない漢字のようで、「へん」と「つくり」が独立しており「目」と「童」に見えるように書かれていた。

 リボンと名前から察するに、このオレンジ色のマグカップはこの「瞳ちゃん」とやらに贈るつもりだったプレゼント、のようなものなのだろう。

「このみかん色は私の好きな色なの。それは覚えているけど」

「オレンジ」色もとい「みかん」色のマグカップを、ちさは地面の上に置いた。

「私、この『瞳ちゃん』ってのが誰かわからないの。どこかで会ったような……、そんな感じはするんだけど」

 ちさは頭を抱えると、ふるふると振った。

「わかんない。わかんないよ!」

「オイ、落ち着けって!」

 俺は屈んでちさの肩を掴んだ。

 掴んだ?

「……えっ?」

「……どうしたの?」

 驚いている俺に対してちさは落ち着きを取り戻していた。

 ボンヤリとした個体とも液体とも気体ともいえない何かを掴むような感覚。しかし、確かに俺の手には感じられた。俺はちさという存在を触覚として感じていた。


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