オレンジジュース
「もうすぐ着きますよ」
俺の前で先導するのは着物を着た少女。来奈だ。もうひとりの金髪の少女、雪那はその後ろを浮きながら付いてきた。来奈は普通に歩いている。しかし、さっき「窓の外から覗いてました」とは言っていたから、来奈が浮けないというわけではないのであろう。
結局、隣町まで来た。さっきいた公園からは二時間もかかってしまう距離である。
「……ついてこいって、……すぐ近くだとおもっていたのに。……これじゃあ、バス使った方が早かったし、こんなにも疲れなかったじゃねえか!」
「うるせえな! てめえがちんたら歩くからだろうが!」
「ちんたら歩くのは、先に行く来奈が遅いからだろう! それと、先に行き先を教えてくれればよかったじゃないか」
俺は来奈を指差して言った。先を行く来奈はキョトンとした表情を向けてきた。
「はあ!? んなこと、来奈がてめえに合わせて歩いているからに決まってんだろうが! てめえも浮いて行けよ、コノヤロウ!」
雪那は詰め寄ってきて怒鳴るが、それは人間として無理な注文だ。
しばらく言い争っていると、来奈が迫ってきた。初めは呆れ顔プラス苦笑であったが、
「……いい加減にしないと、……怒りますよ」
近づいてくる今となっては、その笑みから鬼の形相が滲み出ているのがわかる。
素直に素早く謝るのが先決だ。
俺が無言の提案を雪那に持ち掛ける。それに同意するように、雪那は首を縦に振った。
せーの、でいくぞ。せーの、
「「すみませんでした!」」
「まるで打ち合わせをしたかのようなタイミングの合わせようですね。というか、絶対打ち合わせしましたよね、それ?」
「まあ、いいでしょう」と言われ顔を上げた時、来奈の巻く帯の隙間から短刀の木目が見えたが、これは気にしないでおこう。
雪那も目を背けた。俺の考えは筒抜けだからな。
雪那は来奈の横に飛んでいった。
「それで、どこにいるんだよ、対象の霊ってのは」
「それはですね……、ええっと、確かこの辺に……」
対象の霊?
俺が考えを巡らせていると、肩に掛けた鞄が少し重くなったように感じた。鞄の端がつままれているような、そんな感覚。
「うん?」
振り返る。なにもない。それに、肩に掛かる重さも元に戻っている。いったい、なんだったんだろうか。
「どうした? いきなり立ち止まって」
「……いや、なんでもない」
先に進んでいた雪那と来奈がこちらに向く。しかし、それ以外の視線も俺は感じていた。
いや、「感じた」というよりも、
「探しているのって、……アレのことか?」
もう既に見えていた。
二人は俺の方に向けていた視線を俺の指す先へと移す。そこには電柱があり、その陰から一人の少女が身体を半分だけ出して、ジッとこちらを窺っていた。
半分見えているだけでもわかる。その少女の身体は、輪郭が不鮮明だった。おそらく幽霊だ。しばらく見つめていたら、その少女は何かを見つけたような、パッと輝いたような顔になる。
「あっ! おねえちゃん!」
おねえちゃん?
俺が首を傾げていると、その少女は電柱の陰から出て、一直線に駆けてきた。
女の子らしいショートの髪型だが、頭頂部の正面から見て右でオレンジ色のゴムによって束ねられ、ひょっこりと植物が生えているような髪、それと肩から掛かっているオレンジ色の小さなショルダーバッグが印象的である。顔は、前屈みになって走ってきているためよく見えない。
「わわっ!」
少女はそのまま来奈に抱きつく。抱きつかれた張本人である来奈は、珍しくうろたえるような声を出し、助けを求める視線を投げかけてきた。もっとも、「珍しい」とは言ったが、俺自身この二人には今日初めて会ったわけであるため、ここ数時間の来奈を見ての評価ではあるが。
「オイ、来奈。どういうことだよ」
「ええっと、実はですね。先程この子と会った時に、何故か知りませんが懐かれてしまったみたいで……」
雪那の問いに、来奈は苦笑いを浮かべて答える。だがその表情とは裏腹に、来奈の手はさっきから、抱きついている少女の頭を撫でていた。少女もそれを受け入れており、光悦な表情をしていた。
こうして見てみると、この二人は姉妹のようだ。少女の顔立ちや仕草は来奈より幼く、年齢は小学校の中学年かというほどだ。背丈は頭一つ分違う。「幼い」とは言ったが、比較対象である来奈がその容姿に相反して言動などが大人びているため、少女の話し方がよっぽど幼く見える。
しばらくすると俺と雪那がいるのを思い出したのか、キョロキョロした。
「おねえちゃん、……この人達だれ?」
そして、交互に指を指される俺達二人。
「午前中に話したよね。私のお友達を連れてくるって」
「うん、そういえば。じゃあ、この大きなおにいちゃん達は、おねえちゃんのお友達なの?」
少女は、来奈から離れて尋ねる。そこに、雪那が近づいた。
「私はこの来奈の友達の雪那だ。それで、あっちのアホな顔して突っ立っているのが……和志だ」
「誰がアホな顔をしてるって!」
すかさずツッコミをする。
「アハハ。おねえちゃん達おもしろいね。わたしも自己紹介してもいい?」
「いいですよ」
来奈に許可をもらうと、少女は「キャッキャ」と楽しげな声をあげながらクルクルとその場で二、三回転し、止まった。意味のない動きだと思うが、少女にとっては面白く感じているのだろうか。ただ、片足が地面から離れて転びそうになっていたのは危なく、俺自身冷や冷やした。
「おっとっと、あぶない、あぶない。……えーと、狛井ちさです。」
少女――狛井ちさは笑った。
「和志君、アレを出してください」
「あれ? ……ああ、アレね」
俺は鞄の中に手を突っ込んだ。そして、目的の物をちさの前に出す。みかんジュース。公園を出た直後に、公園近くのコンビニで買ったものだ。缶タイプのものである。
ちさの顔は、それを見てひと度きらめいたかと思うと、すぐに顔を伏せ、陰を落とした。
「これ……、違う……」
ちさは頬をふくらませる。
「な、何が違うんだ?」
「おにいちゃんのそれはオレンジジュースで、みかんジュースじゃないです! それに、果汁百パーセントじゃないとイヤ!」
俺はジュースのパッケージを確かめた。中央に大きく「爽快! オレンジ!」の商品名と、その下には「ぎっしり! 果汁六十五パーセント!」の文字。どこが「ぎっしり!」なのか。ちさの希望は「果汁百パーセント」の「みかん」ジュース。
「……じゃあ、いらないんだな?」
「いります! いります! イジワルしないでください! ふたは開けてください!」
「……ったく」
ちさは両手を広げていた。俺も蓋を開けてから、渡そうとして手を伸ばしたが、ふとしたことが頭をよぎった。
……相手は幽霊だぞ。どのように渡せばいいかわからない。
「来奈、どうすれば……って、あれ?」
さっきまで後ろにいたはずの来奈は、いつの間にかいなくなっていた。ついでに、雪那の姿もない。