チョークミサイル
「問題は――」
岡部は問題を告げる。
俺が立ったまま焦って教科書をめくっていると、「この前の授業の最後で言ったぞ~」という言葉を岡部は飛ばした。
「ああ、それはだな……」
雪那は浮いたまま素っ気なく答える。今言ったものが正解なのか。前の授業の後半は呆けていたのであまり覚えていないが、今の俺は危機を回避するためなら藁にもすがりつく思いだ。
「えっと……」
俺は雪那に教えてもらえた通りに答えた。
「……ふむ。ちゃんと聞いていたみたいだな。遅刻の原因は勉強のし過ぎか? 座れ」
岡部は認めたくないのだろう。俺が前の授業をほとんど聞いていないのを気づいているはずだ。長年の教師の勘というやつだろうか。
嫌味を言うような口調の後、授業を再開する。俺はそれに従い席に着いた。
「私のおかげで助かったようだな。感謝しろよ、この雪那様に」
うるさい。どうして雪那様はわかったんだよ。
「その言い方。いや、口に出してないから『言い方』じゃなくて『思い方』か? まあ、どうでもいいや。それは私をバカにしている感が否めないんだけど……。しょうがない。どうしてわかったか教えてやろうか」
もったいぶるような言葉に俺は思わず息を飲んだ。何か、重大なことを告げるような雰囲気だ。そして雪那はそのまま、もったいぶるように続ける。
「それはなあ……、前の奴のノートを見たんだよ」
…………ハア!?
雪那は「これでどうだ」、とでも言いたげな顔で俺の周囲を漂う。それに対して、俺はあまりにバカげたその答えに期待したことを後悔し、実際にしゃべっているわけではないが、少しの間言葉を失っていた。
数秒後、我に返ると一つ思いついたことがあった。今、この空気を打開するためには、これを言う必要があるだろう。
「そうだな、言ってみろ。いや、しゃべれないか。……思ってみろ」
雪那はつまらなそうに自分の髪をいじっていたが、パッと表情を変えた。
じゃあ、もう一人の来奈って方もお前みたいに心を読めるのか?
俺が用いたのは、ただ単に話を変えるという手だ。
「いや、来奈にはそんなことはできない。……処女だからな」
「ブフォッ!?」
思わず咳込んで噴き出してしまった。考えの斜め上を行く回答を雪那は言った。俺が噴き出した瞬間、白の長細い物体が一直線に飛んできた。よくは見えなかったが岡部の飛ばしたチョークのようだ。それが俺の机に当たり、破片が飛散する。表面が茶色だった机の一部分が白の粉塗れになった。
余談だが、岡部がチョークを飛ばす技のことを、俺たちは「チョークミサイル」と呼んでいる。その気になれば百発百中という話からだ。
「輿水、そんなに私の授業を邪魔したいのか? それとも構ってほしいのか? また問題を当ててほしいのか? え!?」
「ゲホッゲホッ……。いえ、そんなつもりでは……」
「なら、黙って受けてろ!」
不意にゲラゲラと笑う声が頭上から聞こえた。雪那が腹を抱えて爆笑していた。
誰のせいだと思っているんだよ、コノヤロウ。ふざけるのも大概にしろよ。
「アハハハ! いや、やっと期待通りのリアクションをしてもらえた、って思ってさ。まあ、さっきのは冗談なんだけどね」
浮いていた雪那は前の席の楠君の頭に乗って足を組んで続けた。とはいっても、乗られている当の本人は全くそれを感じられていないため、正直な話、実際に乗っているとは言い難いが、なんとも楠君が不憫だ。
「私達はさあ、こんなことをする前の記憶がないんだよ。もちろん、死ぬ前のことなんて全くと言っていいほど覚えていないしな。……オイオイ、そんな暗い顔すんなよ。勝手にセンチメンタル浸ってんじゃねえぞ。別に、私達自身そんなに気にしていないし。まあ、記憶がない方が便利かもな、この仕事については」
聞いている限りでは、なかなか重い話のように思えるが、雪那はあっけらかんとしている。吹っきれたのか、割り切っているのか。そんな様子が見受けられた。
「あーあ。学校を探検するのも飽きたし、お前をいじるのも何かつまんなくなったしなー。とりあえず、来奈の所に戻るわー」
雪那は熱しやすく冷めやすい性格のようだ。
ああ、早くどっか行け。
「……じゃあな」
雪那は手を振って座った姿勢のまま、乗っていた生徒と床をすり抜けて消えた。その動きが早かったため気のせいかもしれないが、床に消える寸前最後の見せた顔が、すぐ壊れてしまいそうな、雪那が内に秘めている弱さを感じた気がした。俺はどうかしたのだろうか。雪那をそのように評価するなんて。
自分でもわからないうちに乗り出していて、その床を覗いている。
「お前はそこまでして私の授業を受けたくないのか」
「へ?」
岡部の一声によりそちらに顔を向けると、岡部から放たれたミサイルのような白のチョークが額に当たる。
「グハッ!?」
チョークの砕ける音と同時に、六時限目終了を知らせるチャイムが鳴った。