一心同体
「――――この時代には」
今は六時限目。世界史の授業である。黒板の前では、このクラスの担任である岡部が説明をしている。年齢は六十手前と定年間近。眼鏡をかけて、普段は見るからに柔らかい物腰で、生徒からは岡ちゃんと呼ばれても怒らない程であるが、授業中はその表情は急変してもの凄く怖くなる。昔は常時そのような表情で有名な熱血教師だったという噂があるらしい。去年の担任もこの人だったが、初めはその普段と授業中のギャップに驚いた。しかし不思議なもので、ひと月ほどで皆慣れてしまう。だが、それでもこの人の授業で眠ることはなかった。あくまでも眠ることだけであって、外を眺めたり、呆けていることはあるのだが。ちなみに、この人は最近になって白髪が多くなってきたのが、今の悩みらしい。
岡部がチョークを握って黒板に文字を書き始める。それをノートに書き写そうと顔を上げたその時だった。
「よお」
「わあっ!?」
机から金色の髪をした人の頭が生えてきた。雪那だ。俺は情けない悲鳴をあげて椅子の上から後ろに転げ落ちた。そのまま頭を教室の後ろのロッカーにぶつけた。痛みに頭を押さえる。盛大な声と音を出したせいもあり、また全員の視線を浴びる。ざわざわと騒ぎ出した。
「オイ、輿水、遅刻したうえ、なにか悪夢でも見たのか?」
「先生、俺が寝ていた前提ですか!? というか、遅刻したことは、今は関係ないような気がします!」
岡部とのやりとりでクラスに笑いが生まれる。だが、俺の気にすることは、今はそれではない。俺の机の上では、雪那が横向きになって寝そべるように浮いていた。
どうして浮いているんだ?
「どうして浮いてるんだ、って……それは、私が霊だからに決まっているだろ。一般的に考えるとさあ」
当然のように雪那は言うが、
こいつ……今、俺の思ったことに答えなかったか?
「あっ! そういえばさっき言うタイミングを逃していたんだったな。そうそう、私は和志、お前に取り憑いたからな。いわばお前と私は一心同体、いや、私にちゃんとした身体はないから、一心異体? いや、そもそも心が同じじゃないから異心異体? じゃあ一心同体ってどういう状態だ? まあ、どうでもいいか。……とりあえず早い話、お前の考えていることは手に取るように私にはわかるんだよ」
なるほど。にわかに信じがたいが、俺の考えていることがわかる以上、本当のことなんだろう。
そういう理屈なら雪那の考えていることもわかるはずだ。なのに、俺には雪那の考えていることはわからない。どうしてだ?
「ハハハ。私はお前に考えていることを知られるほど軟弱ではないぞ。探っても無駄だ。そうだな……お前は年下好きのロリコンなんだろ? なあ?」
俺にそんな趣味はない。どっちかというと、年上好きだ。それよりも、声に出さずに話すことができるのは便利だが俺のことだけがわかるなんて不公平だろ。
「知ってるよ。別に知りたくもないのにさあ。まあ、お前が何か面白い反応を見せるか楽しみだったのになあ。さっきみたいに。あと、私だけがわかることが不公平だって? 知らないよ、そんなこと。お前も隠せばいいんだよ。やり方は教えないけどな」
雪那は俺の周囲を漂いながらケタケタと笑う。
そういえば、もう一人の方はどうしたんだろう。
「もう一人? ……ああ、来奈のことか。来奈ならさっき、学校の中を探検するとか言っていたな。私も付き合ったんだけど、つまんなくなってお前の所に来たっていうわけ」
ようするに、暇潰しというわけか。そのだしに使われるとは不本意である。このように注目を浴びているということもあるからな。
「輿水、早く座れ。……いや、ちょっと待て」
椅子を元に戻して座ろうとすると、岡部は右手を俺の方に伸ばして制した。
「ちょうどいい。座る前に問題出すぞ」