優実花とユート
職員室に行ったついでにいろいろ手伝いをさせられ、そのせいで時間を食っていると担任の先生に見つかり、ありがたいお叱りを受け教室に戻ったのは、昼休みが始まって二十五分が経った頃だった。月嶺高校は四時限の授業のあと、四十五分の昼休みをはさみ、五、六時限目、そして時々、七時限目がある時間割となっている。
教室に着き、散々な重さの荷物を持ったせいで上がらなくなった腕を使って何とかドアを開くと、黒い壁のようなものが立っていた。
「おいおい、和志さんよぉ。今日は随分と遅いご到着で?」
頭の上の方から声がする。
「さて、昼飯の時間だ」
「オイ! 冗談だって! 無視すんなよ……」
「ああ……。ユートいたのか。デカすぎて見えなかった」
「いやいや、意味わかんねえよ!」
華麗かつ豪快なツッコミを見せる目の前の黒い壁のようなものとは、高身長、俗に言うガッチリ体系の男子生徒――佐伯優斗である。今、俺の呼んだ「ユート」とは、彼のあだ名だ。この理由はもちろん優斗が「ゆうと」と読めるからである。彼とは中学からの仲で、なぜか中学一年から今年高校二年まで同じクラスという不思議な縁を持っている。
「で? 何? 俺が来るのを待っててくれたのか?」
「ああ。まあ、それもあるけど。その前に見てみろ、お前の席」
ユートは右手の親指を立てて後ろを指し示す。俺はユートの横から覗いた。
俺の座席ひとつ前の席の椅子の上には、腕を組み、脚も組んで焦れったそうに俺の座席の方に身体を向けている女子生徒がいた。まぎれもなく宇田川優実花だ。華奢な体つきに、髪型は黒の左だけサイドポニー。パイナップルの頭のような感じがするが、それを口に出すのはやめておいた方がいい、と俺は周りに忠告している。なぜなら、俺自身一度言ったことがあり、それが原因でボコボコにされてしまったことがあったからだ。
それはいいとして、今の座り方でなければ、見た目だけは清純そうに見える。本当に見た目だけだが。なぜか目を閉じており、「誰も近寄るな」、とでも言わんばかりの黒い空気が周辺を漂っていた。実際、優実花の近くには生徒はいない。皆がその空気を感じ取っていたようである。
「優実花はなにやってんだ?」
「知らねえよ。俺が知るわけがないだろう? 朝から何言ってもあの様子だよ。俺の話を聞こうともしない。んで、和志が来てからのあれはビビった。なあ和志、お前、優実花に何かしたのか?」
「さあ、心当たりが……」
ある。おそらく、なにも言わずに早く出ていったことに怒っているのだろう。だが、あれは仕方のないことだし、もう罰は十分受けたと思っている。
俺は近づいた。ちょうど俺の座席の後ろ、優実花の正面に立つ。後ろから恐る恐るユートも隠れるようについてくる。無駄にデカい図体のため、実際に隠れることができるわけではないのだが。
「あのー。……優実花さん?」
俺が声をかけた瞬間、目をバッと見開いた。
「あっ!! 遅いよ、和志!」
相変わらずの割れるかのようなハイテンションボイス。周りに丸聞こえのようで、クラス内の多くの生徒が振り向いた。
「いや、俺が先生に頼まれていたの見てない?」
「それに、なんで朝早く行くのよ!」
無視された。話を聞かないまま、優実花は続ける。これはいつものペースだ。
「行くなら行くって言ってよ! いつもの時間までに来なかったから和志の家行ったんだけど、おばさんに『早くに出て行ったよ』、って言われたんだから!」
話を聞かないし、止めもしない。これは逃げるしかない、と俺は思った。
「そういえば昼飯なかったな。じゃあ、ユート。後は任せた」
「オイ!」という、ユートの声に心の中で合掌をしながらその場から離れようとしたが、何者かに手を掴まれた。見ると、右腕を優実花に両手でがっしりと押さえられていた。
「えっと、優実花、なに? 俺、昼飯買いに行きたいんだけど」
俺が尋ねると、優実花は無言のまま手を離して後ろを向き、何か見覚えのある袋状の物を取り出す。俺の弁当が入った袋だ。得意げな顔で俺の方に突きだすと口を開いた。
「これ! 私が持ってきたんだよ。和志が忘れていったからね、っておばさんに頼まれたんだから」
「ああ、それはサンキュー」
俺は受け取ろうと手を伸ばしたが、優実花はその手から遠ざけるように弁当袋を動かした。不敵な笑みを浮かべている。悪いことを考えている時の笑顔だ。
「あれー? 和志、今何か言った? 全然聞こえなかったんだけど。ねえ、ユート」
ユートはその声に大きな身体をドキッと震わせた。当惑した表情で、俺と優実花を交互に見る。どちらの味方に付くべきか迷っているようだ。だが、そんなことに構っている余裕はない。できるだけ早く俺の弁当を確保することが先決だ。昼休みが終わってしまう。
「何がしたいんだよ、お前」
「女の子相手に『お前』はないと思うよ。それにお礼はちゃーんと言わないと。和志のお礼には、感謝の心がこもってないんだよ!」
優実花は人差し指で俺を指した。実に面倒臭い話だ。しかし、ここで折れないでいる時間の余裕はない。
「はあ……。ありがとうございました、優実花様。このご恩は忘れません」
「そこまで言うのなら、渡して進ぜよう」
「ハハー」と、俺は跪いて、弁当を受け取った。同時にクラスメイトの「うわあ……」という声と侮蔑の視線を全身に受け止める。悲しみの涙をこらえながら、俺は立ち上がり席に着いた。
「……それで、結局、優実花も俺が来るまで昼飯食べるの待っていた、っていうわけか?」
「それは否定しないけどねぇ。あっ、ユートも早く座って座って!」
優実花はユートに向かって手招きをする。それに促されるままに俺の隣の席の椅子を取り出すと、ユートは俺の座席に寄った。三人が同じ机でそれぞれ弁当を広げる。
「……にしても、二人して俺を待っていた、って……お前らほかに友達いねえのかよ!」
「いやいやいや」
「和志に言われたくはねえよ」
二人に連携してツッコまれた。見事なコンビネーションである。実に清々しい。
「まあ、私としては和志とユートと一緒にいた方が楽しいしね。あと……ほら、なんかもうグループとか決まっちゃってるみたいだし」
優実花は振り返って教室を見渡した。その視線を俺とユートは追いかけた。新学期が始まって、もう三週間経っていたこともあり、ほとんどの生徒がちょうど新しいクラスに慣れた頃だろう。さすがに派閥とかいう殺伐とした非現実なものまではいかないが、クラスの中にグループが生まれていた。グループと言っても昼食を一緒に食べる時や移動教室の移動時程度のことであるが。これは、よくある話だと思う。
「いいんじゃないか? 別に。優実花が楽しい、って言うなら。まあ、去年もこの三人だったわけだけど」
ユートは苦笑いをした。優実花とユートとは、中学からの仲もあり、高校に入って一緒のクラスだった一年生の頃も、最初から最後まで昼食や行事など行動するときは、いつでもこの三人だった。だからといって、別にそのほかのクラスメイトとの親交がなかったわけではないが。
「うっ……。弁当がこの量なら、やっぱりパンを買うんじゃなかったかな……。そうだ!和志、私のこのメロンパン買って食べてよ!」
「なんでだよ……。って、オイ! これ食べかけじゃねえか!」
「いいじゃん、別に! 五百円でいいからさ」
「さっきここに帰ってくる前に購買で見たけどな、これ二百円だったぞ! なんで五百円なんだよ!? 三百円はどこから出てきた!?」
「えっ? そんなこと、私が一口食べたからに決まっているでしょう? ほら、三百円で私と間接キスができると思えばいいじゃん!」
優実花は「当然でしょう?」とでも言いたげな顔であった。
「ははは……」
「なに意味のわかんねえこと言ってんだ! ユートも苦笑いしてんじゃねえよ!」
いつもと変わらない、騒がしい昼休みが過ぎていった。