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0時  作者: 野村草太
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8.16まな板の上の鯛

 招き猫。門松。ウサギの尻尾。茶柱。777。この世の中には多くの幸運の徴や、めでたいものに溢れていて、特に日本という国には多い。おめでたい席で必ずといっていいほどにふるまわれるのは、鯛だ。そう、自分のこと。

 遠い海の底でぼけっとしていたら網にかかり、引き上げられてしまった日のことを思い出す。後悔ばかりが胸をよぎる。鯛だけど。

 あの日は朝から良くないことの連続だった。思えば、水揚げされてしまう予兆だったのだろう。朝は卵焼きを焦がしてしまったし、娘に挨拶しても返してくれなかった。まあこれはいつものことか。ネクタイを締めるときも一回では上手くいかずに結びなおしていたし、ハンカチの洗濯も忘れてしまっていた季節のために、水の流れがいつもと違うことを忘れていてホタルイカを取り逃してしまったし、帰れば妻が目の前で釣り針に吊り上げられるところだった。よりによってエビに。しかも冷凍のエビだ。冷凍のエビといえば私の父も吊り上げられたもの。ずっと聞かせてきたのにこんなものに吊り上げられる妻に落胆を覚えながら、同時に妻を失った悲しみを感じていた。

 しかし悪いことはそのままでは終わらなかった。この辺では殆ど見かけないはずの、クジラがやってきてしまったのだ。クジラというのは凶悪なやつで、人間にとっては基本的に温厚なものかもしれないが、私たち魚にとってはそんなことはない。オキアミがあれば私たちは食べるし、それを狙ってくるクジラがきてしまえば、一緒に食べられてしまうこともあるのだから。

 もちろん、長い間海を生きている私にはクジラの気配を感じられたし、仲間の鯛に注意を呼び掛けて逃げることもできた。しかし、若い娘たちはそんなことはなかった。娘とその友人たちは、私たちの必死の呼びかけも聞かずに、こんなにあるなんて逃げるなんてありえないんですけどーなどと言いながら食べ続けた結果、クジラに一緒に飲み込まれてしまったのだ。いくらかの鯛たちは、水を吐き出すのと一緒に逃げることもできたみたいだが、私の娘はついぞ戻ってくることはなかった。

 失意のままに私は家に戻ってきた。とはいえただの岩礁、岩場だが。鯛なんだからちゃんとした家があるわけがない。しかしそれが運のつきだった。ちょっと休んだすきに私の身体は引き上げられ、物凄い力で水から揚げられ、気づけばあれよあれよといううちにまな板の上だ。まな板の上は鯉の専売特許ではなかったのか。美味しくないから鯛に変えようとでもいうのか。それなら鯛よりももっと安価で美味しくて大量に手に入る他の魚があるのではないだろうか。もちろん鯛が美味しくないというわけではないし、美味しさには自信があるが、そういう問題ではないのだ。いや、めでたいから鯛なのであって他の魚ではいけないのだろう。だからこそこうやって今、さばかれようとしているのだろう。どうせなら鯖をさばいてくれれ――――

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