7.31青い鳥
「お前はかわいそうなやつだよ」
突然そう言った横顔には、心底憐れむような色が見えていた。
彼と出会ったのは、この部屋でボクと一緒に暮らしている小さな女の子が、彼を連れてきてからだった。黒くつやのある毛は、耳の先から尻尾の先まですらりと伸びていて、夜から抜け出してきたかのように美しい。
そんな彼にかわいそうなやつだと言われて、ボクは少なからず傷ついた。
「お前は自分の置かれている状況がわかってるのか?」
彼はボクの目を覗き込みながら訪ねる。ボクは小さく首を横にふる。声を出すのは、なぜだか怖かった。彼は諦めたようにボクに背を向けると、部屋の隅でぐぐぅっと伸びて、寝息をたてはじめた。
この部屋には、西と東に窓があり、南に扉がある。北側にはベッド。洗面所やトイレも一緒に作られていて、部屋の中だけで生活をすることができる。部屋の真ん中にいれば、年中風が通って心地いいし、時々やってくる鳥たちと話すのは、中々に楽しかった。
しばらくして、夕日が部屋に差し込む頃、女の子が起きだした。まだベッドでもぞもぞとむずがるようにして寝返りを打っているが、起きるのは時間の問題だろう。波打つ金の髪と、エメラルド色の瞳はいつだって小さな世界を映して楽しそうに輝いていた。
「んー、よし!」
掛け声と共に、布団がめくれ上がる。夕日に照らされた横顔は、まだどこか眠そうだったが、起きる意思はあるのだろう、目をこすりながら近くの洗面所で顔を洗う。
「おはよう」
ニッコリ、という言葉がこれほどまでに適切だと思うのは、これから先、きっとないだろう。ボクは羽を震わせて彼女に挨拶を返す。それを見て彼女は、もう一度「おはよう」と声に出していう。申し訳ないけれど、なぜだか声は出ない。挨拶をしたいのだけれど。
フルフルと体を震わせると、自分の身体から一枚、羽が落ちる。少女はそれを手に取り、大切そうに壁に貼っていく。そんな風に壁に羽を張り付けても、何があるわけでもないというのに。
彼女が起きてしばらくして、部屋の扉が開いた。鉄でできた、いかにも重そうな扉が音も立てずに開くのを見ると、いつも少し不思議な感じがする。扉を開けたのは優しそうな壮年の男性。ヒゲをたくわえ、いかにも紳士然とした男性で、笑っている顔以外を見たことはなかった。
彼は一日に何度かこの部屋にやってくる。食事の時と、何かお土産があるとき。それはクマのぬいぐるみであったり、生き物であったり、花であったりする。
それから、少女を部屋の外に連れ出すときだ。少女が起き出すのはいつだって夜で、だから男性が連れ出すのもいつだって夜だった。彼が少女を連れ出すと、多分、だいたい朝まで帰ってこない。多分というのは、ボクがいつも我慢していられなくて眠ってしまうから。今日は男性が、少女を連れ出す日だったらしく、少女は楽しそうに部屋の外に飛び出していく。
扉が閉められてしばらく、静寂だけが部屋の中に降りていた。彼の寝息以外は音もない。今まではその音すらなかったのだから、いつもよりは少しは寂しくはない。
「おい」
いつの間にか起きていたらしい彼が、ボクに声をかけてくる。
「お前、逃げないのか?」
暗闇の中、金の瞳をこちらに向けながら、問う。逃げる。ボクは捕らわれているわけでもないのに、逃げる必要があるのだろうか。
「カゴは開いてるだろう? それに、お前には羽もある。飛べるはずだ。なぜ逃げないんだ?」
ボクは答えられなくて、答えられないのがなぜだか申し訳なくて、目を伏せて体を震わせる。羽が、落ちる。彼はそれを見て、小さく鼻をならして再び丸くなる。
問われたのは初めてではなかった。けれど、何度問われても答えることはできなかった。
少女が帰ってきたのはやはり明け方で、ボクは朝と夜の間でうとうとしているところだった。少女は外にでると、いつだってふらふらで帰ってきた。目立って傷があるわけではないから、傷つけられているというわけではないのだろう。けれど、それでも顔は笑っていても、時々寂しそうな目をして遠くを見つめているときがある。それがいやに気にかかった。少女はいつだってそうやって朝方に帰ってくると、ボクに話しかける。
「えへへー」
少女はいつだって笑顔だ。エメラルド色の瞳が曇ることはない。
「私、幸せだよー」
少女はいつだって自分は幸せだという。まるで、自分に言い聞かせるように。
「だってほら、あなたがいるもの」
そうしてボクは、また身体を震わせる。言葉は出ない。青い羽根が、一枚だけ少女の手の中に落ちた。