吐き捨てたいモノ
夥しい建造物の瓦礫と、折り重なるように放置された死体の山。そこに粘り気を含んだ大気が満ちていた。恐らく生身のままだったなら、異臭を感じて不快な気持ちになっただろう。戦闘用サイボーグである彼はそう思った。
この空間を一言で言い表すとしたら、廃墟だろうか。彼は、まさにその言葉にふさわしい戦場を見渡し、足を止め、手にした荷物を下ろした。
視界に入る世界を見て、彼は生身の身体だった時の癖で、唾を吐き捨てる振りをする。もちろん精密機械のサイボーグ体に変わった彼の口に唾が生まれるはずもない。だが、彼はこの習慣を止める事ができないのだ。
周囲を検索し、動くものが一つもない事を確認する。脳内の補助コンピュータ、補助脳が忙しくスキャンと分析を繰り返し、やがて納得して動きを止めた。結果は明白だ。彼は、間に合わなかったのだ。この星での作戦は、既に終了してしまっていた。
宇宙戦争は過酷だ。戦闘行為もそうだが、それ以上に戦場から戦場への移動がやっかいだった。星間戦争であるから、彼ら兵士達は戦場を飛び歩くのに何光年もの距離を飛び越え、亜光速の速度での移動と冷凍睡眠を繰り返す。彼もこの星で行われるという作戦に参加する為に、十数光年の距離を飛び越えて来たのだが、間に合わなかった。作戦自体の進行が早すぎたのだ。
彼はメタルコートされた力強い足で、足元の瓦礫を蹴り上げた。ちょっと蹴り上げたつもりが、彼の頭ほどの瓦礫は、数十メートル先に転がり、空しい音を立てて転がる。そしてまた、動くものがなくなった。彼は長年の経験から、こんな状況でも決して警戒を怠らない。戦闘管制は低く設定していたが、索敵モードは常に周囲を検索し続けている。彼は荷物を拾い上げて肩から下げ、これ以上はここにいても無駄だと判断した。ゆっくりと踵を返し、索敵モードを戦闘モードから通常モードに変える。その時、彼の背後で物音がした。
彼は瞬時に振り返り、再び索敵モードを戦闘モードに戻し、戦闘管制を引き上げる。物音がした方をスキャンする補助脳が、目標物を発見。電子眼がそれを捉え、ズームアップした。人だ。瓦礫の下に、兵士がいる。左腕に仕込まれたアサルト銃の安全装置が外れる。照準を合わせたまま彼はゆっくりと油断なく相手に近づき、様子を伺った。
その兵士は、瓦礫の下敷きになっていた。身動きもかなわず、恐らくは先ほどまで失神していたのだろう。恐怖とも怒りともつかない表情で彼を見上げてきた。身動きをして瓦礫から抜け出そうともがき、手の届くところに何か武器はないかと手を動かす。
彼は兵士の目前で立ち止まり、左腕のアサルト銃を突き付け、じっと観察した。
子供だ。補助脳に蓄積されたデータベースから、この星の現地人カタログを検索する。身体のサイズと身体的特徴とで、この兵士がまだ年齢の低い子供である事が分かった。
――こんな子供が戦場にいるのか?
いささか珍しい事だった。戦場になる星の常識や習慣によっては、子供だけの戦闘というのもあるにはある。しかし大抵の文明星では、子供は大事にされている。星間条約でも、年端の行かない子供の戦闘参加は禁止されていた。
この星でも、確か徴兵には年齢制限があった筈だ。データベースに再確認しようとアクセスしかけて、しかし彼はそれにストップをかけた。そんな事はどうでもいい。何故なら、先ほどから補助脳の索敵モードが、警告を発しているからだ。
目の前の兵士は、敵兵であると。敵。敵である以上、子供だろうが大人だろうが、彼が取る行動は一つしかあり得ない。目の前の敵は、排除する対象なのだ。
突き付けた銃口に意識を向ける。彼は銃を向けたまま、しばらく少年兵を見つめた。相手の怯えた視線が、諦めを映して伏せられる。少年の吐く息が恐怖に震えた。
彼はそのまま引き金を引こうとして、やめた。彼は珍しく引き金を引く事を躊躇い、照準を外した。精密機械であるサイボーグ体に唯一残った彼の脳髄が、引き金を引く意識に待ったをかけたのだ。
アンドロイド兵であれば、一も二もなく排除しただろう。機械であればそこに判断の揺らぎは一切ない。相手が子供だろうとなんだろうと、敵はあくまでも敵だからだ。もちろん、それは彼にとっても同じ。だが、果たしてそれでいいのだろうか。
自分は人間だ。身体は機械に変わっても、子供を殺したりはしない。この意思があるからには自分は人間だ。そして人間である自分は、子供を殺したりはしないのだ……
彼は左腕のアサルト銃に安全装置をかけ、少年兵に手を伸ばした。少年兵はびくっと震えた。
彼は。その強靭な機械腕で少年兵の身体にのしかかっていた瓦礫を軽々と持ち上げ、端に放り投げた。ものすごい大音響が響き、自由になった少年兵はおずおずと身体を起こして彼を見上げた。
彼は無表情で少年を見返し、相手が立ち上がるのを待つ。思ったとおり彼の巨体と比べるまでもない、かなり華奢な小さな子供の体がそこにあった。彼は手を伸ばそうとして、辛うじて止めた。
――どうしようというのか。意味などないではないか。
思い直した彼は少年をそこに残して、背を向け歩き出した。言葉は何もなかった。ただ、『生きろ』という気持ちを込めたつもりだった。
放り出した荷物の側まで歩いて戻って来たとき、彼の背後でまた何かが動く気配がした。あの少年兵が立ち去るのだろう。彼がそう思った、次の瞬間。
銃声が響いた。
粘り気の含んだ大気を切り裂くような、一発の発射音が彼の人口鼓膜を震わせる。そして、彼は右足に違和感を感じて、もんどりうって地面に転がった。
転がりながらも目を向けると、少年兵がハンド熱線銃を構えていた。銃声はその熱戦銃のものだと直ぐに分かった。
――あの少年が、撃ったのだ。
――助けた自分を撃ったのだ。
――あの、子供が……
一瞬浮かんだ彼の精神的な動揺に対して、直ぐに補助脳が動いた。補助脳の戦闘管制プログラムによって、動揺は掻き消され、彼は冷静さを取り戻す。同時に補助脳は素早く状況の分析を始め、瞬時に結論を出す。あの武器は恐らく少年兵の腰のホルスターに収まっていたのだろう。
携帯式の熱線銃。全身をメタルコートされた戦闘サイボーグの自分を破壊するには、非力な武器である。
――あんなもので自分を…… 俺を止められるものか。
彼は何も考えずに戦闘管制を引き上げた。目にも留まらぬ早さで彼は攻撃態勢に移り、相手に次の攻撃を許す間を与えず、左腕のアサルト銃の引き金を引いた。彼の射撃管制プログラムは正確に、誤らずに少年兵の熱戦銃を射抜いた。弾け飛んだ銃が立てる乾いた音が響いて、少年兵がうろたえるのが分かった。
彼は違和感を感じた右足を、左足で支えて身体を起こした。生命維持プログラムがすばやく該当箇所をスキャンし、結果を報告する。歩行に多少の支障はあるものの、この程度なら作戦行動の継続に支障はない。一応被弾した箇所を自身の目でも確認する。外皮が少し焦げているだけで、問題は無さそうだった。
ゆっくりとした動作で彼は少年兵に向き直った。目前で、少年兵が逃げ出そうと身体の向きを変え、走り出そうとして瓦礫に足を取られるのが見えた。彼は全てを把握した上で、攻撃管制に命令を出す。彼の脳髄が震え、痺れる破壊の衝動が強靭な身体を覆う。今度は、一切の躊躇もなかった。
やがて、瓦礫の街は再び静まり返り、沈黙した。
彼は索敵モードを広範囲に設定するが、今度も物音一つ、動くもの一つ、そこには認められなかった。策敵結果に納得した彼は左腕に安全装置をかける。再び彼は、口内に生まれるはずのない液体、唾を感じて、吐き捨てる振りをする。足を引きずりながら、何度も何度も、吐き捨てる振りを繰り返し、戦場を後にした。
本当に吐き捨てたいモノは唾なのかなんなのか、彼自身にも分かることはなかった。
よく考えるとSF設定でなくても書けるテーマな気がしないでもない(汗)