番外編5 貴方と私の新しい始まり
新居というものは、結婚式前から住むべきか、婚礼後に住み始めるべきか。
それについて二人で協議した結果、どうせ引っ越すなら一遍に行事を終わらせた方が気分がいいだろうと決めたのは確かだ。
それでも入居前に荷物を運び込んだり、掃除をする必要はある。
「結婚しましたー。みんな出席ありがとーって帰ってきたはいいけれど、疲れ果てた後でマスクに頭巾姿で家の掃除するとか、めちゃくちゃ嫌じゃない」
「いや言いたいことはわかる。だけどな、何も前日にまでこんなことをしなくても」
サリカが結んだ黒布の頭巾を被ったラーシュが、抗議したくなる気持ちはわかるのだ。
荷物が手配間違いで今日届くということがなければ、掃除は三日前には終わっていたはずだし、式前日の今日ここに来る予定ではなかった。
あげく荷が届くのが遅れるわ、運び込んでみれば途中で土埃に汚れた覆いのせいで、床に土が散乱するというおまけがついてきたのだ。
購入した煉瓦の家は、ラーシュのために厩などもあり、比較的こじんまりとしたものだ。
それでも追って2~3人の使用人を雇うつもりだったので、その人たちのための部屋、客室なども含めて、そこそこの広さはある。
間取りも外壁の色も、サリカが気に入って購入したものだ。
これからの生活に胸躍らせながら新居に踏み入れた瞬間、繻子の靴で足跡をつけるのは我慢ならない。
そう思ったサリカがそのまま掃除を始め、ついてきたラーシュもそのまま手伝わされていた。
予定では、夕暮れの赤光が差し込む今頃は、サリカの祖父にあたるイレーシュ辺境伯家にて、ゆっくりと過ごすはずだった。なのでラーシュが予定外の作業に、少しぐったりとした気持ちになるのは、サリカもわからなくはない。
ようやく作業が終わったとはいえ、虚しい気持ちになるのは、挙式前日だからだろう。
「仕方ないでしょ……ていうか」
サリカは思わず含み笑いをする。
「ラーシュってさ、意外と乙女よね」
「は!?」
「だって手順大好きだし。お父さんへの挨拶も結局したし、結婚契約の品を納めたいとか言い始めてあのお母さんを慌てさせたり」
そうして最後に、ニヤつきながら付け加えた。
「結婚式と同時に引っ越したいとか、そういう事言うと思わなかったものだから」
するとラーシュが「えっ、あ……」と何かを言いかけるように口を動かした後で、拗ねたようにうつむきながら、自分の頭巾をむしるように取り去った。
「俺だってな……結婚することになるとは思わなかったんだよ」
「え?」
「あの叔母のところにいる限りは、そんなまともな結婚をするとは思わなかったんだって。せいぜい、叔母の下僕を増やすために、誰か知らない女を娶らせられる可能性は考えていたけどな」
ラーシュの言葉に、サリカは小さくうなずいた。
強制されることから逃れられずにいた頃の彼は、そうしろと命じられてしまえば、好きでもない相手の手を取ることもありえただろう。
だからこそ、普通に自分で相手を選んで、他の人と同じように結婚することそのものが、彼にとっては大事なことなんだということは、理解できた。
「うん、そうだね。私も結婚できると思わなかったから、順番を追っていろいろ準備できるのとか、うれしかったよ」
サリカは居室の卓上に置いていた荷物を取り上げ、笑って言う。
「だからね、多少これから苦労とか、面倒なこととかあるかもしれないけど『普通』な結婚生活の範疇のものなら、そんなに嫌じゃないなって思うよ。だから挙式前日に掃除するのはラーシュの理想から外れてたかもしれないけどさ、機嫌治してよ」
ね? と手荷物を後ろ手にラーシュに近づくと、ぽんと頭巾を渡される。
思わず受け取ったサリカは、不意打ちのように抱きしめられた。
「このまま大人しくしてくれたら、機嫌が治るかもしれない」
驚きに一瞬息を飲んでいるうちに、耳元でささやかれる。そのまま後頭部をなでるようにラーシュが頭を手で支えて上向けられた。
近くで見る彼は、もう出会った時のように無気力そうな顔はしていない。
綺麗だけれど、落ち着いた印象を受けるその顔立ちをじっと見つめてしまいそうになる。
けれどその視線がなんだか熱くて、思わずそらした瞬間に息が吸い取られた。
「え? ……んんっ」
「何で目をそらす? 俺の目を見るのは嫌か?」
「ちがっ、だって、それ意地悪してない?」
ラーシュが口づけをする前に、じっと見つめてくるクセをサリカが知ったのは、結婚すると決めてからだ。というか『付き合う』という期間をおかずにこうなったために、改めて知ることが多いのだが。
「別に、結婚相手の顔を見て何か悪いことがあるのか?」
「ないけど……ないけどっ」
キスする寸前に、じっと顔を見られるのは恥ずかしすぎる。どんな顔をしているか、吟味されてるみたいで、変な顔をしていないかとか、気になってたまらないではないか。
するとラーシュがくくくと笑った。
「……本当は、そうやって恥ずかしそうにするのが可愛いからだよ」
その言葉と同時に、背中を支えたラーシュに体を反らされる。
鎖骨の上に灯る熱に、サリカは身をすくませた。
「あ……ラーシュ」
名前を呼んでも、彼は答えない。
態勢が辛いのかと判断したのか、側にある今日届いたばかりのソファに座らせられても、肩口に埋めた彼の頭は離れてくれなかった。
首筋をたどる指と唇に、体が魚のように跳ねそうで、それもはずかしくて必死でこらえる。
そのうちに耳の下にたどり着いたラーシュが、小さく囁いた。
「大丈夫。今日はここまでだ」
その言葉を理解すると、サリカは口元がふるふると震えそうになるのを押しとどめるのに必死になった。
今は手を出さないと言っているのだ。今時そうそうないくらいに、ラーシュは順番通りが好きらしい。
「なんで笑うんだよ」
顔に浮かんだ笑みは隠せなかったようで、サリカの表情に気づいたラーシュが少し拗ねた表情を見せる。
「ばか」
軽くなじりながらも、サリカはとうとうくすくすと笑ってしまう。
「そんなに変……」
むっとしはじめたラーシュの言葉を遮るように、今度はこちらから唇を閉ざさせる。
ラーシュが一生懸命『普通』をくれようとしていることを、どうか心からうれしいと思ってるって、わかってほしくて。
深くなる呼吸に、言い表せないような安堵を感じながら、サリカは目を閉じた。
***
二階、三階のバルコニーから身を乗り出した人々が、黄色い星粒のようなフェレトの花を空に放つ。
翌日の昼に行われた挙式は、天気に恵まれた。
混ざり合う真っ白な花弁とともに、柔らかな花の雨が白いレースのベールにふりかかって、身を飾っていくのがとても楽しくて、走り出しそうな気持ちになる。
静かな、身内と王族の列席者だけが見守る中の式が終わった後は、この花が舞う中を祝福に包まれて新しい一歩を踏み出すのが、バルタ式の結婚式だ。
サリカは青い空と花を振らせる人々を仰いで、笑顔で感謝の言葉の代わりに手を振った。
ハウファの顔が見える。ティエリは顔を真っ赤にして泣きはらしながら、神殿の二階バルコニーから花をばらまいていた。
そしてラーシュの同僚でもある騎士達が数人に、祖父の辺境伯家の使用人などは「ようやく孫姫様が片付いた」「やれめでたい」と言いながら、花を入れた籠をひっくり返していた。
(いや、まぁ。私正真正銘の行き遅れだったし)
言われても仕方ないかと苦笑うサリカの耳に、つぶやく声が届く。
「すごいな……」
多分、ラーシュは降らせる花の量に驚いたのだろう。
「ちょっと楽しいでしょ?」
「……お前が楽しいならそれでいいよ」
サリカの言葉に、ラーシュが微笑む。じっと優しさに頬を撫でられていると錯覚しそうな彼の眼差しに、サリカは身の置き所がないような恥ずかしさを感じた。
「おめでとう!」
神殿の庭では、ささやかな祝宴の用意がされていた。
その前で、祝宴の出席者が出迎えてくれる。
しかしここは王宮内の神殿だ。
咲き始めた蔓薔薇の生け垣は麗しく、料理もしっかりと着席して食べるものではないので、つまめるようになっているものが主だが、それでも色とりどりの野菜や果物は目を華やがせる。
そのほとんどは、まだこちらの地方では成長途中の産物なので、南から取り寄せてくれたのだろう。
料理は絶対に自分がと言って譲らなかったフェレンツ王の好意によるものだ。
サリカ達は、主君でもあるフェレンツ王の前へ進み出て、一礼する。
「本日は私どもの婚儀に手を尽くしてくださってありがとうございました。どうご恩をお返ししたら良いか……」
「気にしないでいいよ。この場でと行ってほしいと頼んだのは、私や王子が出席したかったからだしね。……どうしても、娘みたいに小さな頃から見守ってきた君の、婚礼衣装が見たくてね」
フェレンツ王は目を細めて続けた。
「……君のお祖母様の結婚式を思い出すよ。そっくりだね」
「ありがとうございます」
隣でラーシュがぎょっとした表情になる。
サリカは首をかしげた。フェレンツ王は親子三代の結婚式を見たわけだから、懐かしく思っただけだろうに。どこを驚く必要があったのかと。
そして祖母はにこにことしているのに、隣にいる祖父がそわそわと胸の前で手の指を動かしている。一体この二人は、何を心配しているのか。
不思議な事はありつつも、それらは全てサリカにとって些細なことだ。
祝宴が始められると、招かれた人々も花を撒いていたティエリや騎士達も加わり、場は賑やかになった。
ハウファの夫であるとある子爵とは久しぶりに挨拶を交わし、冬に会ったばかりのやんちゃな従兄弟達は、まだ隠し持っていた花を人の頭に乗せてくる。
そしていつの間にか、明るい薄緑の上着が凛々しいながらも可愛いエルデリックが、側に来てお祝いを言ってくれた。
「サリカおめでとう。無事に結婚できて、僕も安心したよ」
「あはは、はは……」
子供にまで心配される私って、とサリカは思う。
でもだからこそ、エルデリックはラーシュと自分を近づけようとしたのだという事はわかるのだ。行き遅れながらも頑固に「結婚なんて」と言っていたサリカを黙らせるのに、これほどうってつけな相手はいないだろうから。
「でもね」とエルデリックが背伸びして、ささやいた。
「飽きたらいつでも僕のところにきていいからね。僕はいつだってサリカの味方だよ」
ちょっと頬を赤くして言うエルデリックに、サリカの表情はとろけそうに崩れる。
「殿下、かわいい……。そんな心配をしなくてもいいんですよ。問題があっても、このサリカは正々堂々と戦って勝利を手にしてみせますとも。そしていつか、殿下が結婚なさる時にはその経験をもって、ご結婚生活をお支えいたします!」
熱弁してみせると、エルデリックがなぜか苦笑いした。
そして、一歩離れていたラーシュがぼそりと呟いた言葉は、サリカには聞こえていなかったのだった。
「なんか、いい加減に王子が確信犯だって気付いてやったらいいんじゃないかな……」




