66 決着とその後に待つもの
先程の戦いを、サリカもラーシュを通して視てはいた。
けれど、改めて目にして……思わず顔をしかめる。
(むごい……)
ケイラの出血量は尋常ではない。切り裂かれた額からは、流れた血が頬を伝って乾き、貼りついている。
衣服が重たく鮮血に濡れ、布に含み切れなかった分がぽたりと地面に落ちて赤黒い染みをつくった。
それでもまだ、彼は戦わされている。体の中に存在する最後の一滴まで振り絞って、命じられた事を遂行せよと。
ラーシュとしても、能力の支配下にある状態のケイラ相手では、手加減が出来ずにかなりの深手を負わせている。ようは手加減が出来るほどの力量の差がないのだ。
であれば、やるべきことは一つ。
「ラーシュ、時間を稼いで」
「……承知」
言えばラーシュは少し顔をしかめながらも、支配下にあるため従わずにいられず、腕を離してサリカをその場に座らせる。
けれどサリカが心配なのだろう、打ちかかってきたケイラを薙ぎ飛ばすように引き離し、戦いの場を移した。
(契約、か)
今までと、同じようで違う。
下僕のように従うだけだった今までと打って変わり、わずかながら自分の意思を持ったままでいることも。
意識しなくても、繋がっている心を感じられることも。
(だから多分…できるわ)
ぐっと手をにぎりしめ、大きく息を吸う。そして言った。
「出てらっしゃい、諸悪の根源。それとも身動き一つできない小娘相手ですら、怖くて誰かの背中に隠れていなくちゃいけないのかしら?」
あからさまな挑発に、ざり、と土を踏む音がして建物の向こうからカタリーナが現れる。
必ずケイラの側にいるはずだと思っていたのだ。
カタリーナの右腕は、ラーシュが投げつけた剣のせいで袖がざっくりと切れていた。
左腕にぶら下げているのは、ラーシュの剣に違いない。鍔の形に見覚えがある。とすると、ラーシュが今持っているのはどこかから調達した物なのだろう。
剣を手にしたカタリーナは、痛みで脂汗をこめかみに滲ませながらも、にぃと唇の端を吊り上げた。
「わたくしを傷つけて……ただじゃ済まさないわ」
じりじりと剣をぶら下げたまま、サリカに近づいてくる。その持ち方と露出している腕の肉付きを見て、サリカは笑う。
「どう済まさないって言うのかしら?」
「……死ねっ!」
左手を使い、突きかかってくるカタリーナは、意外にも俊敏だった。
まっすぐに剣先を向けて走る彼女の姿からも、自分の身を守るために剣を使えるようにしていたのだと分かる。
それにカタリーナの剣を保つ左腕は、貴族の婦人達よりもしっかりとした筋肉の盛り上がりがあったのだ。
剣は結構重い。ただ持ち上げて二度三度と振り下ろすだけなら、よほど非力でなければできるだろう。でも剣を打ち合わせ、相手を倒すまで自在に動かし続けるとなると、重さに耐えられずに手を痛めるだけだ。
だから剣が使えるのはわかっていた。
それは予想済みだ。
(この能力の欠点は、接近戦への弱さなのよ)
近づかれた後で能力を発動しようとしても、その一瞬で刺されたら集中が切れるのだ。そのまま止めをさされてしまっては元も子もない。
しかしカタリーナは、サリカがそれを知っていることを忘れているとしか思えない。
そして距離を開けた場所からカタリーナが走ってきた瞬間に、勝敗は決まっていた。
『足よ止まれ』
サリカの力を伴った言葉に、カタリーナがぎょっとした表情になる。
足をもつれさせて転んだものの、すぐに能力のせいだと察したカタリーナは、自分の精神の端に巻き付いた鎖から逃れようとしたが、そうはいかない。
「――来たれ惑う者。妄執の欠片で造られた骸抱く者」
はっきりと声に出された音は、強くサリカが認識した対象に働きかけた。
庭土がぼこぼこと盛り上がる。
次の瞬間、土を纏いながら伸び上がってきたのは、白く細いもの。遠くからは根のようにも見えるそれは、五本の指を備えた手の骨だとわかるだろう。
「……ひっ!」
動きが鈍くなっていたカタリーナの足を、更に伸ばされた白い骨だけになった手が掴んだ。
サリカは再度、死人を操ったのだ。
しかも、まだ自分の体に未練があって離れられない、そんな霊を。
「うん、気合い入ってていいわー」
サリカはその成果に満足した。
霊体に働きかけることはできても、サリカには骨を動かす力などないのだ。
けれど呼びかけた者達は、骨になってもそれが自分の体だという認識が強いためか、しっかりと生前のように動いてくれた。
彼らはどうやら、口封じにカタリーナ達の指示で殺された者らしい。気合い充分なのもうなずける。
カタリーナは驚きに息をのんでいた。
おそらくは人相手にしか力を使った事のない彼女は、見えていたかもしれないが、幽霊をどうこうする事は考えもしなかっただろう。
けれどすぐに、気づいたようだ。
サリカにできるのなら、カタリーナの言葉にも反応する。その力が弱くとも。
骨の腕はカタリーナから離れそうになったり、もう一度掴んだりとがしゃがしゃ忙しなく動き続ける。その音がまた不快なのか、カタリーナの表情は引きつっていった。
そしてサリカは、それを放置してラーシュ達に目を向けた。
カタリーナが完全に意識を逸らしている間が勝負だ。
息を吸って、一気にケイラの精神を目指して心の手を伸ばす。
二つの世界が重なるサリカの視界の中で、ケイラは鋼の糸に巻き付かれているように見えた。
その鋼の糸は、ケイラの腕や背中、足に繋がって彼を動かしていた。
サリカは鋼の糸に触れる。
容易に引きちぎれないその鋼の糸は、カタリーナの指示と意思が具現されたものだ。それを解くために、さらに強い力を込める。
意思のぶつかり合いが、幻の火花となってサリカの目に映る。
心の繋がりを断ち切る行為に、さすがのカタリーナも気づいた。
「この小娘!」
カタリーナもケイラへの干渉を強めた。
サリカの方が先んじてはいたものの、元から意思をつないでいたカタリーナの影響は強い。
ほどけた鋼の糸が再び元に戻ろうとするのを視て、サリカは予定を変更する。
「目を閉じれば聞こえて来る、それは雪のささやき、星のさざめき、風の笛。おまえが眠る間だけ、世界の秘密を教えよう」
小さな声で歌ったのは、一般的な子守歌だ。
わずかにでも聞こえただろうラーシュは、何の影響も無く剣を振るっている。しかしケイラは違う。はっとしたように目を瞬いた。
聞き覚えのある物だからこそ、人は耳を傾けやすい。そのために子守歌を選んだのだ。
子守歌の音の連なりが、赤や緑の小さな光となって、鋼の糸をたどっていく。
光が通りすぎた場所から、鋼の糸はほろほろと粉になって崩れていく。そうして光はケイラの体の中を目指した。
「くっ……」
自分の意識にまでも触れる力に、カタリーナが呻きながらも支配を強めようとする。
「早く、そいつらを殺してしまいなさい、ケイラ!」
叫ぶ声に、光が一つ二つと、水滴のようにこぼれ落ちた。
けれどそれで無くなったわけではない。
「魔法の音は空を覆う。星の奏でる神様の愛がよく響くように。……眠りなさい我が愛し子と」
サリカが能力を込めた、人を引きつけずにいられない声の響きが、伝わる度に光を強めていく。
そうして光はようやくケイラの右手にたどり着く。ケイラの腕が、糸の支えを失ったように垂れ下がった。
けれどもまだカタリーナの指示は消えていない。
左手に剣を持ち替えたケイラへ、サリカは尚も眠れと歌う。
「このっ!」
サリカの声にあらがえないと諦めたのか、カタリーナが剣を持って再び立ち上がってきた。
足元の骨を蹴散らしながら足を踏み出す。
振りかぶられた剣を見つめ、けれどサリカは止めない。
そしてサリカの頭めがけて振り下ろされた剣は、甲高い音と共に弾き飛ばされた。
「ヴィリアードっ!」
カタリーナが叫ぶ。ラーシュは、一瞬背中が強ばったように見えた。けれどその時には、既にサリカの行動は完了していた。
ラーシュが目の前からいなくなっても、追いかけずに呆然と立っていたケイラがその場に倒れる。
カタリーナはラーシュが後ろから背中を踏みつけ、頭に剣を突きつける形で動きを封じられた。
「サリカ」
カタリーナを押さえたラーシュが、サリカの名を呼ぶ。
サリカがなんとかケイラの側へ移動しようとしたからだろう。
「だって、血を止めてあげないと」
「それは俺がやる。お前は代わりにこいつを眠らせておけ」
ラーシュにこいつ呼ばわりされたカタリーナは、一人で何かにショックを受けていた。
「うそ……どうして。しゃべっているなら……もう支配下にはいないのに……」
つぶやいている内容と、時折ラーシュに向かって伸ばされる鋼の糸が弾かれる様を見れば、カタリーナが何に衝撃を受けているのかわかる。
ラーシュが自由に話している上、サリカはケイラの方を支配下に置いているなら、ラーシュは乗っ取れると思ったのだろう。けれど弾かれてできないことに驚いているのだ。
「殴った方が、能力を使うより早いわ」
答えれば、ラーシュはあっさりとカタリーナの後頭部を剣の鞘で強打した。
容赦のない打撃に、カタリーナは意識を失ったようだ。
打ち所と強さが適度でなければ死にかねないが、大丈夫だろうか。
「……ま、いっか」
ちょっと心配にはなったが、サリカは別に非暴力主義ではない。その上、カタリーナはラーシュを苦しめ、今もケイラを殺しかけていたのだ。
当のラーシュは、先程はやはりトラウマが刺激されてしまっただけなのだろう。少し常とは違う反応をしていたが、今は、何も無かったかのようにケイラの元へ駆け寄り、処置を始めていた。
とりあえず必要がなくなったので、サリカは腕だけ露出していた骨に撤収を命じる。
「ありがと。おやすみなさい」
礼を言えば、白い骨だけの手がサリカに挨拶するようにかたっと手を振り、地中に戻っていく。
サリカはなんとなく手を振り返して見送った。
一応の決着はついたので、サリカもカタリーナをどうにかしようとする。
力を使った余波なのか、麻薬が大分抜けてきたのか、先程よりもずっと身動きができるようになっていたからだ。
よろよろと近寄ると、自分の帯紐を使ってカタリーナを後ろ手に縛り、足首も縛ってから、精神世界への繋がりを切る。
ふっと二重写しの世界は遠ざかり、魂の光が消え失せた静かな光景が戻ってくる。
それを見てようやく終わったと感じたサリカが肩の力を抜いたところで、様子を見ていたラーシュに嫌そうな顔をして言った。
「……おまえ、やっぱり趣味悪いんじゃないか?」
「え、どこが?」
「いやほら……骸骨相手に手を振って見送りとか……。そもそもなんでお前、幽霊やら人骨やらを操ってるんだ」
「人を操ったら、カタリーナに対抗されたときに面倒じゃない。けど霊ならカタリーナより私の方が得意だから、まず乗っ取られることもないし、驚かすのにも最適で実にお役立ちでしょう」
「お役、立ち……」
何が気に入らないのかラーシュはため息をつき、ケイラの血止めをを続ける。既にあちこち切り裂けたケイラの服を包帯代わりに、傷口を縛っていく。
「ところでどう? 大丈夫そう?」
自力で立ち上がれるようになっていたサリカは、彼の側に歩み寄る。かなり酷い状態に見えたので、ケイラの容態を尋ねた。
「今回はまだ手加減できたが……一度目に戦った時の傷が結構深いからな。すぐに縫い合わせるなりしてどうにかなるのか、正直なところ、医者じゃない俺には判断がつかないな」
「そうよね……」
サリカにしても、体の状態をどうこうする力はない。
痛みを麻痺させるとか、ムリをしないよう眠らせることなら得意だが。
なんとか連れて出られるか。
サリカはラーシュにそう問いかけようとして、人の気配に気づいた。
先に気づいていたラーシュがサリカに駆け寄って、抱きしめるようにして立ち上がらせた。
そうして向いた先に居たのは、サリカが何度か見かけたことがある……そして、先程眠らせた際、クリストフェルの記憶から読み取った仲間である人物だった。
「……セネシュ伯爵」




