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61 眠りの中で

 最初の犠牲者は、扉の外にいた監視役だった。


 セネシュ伯爵家の別邸で、度々行われた薬の実験を見て来たその男は、今回もそのようなものだと認識していた。逃げだそうとするわけもない相手の気配を、扉の外で伺うだけの仕事だ。


 なんて楽なことだろうと思いながら、扉が開けば起きるようにドアの前に背を持たれて居眠りをしていた男は、奇妙な声に誘われるように深い眠りに落とされる。


《くすくすくすくす》


 笑い声を聞きながら深い井戸に落とされるような夢を見た男は、最後に冷たく自分を見すえる女の姿を見た後で意識を失う。


《眠りなさい。私の許可があるまで》


 そう命じられた通りに。


 次の犠牲者は、目の前をよぎった白い人影に驚いた隙に、眠りの中に引きずり込まれた。


 もう一人は、仲間の倒れる音に驚いて振り返った所で、逆さづりになった男の死に顔を見て絶叫した。

 頭が真っ白になったところで彼の中に白い影が入り込み、眠らせる。


 厨房でも悲鳴が上がる。

 煮込み終わったスープの湯気が人の顔に見え、ぞっとした料理人が一度目を閉じ、開くと何もない。

 ほっとしたところで、自分のレードルを持つ手に、血まみれの人の手が添えられているのを見て気絶した。


 そうして暗い暗い空間の底で、サリカは蛍火に姿を変じた幽霊達が持ち込む物を受け取る。

 戸惑うように震える青白い光の玉は、サリカの手の上で逃れられぬ運命に怯えているようにも見えた。

 口の端に笑みを浮かべてサリカは命じる。


「これではないわ。他も探してきてちょうだい」


 催促するサリカに、精神世界では蛍火として見える幽霊達が再び地上へ向かう。

 逃げようとする相手にとりつきながら冷たく浸食し、彼らを今一時支配する主に、その魂を捧げるために。


 サリカを眠らせたと思ったクリストフェル達が異常に気づいたのは、召使いが茶を運んできた時だ。

 召使いはカップに注いだ茶の中に、髪を振り乱してぎらぎらとした目の自分の姿を見た後、そのまま気絶した。


「何だ!? おい!」


 その瞬間にクリストフェルやカタリーナが考えた事は、薬の与えすぎで頭がおかしくなったのだろうということぐらいだった。


 セネシュ伯爵に提供させているこの別邸は、誰も秘密を漏らさぬため、自ら望んで彼らが提供する仕事に飛びついたわけではない召使いなどは、薬によって意思を縛っている。

 時折、薬の虜になって摂取しすぎる者がいるのだ。

 今度もそうだと考えたクリストフェルは、召使いを運ばせて別な者を呼ぶつもりだった。


「おい、誰か!」


 呼んでも、扉の外にいるはずの人間は応じてこない。聞こえないのかとテーブル置いていたベルを鳴らしても同じだった。

 仕方なく自ら扉の外へ出たクリストフェルは、逆さまになってぶら下がる見覚えのある死人の顔に絶叫した。


「あ、兄、あにう……」


 クリストフェルが家督を欲して殺した兄の姿に、彼は絶叫する。

 けれど兄が手を伸ばし、クリストフェルの顔をなで回しながらその手を頭の中に差し込んだ時、クリストフェルは音楽的な声を聞いたと感じた後で、がくりと気を失う。


 けれど彼の意識はまだ眠らない。

 骸骨の姿になって自分を噛み、どこかへ飛んでいく兄の姿に怯えて泣き叫んだ末に、誰かの前に落とされた。

 解放されたと思ったクリストフェルが見たのは、自分が薬漬けにしようとしているサリカの姿だ。


「なっ、お前っ! お前は倒れたはず……」


 驚き、怯えて後ずさろうとするクリストフェルに、サリカは指先で手招く。それだけで彼の体は、サリカの方へ引き寄せられた。

 現実の体があれば、泣き出していてもおかしくないほど怯えたクリストフェルは、必死に許しを請う。


「助けてくれ! 悪かった、もう君に手出しはしない! 君たちの一族が恐ろしいということはわかっているんだ! 充分に思い知ったから、だから許し……」


 サリカは笑みを浮かべたまま、彼の意識が作り上げた姿に手を突き立てる。

 そこは心臓部。

 実際の体ではないのに、そのおぞましさにクリストフェルは身を震わせた。


「もうしゃべらなくて良いわよ? 魂に刻まれている記憶に、直接聞くから」


 だからお眠りなさい。

 私の望む夢を見るのよ。

 果てない砂原の広がる、死者達の世界で彷徨いながら、一つ一つ自分のしてきたことを懺悔する夢を。


「ちゃんと全部懺悔できたら、命ぐらいは目こぼししてあげてもいいわ」


 サリカの言葉に、歓喜とも怨嗟の声ともつかない声を漏らしながら、クリストフェルの魂も眠りの中に沈んでいった。


「さぁ、踏みつけられた分はきちんとお返ししないと」


 ケラケラと笑ってそれまでの様子を眺めていた霊達は、再び彼女の側から飛び立つ。

 彼らに通じる命令は、単純なものだけだ。

 だから彼らは、サリカが限定した場所の中にある魂全てに接触し、サリカの手が届くよう、眠らせることで道をつけるのだ。

 最後の一人が、彼女の望み通りに眠りにつくまで。


「……さぁ、次の魂をここへ」

 笑いさざめきながら無差別に人を襲う彼らに、サリカは歌うように命じ続ける。


   ***


 霧雨が世界をぼかすように降っていた。

 小さな雨粒に満たされた道を、ラーシュは馬で駆け抜ける。

 頭を覆っていたフードも脱げ、黒髪は濡れて彼の頬や首筋に張り付いて不快だった。

 けれども時折、頬や額にたまっていく水滴を拭う以外、一心に馬を駆けさせることに集中する。


 やがてラーシュは町の中へとたどりついた。

 水滴を振り飛ばす走るラーシュの前から、雨の中を歩いていた数少ない町人が慌てて避ける。

 ラーシュが馬を止めたのは、領主館となる外壁に囲まれた建物だ。


 北国のバルタでは、石造りの城など居住に適さない。そのため外敵から守るための壁や城塔、主塔を備えた城でも、基本的には中に立てられた木造の館に住むものだ。

 漆喰の白も美しい木造の館は、貴族が休暇に訪れる別宅のように瀟洒な外観だ。


 門番に王子殿下への使いだと、証しとなる紋章を鍔に入れた剣を見せて周囲を取り囲む壁の中へ入ったラーシュは、館の召使いに馬を任せ、厳しい表情のまま館の中に入る。


 人が来たと聞いて出てきたセネシュ伯爵の召使いに、ラーシュは簡潔にエルデリックの居場所を尋ね、すぐに進み出す。

 けれどラーシュは濡れ鼠のままだ。

 その格好で館の中を歩いてほしくなかったのだろう。召使いの女性が外套だけでも預けてくれと追いすがった。

 ラーシュは歩きながら彼女に外套だけ脱いで投げ、階段を上る。


「あら? ラーシュ様」


 二階の廊下を進めば、目的の部屋から一人の女性が出てくる。

 サリカの同僚であるハウファだ。

 彼女は外套を通して染みこんだ雨の匂いをまとってやってくるラーシュの姿に眼を丸くし、それから顔をしかめた。


「雨に当たってこられて大変だったでしょう。また髪から雨粒が落ちていますわ。拭く布をお持ちしますので、お待ちくださいな」

「問題ない。おそらく殿下は問題にしないだろう。通してくれ」


 ラーシュにすげなく断られたハウファは、困ったように眉尻を下げる。


「ラーシュ様、さすがに少し身なりを整えられてからお入り頂きたいのですが」

「言いたいことはわかっている。だが危急なんだ」


 一切譲らないラーシュに、ハウファはラーシュに自分のハンカチを押しつけてから、再び部屋の中へ戻った。

 ハンカチを寄越したのは、おそらく『急いでいても少しはなんとかしてくれ』というハウファの譲れない一線なのだろう。そう理解したラーシュは、大人しくそれを受け入れ、ざっと濡れた顔や髪を拭った。


 薄く扉が開いたままなので、中での会話が漏れ聞こえる。

 ハウファがエルデリックにラーシュが訪問してきた旨を伝えると、すぐにハウファが扉の前に戻ってきた。


 あっという間に水に浸けたようになってしまったハンカチを、ラーシュから取り上げつつ、ハウファが「お入り下さい」と招き入れてくれた。

 エルデリックはハウファに『二人だけにして』と返事を書いていた紙を見せると、ハウファは一礼して立ち去った。


 扉が閉じる音が止むと同時に、ラーシュは口を開く。


「殿下。あの手紙は一体どういうことですか。あなたはサリカを――」


 用意していた木の画板に紙を何枚もくくりつけたものを、ラーシュに向けて見せた。


〈まずは座って?〉


 少しいらだちながらも従ったラーシュは、次にめくった紙に書かれた言葉に、柳眉を逆立てる。


〈君の言いたいことは分かるよ。気に入らないんだろう? 僕のやり方が。サリカが罠にかかるとわかっていて放置したことを……ね〉

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