59 作戦の始まり
数日後、出発したサリカ達は王都から三日ほど西へ移動した王領地の端にいた。
その先には西のセネシュ伯爵家がある。
(この先へ進んでしまえば、どの家の人間が一連のことを仕掛けたのかわかってしまう。きっとその前に必ず仕掛けてくるだろうとフェレンツ陛下もお考えになったんでしょうね)
逗留しているのは、王家の別荘ともいえる館だ。
レンガを積み上げた重厚な造りの館で、エルデリックに追従してきた騎士達十数名や衛兵三十数名、それに女官や召使いなどを合わせて50名近くに膨らんだ一行を収容できる規模がある。
普段は王領地の統治を任された代官の住まいにされているようだが、道路の整備によって隣の区画と統治機構を統合したとのことで、維持管理を任された者しか居ない館だ。
エルデリック達一行と、維持管理をしている者達さえ遠ざければ、近くの町までは馬車を30分ほども走らせなければならない距離があるので、めったに人が周辺にいることはない。
実に、サリカにとって理想的な場所だった。
到着してサリカがまずしたことは、騎士を連れてではあるけれども、館周辺の散策だった。
既に多少の自分の奇行は人に見られても仕方ないと思い定めていたサリカは、外へ出て地面に触れ、それから庭に植えられた低木の枝を掴んでしばらく瞑目し、高い木の枝に留まった鳥をじっと眺めて歩いた。
付いてきてくれているのは、フェレンツ王の命で連れて行くことになったブライエルだ。
サリカの謎について『見て見ぬふりをする』という対応を貫いてくれているブライエルだからこそ、サリカは安心して心ゆくまで調査を行った。
その際、サリカの目に見えているのは、草木や鳥に重なっているぼんやりとした光だ。
草木にも、うっすらと希薄ながらも意思はある。動物ならばなおさらだ。
彼らに心の中で問いかけ、その返事を一つ一つ記憶に留めながらサリカは進んでいた。
端からでは、ただふらふらとしているように見えるだろう。けれどサリカは、真剣に集中し続けていたので、心理的にはかなりの重労働をしている感覚がある。
けれどこれをしなくては、今回の作戦は上手くいかないのだ。
サリカ一人の弱い力ではどうしようもないからこそ、周囲の生き物たちの力を借りようとしているのだ。
彼らが最も強く反応する言葉を探し、それを使って自分の力の補助にし、祖母がくるまでここで眠らせるために。
「まぁ、やった後の状態を見てお祖母様が怒らなければいいんだけど……」
不安があるとすればそこだ。
なにせ祖母は、親族が死神と同じ力を使おうとしたのを阻止し、バルタ王国軍を勝利に導いた人だ。その結果、祖母と戦った親族は死亡し、祖母自身にとってそこにつながる記憶はかなりの心理的な傷になっていると祖父からも聞いていた。
全く同じとはいかないけれども、似たようなことをするだけで、こっぴどく叱られることは容易に想像ができた。
とはいえそれ以外に選択肢はない。
なにせサリカは力が弱いのだ。禁忌に手をくらいで丁度普通になるくらいだ。
そんな調子だから確実にラーシュまで敵と一緒くたにしかねないので、どのみちラーシュはおいてくるしかなかったのだが。
(こんなことなら、一時的にでも故郷に帰っておけば良かったかな……)
どうもロアルドから聞いた話によると、最初はサリカの力のことを知らなかったようなのだ。何度か暗殺をかわすうちに、昔の祖母の一件などを知っていた人間が、能力のことに思い至ったらしいと分かった。
ならば最初の女官長のお見合い斡旋の際に、母のところへ撤退しておけば良かったのだ。
とはいえそんなことを見通せたわけもなく、サリカはエルデリックのそばにいることを優先してしまった。
あの時はそれが最良だと思ったのだから仕方ない。
つらつらと変更しようもない過去を思いながらも、サリカはおおよその作業を終えた。
次は今日出発するエルデリックの見送りだ。
館の中へ戻れば、エルデリックはティエリ達の手によって、衣装を整え終えていた。
《本当に大丈夫だよね?》
何度も繰り返した言葉をかけてくるエルデリックに、サリカはうなずいてみせる。
《ご安心下さい。必ず目的は達成してみせます》
《……信じてるよ、サリカ》
エルデリックはそういいながらも不安そうな眼差しでサリカを見つめていた。
とはいえサリカもこれ以上はどうしようもない。
「申し訳ございません殿下。私事のために一足先に王宮へ帰らせて頂くことになってしまいまして……。あちらで殿下のお帰りをお待ちしておりますので、どうぞお気をつけて行ってらっしゃいませ」
サリカは打ち合わせ通り『突然王宮へ帰らなければならなくなったため、この館でエルデリックの元を離れることになった』ふりをするため、エルデリックに声を出して話しかけた。
エルデリックもサリカに応じて、サリカが差し出す手のひらに言葉を書く。
気にしないようにと。サリカがいなくとも立派にやりおおせると。
サリカはその言葉に感動し、離れたくない演技をする。半分ほど本気で。
本当なら、エルデリックの始めての王都外活動を至近で見守りたいのだ。
心から泣く泣く見送るサリカを部屋に残し、エルデリックは館を出て行く。
ハウファやティエリの他、召使たちもそれに続いて退出し、部屋の中は急に閑散とする。
やがて外から馬のいななきが 聞こえてくる。
もうエルデリックは馬車に乗ったのだろうか。計画を実行するには、少なくともエルデリックの乗った馬車が、館の敷地外へ出たことを確認してからでなければならない。
その後速やかに実行するのだ。
一人きりになった後は、一瞬でも早く能力を使い、捕獲準備と身の安全の確保をしなくてはならない。
館の門が見える場所にいようと、サリカは窓辺にはりついた。
と、そこで部屋の扉が叩かれる。
誰かがエルデリックの忘れ物でも取りにきたのだろうか。
そう思って返事をし、扉を開いたサリカが見たのは、ブライエルの姿だった。
「ブライエルさん? 殿下が何か忘れ物でも……」
しかし問いかけの言葉は、そこで止められた。
「……ひぅっ」
胃の辺りを殴られた衝撃に、サリカは一瞬息が止まった感覚に陥る。
次にかがされたのは、甘い香り。
(ーー麻薬!?)
そうは気づいても、布で口と鼻を覆われて強く薬を吸い込んだ後ではどうしようもなかった。
手足の力が抜ける。頭にもやがかかったような状態になるものの、それでも麻薬に耐性のあるサリカの意識は途切れず、外界の音を耳が拾う。
「悪く思わないでくれよ。こうでもしないと俺の身がまずいんだよ」
そう話しかけるブライエルは、サリカを毛布で包み込み、何か袋のようなものにいれ、担いで行く。
やがて人のざわめきが聞こえ、エルデリックに随従する一行の中にブライエルがやってきたと察した。
ブライエルはサリカを入れた袋を、荷物を積む馬車の中に置いたようだ。
やがて馬車が動き出す。
(どこへ連れて行く気なんだろう)
不安に思っていたサリカだったが、じわじわと意識を侵食して行く薬が、袋詰めにされて揺られるうちに効果を強めていったのか、やがて完全に眠りの中に落ちて行った。




