57 不安と疑問と平気ではなくなったこと
フェレンツ王の許可をとったサリカは、エルデリックの私室へ向かった。
食事に薬が混ぜられた一件以来、増やされた王宮内の見張りをしている衛兵と、所々ですれ違う。
今までも夜の見回りがあったとはいえ、王宮内の定位置に一人配置して、時折巡回させるだけだった。なので主要な部屋に近づかなければ、衛兵の姿など見かけなかったのに。
狙われたサリカとしても安心ではあるが、同時に憂慮する。
(これは急場しのぎ。長く続けられる策じゃない……)
外部の人間をうかつに入れられない以上、使えている兵士達の負担が重くなるばかりなのだ。多少なりと給金を増やして報いているから誰も文句は言わないものの、動かしているのは人間なのだ。
病気にかかったり、何らかの怪我で欠員が出たなら、この体制を続けるのは難しくなるだろう。
やはり、早々に決着をつけるしかない。
改めて決意しながら、サリカはエルデリックの部屋に入った。
椅子に座っていたエルデリックは、サリカを振り返って微笑む。本来ならば就寝時間でもあるので、エルデリックは簡素な寝間着の上から長衣を羽織っただけの姿だった。
立ち上がってサリカの元へ駆け寄ってくる動作からは、子供らしくなくなってきた長い手足がよくわかる格好なのに、裾から覗く手首の細さにサリカはちょっとだけきゅんとする。
成長はしているのに、ほんのわずかな所に残る幼さがサリカの心をつつくのだ。
けれど触ってみたいという欲求は自制する。後日、また着替えの手伝いなどをする時に触れる機会が訪れるはずだ……と言い聞かせて。
今回のことに決着をつけられれば、だが。
〈父上にはお会いできた?〉
目の前までやってきて自分を見上げて尋ねたエルデリックに、サリカはうなずく。
「無事にお渡ししました。お話もできましたし、ご協力下さってありがとうございます、殿下」
一礼するサリカに、エルデリックはうなずいて言う。
〈それで、父上に何の相談をしたの? 僕の視察のことじゃないよね?〉
柔らかく心に響くエルデリックの声に、サリカの胸が痛む。
これから話すことを聞けば、おそらくエルデリックはとても心配してくれるに違いない。
サリカはエルデリックを困らせたいわけではないのだが、被害を最小限に、そして急いで解決するために自分ができる方法は、これしか思いつけないのだ。
サリカは初めてエルデリックに自分の計画を話した。
「殿下の視察に随行させて頂いた上で、途中で陛下が指定した場所にて、私を置き去りにして頂きたいのです」
〈一人になって、何をするつもりなの?〉
「殿下もステフェンスの死神の話をご存じですよね? 戦場で死神によってバルタの兵士が次々に眠って――そのままステフェンス軍に虐殺された話です」
バルタ王国で最大の戦死者を出した戦争の話だ。
サリカの祖母が生まれる前の話なので、実際にどれくらいの被害だったのかは伝聞でしかサリカも知らない。
ただ、サリカは祖母から聞いている。
その死神は、祖母の父だったのだと。
「私がその死神と同じ力を持っていることはご存じでしょう。かといって私は弱い力しか持っていません。だからその戦場のようなことはできなくとも、近い状態にすることはできると思うのです」
エルデリックは、珍しく表情に険しさをにじませた。
〈その死神は、その後すぐに死んだと聞いたよ、サリカ。そんなことをして大丈夫なの? それに本当にそれでサリカは安全でいられるの? 失敗したりはしないの?〉
失敗しないのかと問われたサリカとしても、絶対の自信があるわけではない。
だから胸を張って大丈夫とは言えない。けれどもエルデリックを不安にはさせたくなかったので、良い事だけを口にする。
「ある程度、自分のことを補う策はあります。そして、この方法をとることはいくつか利点があるのです、殿下」
1つは、サリカが視察について行くことが分かれば、敵はそのときの方が狙いやすいと見て、王宮から出発するまでは手出しをする可能性が低くなること。これで王宮内の人への被害は無くせる。
2つ目は、最も早く敵につながる人間を確保できること。そして牢内で殺されたりする恐れはない。牢に入る前に、直接祖母が捕らえたサリカの元へ来て、敵の尋問をするからだ。
「私のことも、祖母が来たら解決できます。これが最も迅速に、問題を解決できる手だと、陛下にもお認めいただけました」
しかし話を聞いたエルデリックは、眉根を寄せてうつむいてしまう。
それを見てサリカは心が痛んだが、こればかりは譲れなかった。
「今回の事ではラーシュだけではなく、多くの人が巻き込まれました。これ以上は、警備や殿下方の周囲にまで影響が及び過ぎます」
〈サリカの……お祖母様が来てからじゃ、だめなの?〉
ぽつりエルデリックが問いかけてくる。
たぶん、それが一番安全だろうとサリカも思う。けれど待っている間にも、また事件が起きるだろう。
「殿下……おそらく、敵は私の力の事を知っています。だから殺そうとしているのだと思うのです。私が妃候補ではないとわかるように槍試合で殿下がお膳立てして下さったのに、それでも私を狙うとなれば、妃にした敵の身内を通じて、殿下を害することを私に阻止される可能性を考えての行動でしょう」
人の心を読む相手ほど、誰かを騙そうとしている人間にとってやっかいなことはない。
なまじエルデリックの妃として権力を握りたいのならば、聡いエルデリックとはかならずぶつかるだろう。それをどういう手でつぶすにせよ、サリカの存在は鉄の壁のようにやっかいなものに違いない。
「あと、頼みがございます。今回の視察にラーシュは随行しないよう命じて欲しいのですが」
その言葉に、エルデリックははっと顔を上げた。目を見開いてサリカを凝視する。
〈君を一番守れる護衛だよ。そのラーシュも置いていったら、サリカが!〉
「むしろ、私のやろうとしていることはラーシュが一番影響を受けるかもしれません。危険なので、連れて行けません」
サリカの答えを聞いて、エルデリックは困惑した表情になる。
それからしばらくして、小さなため息とともにまた少し、顔をうつむける。
〈僕が弱いから、弱く見えるから……つけいる隙があるように思えて、サリカを邪魔にするような人間が寄って来るのかな〉
そうして不安そうに、サリカに抱きついてきた。
柔らかな髪が肩に当たり、見下ろしたサリカの吐息で揺れる。
よりそうような弱い腕の力に、サリカはそんなにも不安なのかと思う。だからせいいっぱいエルデリックの不安を和らげたくなる。
「人が寄ってくるのは仕方ありません。殿下は第一王位継承者ですし、ただそれだけで、どれほど厳ついお顔をしてらっしゃったとしても、皆集まってくることでしょう」
けれど、とサリカは続けながらエルデリックの頭を撫でる。
柔らかな髪の手触りが、いつもならただ愛おしいのに、今日は心に突き刺さるように切ない。
「殿下があんまり素晴らしいから、おかしな人も殿下の側に寄ってくるかも知れません。でもそれ以上に、殿下のためになりたくて引き寄せられる人もいるんですよ。私もです。殿下のことをお支えしたい人は、殿下を利用しようという人よりもずっと多くいるのだと、そう信じていてほしいです」
サリカなりに一生懸命に言ったつもりだったが、エルデリックは暗い声で言った。
〈でもサリカ。僕は……君が思うほど素晴らしい人間じゃないんだ〉
「殿下……?」
どうしてそんなに頑ななのか。サリカは訳がわからず、けれどエルデリックの顔を覗くこともできず、戸惑う。
エルデリックがこんなにも卑屈になる理由がわからない。その言葉から、どうもサリカの一件のことだけで、そんな風に言っているようにも思えない。
「殿下、何かあったんですか? もし悩んでいるようなら、私が聞きます。私はそれほど賢いわけではありませんから、聞いて何か妙案が出るかはわかりませんが、それで気が楽になるのでしたら……」
どうにか理由を聞き出したい。そう思って説得しようとしたサリカだったが、エルデリックは言葉を途切れさせるように、不意にサリカから離れた。
離れてようやく見ることのできたエルデリックの表情は、どこか思い切ったような、そんな雰囲気を漂わせている。
〈サリカのやりたいことと、望んでいることはわかったよ。父上もお認めになったというのだから、僕なりに協力はするし――ラーシュを連れて行かない、というのもその通りにするよ、サリカ〉
エルデリックの変化について行きかねる感情にまごつきながら、サリカはそれでもエルデリックが深く悩んでいなさそうな様子に、少しほっとする。
だから、心が緩んでいて、不意打ちのように感じたのかもしれない。
〈でも、サリカはそうまでして巻き込みたくないほど、ラーシュが大切になったんだね〉
「え……?」
その言葉にひっかかり、目を瞬くサリカに、エルデリックは微笑む。
〈……違う?〉
「え、あの。た、大切と……いうか、みんな、ティエリとかにもこれ以上迷惑かけられないですし……別にラーシュだけではないですし。そもそもラーシュは陛下が他の方から預かった人ですから、死ぬようなことになっては、と」
サリカが答えている間も、エルデリックはにこにこと微笑むばかりだ。あげく、
〈でも、今までは一番危険な、サリカの護衛をやってもらっても平気だったでしょう? そこからも遠ざけるのは、どうしてなのかなって思ったんだ〉
じゃあ、おやすみ。
とエルデリックはサリカに伝えて、寝室へと姿を消した。
おいていかれたサリカは、
「え…………」
自分の頭の中の整理がつかず、呆然としばらくの間立ち尽くしていた。




