52 うちの下僕の言うことには
「キモっ」
思わずサリカの口をついたのは、そんな言葉だった。
出会って間もない相手に、満面の笑顔で「踏んで」なんて言い出されるとは思わなかったのだ。
気持ち悪い。その感想しか浮かばなかった。
するとラーシュの顔をした何か――仮に『ラーシュその2』としよう――は、うふふと楽しげに笑って言った。
「やだなぁうちの主様はー。踏むぐらい簡単なことじゃないですかー。私のこと縛ってみたことだってあるく・せ・に♪」
「く・せ・に♪ とかって気持ち悪いってのー!」
つい叫んでしまったサリカに、ラーシュその2はおびえたように自分自身を抱きしめて上目遣いになる。
「ひどいっ、主様の気持ちを浮き立たせようと思ってやったのに、そんな風に怒るなんて……」
「どうやったら、人を緊縛した話を持ち出されて心が浮き立つと思ってんのよド変態! それに私がいじめたような言い方しないでよ! てか言いながら口元笑ってるってことは、わざと言ってるでしょ! っていうか、あんたは『何』なの?」
サリカは問いただす。
「眠ってるはずのラーシュの心の中なのに、目覚めて活動している貴方は何? ラーシュは二重人格なの?」
何も映らない空間で、ラーシュの心が夢を見るのを、サリカは待つつもりだったのだ。けれどラーシュは確かに眠っているような状態で、けれど話しかけてくるラーシュの別人格のようなコレ。
二重人格ならばまだ理解できる。むしろそうでなければ何なのか。
そもそもこのふざけた男に、別人格だという認識はあるのかどうか。
間合いを詰めて問いただすサリカに、ラーシュその2は愛想笑いをする。
「二重人格ですかぁ~? まぁそんな感じも近いかもしれないけどなんていうか」
話そうかなーどうしようかなー。
ラーシュその2は、サリカを困らせるようにぐずぐずと悩んでみせる。
「話したら何してくれます? ご褒美がなにかあったりして。蹴ってくれるとか」
楽しげに言われて、サリカはだんだん苛ついてきた。
「踵で足の甲踏まれるのもなかなか。でも一番は引き倒した上で罵られてみた……いだーー!!」
無言でスネを蹴りつけられ、ラーシュその2は飛び上がりそうな程痛がった。
スネを両手で押さえながら、体をくの字にしてぴょんぴょん跳ね、涙目でサリカを見上げてくる。
「我が主よ……いくらなんでも酷すぎます」
「あんたのこと喜ばせるためにやってるわけじゃないし」
しかも所詮心の中での出来事だ。ラーシュ自身が傷つくわけでもないので問題ないと答えたサリカだったが、
「えー。喜ばせたら案外ころっとしゃべるかもですよー。ほら、遠慮無く私を踏みながらおねだりしてみてくださいよー」
案外したたかなことを言う変態は、その場に寝転がってサリカの足首を掴む。
「ねーねー」と言いながらサリカの足を自分の胸に引き寄せようとするので、サリカは気持ち悪さにその手を蹴るように振り払って距離を取る。
「いいからキリキリ答えなさいよ! ていうか私貴方の主でもないし!」
「そんなぁ~。あきらめて、貴方専用の下僕ってことにしときましょうよう~」
「…………」
サリカはぞわっと腕に鳥肌がたつ。
好き好んで、他人の下僕になりたいと言い出す輩を初めて目にしたショックで、思わず言葉が出なくなりそうになった。
(ほんとにほんとに変態っ!)
「私は下僕なんて必要ないわ。とりあえず貴方が一体何なのか話しなさい。別人格なの? 薬で影響されたラーシュの脳が創り出した者なわけ?」
「えー言わなきゃだめですかぁ?」
ラーシュその2は起き上がって座り直しながらもごねる。
「さもなければ、強制的に読み取るまで」
サリカは嫌悪感を抑えて変態に近づき、無造作にその頭に手をあてる。
するとラーシュその2は苦笑してみせた。
「消せば、貴方をお守りできなくなりますよ、この宿主は」
その言葉にサリカは目を見張る。
「それでも、私を消しますか?」
数秒、サリカはラーシュその2と見つめ合う。その真意を探るように。そして彼の存在理由についての端緒を探すように。
「宿主ってことは、あなたはラーシュそのものから分離したわけではない、ということなのね?」
元が同じ人間ならば、そんな表現はしない。だからこその問いだった。
「んん~さすが我が主は鋭い」
立ち上がったラーシュその2に、サリカは言う。
「別な存在だというなら、消しても問題ないでしょう。この下僕体質になっちゃう状態を、ラーシュ自身は歓迎してないわ。貴方を消して普通の人に戻れたら彼は喜ぶだろうし、彼は私に関わらずに生きていける」
「我が主よ、でもその方法を使ったとしても、我が主は貴方をお守りすることを辞めないでしょう」
サリカは言葉に詰まる。
確かにラーシュならばそうするだろう。狙われているらしいサリカを彼は放っておかない。その能力を使わずに、御前試合で勝利を掴んだ時のように。
悔しくて歯がみするサリカに、ラーシュその2は満足げに言った。
「そろそろ私が主を翻弄しすぎるのも失礼かと思いますので、少しだけ明かそうと思うのですが……私の存在はちょっと説明しずらいんですよ」
そう切り出す以上、このラーシュの居候は自分の存在についてようやく話す気になったようだ。横道に話がそれないよう、サリカは相槌も控えて続きを静かに聞いた。
「我が主のような力を持つ人でも、時には心を支配されることもある。子供の頃からの洗脳。そして精神に働きかける薬がほとんど効かない我が主にも、効果がある物も存在するんですよ。
それらが一つの野心を持つ人間によって使われてしまえば、君たちはその人間に言われるがままに力を振るい、戦争を起こすことも、敵を蹂躙することもできる――昔の、死神が戦場に立った時のように。そこまでは聡明なる我が主ならばご存じですよね?」
「もちろんよ」
だからこそサリカは、脅しの材料に使える人間を作らないようにしてきたのだ。
サリカの答えに、ラーシュその2は楽しげに応じる。
「私どもは、そうなった時の抑止力の一つでもある、と思っていただければ」
「……抑止力?」
「我が主が能力を意に沿わない使い方をさせられた時に、何を願うか。止めてくれでも、殺してくれと言う場合もございますでしょう。また、我が主は能力がやや弱いので、より強く能力を引き継いだ人物が暴走した時に、ご自身では止められないでしょう?」
サリカはうなずく。祖母や母に本気でかかられては、自分では太刀打ちできないから。
「だから誰か一人がそうして狂わされた時に、その人以外の人間が止められるように、代理として私と宿主のような関係の者がいると……そう考えてみると、なかなか面白いのではありませんか?」
「面白いっていうか……」
結局、ラーシュの居候は明確な答えを言わない。
ため息をつきながらサリカは再度問う。
「では、ラーシュは代々私のように血とともに能力を受け継ぐようにして、あなたという存在を受け継いでいるというの?」
するとラーシュその2は「うーん」と悩んで言う。
「存在を受け継ぐというか。あれですね。突発的に私という存在を引き寄せて、取り込む存在というか。その要素としては、まぁ我が主のような方の血が薄くでも関与しているようですが」
「なら、あなたは別な存在?」
「もう少し正確に言うと……」
そこでラーシュその2はふふっと笑って顔をそむけながら、横目でサリカを見ていう。
「そんなに私のことをお知りになりたいですか? こんなに思われて私、感無量――うげっ」
サリカはまたしてもじらそうとするラーシュその2にキレて、襟首をつかまえてぶんぶんと前後に振った。
「は、や、く、言いなさいっ!」
「わーかりましたっ、ちょっ、我が主よ、苦しくて嬉しいんですけど、しゃべれなっ……」
サリカは十回ほどよくラーシュその2を揺さぶって、それから解放してやった。
「ぜぃ、ぜぃ。本当に我が主は暴力的で素敵なんだから……。ええと、そう、私の存在は精神世界に漂う幽霊だとでも、思っていただければ」
「幽霊?」
そろそろこの変態に慣れてきたサリカは、暴力素敵発言は記憶からさっと消し、重要な所だけ復唱した。




