48 黄昏の幻惑 2
小さな部屋の中、ティーテーブルの上に並べられる琥珀色の茶と焼き菓子が並べられた真っ白な皿。
置き終わった召使いの女性が、一礼して部屋を出て行く。扉をつま先が入る分だけ開けたまま。
サリカは焼き菓子を見ながら思う。
(普通のご飯が食べたい……)
今サリカが欲しいのは甘味ではない。塩味だ。しゃきしゃきとした野菜の歯ごたえや、肉を食べた後の胃の重みが恋しい。
けれどロアルドの前で食事をするわけにもいかず、どうやら彼は既に食事を済ませていたらしく『お茶におつきあい下さい』と言われてしまっては、スープを頼むことなどできなかった。
サリカは空きっ腹を宥めるために焼き菓子を一つつまみ、茶で流し込んでから切り出した。
「お見合いを、諦めて下さるというお話でしたね」
「ええ、そのためにも、私が今回のお見合を受けた経緯をお話しても?」
誰でもよりどりみどりそうなロアルドが、サリカとの話を受けた理由を知りたかったので、空きっ腹を我慢しながらサリカはうなずく。
そのときふと、空気の流れを頬に感じた。
開けたままの扉から風が入ったのだろう。果実に似た甘い香りがした。
「サリカさんが以前、噂で聞き知ったことをお話してくださった通り、私は一度結婚して死別した身です。妻はイザベラと言いますが……この先のことをお聞きになって、驚かないで下さいね」
ロアルドは前置きして、話を続けた。
「そもそも私は、生家から庶出の子供だという理由で捨てられ、孤児院へ妹ともども放り込まれた身なのです」
初っぱなから激烈に個人的な秘密を明かされ、サリカは思わず扉に視線を走らせた。
誰かが通りがかって、聞いてしまったらどうしようと思う。けれど二度と変な策につかまらないように、扉を閉めるわけにもいかない。
一方のロアルドは平然としたものだった。
誰に聞かれてもいいと思っているのだろうか。
サリカが悩む前で、彼は語る。
孤児院送りになったロアルドと妹だったが、まだ幼かったのと元は貴族の出身だったため、それぞれ別な家に養子として引き取られたのだという。
ロアルドは女官長の妹の家に引き取られ、体面を繕うため嫡男とされたようだが、その暮らしは穏やかなものではなかったようだ。
子供にしたとはいえ他人の子。家名に傷を付けないようにと厳しくあたられ、そのうちに実の子が生まれてからは、虐待に近い扱いへ変わっていったらしい。
ますます誰かに聞かれたらどうしようと、サリカは扉をちら見する。
誰も通りがかっていない……と思う。
そして秘密を暴露しているのは、今まで理由も不明なままさんざ迷惑を掛けてきた相手だ。気にする必要はないのかもしれないが、悲惨な家庭環境の話を聞けばサリカも心が痛む。
だからそっと、周囲に気配がないかを視るために能力を使いつつ、ロアルドの話を聞くことになってしまった。
「けれど私などより、妹の方がよほど辛い目に遭っていた。引き取られた家が困窮して追い出され、一人路上で生活していたのです」
ロアルドの妹は、なんとか日雇いの仕事を見つけて一人で生きていこうとしたようだが、元から丈夫な質ではなかったせいかすぐに体を壊した。
気立ての優しい彼女は、知り合いの女性達の手を借りながらも細々と暮らしていたようだが、ある日借金の末に売られそうになり、そこを偶然にもロアルドが見つけたという。ようやく妹の状況を知った彼は、妹と二人で家族として生きて行くために一計を案じた。
「養父母の元を出るのは難しくはありませんでした。既に実子がいる以上、私は厄介者でしたから。ただ、妹の体を癒すには先立つ物が必要です。そこに、時折妹に仕事を与えていた老婦人から申し出があったのです。それがイザベラでした。妻と私はかなりの年の差があったことはご存じかと思います。それもそのはずで、イザベラは私の実の祖母の従姉でした」
「祖母の、従姉……」
それは確かに、相手の年齢が高すぎる。巷で騒がれても仕方ないだろう。
サリカは驚きながら思った。
「もちろん契約のみの結婚です。愛情や肉親の情なんてものはなかったのですが、イザベラは私の元の生家の家督を取り戻したいあまりに、私に話を持ちかけたのです。そもそも、生家の家督をイザベラの親の代で争ったらしく、彼女は従妹の家に盗られたと思っていた。けれど私の実父が家を傾かせて家督を奪い取れる好機に、自分は病床の身となってしまい、あきらめかけていた彼女は、私を見いだしたのです」
「家、ですか」
サリカには、家に執着する理由がわからない。
家族に、というのなら理解できる。唯一絶対的にわかり合える間柄の人々と、ずっと一緒に居たいと願うのは普通のことだろう。
けれど名前に価値を見いだせないのは、自分が何かあれば全てを捨てて逃げることを優先しなくてはならない身の上だからかもしれない。
「イザベラは、妹の身の上を偶然知った。捨てられた私達に同情した彼女は、爵位を取り戻すことができれば、実の父親に復讐する機会と、妹を療養させられる家と財産を提供してくれると約束したのです」
そして、ロアルドはためらいなく行動した。
「実父の方は私達の母親だけで懲りずに愛人を持ち、貢ぐことを繰り返したせいで借金を抱えていました。なので多少後ろ暗い話をお持ちのご夫人方に後で名誉を回復するということで協力を得て、父が自ら失踪するように仕向けました。今はどこにいるのかわかりませんが、一年間本人が不在となったので爵位はイザベラのものとなり、私は彼女と結婚。そのイザベラも亡くなって、今は妹と二人暮らしなのですよ」
穏やかな口調に合わない波乱に満ちた話は、そこで一区切りついたようだ。ふっとロアルドは息をついて、続けた。
「……以前、サリカさんは私が女性に貢いで借金を背負ったと言っていましたよね。あれは正確にいうと、実父を追い落とすために協力してくれた対価を支払っただけなのです。女官長である私の伯母も、そのとき協力してくれた一人でした。伯母に報いる方法はいくつかありましたが、伯母は貴方と私の結婚を望んだのです。とはいえ、望まない結婚をさせるのだからと金銭の提供もありましたが」
サリカは目を瞬く。
「協力の対価に、私との結婚を受け入れたんですか? でも、それって……」
望まない結婚。家との結びつきや政略のために心を無視するからこそ、ロアルドのように庶子が生まれることも多いのではないだろうか。ロアルドもまた、サリカと夫婦でい続けることが辛くて、誰かを愛してしまったらどうする気だったのだろう。
だからサリカは言った。
「偽りの夫婦になったとして、もし好きな人ができたらどうするんですか? 実の父のように、愛人にするというのは……嫌でしょう?」
もし子どもが産まれたら、ロアルド自身のような日陰の身に置かなくてはならなくなる。するとロアルドが微笑んだ。
「貴方を、家族として愛せるだろう思ったのですよ」
サリカは胸をつかれたように感じた。
可愛いから、楽しそうな人だから恋できると思ったのではない。家族として一緒に暮らせるだろうと思ったという言葉は率直で、飾らないからこそサリカの心に響く。
そして今までロアルドが言ったどんな言葉よりも、サリカは妙に嬉しくて、気恥ずかしくなる。
ロアルドはそんなサリカをまっすぐ見ながら続けた。
「人柄については、伯母が保証してくれました。伯母自身が苦労していますからね、お見合いをさせるのが趣味の人ではありますが、酷い人を紹介したりはしないんですよ。それにお会いする前に何度か遠くから拝見して、私もある程度許容できるかどうかは判断した上でのことでした。他人に親切なところや、何よりも殿下のように不自由を抱えている方に、あなたはとても優しい。だから妹にも、愛情深く接することができると思ったのです」
そうして、ロアルドはテーブルクロスの上に、人差し指をゆっくりと走らせた。
《けれど、伯母の顔のいい男が好きだという情報は嘘だったようですが》と。
サリカは文字を読み取り、苦笑いする。
そもそもは殿下賛美をしたら、女官長がエルデリックのように綺麗な容姿の男を! と思い込んでしまったせいなのだから。
懐かしく思い出していたサリカは、次に綴られた言葉に目を見開く。
《けれどあなたは、やはり最初に私に釣られるべきでした》
何を言い出すのだろうとロアルドの顔を見れば、彼は口では言えないのだというように、左手の人差し指を口にあて、サリカに話さないように促す。
《あなたを狙っている人がいる。その相手は、最初王子殿下の妃候補になりかねない貴方を邪魔に思っていた》
サリカは口をぽかんと開けて、綴られた文字を思い返す。
(私が殿下の妃候補になっては困るから、狙ってる人がいたってこと!?)
ロアルドはサリカの反応を見て読みとれたことを確認しながら、更に文字を綴る。
《あなたが妃候補にならないよう、暗殺計画が持ち上がった。それを知った伯母は、あなたを守るために私との見合いを勧めたのです》
「なっ……」
サリカは驚きのあまり、小さく声を出してしまう。
お見合いの真相がそんな事だとは思わなかったのだ。
けれどそれで、女官長がしつこく結婚させようとしていた行動に納得がいった。
そして女官長が自分の命を狙っていなかったことに、サリカはほっとする。同時に、ロアルドが指文字で打ち明けた理由やお茶に誘った理由に思い至る。この秘密を打ち明けるために、声以外の手段を使おうと思ったのだろう。
危機が去ったからこそ、見合いは必要ないと判断したのに違いない。
「それが終わったから、お見合いの件を諦めてくれるということですね」
胸をなで下ろしながらそう言ったサリカは、次の文字に戸惑う。
《そのはずでした。けれど今も、あなたは狙われている》
「え……」
どうして。そう思ったサリカだったが、思い出したのは二度殺されかけた事件のことだ。
サリカは、自分からもテーブルの上に指先を走らせた。
《お見合いの話が出た頃から二度、私は殺されかけました。もしかしてそちらとロアルドさんの知っている方は、別な目的で私を殺そうとしていたということでしょうか》
するとロアルドは首を横に振る。
《同じです。今、貴方を以前よりもより殺意をもって狙っている者は、同じなのです。私には理由までは知ることはできませんでした。本来なら、あなたはもう狙われる必要もなくなるはずだった。だからむしろ、それについては私の方が伺いたい》
――あなたは一体、命を狙われるどんな秘密を持っているのですか?
その一言に、サリカは背筋が凍り付いたように感じた。
自分の秘密。
平民でさほど能力が高いわけでもなく、地味なサリカを殺したくなるような理由など、一つしかない。
(まさか、知られた……?)
サリカの能力のことが、暗殺計画を立てていた人間に知られたというのだろうか。しかもエルデリックの妃の座を狙って邪魔なサリカを殺そうとしたのだから、バルタ王国の貴族に違いない。
サリカの表情が変わったことを読み取ったのだろう。ロアルドが言った。
「お心当たりがあるようですね。……私としても、ここまで関わって見捨てることはしたくないのです。手伝えることがあればと思ったのですが……」
その続きをロアルドはさらにテーブルの上に書き出す。
《今日は、せめてあなただけでもと思って、引き留めたのです》
ロアルドの言葉をサリカが理解するまで数秒かかった。
サリカだけでも。
それはとりもなおさず、サリカ以外の人間までは救えないということか。
サリカは胃が締め付けられたように痛む。
また自分のせいで誰かが傷つくのか。自分は助けられないのか。
焦りと恐ろしさでめまいがしそうだった。けれど闇雲に走り出しても、どうしようもない。だから情報が欲しくてロアルドに願おうとした。
「ロアルドさん。どうして今日、そんなことが起こると貴方は知ったので……」
サリカは問いかける言葉を、最後まで言う事はできなかった。
能力を使い続けていたサリカの視界の端、扉を透かした向こうに人が走ってくるのが見えた。
けれど、呼んだはずのラーシュではない。
気づいたその時に、扉の向こうからかすかな騒ぎの声が聞こえてくる。
そして部屋に飛び込んできたのは、サリカよりも先に休憩に入ったはずのティエリだった。
普段は血色の良い頬までも真っ青になったティエリは、ふらついて、ぶつかるようにして部屋の中に入ってしゃがみこむ。そのとき、花の香りが部屋の中に入り込み、サリカは蒸気のように広がるような錯覚をおこした。
「ティエリ!?」
慌てて駆け寄ったサリカに、顔を上げたティエリが言う。
「よかった、あんたは大丈夫、なのね……」
「何? どうしたの!?」
「食事に、何か、毒みたいな混ぜものがされてたかもしれない……って。今、みんなこんな状態になっちゃって、だけどそれより、あんたに知らせなくちゃって」
目に涙を浮かべ、一度辛そうに息をついてティエリが知らせた。
「ラーシュ様だけが、完全に意識を失ってしまったのよ……」




