46 初心忘れるべからず
「信じらんない信じらんないっ!! なんで平気であんなこと言えるのーっ!」
夜、一人になった部屋の中。髪を振りみださんばかりに頭を振って、うがーっとサリカは叫ぶ。
そうしてひとしきり手で枕を叩いて暴れた後、息を切らせながら呟いてしまう。
「ラーシュって、ラーシュってあんな人だったっけ!?」
サリカはかなり戸惑っていた。
あの御前試合前から、ラーシュが微妙に変わったとは思っていた。それまでは保護者的に怒ってくる相手だったのに、本意じゃないはずなのに急に迫るフリをしてみたり、妙に優しかったり、リボンをほどいてしまったり。
「あ……そういえば、返してもらってないかも」
あのときお守り代わりだといって、ラーシュが腕に結んだリボン。
怪我したのをサリカのせいだとは最後まで言わず、お守り代わりのものを他の誰からもらえというんだと言いながら、手慣れた様子でサリカの髪をほどいたラーシュ。
あれがまだラーシュの部屋にあるのかと思うと大変恥ずかしい。
今朝までは我が物顔で占領していたというのに、控えの部屋がとたんに他人の場所のようにかんじられるほど身の置き所がなくなる気分になった。
そして、捨ててくれたか確かめたくなる。
と同時に、ふと気になった。
「私、確かティエリに編み込みされて、リボンも一緒に編まれてたような気がするんだけど……」
花を飾りたがったのだけは拒否したけれど、何も装飾をつけないのも王子の側にいるのにみすぼらしいからと、リボンだけは使ったのだ。そしてサリカより器用なティエリは、そこそこ複雑な結い方をしていた。
なのにラーシュはあっさりとほどいてみせたのだ。
ようするに、誰か他の女性の髪をほどいたことがあるのではないだろうか?
しかもそういうことに慣れるほど、だ。
「…………」
やにわにサリカはラーシュの過去が気になった。
本人は下僕扱いをされていたらしいのだが、まさか下僕扱いの命令をされたあげくに……と想像してしまう。
さらに人の髪をほどくってどういう状況だとか、まさか髪結い屋の代わりにしていたわけではあるまいとか、ぐるぐる考えた末にばふんと寝台の羽毛が詰まった上掛けに倒れ込む。
「くぅぅ、気になるけど聞きづら……」
人の過去など、今までサリカは気にしてこなかったのだ。
気になってしまえば覗きたくなるし、サリカにはその方法がある。言葉で説得しなくても、知ることができるとそういう誘惑がつきまとうのだ。
それでも今まではこんなにも聞きたいと悶々とすることはなかった。しかも人の過去の恋愛なんて。
「それもこれも全部ラーシュが悪いのよ。そうよね?」
つい、サリカはラーシュのせいにしてしまう。
そもそもは昼間の会話がいけないのだ。なぜあんなキスの感想など聞いてくるのか。あんな事は気がある相手にだけ聞けばいいのだ。
「私のことなんて……運命共同体として同情くらいはしてくれてるかもしれないけど、本気になるわけないのに」
サリカはラーシュに嫌がることをする気はない。
でもサリカの倫理観がちょっとでも壊れてしまえば、サリカはラーシュにどんなひどいことでもさせることができるのだ。
さすがにサリカはどんな状況でも、自分の気分だけでラーシュを貶めるような気はないけれど、彼がその可能性を恐れるかどうかは別だ。
そんな恐ろしい女に恋をするなどありえないし、もしそうならラーシュは重度の変態だ。
ラーシュはもちろん、そんな趣味はないだろう。
「ね、やっぱりからかってるのよ。うんうん。さ、そんな人のことは忘れて寝ちゃいましょう」
今日もサリカは宿直の当番ではない。
だから早々に眠ることにして、就寝準備をする。
それでもまだラーシュの発言が頭の中をちらつく。ついでに髪の件もまた気になってくる。
「なんか……なんか心頭滅却できるものないかしら……」
こんな風に気になってしまうのは、きっとラーシュが強くていつでも助けてくれて、サリカの秘密を知った上で護衛ができる人材だからだ。それで気が抜けて、キスまでしたのとあの御前試合の雰囲気に飲まれて変な事を考えそうになってしまうだけなのだ。
でも結婚相手に選ばれるわけもないし、サリカは今まで通り結婚しないことに変わりはない。
ならばキスをする前の自分を取り戻すには……と考えて、良い物があることを思い出す。
翌日、日が昇ってからサリカは元の部屋まで行った。
もちろん護衛としてラーシュもついてくるが、女子の部屋を尋ねるのは気恥ずかしいのか、ラーシュは少し困り顔だった。
一方のサリカは、昨日とは違って変に顔が上気することもなく、頭の中が混乱して真っ白になってしまうこともなく、ごく冷静でいられた。
そして問題の物を回収する段になり、とりあえず暗殺犯を警戒しながら部屋の中について来ざるをえなかったラーシュの目が目標に向かった瞬間、
「独身主義者がやり手婆から逃れ……!?」
素早く回収した。
それとなく懐に抱きこんだら、サリカの気持ちはさらに落ち着いた。
ラーシュの顔を真正面から見ても、昨日みたいに落ち着かない気分にはならずに済んでいる。
(そうよ、この人とは結婚できないんだから)
うんうんと納得し、サリカは王宮のエルデリックの元へと戻り始める。
行きよりもますます困惑した表情のラーシュが、そんなサリカを追いかけてきながら尋ねて来た。
「お前の結婚拒否ってのは、ほんとに筋金入りだったんだな……。でも、ちょっとでも想像したことないのか? もし能力がなければ、とか。……ど、どんな告白の言葉だったらいいとか。どんな結婚式がいいとか、女は考えるものだって聞いたことがあるんだが」
ラーシュの質問に、サリカは自分の結婚観など聞いてどうするのだろうと思ったが、巻物のタイトルが目に焼き付いたせいで気になったのだろうと思った。
「まぁ、全くなかったわけじゃないわ。小さい頃は絵本でお姫様の結婚式とか、いいなぁって思った時期もあったし。でも小さい頃だったから、旦那様は優しくて、とかドレスは白が一番だろうなとかぐらいかな。その後はいろいろあって結婚が恐くなっちゃったし、想像したらつらいでしょ? だからそもそも考えないようにしてたから、よくわからないな」
ついこの間まではそんな気持ちだったと思い出しながら、サリカは答えた。
それを聞いたラーシュがどんな顔をしたのかは、振り返らずに歩いていたサリカには、知るよしもなかったのだった。




