37 その日 1
その場所は、王宮の外にある。
すり鉢状の土地の中心は、踏み固められたむきだしの土。
その周囲に楕円形に柵がめぐらされ、さらに簡素な石段が裾野のように坂に広がっていた。
騎馬試合が行われる、会場だ。
通常時は正式ではない練習試合が度々行われているが、年に四度は国が主催する騎士の試合が行われる。
特に今日は、国王が臨席しての御前試合だ。
勝者への報償も段違いながら、振る舞い酒などもあるせいか、王都の民や周辺の街や村からも観客が詰めかけているようだ。石段にはびっしりと人の姿がひしめいていた。
彼らは振る舞い酒を手に、談笑しながら試合会場を見下ろしている。
そこでは前座として、騎乗しない剣での打ち合いによる試合が行われていた。
戦っているのは、鎖帷子の上からサーコートを纏った年少の従騎士達だ。
勝った者に我こそはと思う者が挑み、二度三度と勝ち続ければ拍手が贈られる。更に勝ち続ければ、観戦している国王の代理人から強者の証として指輪が贈られた。
従騎士達は、指輪を得ることができれば騎士叙任が早まることを知っている。だからこそ、刃先を丸めた剣を打ち合い、手に持った小さな鉄の盾で受けながら、相手をたたきのめそうとする。
そんな様子を、サリカはエルデリックとともに会場の中央部にある、屋根付きの王族用観戦席に座って眺めていた。
男の子というのは基本的に騎士ごっこが好きなものだし、棒を持ったらふりまわさずにいられないのは知っていたが、戦っている自分より年下の少年達は、実に生き生きとしていた。
今日の結果如何で、また別な対策をとるか、もしくは決着がつくか、瀬戸際にいるせいで落ち着かないサリカとは大違いだ。
見れば、隣に座ったエルデリックも、興味心身で従騎士達の戦いを観察している。
エルデリックの近くに座ってサリカも観戦するものの、どうも落ち着かない。
「なんか気になる事でもあるの?」
めざとく気づいたティエリに尋ねられ、サリカは曖昧に笑って首を横に振る。
これから自分のために戦ってくれる人がいるからなどと、絶対にティエリには明かせない。
エルデリックの周囲では、付き添ってきたハウファやティエリ、そして召使い達が出場者の話で盛り上がっている。
「陛下の騎士も今回は何名か参加されるんでしょう? イムレーディ様はいらっしゃるの?」
「参加なさるって聞きましたよ。お顔が兜で隠されてしまうのがとても残念ですけれど……」
「勝てば脱いでお顔を見せて下さるわよ。美男子がそれをやる瞬間がいいんじゃないの」
イムレーディ氏は、壮年のまさに紳士と呼べるような人物だ。立ち居振る舞いが上品で、若い男性に黄色い声を上げるような少女達でも、微笑みかけられると思わずぽーっとなってしまうらしい。
サリカはそうなったことがないのでよく理解できないのだが、周囲の状況からいうと、そのように人気がある人物だ。
「ジュラ様は? 強さで言えばあの方じゃない。去年は二度優勝されてるし」
「出て居られるはずですよ。あの方の大柄な騎馬とその騎乗するジュラ様の姿は、もう魔王のようですもの」
「あの全てをなぎ倒していくような突撃の仕方は、つい何度も見たくなってしまうんですよね。圧倒的すぎて」
大柄な騎兵隊の隊長ジュラ氏は、悪役としても主役としても人気があるらしい。
まぁ確かに壁のように大きな方だものね、とサリカはうなずく。彼の戦い方は、まさになぎ倒すというのが相応しい。
「アンドラーシュ様もいらっしゃるって」
「大丈夫なのあの方? ただでさえ細身でいらっしゃるのに。おきれいな顔に傷でもついたら、川に身を投げかねない女性が沢山いるでしょうに」
「ジュラ様とぶつかったら、塀の向こうまで吹き飛ばされかねないのではないの?」
「あの方はそれでも騎士叙任受けた方なんですから……参加されるのを見るのは、初めてですけれど」
「それはもう。ご実家が裕福ですもの。試合で賞金稼ぎみたいなことをする必要もないですし、陛下に仕官を許されたのも、騎士なのに詩人になりたいあの方のありようが大変面白かったという理由だと聞きましたわ」
「……なんだか、無事でいらっしゃれれば充分な気がしますわね。まぁでも、上位に入賞でもなされば充分に名誉なことですし」
実に方向性もバラバラな個性豊かな騎士達の話に聞き入っているうちに、従騎士達の戦いは終了の時間が来たようだ。
引き上げていく彼らと入れ替わりに、騎馬の一団が入場してくる。
粛々と列になって入場する彼らは、右手に鋭利な部分を潰した槍を。左手には兜を抱えて居る。
試合の邪魔になる長いマントは誰も身につけない。
代わりに風でひらめくのは、馬に着せられた様々な紋章入りの織布だ。
「あ、あれ、ラーシュ様じゃないの?」
中程にいたラーシュを最初に見つけたのはティエリだった。
指さした方向を見たサリカは、藍色の織布に王国の紋をあしらい、黄の房飾りをほどこした布をまとった葦毛の馬と、黒の軍衣を纏った灰色の髪の騎士を見つけた。
黒灰色の髪が強く吹いた風になびいて、隠れがちな灰色の目が露わになる。
どこか遠くを見るような眼差しがやけに似合っていて、サリカは内心惜しい、と思ってしまう。
きっと十歳以上若返ってくれたら、可愛い顔なのに少し冷めたまなざしの、つつきたくなるような子どものラーシュと出会えただろう。エルデリックとは方向性が違うものの、いじりたくなるような可愛さだったに違いない。
だからだ、とサリカは思う。
ラーシュの真剣な表情を見て、自分のために戦ってくれるのだと思っても、一向に心が浮き立たないのは。素直に頑張ってほしいと声援を送れず、ただ不安で心の奥がざわつく。
落ち着かない気持ちを出さないよう押さえ込むサリカの横で、ハウファがティエリに応えていた。
「まぁ、なんだかいつもより三割り増しで凛々しく見えますわね」
「元は宜しい方ですもの。いつもはけだるそうで……そこも見ていて楽しいのですけれど」
「でも参加を決めたのは急でしたわよね。……まさか、誰か勝者の特権を行使したい相手がいたとか?」
ハウファと同年配の既婚の召使いが言うと、ティエリが笑う。
「それこそまさか。陛下に出場を勧められたと聞いたわよ? 勝者の特権を行使するにも、めぼしい相手と心通わせてるようには見えないし……ね?」
ちらりとティエリが視線を向けたのはサリカである。
エルデリックが二人を近づけようとしている、という一緒に行動する方便を信じているためだ。
けれど、表向きそういった艶聞が発生したようには見えないのだろう。だから「どうなの?」と探るような目をむけてくるのだ。
サリカは首をかしげて笑ってみせるしかない。
ラーシュが勝てなければ、彼は行動を起こすことはないのだし、であれば先にそんな噂を流していては、サリカを思ってもいないのに周囲からはやし立てられる材料を提供するだけだ。
祝宴の時に庇ったことでさえ、あれこれと言われたらしいので、なおさら申し訳ないことになってしまう。
「でも、優勝した騎士様が私のところにいらして、求婚してきたらもう、誰でもうなずいてしまいそう……」
まだ年若い召使いが騎士達を眺めながらそうつぶやく。
周囲はそんな彼女をほほえましそうに見てうなずいた。
「お約束よね」
「自分じゃなくても、誰かそうしてもらえる人を見るのもいいわよね」
「でもやっぱり自分だったら一番いいじゃない?」
「私は特定の騎士様じゃないと嫌だから、誰でもっていうのは無いかも」
話しながらも、彼女達は楽しそうだ。
サリカは話にいつも通りに話に混ざらないのだが、それもこれも今まで、結婚願望がないのでそんなことされても困るからだと説明していたからだ。
恋しないと思っていたから、そんな場面すら想像しないようにしていたから。だって、期待したら辛くなってしまう。母親と違って、自分は相手を守れないから。
でも、もし……とサリカは思いながらラーシュを見る。
ラーシュは頼れと言ってくれた。そして今、サリカの結婚話を白紙に戻すために、試合に臨んでくれている。
そんな風に守ってくれるのなら、と思い始めてサリカは首を横にふって想像を頭の中から追い出す。
ラーシュのような規格外な人でもない限り、守って死なれては困る。
ただ、今日だけは。ほんの少しだけ、そういう気分になった方がいいのだろうか、とサリカも思った。
(ラーシュが優勝したときに、喜んでる演技ができないとあれだし……)
あれこれと考えながら、サリカの心は右へ左へ揺れていた。それが表にも表れていたのか、気づけばそわそわと衣服の裾を握ったり離していた。
しかしそうやってのほほんとしていられるのもそれまでのことだった。
(……ひっ!)
間近でぶつかりあう馬の重たく鈍い音に、思わず肩をすくめてしまう。
塀で隔てられていても、その迫力は打ち消されないままサリカに伝わるのだ。
あんなぶつかり方をしたら、馬は足を痛めないのか。肩は痛くないのか。でも馬の肩ってどこだと思いながら、目を丸くして凝視するしかない。
いざ一騎打ちが始まると、いろいろと想像しかけていたこともサリカの頭からは飛んでしまった。
以前観戦したのはもう少し離れた席で、こんな近場で見たことがなかったのだ。
直近でそれなりに立ち回りを体験してしまったが、そちらにしても騎馬対騎馬ではなかったので、よもやこんな迫力があるとは思わなかったサリカは、今更ながらにおびえた。
(どうしよう、ラーシュが怪我でもしたら責任負えない……)
そうしている間にも、場内の端から駆けてくる馬がすれ違い、盾に当たって折れ飛んだ槍の先が近くまで飛んできて、悲鳴をかみ殺す。
盾で防いだ方は衝撃で落馬したらしく、衛兵が持ってきた担架に乗せられて、場外へ運ばれていった。
しかし今更やめてともいえない。
試合をしたことがあるというラーシュはこれを分かっていて受けたのだろうし、今更サリカに止められても聞くわけがない。
超人的になる下僕状態ならまだしも、素のままのラーシュがどれほどなのか知らないサリカは、とうとうラーシュの出番が来た時、恐ろしくて目を閉じようか、目にごみが入った振りをして見ないようにしようかと思った。
「え、あれ……」
鮮やかとしか言いようがなかった。
ラーシュは相手の槍をわずかに身動きしてかわし、槍で相手の盾をたたき落としたのだ。
観覧者から一斉に歓声が上がった。
盾を落としても相手の負けになる。ラーシュは勝ったのだ。
「きゃー! すごいわラーシュ様!」
「予想以上ね」
ティエリ達は大喜びし、隣のエルデリックも、そこはかとなく満足そうだ。
(これはいける……かも?)
サリカもラーシュの技術に目をみはり、ようやく少し落ち着いて観戦できるようになった。
勝ち上がり形式のため、試合を重ねれば重ねるほど騎士達の数は減っていく。
御前試合なのでフェレンツ王も少し上段の席にいるのだが、途中、フェレンツ王の騎士も破れてしまった時は、珍しく残念そうにしていた。
一方のエルデリックは、それを倒したのが自分の騎士であるラーシュだったので、満足げだった。
このまま勝ち進んで行けるかもしれない。サリカがそう思い始めた折に、事は起こった。




