35 勢い任せの功罪
ラーシュが走りに走ってサリカを見つけたのは、王族用の食事を作る厨房の近くだった。
息をきらせて探しに来たラーシュに目を丸くしたサリカを、多少怒鳴っても聞こえないだろう、樹ばかりの北庭の中へ引っ張っていったのだが、ラーシュはそこで事情を聞いてうなだれた。
「では、お前自ら接触したわけじゃないんだな?」
「あれじゃ逃げられなくて……」
言い訳をしながらも、ラーシュに悪いと思っているのだろう、しおれたようにうつむいている。そうしていると、中身があれほど突撃系の変態だとわかっているのに、外見通りの大人しい女性に見えるのがラーシュには不思議だった。
しかし、そんな風にしおらしくしていてもサリカはサリカだった。
「あとね、もう逃げられないんだから、いっそ心の中を覗いてやれと思ったんだけど」
「やったのか!?」
逃げ切れなくて困りながら対応するだけならまだしも、これ幸いと攻撃をしかけるとは。
ラーシュはめまいがしそうだった。
(この女に大人しくさせることは不可能なのか……?)
「それが、上手く話を誘導しながらってのができなくて、とりあえずラーシュと私がつきあってなさそうだって、ばれてるらしいことしか分からなかったのよ」
サリカは眉尻を下げて「ごめんね」と謝ってくる。
ラーシュは頭痛がしてきて、額を手で押さえた。
「俺が謝って欲しいのはそれじゃない……。うっかりお前の能力がバレたらどうするんだ?」
「それは大丈夫よ。ラーシュみたいな人じゃないと気づかれないわ。それに……こんな理由で人前でキスさせられるなんて、嫌でしょう? 原因がわかれば、そんなことしなくて良くなるからと思って……」
サリカは心底申し訳なさそうな顔でラーシュを見上げてくる。
ラーシュはその顔に、なんだか見覚えがあった。
(……綿毛ネズミか)
むくむくと毛に覆われた丸っこいネズミ。じっと見つめてくる様子がそれに似ていた。本気でラーシュのためになると思っていたのだろうその気持ちはある意味純粋なので、小動物のように見えるに違いない。
ただし迷惑さも、放っておくと勝手に柱や椅子をかじり出すネズミ並みだ。
「人前でしないにこしたことはないが……。それ以上に良い案があればな?」
「うぅぅ」
サリカは渋い実を食べたような表情になる。
毎回困らされているせいか、そんな顔をされるとついラーシュはいじめたくなってしまった。
「俺のためだというなら、大人しく王宮に残ることを考えておけ。それに、件のキスを自主的にするのはお前の方だ。褒美をもらう俺の方じゃないからな、おそらくお前の方が倍恥ずかしい」
「え……あ!!」
今頃気づいたらしいサリカが、叫んで顔色が真っ青になる。
「お前がどうしても嫌だっていうなら、何か別な方法を考えるしかないが」
「う、ううぅぅ」
真っ青になったまま唸ったサリカは、やがて絞り出すような声で答えた。
「ラーシュが……嫌じゃないなら……がんばる」
恥ずかしさのあまりか、声が小さい。なにせ言外に『キスさせてください』と言っているようなものだからだ。
それは分かっていたが、気が進まないサリカの様子がラーシュは不満だった。自分のためでもあるとはいえ、サリカの意向に沿うために勝たねばならないという重圧を背負い、そのためにある程度修練もしなければならないのだ。
せめてもう少し、こちらの気分が上向くぐらいに感謝してほしいと思うのは、欲深すぎるだろうか。
だからラーシュはサリカに言ってしまう。
「俺にキスするのはそんなにがんばることか?」
「だって、だって、自分からなんてしたことないっていうか、どうしたらいいのかわからないし失敗したらどうしようって。そもそもロアルドさんにされたのが人生で初めてでってうわぁぁあ! 思い出したら今更ながらにむかつく! 結婚しないから一生しないと思ってたのに……」
頭を抱えてうなるサリカに、ラーシュはあっけにとられた。
「お前、あの様子なら殿下の頬に何度か噛みついてるんだろうが。そっちができて、なぜこっちは恥ずかしがるんだ」
心底不思議で尋ねれば、サリカはハッとしたように目をかっぴらいた。
「そうだ! この際殿下で練習させてもらおうかしら! 唇の横あたりならいいわよね? どうせ何年かしたらどこかのご令嬢か王女様のものになっちゃうんだろうし、まだ子供の今じゃないと冗談にできないもん。そうと決まれば早速!」
「こら変態」
ラーシュは走り去ろうとしたサリカの首根っこをつかまえる。
喉がしまったのか「ぐえっ」と変な音声が聞こえたが無視だ。この変態はこれぐらいしないと止まらない。
それにあの王子ならば、素直にサリカにキスを許すだろう。むしろ心の中でほくそ笑んでいそうだ。想像するだけでもなんだかむかむかとする。
(本当にあの王子は何を考えているんだか)
疑問はつのるが、とりあえずはサリカは正気づいて思いとどまったようなのでよしとする。
「でもお前、殿下の事は自分が独占したいわけじゃないんだな」
何年かしたら他の女性のものになる。
サリカはエルデリックのことをそう認識しているらしい。あくまで結婚相手や恋の相手に、自分を想定していないからこそだろう。
ラーシュに言われたサリカは片眉だけを器用に上げた。
「あたりまえでしょ? 私はあくまでお母さん代わりだし、あれだけ完璧な王子様ぶりなんだもの、ぜひお嫁さんもお人形のように可愛い女の子がいいのよね。そんで私は姑みたいな立ち位置で、いろいろチェックしてほくそえんで楽しみたい」
「重傷だな……」
よもや姑ごっこの願望を持っているとは思わず、ラーシュはげんなりとする。
「ま、そんなわけだから殿下の事食べるわけがないのよ? だけどちょっと味見をって、うげ……」
なおもラーシュの隙を突いて逃げだそうとしたサリカは、まだ服の襟を掴まれていたので再度うめく。
「どうして止めるの?」
「お前の変態ぶりが激しすぎるからだ。どうせ練習するならそこらの木にしておけ」
ラーシュは襟を掴んでいない右手で、近くの木を指さす。
それなら目撃者だけは精神的被害を受けるが、誰かにエルデリックとその周囲には被害を及ぼさないだろう。
するとサリカは不満そうに訴えてきた。
「だって木じゃ鼻と口と目がないから、わからないのよ……。枕で練習しようとしたけど、ちゃんとできるか自信が……」
そう言って、サリカは恥ずかしそうに視線をさまよわせる。
ラーシュは最初、頬ならそれでもいいだろと言おうとした。
しかし万が一のことがある。頬ならば友人同士の親愛の情とも言い逃れできてしまうだろう。そのせいでロアルドに分があると思われでもしたら、フェレンツ王の計画が水の泡になってしまう。
「どうにかならないのか。お前の同僚に……とか」
生物学的分類上の男にしようとするからいけないのだと、ラーシュはうっかり同僚の女官を薦めてしまう。
「ちょっ、百合をラーシュに勧められるとは思わなかった!」
サリカに驚かれて、ラーシュも自分が恐ろしいことを口にしたと気づいて慌てた。
「い、いや。だが男とするわけにはいかないだろ」
「ていうか他の人とするなんてもう嫌! いくら結婚する予定がないったって、初めてのキスがあんなだったのに……。なんかコツとかないの? しなきゃならないなら、ラーシュが教えてよ」
「俺に教えられてもいいのか?」
「他に頼める人が……」
そこまで言って、サリカがぽかんと口をあけてラーシュを見上げる。
ややあってその顔が熱でも出したかのように、赤く染まっていく。
顔を合わせていたラーシュも、赤くなるサリカにやたらと恥ずかしくなってしまった。
しばらくお互いに黙り込んでしまい、その時間が経てば経つほど気まずくなっていく。
ラーシュはその場から逃げたくなった。しかしそのままにしておけば、サリカはこんな顔のままエルデリックに口づけをねだりに行くかもしれない。
想像してしまったラーシュは唸りたい気持ちになる。挑発するように自分を見ていたエルデリックに負けるような……変な感じがする。
それぐらいならと、ラーシュはサリカの肩に触れて引き寄せた。
サリカが息をのむ。驚く彼女と目を合わせて、ラーシュはぐっと喉の奥に力を入れた。
(とにかく、やりかただけ教えればいいはずだ)
ラーシュは自分の手が震えないように念じながら、サリカの後ろ頭に左手を添える。
「一度だけ、コツを教えてやるからよく聞け」
ラーシュは呆然としたまま自分を見上げるサリカに、顔を近づけた。
「いいか。目の位置をまず合わせろ。それから鼻の位置」
鼻先がぶつかりそうな位置で、サリカの揺れる瞳を見つめる。サリカが身を強ばらせるのがわかった。
嫌がっているのかもしれないと思うと、むっとした。同時に、心の奥底がくすぐられたような気持ちになる。自分を従わせることのできる相手が、自分におびえる姿というのが少し心地よかった。
自分の歪み具合にラーシュは自嘲したくなるが、恥ずかしさが歪んだ愉悦に覆い隠されていく。
「ここまで確認できれば、少しずれても遠目にはわからない……」
囁く自分の吐息が、サリカの頬に触れるのがわかる。
ほんのわずかに真珠色の歯が覗く唇を、このまま塞いでしまったら。もっと自分を怖いと感じるのだろうか。
サリカはそうしたら、自分から逃げようとするのか、それとも従うのか。
確かめたくなったラーシュは、甘く香るサリカの肌に引き寄せられるように唇を近づけて――ふいに、サリカがラーシュの服の胸元をぎゅっとにぎりしめる感覚に、ラーシュは我に返る。
――自分は今、何をしようとしてた?
「……っ。もういいな?」
教えるのはここまで。
そう告げたラーシュは、ぼんやりとする彼女を残し、急いでその場を立ち去ったのだった。




