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31 貴方のために、なんて

(ラーシュにとって、本当に多少のこと、ならいいんだけど……)


 サリカは、なによりもそこを一番心配していた。

 騎士物語の再現を受け入れたのだから、今現在彼にそういった相手がいるわけではないだろうけど、今後ラーシュが誰に恋するかなどわからない。その時に、サリカとの噂を相手の女性が聞いていたら、うまくいかなくなったりするのではと思うのだ。


 もしラーシュが、あちらこちらで浮き名を流している人なら、そんな心配はしなくてもいいのだが……。


(あ、でも多少って言い切るからには、いろんな人とキスの経験があるってことよね?)


 そうだったらいい、とサリカは思う。

 なにせラーシュの正確な年齢は聞いたことがないが、サリカより年上なのだ。20歳過ぎた顔のいい男が、一度もキスすら経験がないという事もありえないだろう。

 ……一応、奥手すぎる人物ならそういった事もあるだろうが、サリカをぽんぽん叱る辺り、女性が苦手というわけではないようだし。

 一応女性のことは気遣えるようだから、身近に女性がいたんだろうし……と、考えてサリカは急に恥ずかしくなる。


 今更ながらに気づいたのだが、気遣われたということはラーシュもサリカのキスシーンを見てしまったということだ。

 一生無いと思っていた事象に動転していたが、すっかり忘れていた。

 すると急に、サリカは恥ずかしくなってくる。


 けれどラーシュの普通そうな態度に、もしかして見るのも慣れているのだろうかと思いながら、ちらと横目で見る。

 ついラーシュの唇に視線が行ってしまうのは、サリカもかなり意識してしまっているせいだろう。

 薄すぎも厚すぎもしない唇は、引き結ばれている。それでも見ているとなぜかどきどきとした。


(私、ラーシュと……キス、するのか)


 ふと、ラーシュとキスする自分を想像し、うなりたくなる。

 自分の微妙顔では、繊細なリンドグレーン製の聖者像が鶏にキスするぐらいの滑稽な図になるだろう。

 そういえばロアルドの時も、会場にいた人々にそう思われたのに違いない。

 穴があったら潜りたくなるくらい恥ずかしいが、あのときはそんなことを考える余裕もなかった。


(うぅ、また思い出しちゃった……)


 ロアルドのキスの感触がよみがえって、再び唇を拭いたくなる。

 同時に、ラーシュもあんな感じなのだろうかと想像し、となりにいるラーシュに申し訳なくなってじたばたしたくなった。


 そしてサリカはこのときは気づかなかったのだ。

 ロアルドとの時は、すぐに『嫌だ』という気持ちがあったが、ラーシュとキスするのを嫌だと思っていないことに。


「そういえば、ロアルド・ミクローシュ子爵についてだが」


 サリカがじたばたする代わりにつま先だけをぱたぱたしていると、唐突にラーシュがロアルドについて話し始める。


「念のため、陛下経由で調査をしてもらったが、彼は女官長の甥で間違いはない。女官長の家である子爵家の分家筋の人間だ。が、三年前にミクローシュ女子爵と結婚。妻だったミクローシュ女子爵は半年後に亡くなった。当時60歳だったらしい」

「え、60……さい?」


 あまりの年の差に驚いて、サリカは目をまるくする。

 しかしラーシュの驚きの報告はまだ続く。


「真実の夫婦ではなかったのだろうな。ミクローシュ夫人は結婚当時から病んで寝付いていたようだから。ただ、結婚前から家族ぐるみで家同士のつきあいがあったことと、祖母のように慕っていたらしいことは元使用人から聞き取りができたと、陛下に命じられてあの男のことを調べた騎士から聞いている。そしてミクローシュ子爵家をロアルドが継ぎ、その後なぜか次々と浮き名を流しはじめたようだ」


 奥方が亡くなっているのだから、他の女性とつきあったとしても問題はないだろう。

 ただ、あらましだけを聞けばこう思うに違いない。


「なんか財産狙いの結婚だったとか?」

「そう思う者も多かっただろうな。ミクローシュ子爵家の親族に彼は嫌がられているようだ。そして浮き名を流すうちに、多少なりと借金を抱えた。おそらくそれを引き合いに、女官長からお前へのお見合い相手の打診を受けたんだろう」


 ラーシュの結論に、サリカは「ああ…」と納得する。


「なるほど、ある意味お金目当てで結婚しようとしたのかな」


 お金の出所はサリカではなくとも、結婚できればお金が流れてくるのだから。

 ただ、ロアルドはお金を無制限に貢いで歩く人には見えなかったので、彼がそういうことをするのが不思議な気はする。貢がせているというなら、あの美麗な顔の造りからして納得できるのだが。


(それに……これは貴方の為でもあるのですってどういうこと)


 ロアルドはお金のためにサリカを引き取るが、それがサリカのためになるとはどういうことなのか。

 理由が思いつけずにうなっていると、さすがにラーシュに尋ねられた。


「金目当てだったのが気にくわなかったのか?」

「違うわよ。お金積まれてもお断りだもの。それがね……」


 サリカはロアルドに言われた言葉をラーシュに伝えた。

 話しながら、先ほど『公衆の面前でキス』を命じられたラーシュと普通に話せるようになっていたことに気づき、サリカは内心で思う。


(もしかして、そのために別な話題振ってくれたのかな)


 サリカがラーシュとぎくしゃくしないように。

 それにこうして話し始めてしまえば、少しはキスのこともラーシュに正面から尋ねられそうな気がしてきている。そんな結構気配り屋さんなのかもしれないラーシュは、サリカから聞いた話に渋い表情になっていた。


「今までの経緯からして、女官長達はお前のことを何の能力もない女だと考えていると思う。それなのに結婚してお前の為になる、か……。身分というわけではないだろうな。お前は欲しがっていないわけだし。身分みたいに明らかなもので釣るなら、あいつもはっきりとそう言うだろう」

「確かに……。だって身分がどうしても必要なら、私はお祖父様の方を頼ればいいんだし」


 イレーシュ辺境伯家は国王の信頼も厚く、辺境を治めるためにかなりの軍事力を私有している。よくわからない子爵家よりも、そちらの名前の方が押し出しは強いのだ。

 そんな後ろ盾があるというのに、サリカが身分に釣られるとは思わないだろう。


「為になる……というと、脅し文句にも使える言葉だな。問題を起こしておいてから、金を出すのがお前の為だ、と言うような感じとか」

「うーん、困っていること……?」


 サリカが現状困っているのは、ロアルドのことだ。いいかげん自分に関わるのをやめてもらいたいのだが。


「あ、もう一つあったっけ。暗殺者の件くらい?」


 でも違うよね。暗殺したいなら、わざわざ結婚する必要もないしとサリカはつぶやく。

 だがラーシュは首を横に振った。


「可能性があるなら、確認できるまでは全て投げ捨てない方がいいだろう。そうだな、お前の能力も関係なく、ただ殺したいだけだとも考えられるか? だが理由が……」

「そこで詰まるのよ。理由が思いつけないもの」

「なら、その暗殺者の行動の理由を知っていて、結婚したならその理由を解決してやれるという意味はどうだ?」

「うーん。それなら、全面的に私のために結婚するようなものじゃない? ロアルドさんや女官長にそんなことをする理由ってないように思うんだよね」


 結婚までして助けるとなると、自分の人生を棒に振るようなものだろう。それほど親切にしてもらえるほど、サリカは彼らに恩を売った覚えはない。


「まさか、うちのお父さんの商売の関係とか? なんか莫大に儲けそうな気配があって、それで借金持ちのロアルドさんを、親族の女官長が紹介したがったとか。そのために女官長のツテでそれをダメにする材料を握って、結婚しないのなら破産させるぞっていう脅しのつもりとか?」


 大きな利益はでないものの、一定の儲けで慎ましく暮らしている自分の父親が、そんな幸運を掴めるとはサリカは思っていない。だから、まずあり得ないとは思うが。


「それならそうと言った方が、脅しとしては効果的だろうな」


 ラーシュが天井を見上げる。


「考えられる動機は、この中のどれかのような気もするが……」


 二人の推測は、暗礁に乗り上げた。

 思わず黙り込んでしまったその後、ラーシュがぽつりと言った。


「とにかく、今できることは俺が勝つことだけだな」


 その言葉に、サリカははっとする。

 今回の計画を成功させるためには、ラーシュが入賞することが絶対条件なのだ。


「あの、大丈夫? 絶対入賞しなきゃいけないなんて……」


 ラーシュが強いのは、サリカも分かっている。

 けれど実際にはいろいろな要因が重なって、上手くいかないこともあるだろう。

 何より、騎士の試合は毎年どこかの都市で死者が出ると聞いている。かくいうサリカも、故郷の都市で行われていたのを見に行って、負傷者が発生したのを目撃したことがあるのだ。あのときばかりは、自分がそれを見続けないよう、抱き込んでくれた父が頼もしく感じられたものだ。


 そのときに「大丈夫、怪我は男の勲章だ。だから騎士なんてものにとって怪我は、ご褒美みたいに心地良いに違いない。コワクナイヨー、サリちゃん」などと変態発言をしたため、聞こえてしまった周囲の人にまでドン引きされ、わずか十秒で父親の権威は失墜したのだが。


 ともかく、入賞のために無理をして、ラーシュが怪我でもしたら申し訳なさすぎる。

 だからサリカは申し出た。


「勝利することが必須な以上、あの下僕状態とか……使う?」


 ラーシュは嫌悪するかもしれないが、下僕状態になれば異常な身体能力を発揮できる。そうなれば無敵だ。まず間違っても怪我などすまい。しかしラーシュは首を横に振る。


「あれを使うと動きが不自然になる。異常なんだよ、人としての動きとしては」

「そうか……だよね」


 確かに、崖を駆け上がるあの身体能力を発揮されて、馬上できりもみ一回転など披露されては、観衆が自分の目を疑うだろう。


「ただ、勝たなければ計画そのものがダメになるからな」


 サリカの嫁入りが不可避になってしまうと、ラーシュも身の振り方を考えなければならない。一度故郷を捨ててきたラーシュに、もう一度生きていく基盤を求めて彷徨わせることになってしまう。

 だからサリカは言った。


「あの、でもね。そんなに必死にならなくても、なんとかするから私。こうなったら私も変態だったって設定にして、ロアルドさんの親族から嫁入りを拒否されてみせるとかできるし!」

「お前がそれを実行すると、なぜか俺がより変態と思われそうな気がするんだが……」


 ぼそりと呟かれ、サリカは言葉に詰まりそうになる。


「や、今度こそ被害は私だけにするから! 私が変態な分には問題ないだろうし」


 サリカの変態説が流れたところで、エルデリックを毒牙に掛けようとしてる疑惑を抱いている女官長が慌てるぐらいで、むしろ虫よけになって万々歳だ。

 しかしサリカの発言を聞いたラーシュは呆れたようにため息をついた。

 なんかダメだったかなと心配になったサリカは、ふいに頭を軽く撫でるように叩かれて、目を瞬く。


「そう慌てるな。少しはちゃんと他人を頼れよ。お前は自分でどうにかしようとして、深みにはまってくように見えるんだがな」


 年長者らしく諭されて、サリカは反論もできない。

 するとラーシュがくつくつと笑って言った。


「だからお前に『貴方のために自分が犠牲になる』なんて向かないんだろう。たいてい被害が他に出るんだからな。俺がなんとかするから、大人しく待ってろ。それが取り合われる女の役目ってものだろう」


 いいな、と今度ははっきりとサリカの頭を撫でる。


「とっ、取り合われる女の役目って……」


 サリカはラーシュの言葉に、思わず顔が熱くなる。

 端から見ればそうかもしれないが、実際は違うのに。どうしてか……急に走って逃げたい気持ちになる。


「恋や結婚をするつもりがなくても、こういった経験をしておいても損はないだろ」


 だから言う事を聞いておけ。

 言われてうなずいてしまったサリカは、ラーシュの顔を見上げて……ちょっと後悔した。


 年上らしい余裕の表情を浮かべているラーシュを、不覚にも……格好いいと思ってしまったから。

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