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お見合いはご遠慮します  作者: 奏多


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29 罠からの一時脱出

 その時、突然サリカの目の前を覆ったのは、青と白の色だった。

 自分よりも丈高い人の、白い長衣と青の肩掛けを着た背中だ。


「このような場所で、ずいぶんと非礼な行動だと思うが、一体どういうつもりだ?」


 サリカを背に隠してそう言ったのはラーシュだった。

 あまりのことに行動できずにいたサリカを、見かねて来てくれたのだろう。

 ロアルドが視界の外に追いやられたせいか、サリカは安心のあまり泣きたくなる。


 それでも泣いて状況が変わるわけでも、強制的に結婚しなければならなくなりそうなことも変わらない。

 不安でなにかにすがりたくて、ついラーシュの衣服を握りしめたくなるが、それもするわけにはいかなかった。


(ここじゃだめ……)


 気安いラーシュにそうして縋ったら、人前で口づけを交わすような男がいるのに、別な男にも気があるのかと誤解する人は多いだろう。誰もサリカの事情など知らないし、知られてもいけないのだから。

 人目の多い場所でロアルドがわざとキスをしてきたのと同じように、ラーシュをサリカが巻き込むことになってしまう。

 周囲の人々は、固唾をのんでサリカ達に注目しているのだから。


 大勢の視線に晒されることがあまりないサリカは、それだけで恐くて体の震えがとまらなくなるが、頭がなんとか働きだすと、次第にラーシュのことが心配になってくる。


(これってまさか、取り合われてるように見えてるんじゃ……)


 口づけをした男から、女を背に庇うもう一人の男。

 普通ならばそう見えても仕方ない状況だ。

 しかも取り合われてる格好になっているのは、先ほどエルデリック王子と最初に踊って注目を集めてしまったサリカだ。おかげでサリカ達を、興味津々に見つめている者も多いようだ。


 けれどサリカにはどうしたらいいかわからない。

 いつもなら残念な頭なりに何か思いつくのに、しゃべろうとするととたんにロアルドに口づけされた感触を思い出して、ぞっとするのだ。


 一方のロアルドは、ラーシュに阻まれても余裕が伺える口調だった。


「非礼ではないと思うよ? ずっと私は彼女に顔合わせの申し入れをしてきたのだし、祝宴の舞踏で私の手をとってくれたのだから、そう悪い気はしていないのだと思ってね」


 ロアルドは遠回しながら、サリカがまんざらでもない態度だったと言い出した。


(ありえない! ありえない!)


 でも言葉が出なくて、サリカはぶんぶんと首を横にふるのが精一杯だ。

 そんなサリカをちらりと振り返ったラーシュは、ロアルドに向き直って言う。


「本人は違うと意思表示しているようだが」

「祝宴の雰囲気に飲まれたのだとしても、その瞬間の彼女の気持ちが本心ではないとは言えないだろう?」


 遠回しにサリカにもその気がなければそんなことはしないだろうと、ロアルドは勝手に翻訳し始めた。

 サリカはぞっとする。


(やだこの人まだるっこしいっていうか、とろみのついた料理みたいな言い訳するー!)


 このままでは押し切られてしまう。

 でも、できればここでしっかりと否定しておかなければ、外聞の悪さを払拭できずにお見合いを申し入れられたら受けなくてはいけなくなる。さすがのサリカの父母でも断れまい。

 暗い未来を想像したサリカは、もう失神したくなってしまう。


(貴方の為って、どういうことかは気になるけれど……)


 ロアルドの結婚でなにかサリカのためになることがあったとしても、それ以上にまずいことが発生するのだ。

 もういっそ、使いたくなかったけれど能力を使って騒ぎを起こし、この場をうやむやにしようかとサリカは考え始める。

 何の目的かわからない結婚のせいで、国家の陰謀にでも利用されるよりはマシだと思うのだ。急にみんなを笑わせてうやむやにしたまま逃げるのもいいし、いっそ全員を酔った状態にして酒が回った末の幻覚だったと言い逃れをするのはどうだろうか。


 追い詰められたサリカが、だんだんと危険思想に傾き始めたそのとき、周囲で様子をうかがっていた人々がざわめく。

 何かと思って振り返れば、サリカの後ろにフェレンツ王がやってきたところだった。


(へ、陛下!)


 フェレンツ王は急ぐ様子もなく歩み寄ると、サリカの肩に手を置いた。


「問題が起きていると聞いて来たのだが? 我が王子の頼みとする者に戯れをしかけたと聞いているが、彼女の名誉を傷つけられると私にも不都合なのだがね。なにせ彼女は私も亡き王妃も救われた、王家にとっての恩人なのだから」


 ただでさえざわついていた祝宴の場が、騒然となる。

 一女官の問題に国王が出てきたのだから。

 それだけでも異例だというのに、ロアルドに対して遠慮しろと国王自らはねつけたのだ。


 エルデリック王子に特殊な事情があるからと納得する者もいるだろうが、それでもサリカの希少性を知らなければ、他に察しの良い人間ならいくらでも見つけられるのにと不審に思われるのではないだろうか。

 そんな危険性を侵してまでサリカを庇ってくれたのだ。


(陛下ごめんなさい……)


 サリカは泣きたくなってうつむく。

 その様子すらもフェレンツ王は使った。


「今日はこの娘も気分がすぐれないようだな。このまま引き取らせることにする。これが戯れではないというのなら、後日、彼女の後見であるイレーシュ辺境伯家へ連絡をとるといい。今は王国のためにリンドグレーンへ赴いているから、しばらくは返事を待つことになるだろうね」


 フェレンツ王は、そのままラーシュに囁き、サリカを連れ出すように指示する。

 まだ身震いが止まらなかったサリカは、ラーシュに背中をそっと押されるがままにロアルドに背を向けた。


 フェレンツ王が出てきたことで、貴族達にサリカがキスされたことを印象付けてしまっただろう。それでも決定的な問いかけをされて、受け入れなければならなくなるよりはずっとマシだった。



 広間から外に出ると、ラーシュが話しかけてきた。


「……おい、平気か?」


 サリカはこくこくとうなずく。


「た、たぶん……」


 それから言葉にできたのは間抜けな返事だったが、声が震えてしまって、サリカは自分でも驚く。


「とりあえず部屋で少し休め。俺は陛下達の様子を見てくる」


 気の毒そうにそう言ってくれたラーシュに部屋まで送ってもらったサリカは、部屋に入る前に、再びラーシュに「大丈夫か?」と尋ねられる。


「うん……その、殺されかけたわけじゃないし、怪我させられたわけじゃ……ないし」


 今度はあまり声も振るわせずに返事ができたのだが、自分で言っておきながら、サリカは先程のキスのことをまざまざと思い出してしまった。

 すると急に自分の唇が気になって、こすりたくてたまらなくなる。一方で、ラーシュの目の前でそうすることが、どうしてか恥ずかしかった。


 だから部屋の中に引っ込んでから、サリカは口を手の甲で擦ってみた。

 それでも感触の記憶が消えない。

 サリカは他に何かいい案はないかと部屋を見回し、扉近くの小卓の上の盥を見つける。


 祝宴後、多少ながら顔に塗っているので、それを落とすために用意されているものだ。洗顔用の水差しもあったので、さっそくたらいに水を張り、顔を突っ込む。

 数秒間静止した後、ざばりと顔を上げる。


「消えた気がしない……」


 このさらさらした水の感触がいけないのだろうか。それとも時間が短すぎたのだろうか。

 サリカはもう一度ざばりと盥に顔をつっこむ。


 その時ちょうど扉をノックされたのだが、もちろん水音でサリカは気づかなかった。

 更には水の中で息を止めていた間、ノックしても返事のない静かな部屋という状況に、ラーシュとエルデリックがどう思うかも。


 なのでサリカは、扉を開けたラーシュとエルデリックに、盥に顔を突っ込んでいる間抜けな様子を目撃されてしまうことになった。


「おい、サリカ!」

「ぶえっ!?」


 驚いて顔を上げたサリカは、エルデリックまでが部屋に入ってきていることに驚いて、慌てて近くに置いていた布で顔を拭く。

 そんなサリカの様子に、ラーシュとエルデリックは顔を見合わせ、二人そろってふっと息をついた。

 サリカはどうしてそんな反応をされるのかわからずに首をかしげる。


「どうしたのよ二人とも。てかなんで部屋に勝手に入ってきてるの?」


 女子の部屋に呼ばれもしないのに入るのは、ちょっと倫理に反するのではないかと言えば、ラーシュが呆れた表情で言う。


「お前、明らかに女子として衝撃を受けただろう事象の後に、扉を叩いても返事がない、静まりかえって物音もしないなんて状況に出会ったら……いろいろ考えるだろうが」


 言われてサリカもようやく気づく。

 盥の水に顔をつけていたせいだと。

 エルデリックからは【なんでそんなことしたの?】と視線を向けられ、サリカは釈明した。


「だって、なんかその……口が気持ち悪くて」


 サリカの答えに、ラーシュもエルデリックも事情を納得したようだった。

 キスでさすがのサリカもショックを受けていたからこそ、その感覚を洗い流そうとしていたのだ、と。


「まぁ入水自殺なんてお前がするわけないのか……盥ではなおさらだな」


 人差し指の長さほどしか水深はない。よほどそういった欲求で頭が一色にならない限り、盥の水で自殺するのは難しいに違いない。

 ラーシュの言葉に、サリカはふっと暗い笑みを浮かべた。


「死ぬぐらいならあの変な人の記憶消しに行く……失敗したら廃人まっしぐらだけど、いいよね……ふふふ」

「お、おいサリカ……」


 サリカの危険思想垂れ流しに、ラーシュが一歩サリカから離れた。


「そもそも私が使いたくないのって、お母さん達に言い聞かされてきたこともあるけど、力が中途半端だから失敗したらどうなるかわかんないからってのもあるんだよね……くくっ。でもお母さんやおばあちゃんとかラーシュに陛下達に迷惑かけるぐらいなら、廃人にして殿下のお側から……離れて……うぅぅ」


 エルデリックの側から離れることを考えると、サリカは泣きそうになる。

 ずっと側にいたエルデリックは、年に数度会う父母よりも近しい家族のような存在なのだ。まるで我が子から切り離されるようで苦しくなる。

 思わず涙目になるサリカにエルデリックが肩をくっつける。


【泣かないで、サリカ】

「殿下……」


 そっと寄り添うようなエルデリックの仕草に、サリカはますます胸が痛んだ。


【僕がその記憶を消してあげられたらいいのに。どうしたらサリカは忘れられる? 何でもするから教えて】


 エルデリックはそう言ってサリカを見上げてくる。


「そんな殿下……え?」


 サリカは二・三度目をまたたく。

 今エルデリックは何と言った?


(何でもする?)


 その言葉でサリカの脳裏に閃いたのは、口づけの感触の上書きだ。ロアルドのものよりも強烈に刻まれる感覚が得られれば、きっとキスのことなど『なにそれ?』という程度の記憶に成り下がるだろう。

 サリカはじっとエルデリックを見つめる。


「では、殿下お願いが」


 エルデリックはちょっと首を傾げてサリカの言葉を聞いてくれる。


「殿下の頬を少しお借りしても?」

【それぐらいなら】


 エルデリックは喜んで頬を差し出してくれる。


(殿下のほっぺた! 殿下の頬にキスするのなんて何年ぶりだろ……)


 確か10歳になる頃にはあまりしなくなったのだ。その頃やってきたティエリに、殿下も幼少とは言えない年になってきたんだからやめるようにと反対されて。

 久しぶりの行為に、サリカはどきどきしながらエルデリックの頬に口を近づける。

 触れた瞬間の『ふにり』とした柔らかな感触に、サリカは口先から自分が溶けてしまいそうな感覚に陥る。


(うぅ、幸せ……)


 おかげでロアルドの感触など思い出そうとしてもできない。

 むしろこのほわほわした柔らかな頬の感触に、噛みつきたい衝動に駆られてきた。


「あ、あの、殿下。少し甘噛みしても……」


 恐る恐る尋ねれば、エルデリックは拒否しなかった。


【サリカが泣き止んでくれるなら……いくらでも】


 むしろ少し恥ずかしそうにそう言ったエルデリックに、サリカは身もだえしたくなるほどきゅんとする。


(あああもうかわいいっ、だめとまらない! いっただっきまーす!)


 無意識に唾を飲み込んで、あーんと口を開けたところで、頭の天辺にげんこつが落とされる。


「待て変態」

「変態ってなによ! ていうか痛い!」


 サリカに抗議されたラーシュは、しかし真剣な表情で言い返した。


「つば飲み込んで未成年に顔を近づけるのは変態だろうが」


 言われたサリカはうっと反論を飲み込むしかない。

 確かにそれは変態だ。サリカもさすがに反省してうなだれる。

 その様子に深いため息をついたラーシュが言った。


「それよりも陛下がお呼びだ」

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