1 独身生活のススメ
バルタ王国は大陸の北東にある。
けして温暖な土地とは言えず、一年の三分の一は雪と共に過ごさねばならない。
それでもバルタ人がそこに住み続けるのは、神の炎が降り注いだ破滅の時代、月から舞い降りた女神がこの地にバルタの祖先達を導き、神の炎が治まるまでの間守り続けたという伝説があるからだ。
そんなバルタの春は遅い。
雪がとけ、代わりのように無数の星のように黄色い花を咲かせるフェレトが薫る頃から、ようやく暖かな日差しが空からふりそそぐようになるのだ。
サリカが泣き言を母に書き送った五日後。
白い靄と一緒に無数の星のように咲くフェレトの花の香が、薄く開けた窓から侵入してくる早朝に、母の返事を持った緑のマントを羽織った伝信官がやってきた。
しかし最初、伝信官の白ひげのおじさんが差しだした筒を見て、サリカは首をかしげた。
返事を書いた手紙かと思いきや、荷物は筒に入った巻物が一つだけだったのだ。
そして筒は、齢二十の娘に送るにはあまりに簡素すぎる茶色の筒だ。
普通の母親というものは、服は足りているのかと布を送ったり、身だしなみを気にして香水なり収入に合わせて手作りのポプリなど、こう、可愛い物を送ってくれるものだ。
実際、サリカと同じく王城で仕事をしている女官のティエリやハウファなんかは、可愛らしい押し花を漉き込んだ伝信紙や、樹珠玉を縫いつけた装飾品を貰っている。
だから母親も、返事の手紙ぐらいは普通に綺麗な便せんを使うのではないかと思っていたのだが。
「ああ、でもうちのお母さん、変な人だから……」
期待しちゃいけないと、サリカは自分に言い聞かせる。
支援物資と書かれた季節事に送られてくる木箱の中には、珍味と父の商いの関係上余ったのだろう布などが入れられて、手紙の一つも入っていない有様なのだ。
贈り主が母の名前なので、母が送ってくれたのだと分かる有様である。
そんな人が、娘の手紙に平凡なものを送ってくるわけがない。
伝信官のおじさんに礼を言ったサリカは部屋の中に引っ込み、仕事の前に中身を確認することにした。
あの母親のことだから、うっかりと適当な取扱いをしたら爆発するような物を送ってくるかもしれないと考えたのだ。王宮内の宿舎を破壊したら、弁償にどれだけお金がかかるかわからないではないか。
爆発物であることを想定し、サリカはそっと蝋で封をされた筒を開ける。
が、筒の中身は厚手の紙の巻物だけだった。
「なんで巻物……?」
フェレト草の安価で書きやすい紙が溢れている昨今、地図でも作るのかと言いたくなるような、厚く丈夫な紙を使って文字を書くのが、まさにうちの母らしいとサリカはしみじみ思う。
丸めた紙を開くと、そこには母の雄々しい字が綴られていた。
その内容は、
「独身主義者がやり手婆から逃れるための七箇条……さすがお母さん。題からしてもう、マトモじゃないや。でも手紙の返事としては外してないところがにくい」
己の母親の奇矯さに感心しながら、サリカは七箇条を読み上げてみた。
「1 仕事が生き甲斐。結婚など眼中外と周囲にしらしめる。
2 見合いを仕組まれた場合、なるべく相手の嫌がる事をして幻滅させる。
3 上司の紹介については、恋愛結婚が理想と突っぱねる。
4 会食の席で出会いを強制された場合、素早く友人に押しつけて逃亡する。
5 おつきあいをしてると周囲に吹聴された場合は、お父さんのように尊敬しているだけだと広める。
6 それでもうっかり告白されたら、実は同性が好きですと嘘をつく。
7 それでも駄目なら、敵を完膚無きまでにたたきのめせ」
サリカはしばし黙考した。
1はまだ、母にしては穏便な手だ。けれどこれは実行しているのに、女官長には逆効果になってしまったものだ。
2は実行した場合、サリカの評判に著しい傷がつきそうで恐い。サリカは平凡に生きたいのだ。しかし確実に相手から断ってくれる策でもあるので、悩むところだ。
3。これは母と父の出会い編から熱愛編までを語って、心苦しいながらも「憧れてます!」と嘘をつけばいいのだろうか。
「……まず嘘を平気でつけるよう、練習が必要そうだけど」
サリカの心理的にけっこうハードルが高い。
4を実行するには、事前に友人に根回しが必要だろう。さもなければ友を無くしかねない。
5はわりとまともそうな助言だ。しかし相手が年下だった場合、これは逃げ口上として使えない。けれどサリカの父のようにと言えば、相手の方がかなり衝撃を受けてくれそうだ。
それくらいで女官長が諦めてくれたら、幸運だなとも思う。
6は本当にサリカの人生に傷がつきそうだ。できれば使いたくない。
7については、母の発想が恐いと思った。
七箇条を読んだ上で、とりあえず巻物は壁に貼り付けた。
あまりに凶悪な事が書いてあるので、見合い除けに効きそうな気がしたのだ。
そしてサリカは、母からの手紙について検討を後回しにし、職場へ出勤することにした。