序:お見合いの押し売りは困ります
「宜しいですかサリカさん。貴方も今年で二十歳。成人年齢を過ぎてはや三年経ったのですよ」
人差し指を鼻先に突きつけてくるのは、黒髪を円塔のように結い上げ、紗で覆った貴婦人の衣装を着た女性。
このバルタ王国の女官長である。
「まだたった三年じゃないですか」
すかさず打ち返すと、サリカと向かい合っている女官長が一瞬眉をつり上げ、元に戻す。
「花の盛りは短いといいます。最も美しい時に高く売りつけなければ! そんな地味すぎる格好も改めてもらいたいですね」
女官長の黒い瞳の中には、暗い亜麻色の少し波打つ髪を一本結びにしただけの、サリカの姿が映り込んでいる。
羽織るように着ている上衣の色は灰緑色。内着は黒と、お世辞にも若い娘らしい格好ではない。
ただひたすら、汚れが目立たない、そして自分自身が目立たない服装を選んで着ているだけなので、当然だが。
「確かに私は平々凡々ですが、これは昔から変わらないことですので、あまり高く売りつける材料にはならないかと思います。しめった藁みたいだと言われてきた髪の色も、灰青なんて微妙な色の目の色も、いますぐ金髪碧眼には変わりませんし。しかも成人から三年経って、花の盛りも過ぎかけてますが」
一生懸命サリカが自分の欠点を主張しても、女官長は首を横に振る。
「そんなことはありません。あなたの年頃ぐらいまでなら、若さが二倍三倍に容色を引き立たせてくれます。だからこそこの最後の機会を逃してはなりません。女は鮮度が命です!」
女官長が華炎色のドレスのスカートをぎゅっと握りしめる。
二十歳のサリカより一回り以上も年上なのに、女官長は華麗な装いをしている。
それでいて派手に見えないのは、裕福な伯爵夫人として磨いてきたセンスと、それなりの腕を持つ服飾師に依頼して作らせているからなのだろう。
「鮮度っていわれてもわたしお魚じゃないですし……」
サリカの憎まれ口にもめげず、女官長は一歩踏み出してくる。
王宮の御影石で出来た黒床が、かつんと良い音を立てた。
代わりにサリカはそろりと一歩下がった。
王宮の一角で、女官長に迫られているサリカの姿は、まるでヘビに狙われているカエルのように見えるに違いない。
「何を言っているのですサリカさん。あなたは大輪の薔薇ではないかもしれませんが、充分に可愛らしいお嬢さんですよ」
「お世辞をありがとうございます」
サリカはとりあえず慇懃無礼な返答をしておいた。
「だからサリカさん」
女官長が皮肉にもめげず、更に一歩間合いを詰めてくる。
白っぽい石壁を背景に、美しく眉を描き、口紅を差した女官長の表情は有無を言わせない迫力に満ちていた。
「私が良い方をご紹介しますわ。ですからぜひ一度会ってみて……」
「でもわたしはお仕事がしたいんです。この仕事に一生を捧げるつもりでやってきたんですよ」
「結婚後、子供をある程度の年齢まで育て上げたらまた復帰できますとも、サリカさん。私もそうしたのです」
ますます詰め寄る女官長に、サリカは次々と言い訳を封じられていく。
だから仕方なく。
本当に仕方なく自分の本心を暴露した。
「でも……一時でも殿下から離れたくないのです、女官長様。今の少年から成長しようとしている微妙な年頃なりの可愛さを、毎日眺めていたいんです!」
「……は?」
女官長が目を見開いた。
ここぞとばかりにサリカの心の底からの思いを滔々と語ることにした。
サリカの仕事は王子の女官である。
そして仕えている王子は、十二歳のまだ可愛い盛りなのだ。
男らしさがまだ現れきっていない体格や、中性的な顔に浮かべられる、はにかむような笑み。
柔らかな金の髪の手触りもすばらしく、なによりあの純粋さあふれる翠の瞳で見つめられると、もうなんでも言うことをきいてあげたくなるのだ。
思いの丈を打ち明けられた女官長は――――魔物を見るような目をサリカに向けた。
「へ、へんた……」
「変態ではございませんわ、女官長様。私は王子殿下の信奉者なのです」
サリカはきっぱりと言い切った。
そう、自分は王子殿下を心から愛でているだけである。
母のように姉のように。
しかしその気持ちは理解してもらえなかったようだ。
「いえやっぱり変態……じゃなかったわ」
女官長は部下でもあるサリカの、変態発言のショックからようやく立ち直ったようだ。
ぶるぶると頭を振り、両頬を叩いてから元のしゃっきりとした表情に戻る。
……まだ多少、目が泳いではいたが。
「ようは、王子殿下のような方が貴方の好みだということね?」
転んでもただでは起きない強かな女官長は、変態発言をするほど好きなのなら、その対象と似た人間ならば釣られるだろうと考えたのだろう。
サリカは心の中でうめく。
なんてしぶとい人だ……と。
「えーと……殿下はあくまで観賞用といいましょうか」
「鑑賞……やっぱりあなたへんた……」
なんで鑑賞するのが変態なのだろうとサリカは少し不満を抱く。
他の女の子達だって、顔のいい男を遠くから眺めて楽しんでるではないかと思うのに。
けれど結婚したくないサリカとしては、もう変態という理由で話を断れるなら、それでいいような気がしてきた。
「なんかもう変態でいいです女官長様。とにかくそんなわけで、他の男性方は目に入らないというかなんというか。とにかく男らしくなる前の危うい年頃の殿下をですね、鑑賞できなくなるのはごめんなわけなんです」
これで納得しただろう。そう思ったサリカだったが、話を聞き終わった女官長はなぜか不審げな表情になっていた。
「まさか、ただ結婚したくないがための嘘じゃないのでしょうね?」
言われた瞬間、サリカは血の気が引きそうになった。
別に嘘をついたわけではないが、並べた理由は結婚拒否理由の三割くらいのものでしかないから。
「思えば、あなたがそんな変態だとは聞いたこともありませんでした。それよりも、貴方の話を聞いてみると、あの噂の方が真実のように思えてきてなりません」
「え、噂って何ですか?」
尋ねると、女官長はきっとまなじりをつり上げて言った。
「貴方が王子殿下の妃の地位を狙っているというものです」
「はあっ?」
そちらの噂の方が、サリカにとっては晴天の霹靂だ。
「どこをどうしたらそうなるんです!? そもそも私は確かに貴族の親族ですけれど、お父さんは平民なんですよ? 絶対王子様と身分がつりあう訳がないじゃないですか!」
サリカが否定するも、女官長の厳しいまなざしに変化はなかった。
「その変態的な殿下への気持ちが高じて、そのように思ったとしてもおかしくはありません。ならば尚更、殿下が毒牙にかけられないようにするためにも、あなたをまともな道へ引き戻す必要があると思うのです。だから必ずお見合いはして頂きます! 覚悟しておいて下さいね!」
女官長は一方的に宣言して、その場から立ち去った。
一人王宮の廊下に残されたサリカは、深くため息をついた。
「なんてこと……」
上手く断ろうと思って殿下への愛を語ったら、正反対の結果になってしまった。
かといって結婚は嫌だ。困る。
サリカにはおいそれと『結婚したくない理由』があるのだ。
自分の秘密のことを思いながら、サリカはぼんやりと天井を見上げた。
「どうしようお母さん」
困り果てたサリカは、とりあえず一番の理解者である母に手紙を書こうと決意した。