第二話 「このは博士の幽霊理論」
「落ち着いた?」
「うん……ごめんね」
私たち二人は車道用の信号機の上に座っていた。───いや、正確には信号機の上に座っているように浮いているだけだ。
まあ当然といえば当然ではあるといえるが、どうやら幽霊は重力の影響を受けないようだ。
私の体はついさっき救急車で運ばれていった。───だけどおそらく何もできないだろう。
「本体」はここに居るのだから。「行かないの? お姉ちゃん」と隣にいる少女は私に尋ねたが、少し考えて行かないことに決めた。行ったところで今の私に何ができるだろうか。私の声は、誰にも聞こえないのだ。お父さんにも、お母さんにも、お兄ちゃんにも……
ただ皆が悲しむ姿を眺めているだけを眺めているだけなんて私は絶対に耐えられない……! 少女は私の返事に「えっ!」と驚いたようだが、少しすると「そっか……」と呟いて少しうつむいた。
その表情は、なぜかとても寂しげだった。
「ど、どうしたの……?」
と私が聞くと、私に笑顔を向けて「ううん、何でもないよ」と言って手を左右に振った。
「あ、そういえば、お姉ちゃんのお名前は何ていうの?」
そう聞かれて、私もまだこの娘に名前を聞いていなかったことに気づいた。そして私たちが今どういう存在なのかも。まあ十中八九、幽霊なんだろうけど。でも生前、幽霊というもの全く信じていない私にとっては、今のこの状況は少し受け入れがたいものがあった。
「有澤 咲。君は?」
「私、寿 ほのか」
ほのかちゃんは二っと笑顔を向けて言う。
「ほのかちゃんか~。ねえ、ほのかちゃん。私たちって一体どういう存在なの? あ~……やっぱり、幽霊とか?」
そう尋ねるとほのかちゃんは少し上を向いて人差し指を口に当て、「うーん」と唸りはじめた。何やら考えているようだが、その仕草もやはり可愛らしい。
そんなことを思っていると、ほのかちゃんが申し訳なさそうな目を向けて言った。
「ごめんね、咲お姉ちゃん。前に聞いたんだけど、私からは上手く説明できないや」
咲お姉ちゃん……! ああ、なんて可愛い娘!
と思うと同時に疑問が。
「え、ちょっと待ってほのかちゃん、前に聞いたって、分かる人がいるの!?」
「え!? う、うん……」
正直、そんなもの分からないだろうなー、と思っていたが、まさか分かる人がいるなんて……
「じゃあお願い、その人の所に連れて行って!」
「うん、いいよ。ついてきて、咲お姉ちゃん」
そう言って私はほのかちゃんの後を追って動き出した。
───それにしても、一体どんな人、いや、幽霊なのだろう。もしかして、死神とか!? いやいやそんなバカなと思いつつも、不安はどんどん募るばかりであった。
「ねえ、ほのかちゃん。今から会う人ってどんな人?」
「うーんとね、目つきがちょっと悪いお姉ちゃんかなあ」
より不安になってきた……もし本当に死神とかだったら全力で逃げよう、うん。
「着いた! 最近いつもここにいるから、多分今日もここにいると思うよ」
「えっ、ここって……」
ほのかちゃんが指さした先には、私の通っている、倉松高校であった。
「ほ、本当にこんな所にいるの?」
私がそう尋ねるとほのかちゃんが「うん」、とうなずく。
「うん、最近はいつもこの学校の実験室みたいな所にいる、って言っていたから」
実験室みたいなところ……? もしかしたら化学室のことだろうか。化学室なら、たしか2階の隅の部屋だ。
「あそこ?」
ほのかちゃんは私が指差した方を見て、「うん、そうだよ」と頷いた。間違いない、化学室だ。だけど、毎日科学室にいるなんて……変人なのか? あー、でも、なんだか死神とかではなさそうだ。
窓からすり抜けて化学室に入ると今日は休日で授業もないので教室は薄暗く、しんと静まり返っていた。───おかげで、ほのかちゃんの言っていた人物がすぐに分かった。
教室の真ん中に一人の少女が座っている。少女とはいっても、年齢は私と対して変わらないだろう。
もしかしたら同い年かもしれない。
横を向いて、何かをじーっと見つめているのか、視点はずっと一点を見つめていた。
「このはお姉ちゃん」
「───ん? おお、ほのかか」
ほのかちゃんの呼びかけで少女は我にかえったようにはっとした後、こちらに振り返った。
目つきが悪いと言っていたが、確かにその目は少し鋭く、そしてその目の下にある大きなクマがその目つきの悪さを助長している。
小顔に黒髪のショートヘアーで美形の顔をしているがこの目のせいでなんというか、小中学校の学級委員のような感じになっている。そして最も目をひいたのは、彼女の白衣姿という格好だ。なんでそんな格好をしているのだろう。
まあ何はともあれ、ガイコツの死神とかじゃなくてよかった。
あれ……?
このときふと、私はこの顔をどこかで見たことがあるような気がした。
「そっちの娘は……?」
「この人は咲お姉ちゃん。さっきそこで会ったの。このはお姉ちゃんの話が聞きたいんだって」
彼女はそう聞くとこちらを向いて口を開いた。
「そうか。私の名前は穂積 このは。このはでいいよ。えっと、君は───」
「あっ!!!」
───思い出した。
穂積 このは。十歳までアメリカに留学していて、その間に某有名私立大学を飛び級で卒業。───その後五年間で500以上の機器や発明品を開発した、『天才少女』だ。
───だが一年前、彼女は突然亡くなってしまった。しばらくの間ニュースなどで彼女の死について大きく報じられていたが、死因はなぜか報じられることはなかったのだ。
この前、彼女の死から一年、ということでワイドショーで彼女の死について迫っていたのを見たが、その番組でも結局、彼女の死の真相に至ることはなかった。
確か(生きていれば)17歳で、私と同い年のはずだ。
「お姉ちゃん?」
「おい、どうした……?」
不意に私が大声を出したことに、二人は驚いてこっちを心配そうに見つめている。私はおそるおそる口を開く。
「このはって、あの、天才少女の?」
「ん? ああなんだ、そんなことか……べ、別に、周りが勝手に呼んでいただけだよ」
このははそう気恥ずかしそうに言った。となりのほのかちゃんは「すごーい、このはお姉ちゃんって有名人だったんだー」と目を輝かせて謎の拍手をしている。
あ、少し顔が赤くなった……
「とっ、とにかく! 私たちのことについて知りたいんだろう!?」
「あっ、はい!」
「話題がそれた……」
そうつぶやくこのはの顔はまだ赤かった。
「えーっと、君の名前は?」
「あ、有澤 咲です。」
「あ、別にタメ口でいいぞ。その方が私も話しやすいし。じゃあ咲、君はこの私たちの現象についてどう思っている?」
そう言ってこのははフワッと浮かんで目の前の机に座った。
「えっ……う~ん、やっぱり、幽霊……とか?」
「まあ大まかにいえばその通り。簡単に言ってしまえばそうだ。ではその幽霊とは何か?」
「幽霊とは……? う~ん、やっぱり怨念、とか……?」
そう言うとこのははクスッと笑って「じゃあ咲は誰かに恨みがあるのか」と言ったので慌てて否定する。そういえば確かに私に怨念、といえるほどの恨みを持っている覚えはない。
「冗談だよ。怨念というのも確かにあるがもっと大きく言えば今の私たちは『エネルギー体』だ。もっと正確に言えば『エネルギーの残骸』だがな」
「え!? エネルギーってあの、電気エネルギーとか熱エネルギーとかのエネルギーのこと!?」
「そう。他にも光エネルギー、位置エネルギーなどがある。そのうち人間が目で確認できるエネルギーは光エネルギーぐらい。五感を使えばだいたいのエネルギーは認識できる。だが、人が五感を使っても認識できないエネルギーが存在する」
「それって……?」
「心だよ。人の感情というのはとてつもないエネルギーを持っている。あー、例えば、神様への祈念や呪いもそうだ。人の想いが奇跡をも起こすことがある。それ位の膨大な力、エネルギーが「死」によって一気にゼロになるとは思えないだろ?ま、だからその意味では怨念もあながち間違いではないな」
───確かに、人の想いが力を持つことには私自身、いくつも心当たりがあった。スポーツで言う、精神論、というのもこれに入るのかもしれない。強さも経験も同じ者同士が戦った場合、最後にものをいうのはやはり『気持ちの強さ』だ。
「じゃあ……今の私って、私自身の感情、精神から出来たってこと?」
「そう。それが幽霊の正体さ」
「えっ」
今のはこのはの声じゃない。私の後ろから聞こえてきた声に驚いて振り返ると、いつの間にかそこには一人の青年が立っていた。
スラっとした体格に、このはと同じく白衣を着ていて、眼鏡をかけているその姿は知的な研究員に見えたが、左耳につけている黒のイヤホンがその姿に不釣り合いに思えた。
「遅いぞ、宗助」
「ちょっと博士、勝手にいなくなんないで下さいよ!大変だったじゃないですか~。あ、こんにちはー、ほのかちゃん」
「こんにちは、宗助お兄ちゃん」
博士、というのはこのはのことだろう。このはは一回ため息をつくと、
「助手なら、私の行動パターンくらい予測しろ」
と言ったが、今度は青年の方がため息をついた。
「ここにいるのはすぐ分かりましたよ。ですが大変なのはここに忍び込むことですって。最近の学校は防犯対策がしっかりしてますから」
あれ? この人って……
「あの……あなたって、生きているんですか?」
───すると、私のこの質問に青年はブッと吹き出した。
「ぶっ、あっははは! 面白い質問をするね。えーっと、君は?」
「あ、有澤 咲です」
「僕は汐見 宗助。大学でこの人の助手をしていて、ご覧の通り生きてるよ」
ご覧の通りと言われても、幽霊になってから人と幽霊との見分けがつかなくなっている。まあ確かに、「生きているんですか?」というのは少し間抜けな質問だったかもしれないけど……
え? というかこの人、この学校に忍び込んだの? そういえば前に学校で最近校内に不審者が侵入しているって注意を呼びかけてたけど……まさか、この人のこと!?
一瞬、さっき笑われた仕返しに大声で先生を呼びに行こうとも思ったが、すぐにそれができないことを悟ってやめておいた。今の私では姿はおろか、声さえ先生に聞こえないのだ。
って、あれ……?
そういえばどうして汐見さんは私たちの姿が見えているのだろうか。いや、そもそも会話が成立していることがおかしい。
「あの、なんで汐見さんって私の姿が見えて、声も聞こえるんですか?」
すると汐見さんは二っと笑って待っていましたと言った感じで答えた。
「よくぞ聞いてくれました! 実は僕はあの安倍清明の子孫で、親はとある有名神社の神主。おかげで幽霊を見る、触るはもちろん、除霊もお手のものさ!」
「えっ、すご……」
私が言いかけた時、
「ほう……」
と、このはが声を漏らした。その声にはそれが向けられていない私でも思わずびくっとびびってしまうような威圧感があった。
このはが漏らした声に汐見さんはビクッと、ニッコリ笑顔のまま固まる。額にはうっすら汗が。まさにヘビに睨まれたカエルのようになっている。
「いやあ、知らなかったな。君にそんなことが出来たとは」
「ひっ……」
これまでに多くの部下を従えていたのだろう、私と同い年ぐらいの少女とは思えない威圧感がそこにはあった。
「私もうっかりすると君に消されてしまうかもしれないなあ」
「えっ! いや……はい、すみません。冗談です。ちなみに親は普通の会社員です……」
「え? じゃあどうして私たちが?」
「こいつらのおかげです」
そう言って汐見さんは眼鏡を指差し、ポケットからケータイサイズの黒い装置を取り出した。
「この眼鏡は幽霊が放つエネルギーを光エネルギーに変換して視覚化させることが出来て、この装置は周囲の特定のエネルギーの変化から計算して人に聞こえる声に変えて、このイヤホンを通じて君たちの声が聞こえるようになっているんだよ。どちらも生前の博士の発明品で。いやー、本当に博士はすごいお方ですわ~」
と、汐見さんはそのままこのはを褒め称えはじめた。機械の説明にそれとなくこのはへの機嫌とりを忘れていない。
実際に、このはからはさっきまでの威圧感は消えており、顔を少し赤らめて目線を斜め下に下げて、「い、いや、別にたいしたことじゃあないぞ・・・」とかボソボソつぶやいている。
だけどホントにこの発明、めちゃくちゃすごくないか?
「だいたい、君はどうしてそう突拍子もなく冗談をいうんだ?」
「いやー、道ゆく幽霊にこれ言いますと皆驚いて逃げていくのがちょっと面白くてですね……あ───」
汐見さんの顔はまだにっこりしたままだったが「しまった!」という心の声が聞こえた気がした。このはが再び青筋をたてる。
「……宗助。いますぐその人たちの所行って謝ってこい」
「へ? いやいや無理ですって。どっかに飛んで行ったのもいますもん」
「君は何のためにその足がついているんだ? ほら、早く行ってこい」
「え~っと……す、すんませんでした。いや、ホントカンベンして下さい……」
汐見さんがそう言って頭を少し下げた時───ガラッと音を立てて教室の扉が開いた。
「え……?」
中に入ろうとした人物が私たちを見てキョトンとしている。いや違う、私たちは見えないはずだ。───唯一見えているのは、幽霊のこのはに頭を下げている汐見さんだけ。
「えっ、ええええ!! あ、あの、ど、どちら様でしょうか!?」
当然の反応だろう。確かあの人は新任の化学教師、小森純子先生だ。新任早々お気の毒に……なんて思っていると、このはが私の裾を引っ張り、そしてこっそりと言った。
「……咲、ほのか。逃げるぞ」
「え?」
「というか隠れるぞ。ほら、早く!」
そう言って私たち二人の手を引いて、そっと窓の外側に隠れた。
「え、どうして隠れたの?」
「そうだよー、私たちは見えてないよ? このはお姉ちゃん」
「見てて。……あのバカのすることは予想がつく」
このはがそう言って、私たちは窓の角から教室の中をそっと覗いた。見ると、汐見さんも小森先生もどちらもおどおどしている。気持ちは分かるが、なんだかコントみたいだった。
「ええっと、こういう時は警察、いえ、まずは校長先生にだっけ……」
「い、いいいいいやちょっと! お、落ち着いて下さい……ちょ、ちょっと話を」
「う、動かないでください!」
「あ、あの、ホント、怪しい者ではないですよ……」
「だ、だって怪しい動きをしていたじゃないですか!? どう見ても怪しい人です!」
「カンベンして下さいよ……えーっと、実は私、幽霊が見えまして」
「は? 何を言っているんです? そんないい加減なことを……」
「う、嘘じゃないですよ! ほら、この眼鏡をすると見えるようになるんですよ!」
「あ……」
ようやく私にもこのはがこれを予想していたことを悟った。
「あのバカ……」
このはを見ると、本気で呆れているようだった。
「……本当なんですか? なら私に貸してみて下さい」
「ええっと……それは、その……」
「貸せないんですか? やっぱり不審者……」
「ああ! 分かりました! はい、どうぞ」
そう言って、汐見さんは眼鏡を小森先生に手渡した。小森先生がおそるおそる眼鏡をかけるが、私たちが見えるはずがない。ここに隠れているのだから。
「……ただの眼鏡じゃないですか」
「ええっ!! ちょ、ちょっと貸して下さい……あれー!? 博士ー、咲ちゃーん、ほのかちゃーん!? どこー!?」
周りをキョロキョロと見回して私たちを呼び続ける汐見さんを小森先生はどうしてよいのか分からないのか、じっとみつめている。ただその目は完全に不審者を見ている目だ。
「宗介は突然のことでテンパると勝手に自滅していくことがあるんだよ……」
ハア、とこのはは一回ため息をついた。
もう一度教室を見ると、汐見さんが小森先生に連れていかれるところだった。おそらく職員室……いや、下手するとこのまま警察行きかもしれない。多分助け出すとするならば今しかないだろう。
「このは、ほのかちゃん……どうする?」
「うーん、そうだな……じゃあ私の研究室に行くか。咲もまだ聞きたいことがあるだろうし」
「あ! ごめんなさい。私これからケン君と遊ぶ約束していたの」
「ああ、そうか、分かった。じゃあ、何かあったら来てくれ。場所は分かるだろ?」
「わかったー」
汐見さんのことも含めて聞いたつもりだったが二人とも完全に無視だ。───あ、汐見さんが小森先生に連れられながら教室を出て行った。
「じゃあ、咲。ついてきて」
「あ、うん」
そういって私たちは学校を後にした。かわいそうな汐見さん……でもごめんなさい、私もこのはについて行きます……